自称☆芝居道楽委員会

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ペリクリーズ

2003年2月23日(彩の国さいたま芸術劇場)

シェイクスピアのファンタジーである。あまりにベタで笑ってしまうほどご都合主義な展開には「こんなに出来すぎた展開でいいのか?!」と思わず突っ込みたくなる。純粋な心をもつ者、善意の人には最終的には幸運(仮死からの復活、守られた貞操、巡りあう家族)が訪れる。悪意のある人は神によって裁かれ(落雷による焼死、民衆の蜂起による破滅)、不運な最期を迎える。そんな話。
よほどの役者と演出家を揃えないと学芸会で終わってしまうところだ。

内野聖陽は、波瀾万丈の旅物語の渦中の人ペリクリーズを力一杯まっすぐに演じていた。特に前半の正義感あふれる若き領主ペリクリーズの、その後一歩で暑苦しくなる直前の熱血漢ぶりに、物語の多少の強引さ加減も飲み込まれてしまう。最前列の上手隅っこで観劇していた私には、内野が飛ばす汗も見えて何とも生々しかったワ(笑)。
後半の失意の人は今ひとつ年輪が感じられなかったが、それでもスケールの大きな芝居をしてくれるので及第点と言うところ。
そういえば、後半のペリクリーズを観ていて何故か『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャン&ジャベールを思いだしたのは…あれは一体なんだったのだろう?私は内野の『レ・ミゼ』は観ていないのに。

市村正親と白石加代子は、語り手(吟遊詩人の夫婦)のガワー(白石&市村)他、ターサスの太守夫妻・クリーオン(市村)&ダイオナイザ(白石)、ペンタポリスの王・サイモニディーズ(市村)、ミディリーニの太守・ライシマカス(市村)、ミリディーニの女郎屋のおかみ(白石)も演じており大奮闘。
その中で何と言っても一押しなのがガワー。ことに白石の怪演はさすが。本来一人であった語り手をガワー夫妻と設定し、芸達者な白石&市村の二人に『ペリクリーズ』の物語を語らせた蜷川の演出はツボを心得ており、物語をテンポ良く引き締める効果を発揮している。

ところで、この舞台では内野のペリクリーズ以外は一人の役者が何役かをこなしている。いわゆる「その他大ぜい」が何役を兼ねていようとかまわない。
が、正直なところ、衣装の色遣いによる識別がなければ、市村のサイモニディーズとライシマカスは混合するところだった。また、田中裕子がペリクリーズの妻・タイーサとペリクリーズ夫妻の娘・マリーナを兼ねていたが、これも演じ分けがなんとなくあやふやで気持ち悪かった(苦笑)。

衣装は「いかにも蜷川」なアジア風無国籍。それだけに、オープニングとエンディングの傷ついた民がリアル。『ペリクリーズ』が実は避難民による劇中劇という設定なのだろう。だから、劇中の暗転時に繰り返される砲撃音は、演じ手である避難民にとっての「現実」の戦争。これらの場面があることで舞台が引き締まるような感じがする。
人は傷つきながらも自分の生を生きてゆく、そのしぶとく苦しい姿。どん底があるからこそ抱きたいハッピーエンドの夢。

さて、美国の藪大統領がこれを観たらなんと思うのだろう。「正義は勝つ」などとは言うまい?「“勧善懲悪”における民の多少の犠牲はやむおえない」と?まさか。この作品はファンタジーであり、この演出は約12年前の湾岸戦争を繰り返そうとする馬鹿な国際政治に対する、蜷川なりの抵抗なのだろうと思う。

採点:★★★☆☆

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