新橋演舞場を熱くした前回公演は日程の都合が付かず見逃していたため、今度こそは!と意気込んだ舞台である。しかも、今回は天海祐希が出演すると聞いては、観ずにはおれない。だって私、凛とした美人って大好きですから(笑)。
当日券で確保した席は、2階の花道上。乗り出しても花道がまともに見えない…。う〜ん、こんなコトなら補助椅子を嫌がらないで1階席にすれば良かったな、と、少し後悔。開演までの間は劇団☆新感線らしく、賑やかなビートの効いた曲がガンガンにかかっている。おお!このノリなのだよね、と気持ちが盛り上がったところで開幕だ。
いやぁ、正直言って、美惨(夏木マリ)のビブラートかけて張り上げた怪ソプラノには、のっけから引きました…。その声が怪しさ大爆発なのはイイとして…って云うか、「その発声は普通の人はしないだろ」という感じが、人間ではない存在であることを示しているのかもしれない。が、鬼の一党を引き連れるだけの存在感が希薄。
対峙する十三代目安倍晴明(近藤芳正)は、お気楽キャラとして描かれており、そう演じているのかもしれないが、弱い。あ、いや、鬼に負けてしまうという意味ではなくて、「だからアンタな何なのよ」って。
さらに言えば、気になるじゃないですか、「何で十三代目なのかなぁ」って。安倍晴明という名前は世襲されたわけではない、というコトは先刻承知。しかし、こういう設定になっているからには意味があるのだろうと勘ぐってしまう…。舞台はペリーの黒船来航(1853年)の頃、つまり、稀代の陰陽師・安倍晴明(921年〜1005年)の没後約850年ってコトになる。で、この約850年間に何をどうすると十三代目という数字が出るのだろう?わはは。わからん(苦笑)。
病葉出門(わくばら・いずも)を演じるのは前回から引き続いて市川染五郎。駆け回り、立ち回りをかっこよくキメて、ギャグも綺麗に落とし、所々挿入されている歌舞伎からのパクリはさすがにお手の物だ。が、鬼御門(おにみかど)を出たあたりから背負っている過去の因縁というヤツが、伝わってこない。赤い糸の先にいる女性を引き寄せようとしているのはわかるが、そこまで己を駆り立てる原動力が見えない。
敵対する安倍邪空(じゃくう)は伊原剛志。染五郎と並んで、見た目も演技も負けていないし、がっぷりぶつかって、イイのだが…。この邪空の目指す究極の処、男のロマン(?)が私にはわからなかった。何だか、師匠である十三代目晴明にも、元同僚(笑)の出門に対しても“決定的に勝っているワケではない”というコトに対するひがみから、鬼に走ったというコトなのかな。何が不足していたか、ということであれば、もうちょっと悪の色気が欲しかった。
運命の女性、闇のつばき(後に阿修羅)は天海祐希。一座を引き連れているときの姉御肌、格好いいです。阿修羅と転じた後に鬼を従えての歌&ダンスは、ヅカ時代を彷彿させるものがあったね。期待通りではあった、が、裏を返せば、期待以上ではなかった。
主役三人の寄って立つところが演じ切れていないのは、どうにも痛い。役者は揃っているハズなのに、何だかハズしている。
主な脇役で言えば、四世鶴屋南北(小市慢太郎)も、桜姫(高田聖子)も、祓刀斎(ばっとうさい・橋本じゅん)も、個性的に頑張ってはいるのだろうが、それぞれ個別の世界に住んでいるようにしか見えない。カンパニーとしてバラバラ、とまでは行かないモノの、どうにも上滑り感がぬぐえない舞台だった。
ついでに…。江戸時代と云いつつ、フリスビーが飛ぼうと、管狐の名前がパトラッシュだろうと、あるいは祓刀斎という名前から和月伸宏『るろうに剣心』を連想してしまっても(笑)、気にしません。許す。でも、どうしても気になるんです、江戸時代の話で「隅田川」という固有名詞を使うの。「大川」と言ってくれ〜。
<追記:2003.09.24>
上で、「約850年に何をどうすると十三代目という数字が出るのだろう?」と書いたのだが、謎がとけました。というか、閃きました。
安倍晴明はダライ・ラマ的に名前を継承するんですね!つまり、初代晴明の死後、転生した晴明を探し出してこの人物に2代目を名乗らせる…。しかも、転生した晴明は10歳の頃に発見されて、歴代晴明は初代と同じく85歳まで生きる(というか、75年間晴明を名乗っている)とします。すると、初代の没年が1005年だから、
1005年+75歳×11代=1830年:当代(13代)晴明の襲名。
1853年-1830年=23歳+10歳(転生が発見された時点の年齢):晴明の年齢
ってことで、物語の1853年頃には当代晴明は見た目40歳以上なんですけど、何とか、辛うじて、説明がつくんです。わお!く、苦しい…。ってか、こんだけ苦しい説明をしないと「十三代目」という数字にはたどりつけないのだ。(史実とは異なります、念のため)