自称☆芝居道楽委員会

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騎馬オペラ ジンガロ「Loungta−ルンタ−」

2005年4月3日(木場公園内ジンガロ特設シアター)

人と馬との間に主従関係はなく、よって人が馬に鞭を当てることはないし、馬が芸をしたから餌をあげるということも(青の女とロバ?の場面では餌付けがあったが)基本的には無い。チベット僧による宗教音楽がこだます中、人馬一体で作り出される美・芸術。
と、ここまでは分かる。しかし、それ以上のことが全く分からなかった。実際、見終わって茫然自失。何のために私はチケット代を払ったんだ!?
よく考えてみれば、馬が横歩きするのは上級テクニックで、しかも横歩きで円運動というのはとんでもない技なのだろう。が、だから、なに?そのステップにはどういう意味があるのかな?例えば、馬が描いて見せた軌跡は、何らかの宗教的あるいは民族的意味を有する模様だったのだろうか。ただ旋回しているだけにしか見えなかったが。

曲芸なら、もっと派手なことをする曲馬団がある。
見事な乗馬なら、馬術ショーでも見られるし、疾駆する馬の美しさは競馬でも感じる。
宗教音楽が雰囲気をつくるなら、グレゴリオ聖歌や唱名もあるし、マイク音は野暮だ。
チベットの文化を感じるなら、ダライラマの話を聞きたい。
民族的な仮面舞踏なら、本来はもっと霊的な何か意味づけがあるはずだ。

開演前、延々と続く五体投地。それは明らかに宗教的な何か、大地への祈りをイメージさせた。
だが、開幕してみると、その祈りとの連続性が全く分からなくなった。髑髏マスク団のアクロバットも、巨大三面マスク団の旋回運動も、本来マスクが持つはずの意味合いが何一つ見えてこない。ぶっちゃけ、何故そのマスクをつけてパフォーマンスしなければならないのか、あるいはそのパフォーマンスに対してそのマスクを選んだ理由が何かがわからない。それは勿論、パフォーマンスが示したい何かが何なのかが不明だからなのだけれど。

たぶん、深い考証があるのだろう。何か奥深い哲学というか思索があるのだろう。ただ、いかにそれが深遠で崇高で美しかろうとも、伝わらないのであればパフォーマンスとしては駄作であろう。
『ルンタ』という演目に物語性が希薄なのがイケナイと言っているのではない。
だが、民族的な何かを題材に持ってくれば、その思想性・宗教性・民族性はいやでも多弁になるはずの処を、何をどう淘汰すれば、あれほど何も語らないものにしまうことが出来たのかが、不思議なのだ。

ラスト、映像の中で舞っていた紙片が、舞台にも降りしきる。しかし、これも私には意味が分からなかった。チベットにおける宗教的祈りが、それを見つめる全世界の人々に対しても及んだと言うことなのか?しかし、何故、白なのだ?
ちなみに「ルンタ」というのはチベット語で「風の馬」という意味で、チベット人が旅の安全を祈願して峠から投げる、馬の絵が描かれた小さいお札のこと。色は白には限定されず、カラフル。

どれも中途半端に感じたのは、フランス人が感じるチベットへの異国憧憬と、日本人(アジア人)が感じるチベットへの同族意識の違いなのだろうか。それとも、私の乗馬知識の欠落及び、騎馬文化の違いによる美意識の違いなのだろうか。
とっても残念だけれど、なにも「震撼」しなかったし、これが「極限の芸術」とは思えなかったし、「太古の記憶」も呼び覚まされなかった。
私の感度があまりに鈍く、低かったせいなのだろうか。

採点:★☆☆☆☆

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