■ 『満州』の蟻 〜付記 


 とりあえず補足的に幾つかの参考情報をまとめておこう。いやしかし、パソコンの手書き文字入力機能(旧字が多いからね)とウェブがなければ、こんな事調べるのにどれだけかかったことか…。 

□ Y之助の足跡
 場所がだんだんわからなくなったので図にしてみた。この時代によく廻ったものだと思う。。。


□ 没後の扱い
 これらの情報は「アジア歴史資料センター」という所で検索してもらったのだが、そこのデータベースには、大正9年、青島守備軍参謀長発、陸軍次官宛の文書(電報譚)が記録されていた。大まかな内容は下記の通り。
(1)第一信:大正9年8月24日
・8月18日に丈嶺駅の北にて中国の制銭(青銅銭)買い出し中の日本人一名が中国人二人に殺された事。
・死体は23日に発見、犯人の内、一名は対処して憲兵隊に留置、他一名の捜索中の事。
(2)第2信:大正9年9月14日
・先の事件被害者がS本Y之助である事。
・済南林領事から中国側に交渉するために軍の意向を照会し、犯人を極刑とし、Y之助の所持金・物品代1450円を賠償させ、かつ遺族のために銀5000円を出させ…(注:決定事項か要求事項かは読み取れず)
・被害者には父母、妻、7歳以下の2男2女があり、生計困難、一家路頭に迷う状態である事。

□ 政治結社黒龍会
 ついでに、アジア歴史資料センターではY之助が「黒龍会 」という団体に属していたらしい事も教えてくれた。どこでわかったのか明らかではないのだが、色々と調べてみるとこの時代の人物伝としてメジャーなものが幾つかあるようだ。
 一つは、Y之助の人生がまとめられていた「對支回顧録」で、東亜同文会 という団体によって書かれている。この団体は現在は霞山会という、やんごとなき旧華族の団体で、創立者(1898年)は近衛篤麿公爵で、対露強硬派、対外硬論者で、欧州のアジア侵略に対する危機感を強く抱いていたようだ。
 もう一つ、「東亜先覚士記伝」という本で、こちらは黒流会が出版している。黒龍会は玄洋社 直系の急進的右翼団体の一つで、1900年に内田良平によって創設されている。創設後は玄洋社と連携した「大陸浪人結社」的な役割も担っていたようだ。
 どちらも、日清戦争後の三国干渉 に憤りを感じ、欧米列強に対するアジアの独立を強く訴えている点では共通しているところもあり、その線からY之助が黒龍会に所属していた事のヒントも得られるのかもしれないが、詳しくは不明。念のために付け加えておくと、当時の右翼団体は、欧米列強によるアジア侵略の危機感の中から生まれており、アジアの独立…という目的が第一義にあったようだ(玄洋社の頭山満などは孫文の辛亥革命に助力している)。とはいえ…実現手段としてテロ…というのもいかがなものかと思うが。。。

□ 伝言ゲームの変遷
 祖母からは、「あなたのひいおじいちゃんは満鉄調査部に在籍してアメリカやロシアに行っていて、青島で殺されたのよ」と聞いていたのだが…「對支回顧録」を信じるとすれば、
 ・アメリカに行ったのはずっと若い時
 ・諜報活動を行っていたのは軍のもとで(「所属」していたかは不明)
 ・満鉄に属していた時は電気課
 ・殺されたのは、近くではあるが青島ではなくて維坊
 ・しかも没年も微妙に矛盾がある
…という事になる。まぁ、やっている事が全く異なっている訳ではないので、覚えやすい方向にずれてきてしまっているのだろう。伝聞・推定の微妙〜な力学。

□ 「満州」国雑感
 色々と読めば読むほど、僕の(弱い)頭ではよくわからなくなってくるこの激動の時代…。帝国主義とアジアの理想と個々人の野望(その時代においては「大志」とされた事も多い)が、「時代」という大きな流れの中で入り乱れていた社会…、そもそも一言で結論づける事が可能なものではないし、逆に、複眼的な視点を維持していく事が重要なのかもしれない(それをなくした旧日本が陥ったのがこの時代)。

 まぁいつの時代も状況は複雑っちゃ複雑。
 だからこそ、非常にシンプルなこの一言を忘れないようにしておこう。
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 『頼まれもしないのに、よその国へノコノコ押しかけて行ってはいけない。
  ましてや、よその国に爆弾を落としたり、鉄砲を担いだりして押しかけるのは、
  もっといけないことだ』(「井上ひさしの大連」井上ひさし・こまつ座編)
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 世界各国の元首オフィスにも飾っておいてほしい言葉だ。 

Posted: 月 - 6月 5, 2006 at 09:26 午後          


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