自称☆芝居道楽委員会

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Studio Life「訪問者」

2000年12月30日(シアターサンモール)

萩尾望都のマンガの舞台化である。

私の認識では、『訪問者』はオスカーの話であった。心に傷を負いながら、だからこそ許される子供でありたいオスカーが、無条件なまでに父グスタフを追い、そして夢破れる話。原作を読んでいるときはそう思っていた。だが、この舞台は良い意味でその原作を裏切ってくれた。つまり、この舞台の主役は、オスカー(岩崎大)の父グスタフ(甲斐政彦)だったのだ。父グスタフと母ヘラ(佐野考治)の切ない愛の物語、舞台はそのように仕上がっていた。

原作に忠実な台詞と、舞台用に追加されたグスタフの回想シーンが綺麗に溶け合っていて、それがいっそうグスタフの哀愁を掻き立てる。グスタフが本当に良い。一寸猫背な背中、引きずるような足の運び、いつも地面を見つめているような視線、自らを責め続ける寡黙で悲しい男。母性本能をくすぐるとか、そういうのではなくて、嗚呼、本当にこういう男がいて、そして彼は常に苦しんでいるのだろうな、と思わせる、そういう存在感の説得力があった。

さらに、妻ヘラが原作と比べてずっと人物が生きてきている。夫グスタフを愛していて、本当に子供が欲しくて、だからこそ前恋人ミュラー(笠原浩夫)と関係、生まれてきたオスカーを愛しながらも存在に苦しんでいた。その追い詰められてゆく情景が舞台で丁寧に表現されていた。ヘラの人間像が深まることで、グスタフの葛藤もまた相乗効果で表現され、愛し合っているのに死という選択肢しか残されなかった夫婦の、重く息苦しい空気が伝わって来た。

「ミュラーの子よ!」と叫ぶヘラ、「そんなことを聞きたくなかった、おまえの口から」と崩れるグスタフ。ヘラの威嚇?射撃。そして私を撃ってとばかりにグスタフの足元にピストルが投げ出され、誘われるようにしてグスタフは妻の延髄を撃ち抜く。

…愛とか、許すとか、そういうことはよく分からないけれど、多分、あの時、グスタフがヘラを撃ったのは愛していて、そして許していたからだ、と、そう思った。

「ママを返して!」と叫ぶオスカーの首を締め上げ、しかし「そんな目で見るな…ヘラと同じような目をして俺を責めるな…俺はダメな男なんだ、だから…」とうずくまるグスタフ。その情景に「僕は…なれなかったンだね…」とつぶやくオスカー。原作を読んでいたときは、必死に親の愛情を勝ち取ろうとするオスカーの悲痛な叫びに涙した。今回は、そのオスカーの心の叫びに、グスタフの背中がさらに小さくなったように思えて涙した。

シュロッターベッツ学院にオスカーをいれて、南米に向かうグスタフは、帰ってこないのではない、苦しくて、還ってこれないのではないか、と、思った。「自由とは還るべき場所のあることだ」とはどこかで読んだ台詞だが、その意味で放浪するグスタフは、自由ではないのだと思う。自分にそして家族という存在に居たたまれなくなって彷徨うグスタフが本当に自由になったとき、それは、舞台のカーテンコールが示したようにヘラとの愛に自分なりの結論を見出して、そして再び手を取り合うことが出来るときなのだろう。

生きてそれは望めないけれど。切ないなぁ。

ところで…ラストに登場したユーリ(曽世海児)、君のその張り付いた笑顔、違うよ(涙)。それじゃあ、なんだか、アヤシイ少年Aだよ。あのときのユーリはもっと、本当に、心からステキな委員長なのだよ。

採点:★★★★★

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