-kiis blue 32-



永遠の眼

石に刻まれた眼は永遠に開く ......西脇順三郎『Ambarvalia』



キ ス
珍 獣
幻 獣
カエル
お狐さま
夜は千の眼を持つ




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キ ス


唇は唇に重ねられず、互ひの傷口に重なりあふ ......ロレンス・ダレル『アレキサンドリア・カルテット』高松雄一訳


June 25, 2006


キス

ギリシア神話のミダス王は指先に触れるものをことごとく黄金と化す能力を得たが、食物までもがさうなつてはさすがにたまらなかつたらしく、普通のをぢさん、とは云つても王、に戻ることを願ひでた。なんでさ、箸を使へば良いのに!と言つたのはまだ昼間の明るい世界で生きてゐるこどもたち。当然、触れるやたちまち黄金となつて困るもの、それは食物にとどまらない。裸の王様も亦このひとでありましたか。


メデューサと云へば、わたしの幼年時代に於て、かのひとは雪女と並ぶアイドルだつた。わたしの人生は先づ、世紀を超えた二大美女ありきだつたのである。しかも人外といふ素晴らしさ。ところがメデューサとは醜女であり、そのあまりの恐ろしい容貌に、なにしろ頭髪は毒蛇、見た者は皆石と化す、といふのが定説であるらしいと後に知つて、愕然とした覚えがある。一体わたしはいかにしてこの有名な話を誤読してゐたのだらうか。


キスはキス、と唄はれた昔の映画を思ひ出す。ところがいつからか巷では、聞くところによればだが、唇を重ねるその時に、眼を開いてゐる女性が意外と多い。むしろ男の方が乙女のやうに眼を瞑り、感覚を研ぎ澄ませてゐるかのやうで、ふと気がついた時にはかなり焦るといふ。なるほどブロンズに変身したこの少女も、確かに眼を閉ぢてはゐなかつた。王子さまもをぢさまもつひに現れず、永遠にしかもあまりに若きこの身を如何にせん。イールのヴィーナスとならうか。







フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より、
ミダス王
メデューサ(ゴルゴン)

*
メリメ『イールのヴィーナス』(河出文庫)
amazon.co.jp















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珍 獣


「おお!」と甥は叫んだ、「こいつは猫ぢやねえか」 ......ジョン・コリアー「みどりの想ひ」宇野利泰訳


June 11, 2006


写真写りの良い顔と云ふものがある。実物はやはりいささか変梃なのに、写真にすると妙に普通に見える顔をもつたひとたち。別に美男美女とかまたその逆の種族のことを言つてゐる訳ではなく、眺めても、一秒で忘れてしまふ程、気にならない顔。どこかへ置いても全然邪魔にならない顔、どうして過不足なく小さな四角いフレームの中に行儀良く収まることが出来るのか。


珍獣

小さな四角、学生証はじめ各種証明書履歴書等で数糎の顔写真を貼付する、あれがわたしは苦手だ。正面を向いて。額を髪で隠さないで。耳を出して。顎を引いて。睨まないで。柔らかくほほゑんで。ちやんとしたスタジオで撮つて貰へば目立たぬ顔に修正もしてくれるやうだが、街中の自動撮影機での結果は大抵悲惨だ。数分後に吐き出されてくるものには、他人のを見ても、極悪か人外の烙印が押されてゐるのではないかと思へることがしばしばある。


珍獣

おそらく彼等、普通に写り得るひとたちは、カメラへの視線を微妙にずらす術を体得してゐるのだらう。朝には朝食を、昼には昼を、意識せずとも当り前のこととして摂ることが出来る、さういふひとたち。写真が必要となれば、その中に入ることなど、何の苦痛や逡巡がそこにあるだらうか。レンズの切先に対して普通にして居れば良いだけのこと。逆に言へば、何故それが出来ないひとたちが居るのか。



珍獣

■写真は築地本願寺の守護獣たち。建築家の伊東忠太は怪獣・珍獣好きとして知られる。
前回の幻獣やこれらの珍獣の撮影には VR Micro Nikkor 105mm (レンズ)を使用。




築地本願寺
http://tsukijihongwanji.jp/















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幻 獣


青嵐わが家のとびら吹きはなつ友らよ魑魅の宴見に來よ ......塚本邦雄


May 14, 2006


幻獣

なんと幸ひなのだらうか、ここの学生は。硬く刻まれて静止した植物や玻璃窓を蔽ふ石の蔦、眼を見開いた獅子や怪獣に畸人霊鳥集ふロマネスクの建物に囲まれて、見守られ、挨拶を交す日日を謳歌してゐる。知つてゐたならば、きつとわたしもここ、一橋大学に通つてゐたことだらう。そして大学職員として残り、より長き付合ひをこの幻たちに冀つたに違ひない。


幻獣

幻獣

この幻獣たちを前にすると、ただ煉瓦や石で出来ただけの古風な建造物は、たとへライトであれ、急激に色褪せて見える。況んや市井の現代建築は。街並は。電信柱を地下に埋めることさへ出来なかつたのは、もしかすると当然のことなのではありますまいか。


幻獣















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カエル


臍がないといへば、迦陵頻伽にだつて臍はありやしない。 ......澁澤龍彦「画美人」


May 6, 2006


カエル

うさぎが月を見て跳ねるならば、カエルは何視て跳ねる。雨粒かしら。なににせよ、このカエルが天空を支へてゐるのであればそれは出来ない。つらいのでペルセウスにでも頼んで自ら石と化したのだらうか。楽しいのか退屈なのか、それもわからない。ただなぜかしら、いつまでもそこに居て欲しいと思つた。


寝転んで星斗闌干たる夜天からその光芒を一身に浴びることは、きつと精神に好ましいことに違ひない。またおそらく瑠璃色のおほ空に乳白色の雲が縷縷として流転する、艶やかに匂ひたつ日の下に微睡むことは。だが眼を瞑ることは一瞬たりとも叶はぬと言ふ。月光月光月光、何かもつと言ひたげな様子だつたが、合唱に包まれて、わたしは軽やかに蛙ヶ池を後にした。






5月の星空ガイド
http://www.maps.or.jp/comcen/cosmo/04_guide.htm











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お狐さま


夜半の月と稀なる星と随ききたる ......中村草田男


May 2, 2006


永遠の眼2

子供の頃には、遊び疲れて家に帰るとき、ふと見上げた満月がどこまでも自分を、自分だけを追ひかけてくるやうで、随分と不思議だつた。なぜあの子ではなくてぼくなのか。試しに立ち止まつてみると、同時に月も停止する。再び一歩歩めば同じく一歩随いてくる。何者かに凝視されてゐると云ふ気もしてならない。後に科学的な説明を読んでわかつたつもりになつても、やはりそのまま現在も尚、本当には納得出来ないでゐる。


絵画や写真のなかの人物も、時として、どこまでもその視線が追つてくる。だがそれはまあよい、壁を隔てれば、頁を閉じれば、目を瞑ればなかつたことだよ。困るのは、脳裡に直接結びついた強い眼の力と云ふものだ。これは遮ることが出来ない。夢のなかにまで付き纏はれて来ては万事休す。だが、だからと言つて、それが邪眼であるとは限らない。むしろ稀、いやそもそも正(聖)も邪もない、人智を超えたものと捉へるべきなのだらう。




■写真は新宿花園神社のお稲荷さま。男女和合の神様であるとは知らなかつた。訪れるひとに御利益があるとよいですね。写真(Jpeg 100KB)


花園神社
http://www.hanazono-jinja.or.jp/mt/top/







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ピーター・シェーファーの戲曲『エクウス』に、遮られない視線の在り処についての主題があつたと思ひ出した。また、薬師丸ひろ子の唄ふ映画主題歌『探偵物語』には「離れて見つめないで」と言ふ秀逸な歌詞があつて、当時コンビニでさんざん聞いたものだが、これは……一寸違ふかもしれない。












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夜は千の眼を持つ


気がつくとわたしは花と緑と、彫像と、人造岩と、泉水から成る、かつて見たこともない美しい庭園の中にゐるのだつた。 ......マンディアルグ『ビアズレーの墓』生田耕作訳


April 12, 2006


永遠の眼1

エドワード・G・ロビンソン Edward G. Robinson 主演の1947年アメリカ映画『夜は千の眼を持つ』NIGHT HAS A THOUSAND EYES を折りに触れて思ひ出す。わたしが観たのは70年代初めの頃に放映された TV の深夜映画に於てであり、それ以来何故か再び観る機会がないままなのだが、夜、嵐、古き洋館、予言、殺人、意外な結末、とただかうして言葉を並べてみるだけでも気分が高揚してくるやうな、いはばお膳立てのたまらないもので、瞬く千の星を見上げた時にはエドワード・G・ロビンソンよろしく、おお神秘なるかな、と深い溜息をついてしまひさうになる。


彼は欲しくもない予知能力を得て苦しんでゐた。夜ごと不可思議な頭痛の訪れと共に不幸な場面が先走つて脳裏に結ばれる。それは必ず的中してしまふ。もうこんなヴィジョンは視たくない、と幾たび頭を抱へたことだらう。あるとき、彼は錐で脳漿まで孔を穿たれる程の痛みと共に殺人の現場を幻視した。しかしそれは一寸信じ難い光景ではあつた。この大都会の真只中で、ライオンがひとを襲ふだなんて、そんなことがあるだらうか、いくらなんでも馬鹿馬鹿しい。つひにこの能力も誤つたのだ、俺はもしかすると今度こそ開放されるのかもしれない、それだけを願はう。


監督はジョン・ファロー John Farrow、原作はコーネル・ウールリッチ Cornell Woolrich、そして音楽はヴィクター・ヤング Victor Young、ここでジャズ好きのひとであれば、顔が溶けてゆく奇妙な絵のジャケット・デザインと共に、ジョン・コルトレーンがアトランティック時代に同名タイトルのレコードを吹き込んでゐたのを思ひ起こすに違ひない。だがコルトレーンはいつもの調子で、ジャズとしては勿論文句のつけやうもないが、あの映画の主題歌かと思へば、こんな元気溌溂な演奏にはブーイングもしてみたくなる。この世の外からの接触に、思はず身顫ひするやうななにものかが欠けてゐるのではないか、などと。むしろウェイン・ショーターにこそ演奏して貰ひたい、などとなどと。


「顫へる」、これは好むにせよさうでないにせよ、異界と触れ得た時に生体がまづ反応し、脳になにかしらの異変を伝へる、人間がまだ闇夜の記憶を持つ間の輝かしい神秘体験へと通ずる表現であるとも言へよう。たとへば『今昔物語』の怪異を集めた巻の二十七、ここでは「髪の毛が太る」やうな恐ろしさであると繰り返す。また或は、エドガー・アラン・ポオに感化同化した時期のボオドレエル、リラダン、マラルメなどは皆一様に震へた痕跡が見られるのではないかと思ふ。なかでもリラダンには、齋藤磯雄訳で云ふ「震顫する」、tressaillir といふ言葉が頻出する。ひとはどこかしらへの通路と繋がるとき、身震ひするのだ。あの映画から何年も経てさらに、ああそんなことを卒論に書いたのはもう随分と前のことになつてしまつた。仏蘭西語はすつかり忘れ果てたが、frissonner だとか flageoler、glacer、palpiter、また saisissant、tressaut 等昔集めたそんな意味の単語だけが今もなほ響を残す。




永遠の眼1



■写真は日本橋三越の屋上庭園


アメリカ映画『夜は千の眼を持つ』
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=24419

ジョン・コルトレーン『夜は千の眼を持つ』(コルトレーン・サウンド)
http://wmg.jp/atlantic_jazz/top.html











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