光彩は溶け去る方向を目ざしてゐる。 ......マラルメ『ヴァテック序』矢野目源一訳生田耕作校註

六月の晴れた日、奥多摩のロック・ガーデン(岩石園)のあたりを周回した。睡眠一時間強、それでも今日を逃すとなかなか出かけられないので強行、青梅線の御嶽駅に着いたのはまだ朝の内ながらやや遅めだつた。バス、ケーブルカーで簡単に標高900m以上のところまで行つてしまふ。赤い鳥居を過ぎて宿坊のあたりまでは以前にも来たことがあつた。そのときは間抜けにもその時点で日が暮れてしまつたのでそこで引き返すことになつたが、晩秋のことで紅葉はとても奇麗だつた。あとは猫が退屈さうにうろうろしてたので遊ばれてやつたことがあるだけ。それだけでも、大体あんなところ、といふイメージが出来るので再訪は随分と気が楽にはなる。ただし今日は日の出山まで登つてそこから日向和田駅まで歩いて下りてゆく予定で、自分としては現在出来得る限りのフル装備で臨んだ。
とは言ひながら、三脚だけは大中小と三つあるうちの「中」にした。今日はブロニカを持つてゆくので、縦位置で使ふには普段のミニ三脚では力不足、また瀧があるのでもう少し高さも必要だとの判断。「中」と云ふのはGitzoの1型、「大」も2型に過ぎないが、2型になると雲台も重いので平地でなければ担いでゆく気になれない。いづれもウェストレヴェルのカメラだと脚を伸ばさなくて良いので、望遠レンズを使はない限り、アイレヴェル用より一回り小型で充分なのだと感じる。
ロック・ガーデンの方へ行く前に御嶽神社に寄つてみた。この神社の石段や駅の階段なんかはなんでもないのに、どうして高尾山のあの山頂への階段だけは苦手なのだらう。一段の歩幅や蹴り上げ高、そこら辺とかなり相性の善し悪しがあるのかもしれない。それはともかく奥多摩、沢井、御岳山、そして高尾山と、このあたりは小説の『大菩薩峠』と縁の深い土地柄でもあり、山上の神社で行なはれた剣の奉納試合は、机龍之助の人生を大きく変へてしまふ結果となつた。その原因となつた女、お浜が七代ノ瀧で龍之助を誘惑する。その瀧はロックガーデンのすぐ近くにあり、そしてもうひとつの瀧、綾広ノ瀧には「お浜の桂」と名付けられた大木まである。となれば大菩薩峠に続いてゆくべきは御岳山、七代ノ瀧、そしてロックガーデン、そこから綾広ノ瀧、と必須コースが決まつた。
御嶽神社を降りて、長尾平展望台と云ふ少し横道となるところへ入つてみた。眺望に優れるとのこと。眺めが良いと云つたつて昼間の景色では大して面白くもないだらう、と予定では素通りするつもりだつたが、ふと気が変つて寄り道してみることにした。ひと影もなく、涼しい風が一陣、颯と吹いて呼び込まれたやうな気がした。入り口のところこそごちやごちやとベンチが並べられて鄙びた観光地風なのだが、数分歩いてゆくと突然ひろびろとした、がらりと雰囲気の異なる台地に飛び出した。いやこれは素晴らしかつた。左右に展望があり、雨が降つても雷が落ちても絵になりさうだ。生憎今日は馬鹿みたいに暑い日で、日焼け止めはしつかりと塗つてあるが、とてもまつたりしては居られない。さらに進んでゆくと森となり、その奥の突き当たりに東屋があつた。先客がひとり居たのでそこを避け、少し戻つて適当な木陰のベンチでお昼にした。残念ながら遠くの方は霞んでゐてあまりよく見えないが、たぶん錦秋時積雪期の空気が澄んだ時にはとても良いだらう。
部分的に強い風が吹いてゐるやうで、見上げると青空を背景に幾つかの大枝葉叢がわさわさと揺れてゐる。しまつた、ハッセルを持つてきた方が良かつたかな。そちらの方が長時間露光がやり易いのだ。まあ今日はいいか、とおむすびを三つ食す。ひとつは後に残して置くつもりだつたのに何故か今お腹が減つて仕様が無かつたらしい。暫くして戻つてゆくと、神社を抜けてからは全くひとを見かけなかつたと云ふのに、急に大勢のひとが長尾平入り口のところで固まつて食事してゐる。もう少し先まで行くと気持ちいいんだが……勿体ないなー、と言葉を呑み込んで長尾平入り口のすぐ横から七代ノ瀧へ降りてゆく。思つてゐたより急な下りが延延と続いた。がんがん降りてゆく。もう地の底まで辿り着くのではないかと思ふまでに。瀧の轟轟と流れる音が響いてくるのだが、なかなか姿を現さない。だんだん空気がひんやりとしてくる。と思ふといきなり出た。途中では只ひとりとすれ違つただけ。先の神社で見かけたひとだつた。

雨が降り続いた後だつたので水量がある。流れも速い。なにより涼しくて気持ちがいい。ひとも居ない。ここでお昼にしてもよかつたかな。ぼーとして居てもよいが、沢山写真を撮つた。沢山とは云つても、露光時間や絞りを変化させて結局似た構図ばかりなのであまり面白みはなかつたかもしれない。小さな瀧なのでかなり近くまで寄れる。しかし油断すると飛沫がレンズに飛ぶし絵葉書風になつてしまふので、少し引いて流れの中の岩に乗り、倒木を間に入れた間合ひが一番良かつた。夜だつたら、山の中は大抵さうだがここも、月明かり以外にはなにもない真暗闇になるだらう。かういふところで月光による写真を撮つてみたいものだが、正直夜は、ひとりではここまで来るのも、ここで凝としてゐるのもかなり怖いと思ふ。さういふところへ、机龍之助は追手から逃れてやつてきた。お浜も現れる。下駄や草履で夜間この瀧まで降りてくるのはさぞや大変だつたに違ひない。そんなことを考へながらフィルムを交換してゐると、次次と小グループがやつて来るやうになつた。もう瀧の前で三脚なんか立てては居られない。すでに撮るべきものは撮つたから丁度潮時だ。次へ行かう。

七代ノ瀧からロックガーデンへ登る道はかなり急だつた。手を使ふほどではなかつたが、無数の木の根と岩が絡んでなかなかワイルドな感じになつてゐる。どう行けば最小限の足の上げ下げで済むかところどころで思案した。それと交互に急傾斜の鉄の階段が続き、こちらはさすがに手摺を掴みたくなる。おそらくここは降りる方が嫌だらう。ものの本にはファミリー向けのハイキングコースとして紹介されて居たが、小学生位のお子さんや山慣れしてない奥さんには相当きついのではなからうか。まあ短い距離なのでたいしたことはないのかもしれない。登りきるとそこがロックガーデンの入り口になつてゐた。天狗岩とか云ふものがあつて、慣れたひとはついでに一応岩の上まで上がつてみるらしいけれど、これは見るからに面白くなささうだつた。

ロックガーデンは渓流沿ひの道で、途中から綾広ノ瀧に向かつて段段登りになつてゆく。距離は意外とあるが、特に雄大な、神秘的な、と云ふやうなものではなかつた。日が翳つて来たこともあつて、なによりあまりフォトジェニックな感じがしないので困つた。それでどうも早足になつてしまふ。ところが一筋陽が射すと、これが一変して、急に生き生きとあらゆる光景が動き出してくる。葉は幾重にも重なつて光を受け、実に柔らかな明るさを地上にもたらした。樹樹の幹や枝、濡れた、また苔むした岩肌は陰影を纏つて立体的に飛び出してくる。しかしすぐまた曇つてこの地上の楽園は瞬時に消え失せてしまつた。ああ、ロッガーさん、と勝手に略して云ふならく、わたくしが浅はかでございました。こんな午後の日が傾いた時分にのこのことやつてきて大層な御見逸れ致しました。料簡違ひはただちに捨てましたから、願はくは、今一度精霊の姿を拝ませて下さいませな。すると再び陽光が現れ、ものみな耀ふ別天地となつた。
それなのに、のそのそと三脚を出してセットし、さて、と思ふとまた隠れてしまふ。その繰り返しで参つた。惟ふに気が短いのがいけない。一度セットしたら悠然と構へて居なければならない。一服でもして晴れるのを待たう。ところが場所に寄つては、さういふときに限つてひとが通る。通路を塞ぐ訳には行かないので、人影が見えたら早めにカメラをどかす。気を遣はれて待たれたりすると非常にこころ苦しい。なにしろ2分4分16分……。「あのー、まだシャッター押さないんですか?」「いえ、シャッターは押してます。」「は?」とそんな会話になつたらどうしよう、顔が真赤になるんぢやないかと思ふ。だから先にどけて置く。すると、さういふときに限つて陽が射す。その繰り返しで参つた。粘つてやうやく数枚撮れた。が、これは普通に手持ちでパッと写すのでも良かつたのではないかと思はないでもない。小さなひみつにして置かう。

さうかうして綾広ノ瀧に着いたころには一寸疲れを感じた。或は睡眠不足が効いてきたのかもしれない。綾広ノ瀧からさらに登つて大岳山とケーブルカー駅とを結ぶ山道に出る。大岳山はまた別の日に行く予定なのでここは迷はず進路を右へ、先ほどの七代ノ瀧入り口や長尾平展望台、御嶽神社、日の出山分岐、そしてケーブルカー駅へと繋がる方へゆく。ここは平坦な歩き易い道で楽なのだが、全く他に人影がなく、薄暗いしでなんとなく淋しい感じがした。奥多摩は以前に渓谷の方をぶらぶらと歩いたときにも感じたが、日の暮れるのがとても早い気がする。午後になると太陽は早早に山影へ隠れてしまふ。その分朝はとても明るいのだらうけれど。誰とも会はない道をたんたんと歩いてゐると、数十メートル先に犬のやうな生物がうろうろとしてゐる黒い影が見えた。野犬が居るとは思へないが、もしさうだつたら一寸これは困つた。かと云つて引き返すのは何だしどうするかな、と特に策もなく、いさ話が拗れた場合は三脚で、と肩から三脚を降ろして手に抱へた。いや、あれが熊の子どもだつたら近くに親熊が居る可能性が高い。うーむこれはやばいかもしれない、と考へ直し、足を止めて暫く様子を窺つた。すると、間もなく謎の生物は道から外れて斜面を降りて行つたと見えた。或は『大菩薩峠』に出て来る霊犬ムクの幻を視たのかもしれない。念のため少し時間を置いてから通つたが、もうなんの気配もしなかつた。
この道はかなり長く感じた。二度ほど歩きながら寝てたか?とはつとする瞬間があつた。やうやく天狗の腰掛けと云ふ大層霊気を放つ大木を発見し、その裏手に続く奥の院へ登る道を見上げ、柵に隔てられた水道局の施設を興味深く眺めた。かう云ふところで働けるなんてうらやましい。ここへ週一、二度通ふことが出来るカメラマンの仕事なんてないでせうねえ。まもなく、七代ノ瀧へ降りた道と長尾平入り口とが隣り合つたところまで戻つてきた。すでに16時を大きく過ぎてゐる。日の出山はどうしようか。今は日が長いとは云へ、ここからではざつと三時間以上はかかる行程、途中で真暗になるだらう。ヘッドライトはちやんと持つて来てゐるが、今日はなんだか疲れた。それほど歩いたわけではないだらうけれど、どうも気持ちとして疲れたと感じてゐるやうだ。無理はしないでケーブルカーで帰ることにした。日の出山の特徴或る姿は今日至る所から見えてゐた。長尾平は面白い感じだつたから、近いうちに日の出山とセットにしてまた来てみたい。帰路の電車、青梅駅までは堪へたが、青梅からは爆睡してしまひ、終点の立川駅では危ふくまた青梅方向に引き戻されるところだつた。
七夕や髪濡れしまま人に逢ふ ......橋本多佳子
無事過ぎただらうか?
あきれるわね! 愛されたんだから、騙されるのもいいぢやないの。 ......アポリネール『腐つてゆく魔術師』窪田般彌訳

Appleのホームページ・サーヴィス09年7月7日問題が迫つてきたのでお知らせします。もし7月7日を過ぎていつまでもこの『kiis blue』が更新されて居なかつたら以下のサイトをご覧になつて下さい。
http://kiisblue.exblog.jp/
http://kiisblue.blog35.fc2.com/
まだどちらにするか、一長一短で決め難しの状態。もし今まで通りにここで更新出来るのなら、多分さうなると思ひますが、そのときにはこのままmac.comを使ひます。さうであれば、上記のブログは別写真展示用か何かに使用してゆくでせう。
■Apple Discussions - Japan (Beta)
......HOMEPAGEは結局消失
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54_大菩薩峠へまゐります(一、二、三)、りはびりとめも(一、二)
53_はつかり、ふどう、ゲジゲジと雨、その先へ、音ノオト、さくら散る、あつぷるのばか
52_雲、鏡よ鏡、夜景、深爪、晴レ男
51_橋の下にて、マラルメ・マルラメ、稀なる時の時、リアルの時の時、ハンバーガー、福袋
50_Bronica ETRS、場末、Say hello to、さやうならG4
49_六本木にて、黒いレスポール、new mamiya 6、iTunes 飛んだ、忘れられないわ
48_逐電しよう、Videoを捨てよ、晩き夏の夜の夢、対の空間、腕がぬけるまで
47_ビートルズ、ついておいで、Nikomat EL、Olympus μ、キミコさんも豹変す
46_日曜日は雨よ、脂肪による拷問、僕の魂魄、蜂と薄荷、去年マリヱのアパートで、鰊裂けたら
45_わたしはさくら、青い空の下で、わたしいま病したわ、やはらかい手、紅い緑
44_雪の降る燐寸を、情事の事情、ラヴ・ホテル、半獣神の迷宮、初夜明け
43_可哀想な中央線、帯ラルル、黄葉にたてよ、上松補遺、猫を娶らば、痛い靴
42_マミヤとお散歩
41_煙に寄する旅 夏の北海道篇
40_利巧の馬鹿、ルビーのゆくへ、街猫、都心の留守、日記嫌ひ、フリカと冷やし中華
39_誰が狐を狛犬を龍を、花ノ流ルル、風ノ流ルル
38_中央線の黄昏(四)東京〜中野
37_中央線の黄昏(三)高円寺〜三鷹
36_中央線の黄昏(二)武蔵境〜国立
35_中央線の黄昏(一)立川〜高尾
34_倦怠のガスパール
33_雨想夢想
32_永遠の眼
31_時間よとまれ
30_日本橋再訪、F の帰還、幽霊求ム
29_夕闇が暗闇に変るまで 東京西郊編
28_都電 - 日本橋、志んおほはし、錦糸町
27_天才に非ず 〜 夕 猿
26_北海道客死、保津峡、夏でも寒い、晴レノ薄曇リ、1970年の夏休み
25_魔王降臨、選曲について、Musical Baton 仕合せの手紙、箱根アフロディーテ
24_1970年、日比谷野音や藤圭子
23_バロック音楽、白い服の女、白く激しい喘ぎ、白くぬれ
22_吉祥寺のイヴ、薔薇と憂鬱、こびと、月すむ都、卵
21_夢のつづき、尋ねびと、蛇むすめ、晩夏の嘆き
20_乱歩の土蔵、聖女の季節、天井桟敷とマダム・ド・サド、黒色テントとツィゴイネルワイゼン
19_紅テントと渥美清、砂漠の匂ひ、不要 人名用漢字、Black Blue Pink
18_就眠儀式、大使閣下の料理人、迷子のふたり、Some Feeling
17_ギョエテ、Love and Respect 、夢のふたご 、魔が逢ふ時
16_おみね、いさこ、わかこ、みなみ、
15_ひかるのだ、絶版、輸入盤、白痴
14_三月の雪
13_風の中のマヌエラ、マリア様 観音様、マグダレーナ!、恐い映画
12_心中未遂、左足の男、冰出之水 而冷於水、青出之藍 而青於藍
11_一夜かぎり、お河童の秋、パパはリッチでママ美人、UT with Sonnet G4
10_The Deep and Dank Tarn、PIT INN
09_空に薄れてゆく月、海に融けてゆく太陽、おほみづあを
08_Everything but a girl、Nothing is real_2、Nothing is real_1
07_COFFEE and JAZZ、猫と栗鼠、おこげとかさぶた
06_Hello Goodbye、メルセデス・シモーネ、東京の美術館
05_Bead goes on、カラヴァッジョの力、金木犀、The Blue Hood(青頭巾)
04_みでいみにふあんたすていつく、ヴァニラ、丹下左膳、ラピス・ラズリ
03_This mortal coil_2、This mortal coil_1、kiis, who?
02_ミモザとアカシア、宮本すばる
01_浅草の Zappa、UT with Radeon、Kenneth Anger Blue
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Passacaglia*