| 少年たちの反撃 |
死ぬ日になってわかること
それはどうやって死んでいくかです。
キャサリン・A・ポーター
銀色の一人は部屋に入って来るなり、霞玉丸にボックスを向けた。
霞笑子は咄嗟の判断でその銀色の腕に掴みかかって、ボックスを奪い取ろうとした。奪い取るまではいかなかったが、笑子はボックスによって玉丸の体の動きが固定されるのをかろうじて防いだ。
笑子よりもすばやくは動けなかったが、玉丸はすぐさま立ち上がると、笑子がしがみついている銀色に向かって体当たりを喰らわせた。
双子のコンビネーションは、そこまでは調子が良かったが、次の瞬間には別の銀色が玉丸にボックスを向けることで、玉丸の動きを完全に封じ、次には笑子が玉丸の隣に倒れ込んだ。
玉丸の体当たりを喰らった銀色は、しばらくそのショックで頭を抱えていたが、やがて立ち上がると、残りの銀色を手伝う形で、動けなくなった笑子を抱え上げて、部屋を出ていこうとした。玉丸の存在には銀色たちは無関心らしく、玉丸をそのまま倒れたままにしていた。
「玉ちゃん!玉ちゃん!」
笑子の声が聞こえるが、玉丸はその方向に頭を向けることが出来なかった。体は玉丸が銀色を組み伏せようとした不自然な体位のままで固定されたのだ。
「笑子!大丈夫か!」
玉丸は、自分は叫んでいるつもりなのだが、口が動いていないことで、笑子にまで声が届いていないことを知った。笑子から見れば、まるで玉丸は死んだように見えるはずだ。しかし無駄だとは知りつつも、玉丸は叫び続けた。
「玉ちゃん!私、また触られちゃう!いや!助けて・・・助けて!」
笑子は体が固定されているにもかかわらず、声は出せるようだ。
そんな笑子の悲鳴がだんだんと部屋の外へ遠ざかっていく。玉丸は自分の妹のそんな声が耳には入ってくるが、それに対して何も出来ない自分と、そんな目に合わせた銀色を呪った。
「玉ちゃん!いやあああ。玉ちゃん、助けて!・・・紺ちゃんを連れて来て。紺ちゃんならこんなやつら、こんなくそったれども、みんなやっつけてくれるわ!お願いよ!助けて・・・!」
部屋のドアが閉じられることで、笑子の声は完全に届かなくなった。
玉丸の頭の中には、笑子が連れ去られる瞬間の悲鳴がしばらく響いたが、体の自由は戻らなかった。
いつまで経っても玉丸は狭い円形の部屋の中央で顔を真横に向けたまま倒れていた。かろうじて呼吸は出来たので、口元から流れるよだれの感触をみじめに思いながら、どうにか力を振り絞った。しかし一度、あのボックスを向けられると、再び力を取り戻すにはもう一度ボックスを向けられるしかないらしい。
玉丸はもしかして自分は一生このまま放置されるのかも知れない、と思うと情けなくなり、瞳が涙でにじむのを感じた。昨日からずっと僕は泣き通しだ・・・と思うとますます瞳を埋める涙が増えた。
そんなにじむ瞳の中で玉丸は、突然床が動くのを感じた。
一瞬、濡れた瞳が見せる錯覚かと思ったが、粘土を踏み固めて作ったような床が、今まさに中心からするすると砂が崩れるように無くなっていくのは、はっきりとした現実だった。広がる穴からは市街地の明かりが見える。今、玉丸は蟻地獄にひっかかった蟻のように、自分の体重がいきなり穴の方へ傾くのを感じた。
ちょ・ちょっと待って!このままでは落っこちてしまうじゃないか!待ってくれ、ここに人がいるんだ!声はあいかわらず声にならない。
そんなせっぱ詰まった状況の中でも、玉丸はぴくりとも動けない。
寝間着がみるみると汗で湿っていくのを、まるで他人事のように玉丸は感じた。
額から汗が吹き出し、目に流れ込んで涙と混ざった。
「誰か・・・誰かいないか!落ちる!落ちるよ、助けて!」
精一杯叫んでみるが、当然その声は声にならず、玉丸の体はずるずると穴へ落ち込んでいく。
僕はもう銀色たちにとって用済みで、要らなくなった人間はこうやって捨てられてしまうんだ!
絶望的な恐怖が玉丸を襲った。蟻地獄にうっかり入り込んだ蟻は、何とかしてその罠から這い出ようとするが、今の玉丸はその罠の中で何と、指一本動かすことが出来ないのだ!ついに玉丸の頭が、じわじわ拡がる穴についにぶつかった。
「待って!パラシュートの無いスカイ・ダイビングなんてごめんだ!」玉丸は叫んだ。
一瞬、見慣れた街のネオンの明かりが玉丸のにじむ瞳に飛び込んできた。
街の真ん中にこんな巨大な船が浮かんでいるのに、どうしてみんな気づかないんだ?そんな考えが突然玉丸の脳裏に浮かんだが、次の瞬間にはがくんという衝撃とともに玉丸の体は宙に投げ出されていた。
まばらな「点」だったネオンや街の明かりは、いきなり「線」になった。
船の浮かんでいる高さが街に近いほど低いのか、それとも玉丸の落下速度が速いのか、玉丸の目には街並がすぐさま飛び込んできた。玉丸はかつて感じたことがないような肌寒い空気の壁が、自分の前にあるのを感じた。それは歩いている人が、ひとりひとり確認出来るほどだった。彼らはまさか何も無い空からいきなり少年が落ちてくるなんて、夢にも思っていないに違いない。だから例え僕を見つけても、きっと助けることは出来ないんだ、そんな混乱した考えが玉丸に浮かんだ。玉丸はあいかわらず四肢を動かせないまま、地面が急激に近づくに連れて、やがて完全に死を覚悟した。
死なんて怖くない。
ただ、ぼくはそんな目に遭いたくないだけだね。
ウディ・アレン
霞玉丸は背中に衝撃的なムチの一撃を喰らった。
それは建物から建物を張り巡らされている電線の束だ。
一瞬、背中を襲った衝撃はあまりにも鋭くて、玉丸はすぐには痛みを感じなかったが、次に自分の周りに何かネオン管がくるくる舞っているのを見た瞬間、背中へ痛みを感じた。
次に「麻雀」と描かれた看板を左足で砕くと同時に、右肩に痛みを感じた。
つまり玉丸は何かにぶつかりながら落ちているのだが、痛みはワンテンポ遅れて玉丸に追いついてくるのだ。
しかしその痛みもやがて玉丸の意識にすぐさま追いつくようになり、何かにぶつかると、ぶつかった箇所に一瞬で痛みが届くようになった。
玉丸はまた看板にぶつかった。
電線が寝間着の右肩を切り裂いた。
次は誰かのベランダの手すりにぶつかった。
植木鉢にぶつかった。
衛星放送用のアンテナにぶつかった。
今度は「カラオケ」の看板にぶつかった。
誰かの悲鳴が聞こえた。
最後に柔らかいビニールの屋根に落ちた。
ずるずるとすべり落ちるとゴミの山に着地した。左肩で。
しばらくは全く動けなかった。気絶こそしなかったが、全身を包む激痛に玉丸は全く動くことが出来なかった。痛みは体中の全てに張り巡らされており、今は左脚が痛いと思ったら、次の瞬間には右肩に、と順番にその痛みは体中に移動した。
頭がぐらぐらと揺れて、痛みがどの場所なのか特定出来ない。
腕は両方とも動かすことは出来ないようだ。脚もそうだった。
内臓もめきめきと音を立てた。骨は折れていないようだったが、電線のムチは寝間着を切り裂いていた。玉丸は、生ゴミが口の中に充満して、血と混じっているのを感じて、そのゴミ捨て場に胃の中のものを全て、げろげろと音を立てて吐いた。
ゴミよりも血の方が多かったようだ。どうやら一本歯が抜けているようだった。舌で口の中を探ってみたが、舌がしびれていてどの歯が抜けたのかはわからなかった。
立ち上がろうとしたが、ゴミの床は不安定で、うまく立ち上がれない。ゴミの山は無造作に山積みになっているが、このゴミがほどよいクッションとなって、玉丸がコンクリートに激突するのを防いでくれたようだ。
しかし玉丸を包む痛みは消える気配を見せない。おまけに玉丸はいつまでもゴミの山に埋もれているわけにはいかないのだ。
体の節々がめきめきと悲鳴をあげたが、力を振り絞って立ち上がった。
体が思うように安定しない。よろめくたびに頭痛がする。再びゴミの山に倒れ込んでしまった。今度は頭から全身が、ゴミにまみれてしまった。ぬるむゴミの中で四つん這いになりながら、ようやく立った。
脚はひびが入っているのか、よろよろと安定せず震えて、苦痛を訴えた。足の裏が冷たい地面につくたびに背骨のあたりに激痛が走る。
「ここは・・・どこ?」
電柱に示された地名は、霞玉丸が知らない街だった。この場所が、自分の住み慣れた街からどのくらい離れた場所なのか、見当もつかない。どちらへ向かえば自分の街なのか、それすらわからない。
勘で決めるほか無かった。
よろよろと歩道を飛び出すと、ショーウインドに映る自分の姿に愕然となった。自分は今までこれほどひどい格好をしたことがないと思った。
寝間着は、さきほどのゴミ捨て場の生ゴミの汁気をたっぷり吸収して、どろどろな上に、所々が切り裂かれてぼろぼろだ。玉丸自身も頭と口元から出血しており、両手両足は、大小に傷がまばらに配置されている。左肩から出血が糸のようにながれており、掌は真っ赤だ。
こんなにケガをしたのは初めてだ。玉丸は、人間がどこまで出血すれば死ぬのか具体的には知らなかったが、自分はもしかしてもう死んでいるのでは?と思った。
玉丸はよろよろと、自分が向かっている方向も定まらず、歩き出した。歩道には人影がまばらだが、人に道を尋ねるのは賢明ではないと思った。救急車などを呼ばれて、病院などに連れていかれてはたまらない、と思ったからだ。確かに誰かに傷を手当してもらいたいと思ったが、先に片づけなければならない用事がある。
朝まで呑むつもりのサラリーマンが、玉丸に冷やかしの声を投げかける。
「どうした?坊主。そんなぼろぼろで。少年浮浪者か?ゴミが頭に乗ってるぞ。たいへんだねえ、きゃはははは・・・!」
玉丸は無視して、歩道を進んだ。目的は何かしら駅だ。ここがどこであろうとも電車に乗れば、自分の街の地名が料金表に載ってるはずだ。いくらここが遠い場所にあろうとも、それならば帰れるはずだ。
今の玉丸には「タクシー」という考えが浮かばなかった。玉丸は生まれてから、タクシーというものに乗ったことがない。玉丸のように普段の通学のために15分だけ歩く中学生には、単純にタクシーを使うという発想が思いつかなかったのだ。
時々、玉丸のひどい姿を目に止めた老夫婦が、玉丸を引き止めようとした。しかし玉丸はその手を振り切って逃げ出した。何度も何度も酔っぱらいに冷やかされた。今の玉丸の姿は彼らには少年のホームレスに見えるようだ。
しかし血だらけの少年は、ホームレスの人間にも珍しいものらしかった。
ジュースの自動販売機にもたれて休んでいる浮浪者さえも、玉丸の姿をぎょっとして見送った。
玉丸の全身を包む激痛はあいかわらず、治まる様子を見せなかった。左肩の出血は
まだ止まらないようで、歩みで左腕が揺れるたびにずきずきと痛んだ。左手をうまく握りしめられないのは、血がしたたっているからだ。
しかし、ついに玉丸は遠くに高圧線と踏切の姿を見つけた。
両脚は歩くたびに悲鳴をあげて、玉丸の歩みをときどき止めたが、玉丸は一方の脚をひきずりながら、気力で少しづつ進んだ。
駅がついに見えた。しかし、駅看板が示す地名はあいかわらずわからない。見たこともない駅だ。しかし料金表を見ればきっと自分の街がどこにあるか、ここがどこなのかわかるはずだ。玉丸は改札に向かった。
料金表を見上げる。目は焦点が定まらず、玉丸は血まみれの手でごしごしと瞼をこすりながら、自分の街の地名を探した。
あった!「矢河原町」の文字を確かに見つけると、玉丸は距離を確認した。わずか十駅しか離れていない!玉丸は銀色たちにどこか他県にでも送られたと思っていたため、その事実を知って安堵を感じた。これなら帰れる・・・。
しかし、駅のホームを見て、二つの事実に直面した玉丸は思わず愕然となった。
「本日の終電は発車しました。始発までお待ち下さい」
そんな看板が改札に掲げられていた。時間の感覚を失っていた玉丸に、そんな事実があることが、思い浮かんだはずがない。電車の運行はとっくに終了しており、もうすでに駅には誰もいなかったのだ。
そしてもう一つの単純な事実。玉丸は寝間着のままだったので、一円もお金を持っていなかった。例え運行していたも、これでは電車に乗れるはずもなかった。
玉丸は肩を落とすと、その場に座り込んだ。
貧乏人があまりに貧乏になりすぎ、
金持ちがあまりに金持ちになりすぎると、
貧乏人はどうすればいいのか知っている。
パール・バック
「どうする?始発まで待つべきかな?」
霞玉丸は改札の時計を見上げた。1時45分。
夜明けまではまだ間があり、それを待っているわけにはいかなかった。
笑子は今、この瞬間にもあの銀色たちに何をされているかわからない。耳に針を突っ込まれるぐらいならまだしも(彼らの技術のおかげか・・・苦痛を感じないのだが)、霞笑子は女の子なのである。一瞬玉丸は、笑子が残酷な儀式で銀色にいたぶられているのを想像して、首を振ってそれを振り払った。少女一人をあんな得体のしれない連中のそばに置いておくわけには、何としてもいけないと玉丸は思った。
ある種類の大人は、小さな女の子に対してどんな残酷もできると聞いたことがある。銀色たちのレベルがどの程度か知らないが、そんな大人たちとモラルがそう違わないはずがない、と玉丸は思った。何たってあいつらはこっそり集団で人をさらう連中なのだ。こうしてる今にも、どんな精神的な苦痛を笑子が感じているか玉丸は、それが自分のことのように不安に感じた。
こんなところでただ時間を潰すわけにはいかなかった。
霞玉丸は立ち上がると「たった十駅だ」と思い、立ち上がった。
しかし、脚は両方ともそれを拒絶した。
霞玉丸はぶざまにも、再び駅の改札に倒れ込んでしまった。脚はすでに玉丸の意志とは裏腹に、がくがくと震えており、足の裏は思うようにぴったり地面につかなかった。普段から運動が苦手な玉丸の細い脚は、出血のひどいケガと、単純な疲労で歩く限界を越えていたのだ。
「もっと、運動しておけば良かった・・・」とさめざめ玉丸は思った。
この時ばかりは自分の体力をうらめしく思った。瞳が濡れてきた。しかし泣いているヒマはないのだ。何としても立ち上がろうと決心したその時、玉丸は地面に銅色のコインが落ちているのを見つけた。
誰かが落とした十円玉だった。玉丸はそれを拾うと、真っ先に「電話だ!」と思った。紺万太に電話して笑子を助けてもらうのだ!
しかし、玉丸はそう思いつつも意気消沈した。
何てことか・・・玉丸は万太の家の電話番号を知らなかった。
万太は、テレビを見たファンがかけてくるイタズラ電話に一時閉口して、電話番号を変えてしまったのだ(いくら万太でも電話口の相手にガラスのシャワーを浴びせることはできない)。万太は変えた電話番号を学校はおろか誰にも、(玉丸のことを親友だと言いつつも)玉丸にも教えなかったのだ。
自宅に電話するべきか・・・?それはまずい、と玉丸は思った。
自分の今の姿を見て両親が何と思うか、不安だった。今まで夜遊びに出歩いていたとはまさか思わないだろうが、玉丸のぼろぼろな姿を見て、笑子が部屋から消えている今、何らかの事件に笑子が巻き込まれていると思うだろう。
両親は笑子の安否を気遣い、警察を呼ぶかも知れない。
玉丸は、大人たちが「笑子は宇宙人にさらわれたんだ」という玉丸の言葉を信用するとはどうしても思えなかった。それに大人たちにそんな説得をする時間さえも、今の玉丸には惜しかった。両親に電話するわけにはいかない。
玉丸がそらで言える電話番号には、幼なじみの峠三三のものがあった。
三三は、玉丸が今日の午後に学校で話した銀色たちのことを、本当に信じてくれたのだろうか?
玉丸は、それもとりあえず今は関係ないと思った。幸い、三三と万太の家は近くだった。三三に電話して万太の家に向かってもらえばいいのだ。必死に頼めばそれぐらいは聞いてくれるだろう。玉丸は遠い電話に向かうと、番号を間違えないように、ぐらぐら揺れる視点で、しっかり一つずつボタンを押した。
呼び出し音が鳴る。一回、二回、三回・・・十五回目。
十円玉がかちゃんと空しい音を立てると、やっと電話がつながった。
「あ・あーもしもし。・・・誰ですか?こんな夜中に」三三の母が出た。あきらかに折角の睡眠を邪魔されて不機嫌な様子だ。
「あ・あの(時間を無駄にするわけにはいかない。何せ十円しかないのだ)ぼ・僕、霞です。玉丸です。と・峠三三くんはいますか?」
「今何時だと思っているんですか?・・・もうとっくに寝ていま・・・」
「お・お願いです!替わって下さい!大事な用なんです」
「・・・」
間があった。きっと三三の母親は、不審に重いながらも三三を呼びに言ってくれたのだと思ったが、玉丸にはそれが永劫の時間のように思われた。どこかで鳩の鳴いているような、気味が悪い声が聞こえる。十円玉はどれだけ持つのだろうか?それだけが気がかりだった。
「・・・もしもし、玉丸くん?」眠そうな声で三三がやっと出てきた。
「と・峠くん!僕だよ、玉丸だよ。しょ・笑子がまた、銀色たちにさらわれたんだ!お願いだ。万太・・・紺万太に、この駅・・・「南忠心」という駅に僕がいるって伝えてくれないかな!」
「え・・・もしもし?何だって?・・・どうしてそんな遠い所にいるんだい?」
「駅にいるって伝えて欲しいんだ!」
「どうして紺君に?」
「お願いだよ。そこは聞かな・・・」
電話は、無情にもそこで終わってしまった。
今の電話の内容で、三三は万太の家に行ってくれるだろうか?万太の家の電話番号を当然、三三は知らないはずだ。番号を知らないからって、わざわざこんな夜中に伝言を伝えに言ってくれるだろうか?
霞玉丸は、自分ならそんなことはしない、と思った。
自分なら明日でいい、と思うだろう。
打つ手が無くなってしまった。
玉丸はがっくり肩を落とすと、よろよろと再出発しようとした。電話のために休んだおかげか、脚の悲鳴はわずかながら小さくなったようだった。気のせいか?と思ったが、そこで玉丸ははたと気づいた。
球だ。笑子の耳の傷は確か、あの耳から差し込まれた球によって、次の日には治っていた。あの球には人間の傷を治す力があるのだ。・・・と言ってもその効果は針の傷を治す程度らしかった。しかし自分の傷が普通よりも早い速度で治っていることは、玉丸に勇気を奮い起こした。
玉丸は立ち上がった。
ぜったいに知りたい、
わたしのどんな同類が、死に邪魔立てされ
驚異にしぼり取られ、夜が許すかがり火を抱きしめるのかを。
わたしたちみんな。星々のワルツの壁の花の運命を、
なんとしてでも知りたいのだ。
ダイアン・アッカーマン「レディ・ファウスト」
傷が治る方向へ向かっているとはいえ、その足どりは決して早くなるものではなかった。
霞玉丸は脚を引きずっては電柱に寄り掛かって休み、その間に自分の現在地と地図を確かめて、力を振り絞って立ち上がると、よろよろと歩き続けた。
もともと訪れたことのない街を、土地勘をたよりに歩くのは難しい。
玉丸は何度か曲がり道を間違えては、行きつ戻りつを繰り返し進んだ。
夜道の景色はなかなか変わらない。
夜道は銀色たちの瞳を思わせる暗黒で、玉丸はその暗黒がまた銀色たちがいる場所につながっているのではないか、という薄気味悪い想像を何度も繰り返し見た。
さらに玉丸は時々、自分は同じ場所を足踏みしているだけなのかも?と感じた。
しかし時々すれ違う自動車が、そんな気持ちを振り払うかのように玉丸のそばをかすめ走っていくことで、玉丸はかろうじて自分は少しづつ進んでいることを実感した。
その時、瞬間的に見えるドライバーは皆、玉丸にあいかわらず細めた目を向ける。
「こんな夜中に何やってんだ?」と言った感じだ。
玉丸の小さな傷の一部は、きれいな元の肌に戻っていったが、ゴミの汚れが消えるはずもなく、ぼろぼろの寝間着を引きずる今の玉丸は、夜道にただよう幽鬼に見えることだろう。そんなものが現れるにふさわしい時間のはずだ。
すれ違ったあるダンプカーの運転手は玉丸に空き缶を投げつけた。命中こそしなかったが、心に傷はついた。
昨夜はこの地域には雨が降ったらしく、水たまりがところどころにあった。
意地悪なドライバーはわざと玉丸の方向に寄り掛かると、水しぶきをあげて去っていった。もともとゴミの汁を吸っていた寝間着はますます重くなった。
大通りにやっと出て、あとはしばらく真っ直ぐな道を進むだけだという状態になった。しかし、道はなだらかに起伏を繰り返しており、坂道は今の玉丸には壁を登るような試練に見えた。
坂道に見とれて、うっかりと転んでしまった。
折角、治りかけていた膝の傷がまた、開いてしまう。
血が、ぽたぽたとアスファルトを赤い色に染める。
血がなかなか止まらないので、玉丸は寝間着を破って包帯代わりにしようと思ったが、湿った布きれを切り裂く力も無かったので、そのまま無視して歩き続けた。
ゴミ捨て場に墜落した時点から続く目眩は、いよいよひどくなっていた。
真っ直ぐな道のはずなのに、玉丸にはその道がぐにゃぐにゃとゆがんでいるように見える。気分が悪くなり、うずくまると再び吐いた。胃に中にはすでに何も無くなっており、すっぱい胃液だけが口からしずくを垂らして落ちた。しびれた舌は、そんなしずくをうまく切ってくれない。歯が抜けた場所はあいかわらずわからない。右の奥歯が真っ二つに割れているのは、ぎざぎざとひっかかる感触でかろうじてわかった。
裸の足の裏は真っ赤に腫れていて、濡れたアスファルトに痛みがしみる。
「・・・もう、駄目だ」
霞玉丸はついにそう思った。
「・・・もう、歩けない」
立ち上がろうと何度も歯を食いしばったが、全く立ち上がれないのだ。
左肩の出血は止まっていたが、赤い左手に力は入らなかった。体を持ち上げられない。
膝の出血はずきずきと、泥水に染みて歩く限界を訴えている。
冷たい道路に玉丸はうつ伏せに倒れ込んだ。自分の吐いた一部が寝間着にかかる。 「ごめん・・・笑子」
舌がしびれて喋ることが出来なかったので、心の中で玉丸は謝った。
「ごめん。ごめんよ、情けない兄貴で・・・。先に生まれたはずなのに、僕には笑子より優れたところが、何もないんだ。そんな僕には、万太に助けを呼ぶことも出来ない。情けない兄貴をどうか許してくれ・・・ごめんよ」
瞳に涙が浮かぶ。それは真っ直ぐ地面に落ちた。
アスファルトのごつごつが痛くて、玉丸はうつ伏せでいられなくなり、仰向けになった。道路の標識に描かれた矢印が、いずれこの道が矢河原町に続くことを示している。その隣のやや右に折れた矢印は、矢河原中学への道を指していた。
矢河原中学?自分の通っている中学校だ。
夜道でわからなかったが、この道は中学校の裏手に続く道だったのか・・・。そう考えるとますます情けなくなった。あともう少しなのに、どうして自分はがんばれないんだ、と思った。涙で標識がぼやける。
そしてふと、玉丸は保健室で気絶から目覚めた今朝のことを思い出した。そして目覚めてからのことを思い出した。思えば、あの瞬間から自分の存在する世界というものが果たして本当に現実か、それとも良くできた夢なのかわからなくなったのだった。
玉丸の中にはあれからの現実が、二つに分かれていた。
自分は午後、「円盤部」で峠三三と円点吉に銀色たちのことを喋ったはずだが、あれは本当のことだったのか?あの現実には、ちゃんと笑子が存在した。
そして、その夜はエンテレケイアだ。
僕は、本当にエンテレケイアに行ったのだろうか?
フォーリンと心郎に出会ったのは夢だったのか?
そして、もう一つの現実は、笑子が存在しない世界だ。
玉丸自身も運動音痴なんてコンプレックスは持っておらず、友だちは万太でさえも平凡な中学生、という普通の世界だ。気絶したと言うことだけが、学校生活での玉丸自身の唯一の悩みという平和な世界だった。しかし、あれは完全に玉丸の夢の世界、玉丸自身が望む世界だったはずだ。
玉丸はどちらの世界が本当の現実だったのか、目眩のする頭では考えられなかった。しかしただ一つ、はっきりさせねばならないと思うものがあった。
保健室の花瓶の勿忘草だ。
どちらの現実だったかはわからないが、玉丸は過去、確かに勿忘草を花瓶にさした覚えがあった。勿忘草はエンテレケイアへ戻る唯一の手段だとフォーリンが言っていたが、あの勿忘草が今、どこにあるのかはわからない。保健室に勿忘草があれば、玉丸は再びべエンテレケイアにもどれるはずだ。あの世界に永住することは、今は考えられないが、エンテレケイアから自分の部屋へ戻る「近道」は出来るはずだ!
それとも勿忘草がさしてあれば、エンテレケイアは嘘だったことになるのか?
混乱する頭ではうまく考えられない。
玉丸はその点をどうしても確かめたい、と思った。
玉丸は痛む膝を押さえながらも、力を振り絞って立ち上がった。少し休んだ間にも耳に埋め込まれた球は玉丸の疲労をほんのちょっぴりだけ治したようだ。
よろめきながらも玉丸は何とか立ち上がることが出来た。
そして脚をひきずりながら、玉丸は矢河原中学へ向かった。
無制限な活動は、どんな種類のものであろうと、結局破産する。
ゲーテ
矢河原中学の校門は当然ながらガッチリとしまっていたが、霞玉丸は必死の思いでよじ登った。着地するときに裸足が石を踏んで、予想以上に激痛が走った。
夜の学校に忍び込むのは初めてだ。それもたった一人でなんて・・・。
夜の学校は怪談の舞台にふさわしい装いを見せて、静かに佇んでいる。
玉丸は脚を引きずりながら・・・まず、一階にある自分のクラスの教室に向かった。そのまま保健室に向かってもいいが、たぶん保健室のある校舎の鍵は開いていない。自分のクラスの連中は、先生に普段から注意されているにもかかわらず、窓を閉めたことがないので、そこから回り込む形で保健室に向かおう、というわけだ。
おそるおそる玉丸はきしむ窓を開けて、誰もいない教室に忍び込んだ。ただの木の机がひっそり並びながらも、圧倒的な存在感を見せて玉丸に迫って来る。内側から窓を開けて、教室から廊下を出るのは簡単だった。
教室を後にすると、玉丸は保健室に向かった。
保健室は渡り廊下を越えた校舎の端にある。しかし、そこへ向かう途中、玉丸は驚いた。何と、職員室に明かりがともっているのだ。
こんな時間に?もう夜明けが近いはずだ。
誰がこの学校に残っているのだろう?用務員の人だろうか?
それにしてもこんな時間なら、誰もが眠っているはずだ。玉丸は職員室の明かりを避けるように、廊下を渡った。職員室の扉の窓を覗いて、中を見たい衝動にかられたが、それを抑えた。誰が残っているにしろ、見つかるわけにはいかないのだ。
音を立てないように長い廊下を歩いて、ようやく保健室の前にたどり着いた。
扉の窓からは並ぶベッドに取り付けられたカーテンが邪魔をして、花瓶が見えない。しかし、保健室のドアは閉まっているはずだ。どうやって入ろうか?
扉の窓を割って忍び込むわけにはいかない。夜中のこの静けさでは、職員室までその音は響くだろう。人を呼ぶわけにはいかないのだ。どうあっても。
もう一度、教室へ戻ってから、保健室の窓が開いてないか調べるべきだろうか?ダメだ。そんな時間は無い。玉丸は人に見つからず、もう一度職員室の前を通る危険を犯したくなかった。
駄目だ、と思いつつも玉丸は扉に手をかけてみた。・・・すると、保健室の扉はこともあろうか、するりと開いた。誰かが鍵をかけるのを忘れたに違いない!
玉丸は嬉々として保健室に入り込んだ。今日の午後、自分が目覚めたベッドに向かう。そのベッドの隣に勿忘草のさされた花瓶があるはずだ。
・・・あった!
そこには紛れもなく花瓶があり、そこには小さな勿忘草が、月明かりにきらめきながらささっていた。玉丸は勿忘草を目の前にして、おそるおそる手を伸ばしそれを取ろうと・・・。
・・・取ろうとした時、玉丸の背後に人の気配がした。
「誰だ!」
玉丸は懐中電灯の光を向けられると、背筋が一瞬で凍るのを感じた。そこへ立ったまま、完全に動けなくなった。玉丸の背後に複数の足跡が響く。
「誰だ?な・・・何している?」
相手は懐中電灯の光を、玉丸の顔に当てるとこう言った。
「こ・こっちを向け!」
玉丸にとって、聞き覚えのある声はそう言った。玉丸は痛む足を引きずり振り向いた。一瞬、電灯の光が目に眩んだが、そこには自分と同じぐらいの背丈の人間が二人立っているのがわかった。
峠三三と、円点吉だった。
「き・君は・・・もしかして玉丸くんかい?」三三は言った。
僕は行かなくてはならない。
チャップリン「街の灯」
「峠くん・・・どうしてこんな所にいるの?」霞玉丸は言った。
おぼろげな明かりに見える峠三三と円点吉は私服姿だ。ふたりとも玉丸のぼろぼろな寝間着姿を見て、表情は唖然としている。まるで突然、幽霊に出会ったかのように
口をぱくぱく開けている。
「そ・それはこっちのセリフだよ。玉丸くんはどうして・・・こんな時間に、保健室なんかにいるんだい?それもそんな格好で。ひどいな・・・血が出てるよ。服なんてボロボロじゃないか」
「・・・電話で言ったとおりさ。僕はさっきまで銀色たちといたんだよ。僕がこんな格好しているのは、やつらに空からゴミの山に捨てられたからさ。・・・それよりも峠くん、万太に・・・万太に連絡してくれたかい?」
「え?何だって?い・いや。ごめんよ。君が何を言ってるのか、あの時はさっぱりわからなくてさ」
そうか・・・やっぱりだ、と玉丸は思った。仮に自分に誰かがあのような電話をかけてきても、会話の内容がわかるとは思えなかったので、仕方ないと玉丸は考えた。
「それよりも、玉丸くんの両親は心配してるよ。・・・笑子ちゃんはいっしょじゃないのかい?」
「え・・・?どうして僕の父さんと、母さんが?」
「僕が知らせたんだよ。あの電話の後にね。君が心配だったから、ご両親に電話したんだよ。みんな、君と笑子ちゃんが家出したものと思って探しているんだ。今までどこにいたんだい?」
「みんな?」
「先生たちもさ!」
「ちょっと待って・・・だから職員室の明かりがついていたのか!」
「みんな集まって、君を心配してる。警察に捜索願いを出そうって話していたところだよ。さあ、みんなを安心させに行こう!」
「・・・駄目だよ。僕は行けない」
「?・・・何を言ってるんだ?玉丸くん」
「僕は万太の所へ行かなくちゃならないんだ。笑子が・・・笑子が、あの銀色たちに捕まっているんだ。助けなくちゃ!」
「笑子ちゃん?笑子ちゃんがどうしたって?」
「今日の午後、話したじゃないか!銀色たちだよ。僕たちは銀色たちにまたさらわれたんだ!君はあの時の僕の言葉を信じてくれたんじゃなかったのかい?」
「銀色?ああ、君が話してくれた・・・も・もちろん信じたさ」
それは嘘だ、と玉丸は直感した。真実を人に完全に伝えるのは難しい。所詮、銀色たちを目の当たりにしたのは、自分と笑子と万太だけなのだ。言葉だけで人に完全に理解させられなかったのは彼らの罪ではない。
「笑子はまだ、あいつらに捕まったままなんだ。僕は・・・僕は笑子を助けなくちゃいけないんだ!」
「え?何?どうするんだ」
玉丸は花瓶から勿忘草をむしり取ると、保健室を出ていこうとした。三三と点吉は
玉丸が何をしようとしているか、さっぱりわからないままに道をゆずる。
その時、今まで黙っていた円点吉が、玉丸の去り際に口を開いた。声はいつもなら
玉丸には聞き取れないはずだが、静かな保健室でははっきり聞こえた。
「ど・・・どう・・・するの?」
玉丸は呼びかけられたことに対して、振り向いた。
「万太の所へ行くんだ」
「ど・・・どうして?」
「万太なら、あいつらをやっつけられるからさ!」
「ど・・・どうやって?」
「説明している時間は無いんだ。こうしてる間にも銀色たちは船に乗って、どこかへ行ってしまうかも知れない。ごめん・・・僕は行くよ」
「そ・・・そんなけ・ケガでかい?」
「笑子は、もっとひどい目に遭わされているかもしれないんだよ」
「ご両親に知らせなくてもいいのかい?」
「「宇宙人に妹がさらわれたんだ」って言ったところで信じてもらえるとは思えないんだ。時間がないんだよ」
「ぼ・・・僕も・・・」
「え?」
「・・・僕も、行くよ」点吉は言った。
ここで昼と夜が戦っている。
ユゴー
円点吉の背中は、日々パソコンに向かっているイメージとは違ってたくましかった。霞玉丸は点吉の自転車の後部座席に座りながら、紺万太の家への道を案内した。
峠三三も後から自転車で付いて来る。
空はうっすらと明ける様子を見せていたが、今日の天気は曇り空らしく、灰色の雲が重く垂れこめている。
しかし、どうしてこの二人は、自分を万太の家に連れて行ってくれる気になったのだろう?玉丸はそう考えていた。
自分のボロボロな姿を見て、何か切羽詰まった状況を感じたのだろうか?というのが玉丸の印象だった。この瞬間にも玉丸の両親は、笑子の捜索願いを出そうとしているらしい。たとえ銀色の存在を眉唾ものだ、と二人が思っていても、何かをしなければ、という純粋な本能が二人を動かしたのだろうと玉丸は思った。歩けない玉丸を自転車に乗せて運んでくれている二人を見て、玉丸は目頭が熱くなるのを感じた。
三三はいつも肌身離さず持ち歩いているポラロイドカメラを、この時も首から下げている。さらに今回、三三は大きな薬箱を抱えていた。三三は職員室で頭痛を訴えた先生に頼まれて保健室から持ってきた薬箱を返そうとした時に、玉丸を見つけたのだそうだ(玉丸は、だから保健室の鍵が開いていたのかと改めて思った)。しかし今、三三が薬箱を抱えているのは玉丸のためだ。今は駄目でも万太の家に着いてから、三三は玉丸の体を包帯などで包み込むつもりなのだ。そんな三三のお節介にも玉丸は心から感謝した。
「さっき手にした花は何だい?」
自転車で後ろに付きながら、三三が玉丸に言った。
「え?何だって峠くん」
「花だよ。花。さっき保健室から取ったじゃないか。駄目だよ。勝手に盗んじゃ」
「あ・ごめん。もともとこれは僕のなんだ。まあ、これには事情があるんだけど、話が複雑になるから後で説明するよ」
「ふうん?」
玉丸は寝間着のポケットにいれた勿忘草を握りしめた。しかし勿忘草は、だからといって何かに変化する様子は見せない。むしろ小さな弱々しい花は、玉丸の一握りで潰れてしまいそうだ。玉丸は勿忘草を手にした途端、エンテレケイアへ戻れるものと考えていたが、それは甘い考えのようだった。再びあの世界へ行くには何か条件がいるらしい・・・。それは何だろうと玉丸は考えた。眠らなければ行けないのだろうか?しかしながら玉丸の中では、少なくとも勿忘草の存在は、エンテレケイアが存在する可能性を高めてくれるものだった。
万太の家は高台にある。
坂道はさすがに点吉にはつらいらしく、玉丸は自転車を降りて坂を上った。再び足の裏に小石がぶつかる感触が戻る。
玉丸は広い敷地への侵入をはばむ豪華な門構えの呼び鈴を押した。
すでに夜明けが近い時間だ。しかもぽつぽつと雨が降り出してきた。玉丸は続けて呼び鈴を押したが、誰もそれに答える様子を見せない。玉丸は半分、やけくそ気味に何度も呼び鈴を押すのを繰り返すと、万太自身の声がやっと聞こえた。
「こんな時間に・・・誰だよ」
呼び鈴に設置された質の悪いスピーカも、万太の機嫌の悪い声ははっきり伝えた。 万太が直接玉丸たちの応対に出たということは、万太の両親はいないのだろうか?
「万太?僕だよ。玉丸だ!」
「玉?あー何だよ。今、何時だと思っているんだ」
眠いんだから勘弁してくれ、といった感じだ。
「万太!また笑子が、さらわれたんだ」
「・・・あ?・・・何だって?」
「また銀色たちが僕たちをさらったんだよ!」
「銀色?ああ、あの連中か・・・あの連中がどうしたって?」
「だから、あいつらがまた来て・・・笑子がさらわれたんだよ!」
三三と点吉は顔を見合わせた。今まで銀色たちというのは霞玉丸の頭の中で想像されていたものだったはずが、急遽あらわれた第三者の証言によってその存在が、平然と認められたのが信じられないようだ。
「また、来た・・・だって?おかしいな」
「何だよ、それは!ちゃんと聞いてくれよ」
「い・いや、悪い。こっちの話さ。上がって来いよ、玉丸」
スピーカがそう言うと、紺万太の家の門が自動的に開いたので、玉丸たち三人は中にのりこんでいった。
広い庭を横切って、これまた豪華な重い扉を開くと暗い広間に入った。この広間は
どうやら紺家の玄関口らしいが、この広さだけでも玉丸の家の全ての部屋を足したものより広い。玉丸がこの場所へ来るのは久しぶりだ。しかし何度来ても玉丸はこの家(家というよりは屋敷といった方がいい)のスケールには圧倒された。三三と点吉も玉丸と同様らしく、その豪華さと、あまりの広さに口をあんぐり開けて見とれている。
部屋のあちこちには万太の両親が集めたのか、ミロのビーナスやサモトラケのニケなど数々のブロンズ像がかざられている。玉丸の普段の生活の中では実感できないこの異様な空間は、まるでテレビドラマのセットのようだった。
広間にはこれまた大理石で出来た広い階段がつながっており、二階へとつづくその階段からは大きなガラス窓を通して曇る朝空が見えた。しばらく経った後、ガウンをはおった万太が出てきたが、万太は階段の最上段でいきなり立ち止まった。
「何だ?玉丸ひとりじゃないのかよ」
第五章終わり 第六章につづく
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