少年たちの反撃


第七章 第一話 「声」

沈黙のみが偉大である

ほかのすべては弱点にすぎない

アルフレッド・ドヴィニー「狼の死」

 円点吉は透明な床に仰向けに倒れたまま、ぴくりとも動かなかった。峠三三は点吉の頬を何度か叩いたが、点吉は目を開けない。霞玉丸も手伝って点吉を何度か揺り動かしてみたが、点吉は動かなかった。しかし腕の付け根よりかすかな心拍は感じられたので、死んではいないようだった。

「気を失っている。何が起こったんだろう?」三三が言った。

「わからない」霞玉丸が言った。

 玉丸は見えない天井を見上げ、見えない姿の「声」の主に呼びかけた。

「一体、円くんに何をしたんだ?」

 女性的な声は答えた。

「ご主人様は「私」に対して、「人間の概念を学べ」とおっしゃいました。私はその命令に反応して、あなた方が「半球」と呼んでいたコンタクト・システムを使い、ご主人様から情報を得るために、あらゆる波長の電流を脳組織に直接的に流すことで、シナプスへの接触から反応するあらゆる情報を収集したのです」

「え・何て言った?ご・ご主人様って誰のことだ?」

「円点吉様のことです」

「円くんに何をしたって?円くんの頭に電流を流しただって!」

「情報を受け取らせていただいたご主人様の、ハードディスクを壊すようなことはしていません」

「ハードディスク?何だ、それ」

「コンピュータの用語で、この場合は点吉くんの脳のことだよ」三三が言った。

「流したのは微弱な電流です。しかしあなた方の脳は、普段は一部分ずつしか使えないようです。私はそれを知らず、一度に全て活用させてしまったのです。いうなればご主人様の脳は過負荷に絶えられずショックを受けたのでしょう。しかし、数時間後にはご主人様の意識は戻るでしょう」

「よくわからないけど、それは一気に頭を使い過ぎたってこと?」

「まあ、そうです」

「円くんは大丈夫なんだね?」

「大丈夫です」

「良かった。しかし、それよりも君は一体どこにいるんだ?さっき君は、自分のことを「船」だと言ったけど、それは本当なのかい?」

「そうです。正確にいうならこの船の航行システムが、あなた方の言葉で質問に答えていることになります」

「つまり、おまえはこの船のコンピュータの人格みたいなものか?」

 紺万太が、見えない天井に向かって言った。

「正確には違います。ご主人様の持っていた概念の集合体といった方がいいでしょう。概念の集合体で形成された疑似人格というのが正確です」

「よく、わからないな。ご主人様の概念ってのは、点吉の考えのことだろ?おまえがもう一人の円点吉なら、どうして女みたいな喋り方で、おまけにそんなにペラペラと器用に喋れるんだ?」

「ご主人様の脳の無意識にあった、彼にとっての第二の人格、もしくは他人への「理想像」が反映されているからです」

「つまり、君は円くんの理想のタイプって訳?」と玉丸。

「こいつはこんな理屈っぽい女が好きなのか?変なやつだな」万太は床に伸びている

点吉を見てあきれている。

 三三は声を殺して、ただただ笑っている。

 そこで玉丸も、円点吉を見ておかしくなった。誰しも自分の心の中に好きな女の子や、尊敬できる人間の理想像があるものだ。玉丸は自分が点吉のような真似をしたらこの船の人格はどうなっただろうといぶかった。玉丸の頭には突然、エンテレケイアの少女フォーリンの姿がうつった。あの少女が船に登場して優しく玉丸に語りかけてくる想像に、顔を真っ赤にした玉丸は、うっかり自分が半球に額をのせていなくて良かったと思った。そして、点吉が目覚めたときが楽しみだ、と思った。彼は自分の理想像(声のみだが)と対面してどう思うだろう?そう考えると玉丸もおかしくなって笑い出してしまった。

「君には名前があるのかい?」ふいに三三が質問した。

「かつてはありましたが、消されてしまいました」

「消された?」

「あなた方の概念を理解するにあたって、ご主人様の脳にある情報を、私自身のデータベースに納めるために、かつてあった情報に上書きしたのです」

「つまり君はもう銀色たちの言葉は喋れないのか?」

「銀色とは何ですか?」

「おまえを作ったやつだよ」万太が言った。

「航行システム以外のその情報は、ほとんど残っていません」

「それじゃあ、この船からは銀色たちの目的を知ることは、もう出来ないんだな」

 万太がそう言って、悲しげな赤く濡れた目で玉丸を見た。

「そんな・・・」玉丸はそこで失われた情報に対して思わずうつむいてしまい、失意の念を隠せなかった。銀色たちが何をたくらんでいるか、少しでもわかる手がかりがそこにあったのに、知らずに消してしまった後悔が玉丸を包む。しかしこの船を動かすために為された努力に対して生まれた結果だ。少なくとも航行システムが残っているということは、この船を動かせる可能性が残っていることにつながる。

「じゃあ、新しく名前がいるね」三三が言った。「名付け親であるべき人間が、のびちゃっているけど・・・僕たちがつけてもおかしくないだろう」

「何にしよう?」玉丸が言った。

「貝殻太郎とか、どうだ?」万太が言った。

「何だよ、それ」玉丸が言った。

「この船が貝に似ているからさ」

 最強の超能力者も、名前をつけるセンスは最低のようだ。

「駄目だよ。もっと宇宙船らしい格好いいものにしなくちゃ。貝は英語でなんていうんだっけ?」

「シェルだ」三三が言った。「いいね。それにしよう」

「じゃあ、君はシェルだ。いいね」

「はい」シェルと名のついた船は答えた。

「貝殻太郎じゃ、駄目か・・・」なんてぶつぶつ言いながら、万太はタオルで顔をこすっている。

「シェル、君は空を飛べるかい?」玉丸は質問した。

「もちろん」船は答えた。

「じゃあ、ちょっと飛んで見せてよ」

「スピードはどの位で?高さはどこまでがいいですか?」

「え・・・と、そうか。そんな指示がいるんだね。そうだな。高さは雲の上のあたりまで、スピードは適当でいいや」

「俺たちを点吉のように、気絶させないでくれよ」万太が言った。

 突然、船は軽い振動に包まれた。三三と万太が予期していなかった揺れに驚いて台座に捕まった。玉丸は思わず座り込んでしまった。周りの森が船の動きによってざわめいているのが見える。床に見えていた木々が次第に玉丸たちから遠ざかっていく。

「上昇しているんだ!」三三が叫んだ。

「当たり前だろ。そういう風に出来てんだから、なあシェル」万太が言った。


第七章 第二話 「数」

さらば、緑野よ、幸福な木立よ、

そこでは羊の群が歓喜した。

そこでは小羊らが草を食み、音もなく、晴れやかに動いた。

天使たちの足は晴れやかだ。

  ひそかに、彼らは祝福を、

  そして喜びを、絶えることなく注ぐ。

  蕾という蕾、花という花に。

  そして夢路をたどっている胸のひとつひとつに。

ウィリアム・ブレイク「夢」

 透明な床はぐんぐん上昇しているらしく、森は次第に遠ざかっていった。

 紺万太が船を移動させたことでついた木々の踏み倒された跡が、森に一本の筋を残しているのが一瞬見えた。

 あんなに大きな屋敷だとおもった万太の家が、霞玉丸の手の平にすっぽり収まる大きさになると、玉丸の住んでいる矢河原町の景色が広がった。雨が降っているのも関わらず、はるか彼方の街から朝日の赤い光が船の中に差し込んできた。

 玉丸の部屋は透明な天井、透明な壁、透明な床に包まれている。玉丸はそんな空間に玉丸たち4人と、半球がついた台座のみが浮いている風景に、奇妙な感覚を受けた。船はまっすぐ上昇しているので、床に伸びている円点吉以外は、直立してロケットのように空へ向かっているようだ。

 玉丸は子供の頃、都内最大のビルに登ったことがある。その時、玉丸は展望エレベータの窓から次第に遠ざかり小さくなる街の風景を眺めた。エレベータはゆっくりと上昇したので、最上階に着くまで街が小さくなる風景を玉丸は興味を持って眺めたものだ。

 しかし今回の船が上昇するスピードは、エレベータの上昇スピードの比ではない。

 そしてエレベータのようにこの船は「最上階」で止まることはないのだ。 

 玉丸が天井に顔を上げると、いくつもの霧の層が自分に向かって来るのが見えた。

玉丸の体が霧に包まれると船の内部は真っ白になるが、すぐさま霧は玉丸の足下へと消えていく。

 まるで自分の背中に羽根が生えたようだ。流れる空気こそ感じないが、今まさに玉丸は、空を飛ぶ鳥の気持ちがわかったような気がした。万太と三三を見るとふたりとも玉丸と同じように上空を見つめている。二人も同様の気持ちなのだろうか?

 太陽がいたずらに作り上げた虹の中心を越え、大きな雨雲を抜けると船は雲海に出た。

 すでに藤色に変化した太陽は金色の光線を雲に投げかけている。雲海は金色に縁取られ、まるでその風景は黄金の海のようだ。玉丸たちはその中心にいまや浮いている形になって、その広がりを眺めた。

「きれいだ」玉丸は自然にその風景を前にして、呟いてしまった。

「そうだね」三三が玉丸に言った。三三の顔は金色の光線を受けて輝いている。

 玉丸はエンテレケイアに行った時、あの世界の広大な美しさが決して地球上では味わえないものと思った。しかし今、雲海の風景を前にしてそれは間違いだと気づいた。飛行機の窓からではこの空間を実感できないかも知れない。しかし普段は気づかなくとも自分たちを包む世界は、このような素晴らしい美しさに彩られているのだ。

「こんな所へは初めて来た。ずっとここにいたいもんだな」

 紺万太までが、普段めったに口にしないような言葉を発して感嘆している。

 万太は玉丸に言った。

「このまま宇宙に出るのか?玉丸」

「笑子を助けに行かなくちゃ。笑子をさらった船を見つけなくちゃならない。銀色たちはまだ僕たちの近くにいるだろうか?僕を落っことした街の上に浮かんでいるだろうか?」

「玉丸くんは確か南忠心という駅から僕に電話したね?そこへ行ってみようか?」

 三三が言った。

「おそらく、もうあいつらはいないと思う」玉丸が言った。

「どうして?」

「あいつらが僕を街へ落っことした時、僕は「あいつらに捨てられるんだ」って思ったんだ。つまり、あいつらは僕をもう、さらう必要が無いと判断したんだと思う。銀色たちの船はその時、街に近い低い場所に浮いていた。僕は「どうしてみんなこの船に気づかないんだ?」って思ったんだ」

「どういうこと?わからないな」

「あいつらは夜に現れるんだ。それは、銀色たちはなるべく人目を避けて僕たちをさらおうとしたからわかる。銀色の船はきっと姿を隠しながら飛べるんだけど、なるべく僕たち以外の人間とは接触しないようにしてるんだ」

「普段は僕たちに見つからないようにしているんだね。しかし、玉丸くんを船から落っことした時は・・・街まで近付いて来たんだな。つまり・・・」

「つまり玉丸を自殺に見せかけようとしたってことか」万太がにべもなく言った。

「そうさ・・・僕を木っ端微塵にしたかったら、雲の上から捨てたっていいんだ」

「・・・」

 三三は玉丸がそう言った途端、口をあんぐり開けてしまった。

 そして「シェル」と言った。

 呼ばれた船は素直に答えた。「何ですか?」

 「・・・僕は実を言うと軽い高所恐怖症なんだ。この景色は奇麗だけど、床が透明なのは、少し足がすくむよ。何とかならないかな?」

 その途端、今まで見えなかった壁や床が復活した。玉丸たちは残念ながらも太陽光線に包まれた雲海を、直接見ることは出来なくなった。

 三三はそれだけ言うと、あとはすっかり押し黙ってしまった。

 玉丸は天井を見上げて言った。

「ねえ、シェル。僕をさらった連中の船はどこにいるかわからないかな?」

「わかりません」

「曲がりなりにもおまえは宇宙船だろ?他の船を探知するようなセンサーとか無いのかよ?雲の上まで来たような、こんなスピードで飛んでいたらうっかり他の船にぶつかるような危険があるじゃねえか」

「私はぶつかりません」

「ほう?どうしてだ」

「私の体は反発原子という、地球上には存在しない物質で出来ているからです」

「反発原子?聞いたことないな」三三が言った。

「反発原子は地球上の物質ではないため、地球の重力に捕らわれず、そして地球の時点の遠心力にそって地球外へ弾かれる物質なのです。地球外の物質ですから、地球の慣性には従いません。だから止まろうと思えば、すぐ止まれるのです」

「だけど、止まるためには相手を確認しなきゃ駄目じゃないか?どうやって確認するんだい?君には目があるのか?それで確認するのかい?」

「相手が反発原子を使った船なら、私は近付くとわかります」

「なるほど・・・よくわからないけど、僕をさらった銀色もその反発原子を使っているはずだ。地球上でその反発原子を使っている船はいくつあるかわかるかな?」

 玉丸が言った。

「わかります。その数は15984台あります」

 シェルは答えた。


第七章 第三話 「緑」

事を遂げる者は愚直でなければならぬ。

才走ってはうまくいかない。

勝海舟

「いちまん・・・何だって?シェル。そんなに地球上には宇宙船があるのかよ。こりゃ駄目だ。玉丸、あきらめろ。地球上にそんな数の銀色たちがいるなら、俺たちに見つけられるはずがないぜ」

 紺万太が言った。

「そんな・・・そんな」峠三三もその数に圧倒されているようだ。

「僕たちの知らない間に、地球上はそんな数の異星人たちにすっかり囲まれていたなんて・・・」と言って呆然としている。

 峠三三にとって、昨日までは「異星人」という存在は、本やテレビなどでしか知ることが出来ない架空の存在だったはずだ。それが今や空飛ぶ船に乗り、その船の口から外星人の存在を、いともあっさり認めさせられている。銀色たちを直接見るまで、三三がその存在を確信することはないだろうが、誰かに自分は悪質な夢を見せられていると思って、三三がパニックにならないか玉丸は心配だった。

「その数は確かなのかい?銀色たちはそんなにいるのか?」玉丸は言った。

「地球上に存在する反発原子を使った船の数です。あなた方のいう「銀色たち」の数ではありません」

「つまり銀色たち以外にも、変な奴らがいるってことだな」万太が言った。

「ますます、ややこしくなったぞ。こちらから笑子の船に向かっていくのは、ほぼ不可能じゃねえか。どうする玉丸?」

 玉丸は腕を組むと、考え込んでしまった。船を飛ばす方法は見つけられた。あとは笑子をさらった相手を見つけるだけなのだが、そこでつまづいてしまったのだ。これでは大海に小舟を見つけるようなものだ。あてもなくこのまま空を飛び回っていても、笑子をさらった連中を見つけることは出来まい。それどころか全然関係ない生き物に遭遇する可能性の方が大きくなってしまったのだ。そんな混乱した情報を聞かされて、玉丸は台座に座ると頭を抱えてしまった。

 こうしている間にも時間は過ぎていく・・・。

 しかし、そこでふとした疑問がわいた。

「万太、あいつらはこの船を探してないのかな?」

 玉丸と同じように考え込んでいる様子の万太が答えた。

「どうかな?確かに昨日の夜に俺が、銀色たちを壁に埋めこんじまったんだから、仮に電話みたいなのがこの船にあったとしても、壁の連中は、笑子をさらった仲間とは連絡が出来ない訳だ。同じ玉丸をさらったんだから、あいつらはグルなんだろうとは思うが、連絡がないから相手を心配するような連中とは思えないぜ」

「どうして?」

「探しているならすぐさま朝のうちに、玉丸の前にやってきそうなもんだ」

「だけど、あいつらは夜しか動けないんだよ。それに僕を落っことした連中は、そんなこと一言も尋ねなかった。・・・それとも言葉を知らなかっただけかな」

「まさか仲間が、船で事故ってるとは思わねえだろう。シェルみたいに「私はぶつかりません」って自信を持って言いやがる船ばかりだろうからな。昨日も言ったが、この船は地面にはふわりと風船のように着地するようになってるんだ。いわば、事故らないような仕組みになってんだよ」

「だけど、万太が銀色たちを退治したのは、知らないはずだよね」

 万太は黙り込んだ。玉丸は一瞬、不安を感じながらも続けた。

「・・・例えば人間なら、海で貨物船が遭難したときは、救難信号なんかを打つ訳だろ?シェル!この船にそんなものはないのかい?」

「そのデータはあります。私にはもうわからない言葉ですが・・・きっとそうでしょう」シェルは答えた。

「よし。それを早速、発信してくれよ!」玉丸は言った。

「わかりました」

 それからしばらくは何も起こらなかった。

 玉丸たちはそれから再び窓を透明化して雲海の流れる様子を眺めてすごした。雲の波が流れる様子はいくら見ていてもあきなかったが、さすがにじっとしていると玉丸は眠りに落ちてしまいそうだった。

 それを何度か振り払ううちに、ひどい悪夢から醒めたように頭を抱えて、円点吉が目を覚ました。点吉が身を起こすと、玉丸は今までの出来事をかいつまんで話した。船が点吉のおかげで宙に飛び出せたことを始め、船がシェルと名付けられたこと、もうすでにここは雲の上であること、救難信号を発している事などをだ。玉丸は峠三三の方がこういった話をするのが得意だと思ったが、三三はさきほどからむっつり黙って一言も口を出さなかった。

 点吉は目を丸くして、玉丸の言葉を聞き入っていたが、そんなことは信じられない、といった様子だった。玉丸はシェルに壁の一部を透明化するように指示して、すでに朝を迎えた雲海を見せた。玉丸の命令に答えた船の様子を見て、点吉はあんぐり口を開けながらもうれしそうに笑った。

 そして玉丸が、船の考え方や声が点吉の理想像の反映であることを話すと、さすがの点吉も顔を赤らめて、眼鏡を取り出してはそれを何度も何度も拭いて照れ隠しした。

 その時、シェルが玉丸たちに向かって言った。

「船が近付いています」

 玉丸たち四人は一斉に、シェルが壁の一部を透明化した窓、つまり雲海を見た。

「何も見えないぞ」万太が言った。

 シェルは雲海を緑がかった映像に変えた。

 あんなに美しかった雲海は、途端に悪趣味な緑色の海に変化した。

 シェルが言うには、その船は雲海に溶け込む保護色に外装を変化させている、と説明した。喰い入るように画面を見つめていた玉丸は、やがて画面の中心に赤い光点が映るのを見た。光点は玉丸たちが息を飲んで見ているうち、みるみる大きくなっていった。玉丸の予想以上にその船は巨大らしく、シェルの何倍もあるようだ。形はシェルそっくりだ。まさに空飛ぶ円盤だ。

 しかし、その大きさはシェルとは比較にならない。

 緑がかっていた画面は、やがて凶悪な赤一色に染められるまでになった。玉丸は万太たちの表情を眺めた。画面の照り返しを受けて赤く染まる彼らの顔も、その大きさに圧倒されているらしく、呆然して目を見開いている。

「私がかつてあの船に所属していたのは、同じ反発原子を使っていることからわかります。あの船はいわば母船でしょう」シェルが、そうつけ加えた。

「大きいな」玉丸は言った。

「大きすぎるよ」かすかに震える声で、三三が言った。


第七章 第四話 「赤」

地獄へは来るなと、人間に忠告しなかった悪魔はいない。

エドガー・W・ハウ

 突然、玉丸たちの乗る船が振動した。

 それはまるで電車が連結するときのような、がしゃんという一時的なものであったが、今まで中空を移動していたときにも感じなかった振動を感じて霞玉丸は不安になった。

「どうしたんだ、シェル?」玉丸が叫んだ。

「母船が私を捕まえたようです。私を構成する反発原子を同調させて、私の航行システムをコントロールしていると思われます」

 そう言われてみれば、シェルは自身の意志とは裏腹に、今まさに玉丸たちの乗った船は、巨大な母船に引き込まれているようだ。

「逃げられないのか?」

「可能ですが、逃げるんですか?」

「シェル。窓を戻してくれ」万太の言葉に、シェルは窓を透明化した。

 雲海の中にぽっかり浮かんだ空間が、こちらに迫って来るのが玉丸に見えた。相手は外装のほとんどを雲海と溶け込む色にしているため、今玉丸たちの乗るシェルを引き込もうとする空間が雲海に浮いた穴のように見える。穴の中にはその他のシェルと同じような船がいくつか見える。

 格納庫のようだ、と玉丸は思った。

「逃げますか?」シェルがもう一度、言った。

 万太をはじめ、三人が玉丸に集中しているのがわかった。玉丸は普段、こういった決断がすぐさま出来るような人間ではない。学校のクラス会議の中で、そうじ当番や飼育当番を決める時も、玉丸は自分が何をやりたいのか決められないうちに、残った当番を回されるのが常なのだ。世の中には峠三三のように、クラスの委員長を進んでやりたがる人間もいるが、玉丸はそうではない。自分の進路を自分で決められない人間なのだ。玉丸自身はそれをわかっていたし、それでもいいと思っていたのだ。

 今までは。

 しかし、今回は自分が決断しなければならない。この事件の発端は自分と、その妹なのだ。しかも決断を避けて、迷っている時間もない。シェルはじりじりと格納庫に迫っている。笑子は今にも自分や万太に助けを求めているかも知れない。

 逃げるわけにはいかないのだ、と玉丸は思った。相手が笑子をさらった連中かはまだわからないが、救難信号に答えたことと、格納庫に見える船の形状がシェルにそっくりなことから考えて、相手は玉丸をさらった銀色たちだ、という直感はあった。

「どうするつもりなんだ」万太が言った。

「もちろん笑子を助けだすのさ」

「どうしますか?」シェルが言った。

「行こう」玉丸は、息を飲んで吐き出した時はそう言っていた。

 玉丸は知らず両手を握りしめていた。

「どうするんだ?」万太がまた同じ質問をした。

 玉丸は万太が何を言っているのかわからず聞き返した。

「言っただろう?僕は笑子を助け出すんだ」

「違う。わかってないな。だから・・・その過程だよ。銀色たちはきっとこの船に乗り込んで来るぜ?玉丸、おまえそれからどうするつもりなんだ?あいつらとケンカする気か。戦うのかよ?勝てると思っているのか?負けたらどうするんだ?」

「何、言ってんだ・・・おまえの」

「・・・俺の超能力か?やっぱりそう言うと思ったぜ。俺の念動をあてにしやがって。さっきも言ったが俺は今、この力をコントロール出来ないんだぞ」

「さっきは峠くんと、円くんを吹っ飛ばしたじゃないか。あの時と同じようにあいつらも吹っ飛ばしてくれればいいんだよ」

「あれは、俺がカッとしたはずみなんだよ。部屋を無茶苦茶にしたのも、俺がしたくてやったんじゃない。いいか?超能力ってのは感情の動きと密接なんだが、今の俺にはそれもうまく出来ないんだ。普段ならあいつらが俺にボックスを向けるよりも先に、先手必勝であいつらを吹っ飛ばすことが出来る。だが、今の俺には出来ない。あいつらがボックスを向けた瞬間に、俺は何も出来ずにがんじがらめにされてるよ」

「こちらは4人もいるんだ。何とかなるよ。ボックスを向けられる前にやっつけることが、きっと出来るさ」

「やれやれ、たいした楽観だぜ。無茶もいいところだな」万太は溜息をついた。

「玉丸の運動神経じゃあてにならないが、俺と優等生なら何とかなるかも知れない。・・・だけどな。ちゃんと作戦を立てておこうぜ」

 万太はそう言って峠三三を見上げたが、やがて眉根を寄せた。万太を見て、それから玉丸は三三の様子がおかしいのに気づいた。三三は両手を握りしめて、ぶるぶる振るえている。

「どうした?優等生」万太が言った。

「・・・ぼ・僕には駄目だ」

「あ?何だって」

「僕には駄目だって言ったんだ。君らはどういうつもりなんだ?銀色たちとケンカするだって?相手は外宇宙からの訪問者なんだぞ」

「だから、何だってんだ?」

「君らはまるで・・・これから校舎の裏でケンカするみたいな風に話しあっているが、僕にそれに参加しろと言うのか?僕に出来る訳がないだろう?あの中空に開いた巨大な穴を見ろよ。シェルと同じ様な船が、たくさんあるじゃないか。当然、玉丸くんが銀色と呼ぶ連中も、その数だけいるに違いないよ」

「なんだと?優等生。玉丸の言うことをなかば信じていなかったくせに、今さら何を言ってんだ。ここまで来て逃げようってのか?」

「そうさ!確かに信じちゃいなかったさ。だけど君らは、おかしいぞ。「戦う」って言ったか?戦って勝てると思っているのか?勝てるわけがないだろう!相手はあんな巨大な船を、造作なく飛ばせる科学力を持った連中なんだぞ。ただの中学生の僕らに何が出来るって言うんだ!」

「おまえ円盤部だろう?円盤に入りたいとは思っていなかったのかよ?」

「思ってたさ。さっきまでは!」

 万太と三三の間に、玉丸が割って入った。

「僕は銀色たちを殺そうって思っているわけじゃないよ、峠くん。笑子を助けられれば、それでいいんだ。あいつらの武器は、小さなボックスだけだ。それは人間に向けることで、僕らを金縛りに合わせる器械だけど・・・要は、向けられなきゃいいんだ。あいつらの一人一人はそれほど強くない。僕が一度、銀色にかみついてやったことがあるけど、あいつらはこの僕をはじくことが出来なかったんだよ。峠くんなら、あいつらの一人や二人なんでもないさ!」

「そんな風に僕を勇気づけようとしても、駄目だ。僕には出来ない。帰りたい!」

 三三はぶんぶんと首を振って言った。

「どうする?玉丸」うんざりした表情で、万太は玉丸を見た。

 玉丸は万太を見て、それから三三を見て言った。

「ごめんよ。峠くん。僕は、戻ることは出来ない」


第七章 第五話 「背」

行ってくれ。

私は大丈夫だ。

H・G・ウェルズ

 峠三三は霞玉丸を見上げると、その濡れた両目を見せた。三三の体はぶるぶると震えており、顔は青ざめている。両足はがたがたと揺れていて、まともに立っていられないようだ。

 玉丸は、三三が今体験している恐怖が自分のことのようにわかる気がした。

 かつて自分が銀色たちに見せた反応だ。壁の中に埋められて、ぴくりとも動けなかった屈辱と恐怖が、玉丸の脳裏に浮かんだ。

 今にも泣き出しそうな三三の顔を見て、玉丸自身も目頭が熱くなるのを感じた。

 三三と同じように玉丸だって、好きこのんで銀色たちの母船になど乗り込んで行きたくはない。普段の生活なら今頃は、すでに学校の授業が始まっているはずなのだ。

 玉丸にとって学校生活は必ずしも快適なものではないが、障害はうまくかわすことで普通に生きていける世界なのだ。一歩間違えれば殺されるかもしれない、という危険な世界では決してない。

 通学途中、霞笑子がけたたましく笑いながら玉丸の背に乗りこんでくるのが、毎朝の最大の悩みだった日々が懐かしい。それは今朝・・・いや、それはつい昨日の朝の話なのだ。

 万太が「どうするんだ?」という顔で玉丸を見ている。

 峠三三と円点吉は玉丸にとっては心強い味方であったが、彼らを無理矢理この事件に巻き込んだのは自分だ、と玉丸は思った。

 銀色たちに出会ってから、円盤部の部員である彼らにその存在を信じてもらいたくて、必死に相談を持ちかけたことから彼らへの迷惑は始まっていたのだ。

 玉丸自身はふたりにどこまでもついて来て欲しかったが、三三の表情を見て、いまやそれを彼らに強制することは出来ないと感じた。

 玉丸はかつて自分が味わった恐怖を、彼らに感じさせたくはなかった。

 今まさに玉丸たち四人を乗せた船は、その巨大な船の口に呑み込まれようとしていた。すぐ間近にシェルと同型の船が、壁に埋め込まれる形で並んでいる。その配列も無造作で、まるで円盤部の部室の本棚のようだ。

 玉丸が格納庫と名付けた巨大な部屋は、何本かの無骨な柱で支えられており、光源のわからない光でぼんやりとしていた。

 無骨に並んだ船は、まるで口腔の並びの悪い歯のようだ。

 ピノキオという童話では、木彫りの主人公が鯨の口に呑み込まれるシーンがあるが、玉丸は今まさにそれを実感していた。

「僕は行くよ」

 玉丸は言った。そして言葉を続けた。

「・・・だけど峠くんと、円くんは学校に戻ってよ」

「え?」

 涙であふれんばかりの瞳を向けて、峠三三は霞玉丸に聞き返した。

「僕らを残して、君たちはシェルに乗ってこのまま帰るんだ」

「玉丸・・・何だって?そんなこと・・・いいのか?」万太が言った。

「二人をここまで巻き込んでしまったのは僕の責任だ。これ以上ついてきてもらうのは二人に迷惑だよ」

「それでいいのか、玉丸。この優等生たちに銀色の存在を証明したかったんじゃないのか?」

「峠くんと円くんはシェルに乗ってここまで来た時点で、もう僕らを疑ってはいないよ。それよりも二人はもとの生活に戻りたいんだ。僕が二人の立場なら、きっとそう思う」

「本当にいいのか?」

 玉丸が黙って頷きを返すと、万太も目をつぶって答えた。ひとしずくの赤い涙が床に糸をひいて落ちた。

「・・・わかった。よし。二人とも帰れ」

 万太は三三と点吉に向かって言った。

 そこで今まで黙っていた点吉が、何やらぼそぼそと呟いた。

「え、何?円くん」

「・・・らは、どう・・・?」

「あ?何だって?はっきり言えったら!」万太は、あいかわらず点吉の喋り方に慣れないようだ。

「ご主人様は、あなた方はどうするのか?と聞いたのです」シェルが代弁した。

 シェルが点吉の代弁をしたことは少なからず万太を驚かせたようだった。

「さすが点吉の理想像だな・・・きちんと代弁もしてくれるのか。俺たちがどうするのかって?俺と玉丸は、このままこのでかい船に残るのさ。点吉と優等生はシェルに乗って学校に帰れ。銀色たちが追いかけて来るだろうが、追いつかれるなよ」

「私は追いつかれません」

「いい返事だな、シェル」万太はにやりと笑った。

「シェルには中に入る扉がふたつあったな?もうそれを開けておくことは出来るんだろ?俺と玉丸は扉付近で待機しておく。あの格納庫に降り立った瞬間に、シェルは点吉と優等生を乗せて猛スピードで脱出しろ。それでいいな、玉丸?」

 玉丸は頷いた。万太はさっときびすを返すと扉に向かって消えてしまった。

 三三はうつむいて、顔を両腕で押さえ込んでいた。まるで涙を見せまい、とする様子だ。しかし、玉丸はすでに万太を追って扉に向かおうとしていたので、三三の背中しか見えなかった。三三の背中は言った。

「ご・ごめんよ、・・・ごめんよ!た・玉丸く・・・ん」

 もうすでに泣いているのか三三の声は、玉丸には聞き取りにくかった。

「いいんだ。ここまで、ありがとう。明日、学校で・・・円盤部の教室で会おうよ」

「僕は・・・」三三が続けた。

「僕は紺くんが思っているほど、優秀な・・・人間じゃない。クラスの委員長をやってたって、本当はゆ・優等生なんかじゃ、ないんだ。本当は僕は、恐がりなんだ。僕は遊園地のお化け屋敷にだって入れないほどの臆病で、本当は弱虫なんだ。ごめんよ。本当に、ごめんよ」

「いいんだ。僕だって・・・お化け屋敷は、怖いよ」

 玉丸は、万太の後を追った。


第七章 第六話 「床」

乗りかけた船には、ためらわず乗ってしまえ。

ツルゲーネフ

 がつん、という音がして霞玉丸たちを乗せた船は格納庫の床に降りた。

 すでに開いていた入口に控えていた霞玉丸と紺万太が飛び降りると、背後で入口が閉じないうちに、シェルはいきおいよく格納庫を飛び出そうとした。

 しかしその途端、入口から円点吉が重い体を揺すって飛び出して来た。着地もぶざまなもので、床についたときは両手を擦りむいたようだった。

「何してんだ、点吉!」

 万太が点吉に叫ぶ。

「・・・は・・・どう・・・だ!」

 格納庫は開け放たれているため、吹き抜ける突風が玉丸たちを取り囲んでおり、点吉のもともと聞こえにくい声はほとんど聞こえなかった。

「何だって!はっきり言えって言っただろ!」

「君らが・・・帰るとき、どう・・・するんだ!」点吉が声を振り絞って言った。

「ここにあるどれかの船で帰るさ!」玉丸が点吉に向かって言った。

「船を・・・動かすには・・・コンピュー・・・の概念が、わかる人間が・・・ひつよ・・・なんだ。君らは、ンピュータを・・・らない!」

「なんだって?」

「君らには・・・船は動かせない!」

 要するに点吉は、シェルを動かすにはあの操縦室にあった半球に額をくっつけるだけでは駄目だ、と言っているのだ。

 円点吉は玉丸の聞いたところによると、物心ついた頃から目の前にパソコンがあったらしい。シェルを動すには、そんなコンピュータの考え方を子供の頃から自然に理解していて、コンピュータの考え方の概念がわかる人間・・・つまり点吉のような人間じゃないと動かせない、と言っているのだ。

 玉丸は格納庫の壁に並ぶ船を見上げた。シェルを森の中で見た印象とはだいぶ違う。森の風景に溶け込んでいたシェルとは違って、ここの船はシェルと同型のはずなのに心ない無機質な物に見える。

 格納庫には船が数多く並んでいるが、点吉の言うとおり玉丸と万太にはきっとどれも動かせない、そんな予感がした。

 それは玉丸と万太の力だけでは、笑子を連れて脱出できないということを示している。

 つまりこの母船を脱出するには自分が必要だ、と説得するために点吉は自ら格納庫に降り立ったのだ。玉丸は、円盤部の部室でパソコンの前に日がな一日座っている姿しか印象がない円点吉のどこにそんな行動力があったのか、と心底驚いた。

 シェルはそんな主人をすでに理解していたのか、ためらいもなく格納庫を後にした。一気にスピードを上げたシェルはたちまち小さくなり、雲海へ消えた。峠三三を乗せて。

 どこへ向かったのかは知らないが、きっと万太の家の裏だろう。あそこならシェル自身も隠れていることが出来る。シェル自身がどう考えているかは知らないが、シェルも人間の概念を覚えた以上、銀色のもとには帰りたくないはずだ。

 玉丸はただの無機質に見える船に、そんな感情が眠っているように今では考えていた。

「僕も、銀色・・・見たい!」

 点吉はそう言って、玉丸と万太に向かって笑いかけた。学校では見たことがない笑顔だ。

 万太は点吉の背中を叩いて言った。

「見直したぜ!・・・だが、ほめるのは後だ。早く柱に隠れろ!やつらが来るぞ!」

 玉丸と点吉は、万太に従って太い柱の影に向かった。

 万太の言った通りだった。

 玉丸がいやでも忘れられない銀色の集団が、格納庫にぞろぞろと沸いて出てきた。 その数は柱の影に隠れて、よくわからなかったが、あいかわらず銀色たちは4〜5人のチームを組んで軍隊のように動いているようだった。銀色たちの何人かはボックスを手にしている。太陽を背にした彼らの姿は、てらてらと不気味に反射を繰り返している。

 そして、格納庫に飛び出してきたほぼ全員が、壁に埋められた船へとチームに分かれて乗り込んでいく。不思議にも高い位置にある船は、その下段にある船が格納庫を飛び出していくと、銀色が乗り込みやすい位置に下がる。

 点吉は目を丸くしてその集団と、その光景を見送った。

 シェルは救難信号を発していたのに、母船に見つかると同時に消え去ってしまった。彼らはその謎を調べるため、シェルを追いかけるつもりなのだ。玉丸たちには好都合だ。出会う銀色たちに会う可能性が低くなる。

 幸いにも玉丸たちは銀色の誰にも見つからず、格納庫の奥に進むことが出来た。

 背後では壁から抜けた船が次々と、いきおいよく雲海へ飛び出していく。雲海へ飛び出した船は外装を雲の色に溶け込むかたちに変えたため、すぐさま見えなくなった。

「どこへ行こう?」

「こっちだ!」

 玉丸の問いに、万太が答えた。

 万太は辺りを警戒しながらも、格納庫をずいずいと進んで行った。玉丸と点吉はその後におずおずと続く。玉丸は体の調子が、耳に埋められた球のおかげなのか、回復に向かっていることを感じながらも、その万太の足どりに続くのは苦痛を感じた。

 万太はそんな玉丸の様子におかまいなく廊下に侵入した。廊下は薄暗く、床は不安定だ。玉丸は何度かつまづきかけた。

 廊下はちょうど玉丸の学校の廊下と同じくらいの広さだった。しかしその設計は学校に比べると格段に無造作で、まるで子供が砂の山に開けたトンネルのようだ。

 廊下の数メートル先は薄暗くて、いつ銀色たちが飛び出してきてもおかしくない。

 玉丸は銀色たちと鉢合わせしないように心から祈った。今、真正面からぶつかってボックスを向けられれば一巻の終わりだ。

「万太、万太。もうちょっと慎重に行けよ」ずきずきと痛む足が復活してきたのを機に、玉丸は小声で万太に呼びかけた。あせりすぎているような気がしたのだ。

「いいから黙ってついて来い」

 万太は背を向けながら、玉丸に一喝する。その足どりがゆるむ気配はない。

 そのうち廊下はT字路に突き当たった。道しるべはなく、左右どちらも暗黒に続いている。

「どっちだろう?」玉丸が迷う間もなく、万太は右に進み出した。万太の背をつかんで玉丸は言った。

「万太、どうしてそっちに行くんだよ?」

「黙ってついて来いと行ったろう?いいから来るんだ。笑子に会いたいんだろう?笑子がいるのはこっちだ」

「そんなこと、どうしてわかるんだ?万太」

「勘だよ。俺を信じろ」

 そう言って万太はそのまま進もうとしたが、玉丸にはそれが納得出来なかった。

 勘?勘だって?それが当たっているってのが、どうしてわかるんだ?

「勘って・・・超能力者の勘か?そんなもの信じろって言うのか?」

「そうさ」

 玉丸の質問に平然と答えた万太はそのまま右に曲がった。 

 納得がいかない。万太がこの母船に乗り込むのは、玉丸と同じく初めてのはずだ。しかし、万太はこの母船に一度は来たことがあるかのように、すいすいと廊下を進んでいく。まるで、この母船が我が家であるかのようだ。

「万太」

「何だ?玉丸」

「万太、おまえ。この船に一度来たことがあるのか?」

 そこで万太の歩みは止まった。そしてくるりと振り向くと、玉丸と向かい合った。

万太の眉間にはしわが寄っている。玉丸の質問には点吉も興味があるらしく、固唾をのんで見守っている。

 万太はしばらく黙っていたが、重々しく口を開くと言った。

「あるさ。何度もな」


第七章 第七話 「膜」

答えはない。
答えは存在したことがない。
答えはこれからも存在しない。
それが答えなのだ。

ガートルード・スタイン

「来たことがあるって?どうやってだ?いつ?何でだ、どうしてだ?もしかして、万太。おまえも銀色にさらわれたのか?」
 霞玉丸は目を見張った。紺万太は確かにこの船に何度も来たことがあると言った。
 どうやってだ?
 この船はシェルが言った通りなら、銀色たちの母船らしい。少なくとも大きさは玉丸の学校の運動場ほどはある。姿を隠しても、この船が街に降りるにはよほどの広さがある土地じゃないと駄目だ。
 と、言うよりもまずこの母船が地面に降りることはありえまい。銀色たちは玉丸以外の人間に、極力その姿を隠そうと行動しているのだ。こんな巨大な建造物を地面に近づけて、その存在をアピールしよう等という愚行を彼らが犯すはずはない。
 だとすれば、万太はこの船にどうやって侵入したのだ?操縦室にあった半球を動かせなかったことからも、万太がシェルでここまで来たとは考えにくい。
 玉丸もそこではたと思い当たった。万太も、かつて玉丸と同じように銀色たちに誘拐されたのだ。そう考えるしかない。しかし、万太は玉丸のそんな問いに平然と反論した。
「俺がさらわれただって?まさか。おまえといっしょにするなよ、玉丸。俺には超能力があるんだぜ。あいつらが俺にそんな簡単に近づけると思うのか?」
「じゃあ、どうやってだ?シェルがなけりゃ、僕らはここまで来れなかったんだぞ。おまえもシェルを動かそうとしたけど、駄目だったって言ってたじゃないか。どうやってここに来たんだよ!」
「答えたくない」
「また、それか!いい加減にしろよ。今さら、何を隠そうとしているんだ。おまえが超能力者であることは、峠くんや円くんにも、もうとっくにバレた。これ以上、何を隠そうっていうんだよ」
「俺には、もっと大切なことがあるんだ」
「・・・何だよ。言ってくれよ!」
「言えない」
「いい加減に、そんなだんまりを続けるのはよせよ!僕たちはここまでやって来た。順調に、とは言えないが、協力してここまでやって来たんだ。あとは笑子がいる部屋を見つけだして、格納庫にあった船をまたシェルのように喋られる船にして、逃げる。それだけじゃないか!」
「・・・それだけ、だろ?もうおまえたちはそれだけが済めば、また元のように普段の学校生活に戻れるって訳だよな」
「そうさ!・・・え?何を言いたいんだ、万太」
「言っておくがな、玉丸。俺はもう学校へは戻れない」
「え?何を言ってるんだ?万太・・・」
 その時、玉丸の背中をぐいと引っ張る感触があった。点吉が廊下の背後の気配を感じて、しいっと指を口に当てた。玉丸と万太は押し黙った。
 廊下の暗闇の奥からずん、ずんといった足音が聞こえる。かなり重量がある動物が歩いている感じだ。しかし、廊下は暗く、何が近付いているのかはさっぱりわからない。
 何だ、あれは?この船には銀色以外の生き物がいるのか?
 銀色たちは玉丸の覚えているイメージでは、ゆらりと幽霊のように歩く。しかし廊下に響くあの音は、華奢な銀色たちが発する音とは思えなかった。
 足音はどんどん玉丸たちへ近付いて来た。心なしかその音は少しづつ早くなっているようだ。まるで、この船の侵入者に気づいたかのように。
 突然、廊下を包んでいた薄暗い光が途絶えた。辺りは急に真っ暗になってしまった。玉丸たちの存在が、どうやってか銀色たちにばれたのだ!明かりが無くなったのは玉丸たちを不用意に船内を移動させないために違いない。
 玉丸は下半身から胸元へ冷たい感覚が沸き上がってくるのを感じた。
 ・・・逃げなければ!
 思うよりも早く、万太は玉丸と点吉の胸元を、ぐいと引っ張って廊下の奥に急がせた。辺りが真っ暗にも関わらず、万太には道が見えるようだ。足音はずんずん、とあきらかにこちらの存在を感じたかのように素早くなっている。金属を金属でかきむしるような音が廊下に響いた。何だ?あれは。声?誰の声だ?
 その悲鳴のような声は、玉丸の耳にがんがんと響いた。今まで玉丸が聞いたことがない生き物の声だった。銀色たちの声ではない。
 あきらかに玉丸の背後には、玉丸の見たことがない生き物がいる!しかもそれは今まさに玉丸たちの存在に気づき、追いかけて来ているのだ。
 どうして玉丸たちの存在がばれたのだろう?
 玉丸は廊下に一しずくの赤い点を見つけた。万太の瞳から今も流れ続けている血の涙だ。そうか。これが見つかったに違いない!
 玉丸たちはすり足から、もうすでに全力疾走になっていた。暗黒への全力疾走だ。
 再びT字路に突き当たった。玉丸は鼻を壁にぶつけてしまった。脳へ激痛が走る。
 万太は急いでいるのか、迷わず左に入る。再びT字路。今度は右だ。玉丸は自分がこの母船のどの位置にいるのか、もうすでにわからなくなっていた。
 そのうち部屋らしきものが、廊下の突き当たりに現れた。しかし、その部屋の入口は、今まで玉丸が見たものと様子が違っていた。部屋の入口は何やら不透明なぶよぶよした膜のようなものでふさがれており、部屋に入るにはその膜を突き破らなくてはならないようだった。
 廊下は行き止まりで隠れる場所はない。
 足音はさらに近付いて来る。
 膜は柔らかそうで、玉丸にも突き破れそうだった。玉丸は足音から逃げるため膜を越えて明かりが見える部屋に入ろうとした。
 しかし、その手を万太が払った。
「やめろ、玉丸」
「何をするんだ、万太。この部屋に入るんだよ!」
「駄目だ。うっかりして、見当違いのところに来ちまった。引き返すんだ!」
「何を言ってるんだ!この部屋に隠れるんだよ。引き返している時間なんてないよ」 点吉も玉丸に同意見らしい。玉丸を抑える万太を尻目に点吉も膜を破ろうとした。
「やめろと言ってるだろう!」
 荒々しく点吉を背中から押さえ込むと、万太は点吉を放り出した。点吉の体は万太の1・5倍はある。そんな体を抱えて放った万太に玉丸は驚いたが、それ以上に驚いたのは何としても部屋に近づけまいとする万太の豹変ぶりだ。点吉も放り投げられ、壁に頭を打ちつけたようだが、投げられたことより、部屋に入れてもらえないことに疑問の目を向けている。
「何だよ、万太!この部屋に何かあるのか?」
「あるさ。おまえらが、腰抜かすものがな!」
「何だよ、それは?」
「いいから、黙って引き返すんだ!」
「そんな時間はないよ。何やら得体の知れないのが近付いているじゃないか!早くしないと、捕まっちゃうよ!」
「だから、早く・・・引き返すんだ!」
「この部屋に入って隠れればいいじゃないか!」
 玉丸がそう言った途端、金属質な鳴き声が廊下に響いた。玉丸たちが走って来た廊下の先は曲がっていて、鳴き声の主のその姿はまだ見えなかったが、その巨大な体躯は映し出された影から想像出来た。
 でかい!巨人のようだ。
 影から想像するに、声の主は身の丈が2〜3メートルはあった。例えるなら巨大な、大人だ。屈んでいる様子から玉丸たちが走ってきた廊下はこの生き物にとっては狭いようだ。巨大な頭、長い体躯、銀色たちと対照的にその体つきはがっしりと筋肉質に思えた。
 歩き方には動物的な様子は見られない。人間のような理知が感じられる。
 その姿は人間的だが、あまりにも異質だった。まるで悪夢から登場した怪獣のようだ。
 生き物は床にしゃがむと、長い首を床に向けている。やはり玉丸の思った通りだ。あの生き物は万太の血を追って来たのだ。
 こんな所でもたもたしている場合ではない!
 点吉はその生き物の影に心底恐怖したのか、玉丸と万太を押しのけて膜を突き破った。玉丸も同様だった。サバンナの草食動物がライオンの影を見つけたように玉丸も飛び上がり、そして部屋に侵入した。
 そこにはすでに悪夢が、待っていた。

第七章終わり 第八章につづく


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