抱腹絶倒のコメディ、「ただ笑うだけ、文句あっか」といううたい文句の舞台である。先週、超絶重たい話である『ルート64』をわざわざ観に行った私としては、バランスを取るためにも今回は喜劇を観ようと思ったのだ。村井国夫も気になるしね。
一つの嘘が次の嘘を呼び、人の取り違えが事態をさらなる混迷に導き、宝石の入った鞄とブラジャーの入った鞄がグルグルと巡る。物語そのものはこれぞ喜劇の王道という流れ。あまりに定番な展開で先が読めてしまう部分もあるのだが、それはそれで「来るぞ、来るぞ…来た(笑)!」という楽しみがある。
面白かった、それなりに。しかし、期待したほど笑えなかったのがどうにも悔しい。「あちゃあ、またアホやってるよ(苦笑)」と顔がゆるんだが、私としてはニヤケて苦笑が漏れるのではなく、破顔・大笑したかったのだ。ギャグやずっこけシーンでは「くすっ」と含み笑いしてしまったが、本当は声を立てて笑いたかったのだ。あと一息、あと一押しで声になるはずの笑いが、何がどうズレたのか、間が悪いのかすかっとした笑いにならない。
頼むよ、笑わせてくれよ。演じている側も「ココで笑いを!」と思っているでしょ?狙っているよね?その意図はわかるし、事実笑いはあと一歩で声になるところだったのだ。
全く面白くなかったのであれば、「何だ!駄作じゃん!!」と怒りをぶつけることができる。下手なお笑い芸人のボケ&ツッコミに引いてしまうような舞台だったら、いっそ諦めがつくものだ。それが、なまじっか有る程度こなれている中堅どころの落語家が大作に挑んで中途半端に笑いがとれないでいるような、そんな舞台だから逆に辛い。しかも、隣の席の小父様&小母様はクライマックスでは「あはははは!」と愉快に笑いっぱなしだったのだ。これは何かの当てつけか?それとも世代の違いだと言うのか?!
てんやわんやの入り乱れにてんてこ舞いのバルニエ社長(村井国夫)の壊れ具合が何とも軽妙・自在で面白かっただけに、声を出して笑えなかったのが悔しい。
笑えなかった理由として思いつくのは、登場人物のノリというか台詞回しや間合いといった味が全体的に均一だということ。
登場する人物皆が妙にハイテンション。しかもバルニエ婦人と娘のキャラクターは完全に重なっている。全員が同じ調子に合わせてネジがゆるんでいくようで、不自然なのだ。ギャグに対する反応一つをとっても、鈍い人、天然のアホ、生真面目一徹で笑うことが不自然な人、普通の人すぎてこのメンツでは浮いている人など、もっと登場人物の色分けが為されていてもよいと思う。つまるところ、舞台の役者と同じテンポでギャグに反応しないと笑えないような状態が生じてしまっているのではないか、という気がする。
なるほど、喜劇は難しい。