原作は今市子の漫画、これをリリパットアーミーのわかぎゑふ脚本で花組芝居が上演する、というのである。原作コミックは全巻(現在10巻まで発売中)揃えているし、連載されている雑誌『ネムキ』はわりとマメに購入している私としては、どうしてもはずせない公演である。
リリパットは2001年『乙女回廊』で経験済みだし、わかぎゑふの著作も読んだことがある。花組芝居にしても1997年『花組をどり』、1998年『泉鏡花の日本橋』、2000年『天守物語』と何度か観ているので、そのテンションについては了解している。そして私は原作至上主義ではない。花組芝居が上演するからには花組芝居らしい、予告曰く「妖怪がゲストのサザエさん」な『百鬼夜行抄』になっていることを大いに期待するのである。
で?そりゃあもぅ期待通りだったさ。登場人物の性格及び外見はかなり改造され、原作の淡い水彩画のようなしっとりとした情感あふれる世界は、駄洒落の飛び交う喜劇街道を突っ走る。しかもBGMに「サザエさん」のテーマ曲さえ流してくれるという嬉しいまでの徹底ぶり。
原作を愛する私としては、「うぉ〜!司ちゃん(秋葉陽司)が豪快なデブになってるぅ…悶絶!」「えええ?鬼灯(北沢洋)はキザじゃなくておちゃめなのだよ?!」「お祖母ちゃん(植本潤)が円照寺住職(原川浩明)とダンスしてるぅ…卒倒!」と心の中で激しくツッコミを入れつつ、その変貌ぶりを楽しませてもらった。
原作のイメージにかなり近く、観ていてある意味安心できたのは、ちゃんと人間の格好をしている時のお父さん(水下きよし)と律(橘義)。まわりの人間&妖魔達がドタバタを繰り広げている中で、達観なのか諦めなのかあるいは天然なのか、ちょっと一本ヌケぎみなおおらかな感じ。こういう役もいないと舞台全体がバタバタしすぎで疲れるのだ。
まぁ、このテの芝居については舞台からのメッセージや役者の役に対する取り組み方を云々するのは野暮である。ようするに娯楽として充実していれば観客はそれで満足なのだから。
それも、どうしても気になった点をいくつか。まず、駄洒落を言う時に役者が先に笑ってしまうのはNGだと思う。役者が舞台を楽しんでいなくては観客も楽しめないわけだけれど、役者が笑いながらジョークを言うのでは観客は完全に乗り遅れてしまうわけで、それでは役者の自己満足だ。
ギャグ関連では、開演前や幕間に役者が公演案内のようなアナウンスをしてくれた。それはそれで面白い話題も語られていたが、中にはファンにしか分からないような楽屋落ちのようなネタも随分あって意味が分からない私には少々寂しかった。花組芝居には熱心なファンが多くリピーター率も高いのだろう。そういった贔屓の力があってこそ、東京で10日間、大阪で3日間の公演をうつだけの劇団となったわけで、だからこそファンを大切にするという原理はわかる。しかし逆に、これだけ認められた劇団になったからこそ、コアな贔屓連ばかりではなく初・花組な人達にもわかりやすい花組芝居であって欲しいと思う。
ネオ歌舞伎を旗印に1987年に設立された花組芝居は、これからどのような方向に進むのだろうか?
本家(?)歌舞伎界でも、歌舞伎をどうみせるかという模索がある程度の成功を収めている。江戸時代に回帰した金比羅歌舞伎大芝居、派手な(?)演出で知られる市川猿之助のスーパー歌舞伎、若者を劇場に引っ張り込む中村勘九郎の平成中村座やコクーン歌舞伎、あるいは若手御曹司達のメディア進出など。歌舞伎=「高尚」「敷居が高い」という先入観は大きく崩れつつある。
先日見たTV番組では勘九郎が「原典に回帰すればするほど歌舞伎は過激になる」というような発言をしていた。なんたって、歌舞伎は「傾く(かぶく)」から来ているのだから。ネオ歌舞伎が本家・歌舞伎に後れを取ってはならんのだよ!頑張れ、花組芝居。
あ、そうそう、この日は原作者・今市子センセも観劇されていたようです♪