シェイクスピアの4大悲劇といえば『ハムレット』『オセロー』『マクベス』『リア王』である。『ハムレット』は最近では藤原竜也主演で観ているし、『ハムレット』の外伝のような作品『ゴンザーゴ殺し』も観たことがある。『オセロー』はロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで、『マクベス』は大昔に『NINAGAWAマクベス』を観ているし、日本バージョン?の『蜘蛛巣城』も観た。
が、『リア王』のみ観たことがなかった。今回、TVドラマの渋い脇役として有名な石橋蓮司がリア王を演じ、中川安奈、手塚とおる、辻萬長といった面々が名前を連ねているという。これは気になる!とチケットを確保した。
これは、もぅ、明らかに演出・美術(佐藤信)の失敗と言わざるをえない。
舞台いっぱいに大階段が設置され、役者はひらすら階段で演技をしている。階段に踊り場は無く、唯一舞台と同じ床面に移動式の蓋のような板が設置されている程度。
この大階段には宝塚歌劇も吃驚だろう。タカラジェンヌが大階段でダンスを踊ることがあってもたかだか数分であり、基本的に階段は降りてくるだけである。
しかし今回のこれは、ひたすら階段を上り下りしながら演技をするのだ。役者も階段に気を取られるだろうが、観ている観客も役者が足を踏み外しはしないかと、無駄なことに意識がいく。役者にとっても観客にとっても、芝居に集中しにくいように舞台が設定されているのだ。嗚呼。そんな無駄な神経の使い方に何の意味があるのだろう?
更に悪いことには、役者は裾を引きずるマントを着ているのだ。これは当然、階段で方向転換をするたびに足下にからみつき、役者はマントをまたぐようにして足を踏み出さなければならない。実に見苦しい動きである。普通の床であれば、軽くマントを蹴り上げたり、手でさばいたりしてマントを翻すことができるのだが、階段では段差があってマントが上手く翻らないし、マントの翻る風圧でバランスを崩して階段落ちしかねないのだから、役者は命がけでマントを跨ぐのである。馬鹿馬鹿しい!
肩にかけられたマントが、階段の段差の為に美しくその色彩を見せているのは素敵だったが、それとてあの状況では演技の邪魔でしかないだろう。3階席から観ると、役者がみな下を向いて(階段下を見ている)ので表情が見えにくい。舞台背景に映像を流すのは面白い手法ではあるが、どうにも映像が野暮ったい。
ラスト、コーデリアの亡骸を抱えてリア王が階段を上る。しかし、どんなにリア王が狂ってみたところで、このコーデリアが人形では幻滅だ。そりゃあ、コーデリアが生身の役者では、それを階段から投げ捨てる演技は出来ないだろうが、そんなの本末転倒だ。
演出は何故ココまで役者の動きを制限し、しかも見苦しくしてしまったのだろうか。舞台を階段状にすることにどれだけ崇高な意図があったのかは知れないが、この結果では演出(階段)が芝居をを殺していると言われても反論は出来ないだろう。
狂気の言葉で真実を語った道化(手塚とおる)の演技に★をあげたい。