とりあえず、席はよかったのだ。この日しか観に行けない&本当に観に行けるのか前日まで確証がもてない状態だったので当日券に並んだのだ。当日券の補助席にしてど真ん中の席とは嬉しすぎる(笑)いやぁ、なんせ職場から徒歩5分圏内の劇場なのでね、日々フラストレーションがたまっていましたよ。
さて、三原順原作の同名マンガの舞台化である。私の理解力が低いのか、それともマンガ文庫にして全3巻の原作を3時間の舞台にしようとしていることに無理があるのか。
前半は明らかにジュニア(山本)の物語、後半はD.D.(岩崎)の物語で、物語の軸となっているのがウィリアム(笠原)である。そこまではわかる。ってコレすらわからなかったら物語として成立していないが(失笑)。
問題は何が描きたいのかがよくわからないということだ。父ウィリアムに愛されていないと感じるジュニアの苦悩も、自分を捨てた父親への心のありようがわからずに戸惑うD.D.の悩みも、どことなくフワフワしている。
ウィリアムも笠原さんなりに(笑)かっこよく突き抜けている(爆)のだが、人物としていまいち見えてこないところがある。
まず、ジュニア。彼が父ウィリアムと何がどうしてすれ違って、自殺までするのかがわからん。
そりゃ、あれかい?自分の父は善人であって欲しいという息子としての家族の情からははみ出す、規定外の父だから、なのか?ウィリアムが母ドナ(ジュニアの祖母)を殺した(とされる)ことが原因なのだとしても・・・。
ああ、この、父が銃を持っていて&母は死んでいたというシチュエイションが萩尾望都『訪問者』とデジャブなので、ますます息子が父を愛せないことに違和感が(失笑)。
でもって、D.D.は何がどうひっかかっているのか、この場で彼の存在がどう街の人々に影響しているのか全くわからんぜよ。それなのにD.D.一人苦悩していても意味通じないです。案山子のシーンは純粋に楽しむしかないですよ(汗)
さらに、D.D.が実父スティン(鶴田)と再会した後のシーン、なんでいきなりウィリアムがいるかなぁ。ウィリアムとしては異母弟スティンのことをずっと気にしていたことはわかるけど、あの場にいて微笑んでいるのはわからん。よっぽどいない方がいいよねぇ。その方がサラがウィリアムとの私生児を抱いているシーンに繋がる気がするよ。
男性陣が弱い反面、女性陣の方がイキイキして見えた。自分が信じる愛の形があって、それに従って生きている女達は、けなげというより気高い。それはウィリアムの前妻マギー(曽世)も、妻ドナ(山崎)も愛人サラ(山崎)も、D.D.の友人ロージー(舟見)も、ジュニアの彼女ジェニファー(青木)もね。ただし、マギーの服装、何とかしてくれ(落涙)仮にあれが当時のファッションだとしても酷く安っぽいよ。
原作を読んでいたら感動できたのだろうか?(後半では一部ですすり泣く声がしたし。)かといって原作を知らないと感動できない、というのでは舞台として意味がないだろう?どうにもこうにも消化不良だよ。たぶん「ジュニア編」「D.D.編」の2作品に分けて連鎖公演?にしたらもう少しわかりやすいのだろうね。
それでも、とにかく、終演後のプレミアム・ナイト(笠原ウィリアム・ナイト)は楽しませていただきました。っつーか、笠原氏の流し目にイチコロだよ、あたしゃ(赤面)。