自称☆芝居道楽委員会

2005年後半 <<芝居道楽録 <<HOME

加藤健一事務所「審判」

2005年10月11日(本多劇場)

舞台上には加藤健一だけ。舞台装置も被告人席の演台だけ。最小限の舞台設定で2時間半のモノローグを見せる。これは俳優の技量が試されており、挑戦した加藤健一は間違いなく確かな成果を勝ち取っていた。

但し、ここからは私個人の問題なのだが(と言って、こういう感想の類は基本的に私感の域を出ないものではあるが)、私には彼が何故「殺人罪以外の何か」について審判されなければならないのか全く分からなかった。

過去をさかのぼれば、中学生の頃、森鴎外『高瀬舟』の読書感想文の課題が出されて、完全にお手上げだったのと将に同じ状況。『高瀬舟』は、書かれた当時においては先進的な思想であった「尊厳死」あるいは「自殺幇助」を扱った作品である、たぶん。鴎外はこの究極の問題を読者に突きつけているのであろうが、私には何故尊厳死や自殺幇助が咎められなければならない対象の問題であるのか、そもそも問題であるのかすら、理解できなかった。
よって、当時の私は「弟は故人である実兄の意思と、己の意志に従って兄の自殺を幇助したという事実の、何がどう問題なのか不明であり、己の確固たる意志によって法を犯した者に対してその犯された法律の根拠以外に問える罪はない」という主旨の感想文を書いた覚えがある。

そして今回は極限状態における人肉食がテーマである。
衣服を剥がれ、差し込む光は高い位置にある小さな窓のみ。食料も水も与えられない地下牢で、7人の捕虜達が生き残るためには自らが排出する液を飲み、人肉を食べ、血をすするしかなかった。仲間の肉を食べる、しかも肉となる人はくじ引きで選び、生き残る権利を得たものが肉となる仲間を殺してその肉を食べる。確かに惨い場面だが、それは食された人だけではなく、食した人にとっても惨い場面。しかし、いかに惨かろうと浅ましかろうと、生き残るためにはそれしかない。
確かに人間、しかも味方を殺したことは有罪であろう。だが、人の肉を食べたことが何故いけないのかが分からない。イケナイという以前に、何故人肉食が問題視されているのかが分からない。舞台を観る前から、観ている間も、そして観終わった今も分からない。

私に唯一分かったのは、ヴァホフが「もし戻れるならば再び兵士として戦場に立ちたい」という希望だけ。これは決して彼が死にたくて死に場所を求めているのではない。勿論、兵士として死ぬなら戦場でというのはあるだろうが、他者から批判的な視線を浴びせられる現状から逃げたいが為の戦場希望ではない。彼は職階つまり命令系統が明確な軍隊の、その明確な規範の中で、再び生きてあることの任務を遂げたいと積極的に考えているのだ。
私に唯一響いてきたのは、彼が最後に語ったこの望み。嗚呼、それならば私にもわかるよ。

採点:★★☆☆☆☆

2005年後半 <<芝居道楽録 <<HOME