『オペラ座の怪人』モノは、宝塚宙組『ファントム』に続いて今年2度目である。『ファントム』はヅカとして楽しんだわけだが、今回はオペラの歌曲を取り込んだクラシック・ミュージカルであり、「愛するが故の悲劇」(チラシより)とユーモラスな側面を描いた作品ということで、果たしていかなるものかと観に行った。
アンドリュー・ロイド・ウェバー版(以下:A.L.W.版)の豪華なシャンデリア、華やかな群舞、大人数が歌いあげる迫力、耳に残る音楽。嗚呼、それらと比べてはいけないとはわかっている。でも!う〜ん。
15人程度のカンパニーで、舞台も比較的こぢんまりと使っている。客の入りも正直云って悪い。いったいどうしてこの2062席もある会場にしたのだろう。明らかに劇場が広すぎる。私の印象ではアートスフィア(746席)か世田谷パブリックシアター(600席)程度の劇場で上演した方が臨場感が出てよい芝居だと思う。あの広いだけで何の雰囲気もないホールで、19世紀後半のオペラ座の雰囲気を出そうというのだから、よほど作品に力があって役者が充実していないと厳しいだろう。
ちょっとゴシック・ホラーの入ったラブ・ロマンスなA.L.W.版は圧倒的な音楽と大コーラスで劇場の雰囲気を掴むことができるが、ケン・ヒル版はコメディーの要素を入れて客席をつかもうとしているのである。ならば、会場がむやみに大きいのはどう考えても無理がある。
そう、このコメディーというのが、苦しいのだ。A.L.W.版のイメージをいかに頭から振り払っても、振り払っても、『オペラ座の怪人』にコメディーという状況がうけつけられない。それまで厳格な桟敷席の番人だった黒服の女性が、突然「お茶葉占いでクリスティーヌの居場所を当てる」と言い出した時は、あまりのギャップに椅子からずり落ちてしまったよ。
ファントムがクリスティーヌを好きになってしまったのは、しょうがないとしよう。好きだからものにしたい、という発想も理解しよう。しかし、いただけないことに、このファントムの立ち居振る舞いが全くかっこよくないのである!更にいただけないことに、このファントムはトリックおたくで、殺人狂で、妄想癖があるのだ。何たること。それでクリスティーヌに一方的に恋心を寄せてしつこく迫るのだから、これは間違いなくストーカーである。オペラ座のストーカー。何だこれは…。
そのくせ、クリスティーヌとラウルが愛の抱擁をしている背後に現れて、オロオロと猫背ぎみに動揺しているのだ。ラウルが邪魔なら殺してしまえよ、あんた殺人狂でしょ。
唯一の救いは、ラストにファントムが自害したことだね。あんな迷惑なヤツは生きていてもらっちゃ困る。でも、あのファントムにしてはできすぎた行動で、この物語の展開ならファントムの兄(弟だったかも…)に殺されている方が、最後まで見苦しくてスッキリしたかも(苦笑)
それにしても、どこらへんが「愛するが故の悲劇」なのかちっとも分からなかった。
ファントムはクリスティーヌを愛していたかもしれないけれど、愛する愛さない以前に、彼の精神の在りようが間違っていたわけだよ。何しろ彼はオペラ座の支配人を強請っていて、物事が自分の思い通りに行かないと殺人事件を起こすという、正真正銘迷惑なヤツだったわけだし。ファントムがクリスティーヌを愛した(だいたい、あれが愛したってコトなのかさえ疑わしいが)から悲劇が起きたのではなく、愛したが故に事件が大きくなったわけ。それに、クリスティーヌとラウルは相思相愛で、横恋慕のファントムに翻弄はされたのは悲劇だけれど…。う〜ん。「愛するが故の悲劇」ではないよなぁ。わからん!
歌は、それなりに聞かせるものがあったし、上手かったとは思う。が、どこかで聞き覚えのある歌曲が使われていると、その場面の展開よりも「何の曲だっけ?」と気になるし、場合によっては「何でこの曲を持ってきたんだ?」と気になる。
見終わってとってもイライラが募った。いや、より正確に云えば、後半は舞台を観ていられなくて、明後日の方向をぼんやりと観ながら歌だけ聴いていたよ。どうせ英語で何と歌っているのか歌詞は分からなかったけどね。
帰宅後、A.L.W.版『オペラ座の怪人』のロンドンキャストCDを3回くらい聴いたことを、最後に付け加えておく。