少年たちの反撃


第四章 第一話 「土」

恋人も友もなく、孤独に旅する者は、

何者にも追われることもなく、無為に一生を終わる。             

エラー・フィーラー・ウィルコックス

「情けねえなあ、霞は」

 目覚めると、そんな声が聞こえた。

 目に飛び込んできたのは保健室の天井だった。ずきずきする頭を抱えてようやく起きあがると、自分がジャージ姿のままであることに気づいた。

 ポケットには柔らかな土が入っていた。そしてなぜか右手は、一本のかわいらしい小さな花を握りしめていた。

 ベッドの隣の開いた窓から差し込む光がまぶしい。太陽は空の真上、玉丸の正面にぎらぎら光っている。

「・・・ああ、そう言えば体育の時限だったっけ」と玉丸は思った。

 体育の授業中、うっかりしていた玉丸は、予期せず飛んできたバスケットボールを顔面で受け取ってしまったのだ。

 あのボールは誰が投げたんだろう?誰だか知らないがそのせいで、よりによって授業中に気絶するという醜態をさらしてしまったのだ。

 ただでさえ自分は普段、目立たない生活をしているのに、校庭で倒れ込んでしまったなんて。恥ずかしくて、穴があったら入りたいくらいだ。

「折角、俺がパスしてやったのに顔面で受ける奴があるか」友だちの万太が言った。

「・・・おまえかよ」何だ、味方からのパスボールだったのか。

 玉丸は頭をぽりぽりかいた。髪にも砂がいくらか混じっていた。

 同じクラスの紺万太は、玉丸と同じチームになると、必ずボールをパスしてくれたりする。いつもならシュートできないまでも、受け取ることぐらいは出来たのに・・・と玉丸はひとりごちた。

「貴重なシュートチャンスをやったのに・・・何ボーッとしてたんだよ、霞」

「・・・考えごとをしていたんだよ。え?いま僕を「かすみ」って呼んだかい?珍しいな。いつもは「おい玉丸」って、名前を呼び捨てにするのに。どうしたんだ万太」

「何だそりゃ。俺は、おまえをいつもそう呼ぶぜ。「おい、かすみ」って言うじゃないか。それに、おまえの名前は霞だろ。「玉丸霞(たままる かすみ)」ってのがおまえの本名じゃねえか。何、とぼけてんだよ。しっかりしろ」

 万太は玉丸の頭をこつこつと叩いた。時計の歯車の調子を調べる感じだ。

「え?あ・・・そうだったっけ。はは・・・ごめん」

 玉丸霞は一瞬、戸惑った。自分の名前を忘れるなんて、ずいぶん頭の打ち所が悪かったらしいぞ・・・と思って霞はしばらく不安になった。

「いや、なかなか面白かったぜ、今のそのギャグは。いつものおまえは、ただでさえ個性のない、いわゆる「普通な奴」なんだから、たまにはそうやってボケかましてくれないとな。毎日の退屈な生活の中で張り合いがないぜ」

「そうかな?」そう言いながら霞は、個性がないとは余計なお世話だ、と心の中で万太に言い返した。僕はおまえほど変わっちゃいないぞ。

 あれ?どうして万太が変わっていると、僕は思うのかな?

「俺が放ったボールだったから心配したけど、どうやら何事もないようだな。いつもの普通の霞だ。安心したぜ」

「心配してくれたのか?悪いな」

「ここに来たのはついでだよ。職員室にプリントを届けるついでだったんだ。もう昼休みが終わるから、教室に戻るぜ」

「え?午後は早退するんじゃなかったっけ?」

 ふと、そんな考えが霞の頭によぎった。

「何でだよ、霞。何で俺が、午後早退するんだ?俺はどこも気分は悪かないぜ」

「え?あ・そうだった。何で早退するのかと思ったんだろう?」

「変なやつだなあ。どこか頭のネジが外れたんじゃないか?ギャグもくどいとつまんないぜ」

「い・いや、そんなつもりじゃ。それにしてもおまえが、先生にプリントを届けるなんて優しいところもあったんだな」

「俺は、委員長だからな」万太は今のセリフに少しむっとしたようだった。誰しも学生は、自分が先生の言いなりになっているとは思われたくはないものだ。

「早く着替えろよ」

 そう言い残して、紺万太は保健室を去っていった。

 残された玉丸霞は、それがなぜなのかはわからなかったが、万太の姿がいつもと違うような気がした。そう言えば、今の自分がいる場所が何となく違うような、そんな錯覚を感じる。普段、来ることのない保健室にいるからだろうか?

 バスケットボールを顔面で受けて気絶してしまったことで、どうやら本当に頭のネジがはずれてしまったのかも知れないぞ、といううす気味悪い想像が、霞の中で渦巻いた。

 いつの間にか右手に小さな花を握りしめていたことも、そんな不安を増幅させた。 校庭にはこんな花が咲いていたとは思わなかったが、いつの間にひっこぬいてしまったんだろう?ベッドに倒れている間に、花瓶から抜いてしまったのだろうか?そう思った霞は、ベッド脇の花瓶にさされている花を見つめて、その中に右手の花を戻した。

「花言葉は「私を忘れないで」っていうのよ」

 突然、そんな声が頭の中に思い浮かんだ。

 その声は花瓶に戻した花から聞こえてきた気がした。そんなバカな、と思った霞はベッドに残った砂を払うと、保健室を出た。

 そして「もうすぐ昼休みが終わる。いそいで着替えなきゃ」と霞は思った。


第四章 第二話 「母」

地球を離れてみないと

我々が地球で持っているものが

何であるのかわからないものだ

J・ラベル(アポロ13号飛行士)

 授業が終わると、玉丸霞は急いで教室を出て、渡り廊下を超えて別校舎に向かった。その校舎は放課後、クラブ活動を行う者の部室に分かれていた。霞は最上階の「円盤部」と書かれた部室に向かった。

 霞はこの「円盤部」の部員の一人だ。

 狭く暗い部屋の四方の壁には(窓を含めて)いわゆる「UFO写真」が、これでもかと貼られている。

 その部屋の隅に置かれたパソコンの画面を食い入るように見つめる小太りの少年と、がたつく机に腰掛けた少年を見つけた玉丸霞は、鞄を床の隅に追いやった。

 小太りの少年の名前は円点吉(つぶら てんきち)。

 細面の優しげな顔の少年は峠三三といった。二人とも「円盤部」の部員だ。

 三三は自分のポラロイドで撮った写真を、楽しそうにアルバムに差し込んでいる。

 円点吉は霞の登場を気にする様子もなく、パソコンのモニターを見つめている。

 モニターに映っているのは、点吉が何週間か前に、自分で作りあげた画像解析ソフトだ。このソフトを使えば、UFOが映っている写真の中の電磁波の流れを、簡単に調べられると霞は聞いたことがある。UFOは飛行するとき、空気中の電磁波をかき乱すのだそうで、このソフトを使えば、いわゆる偽のUFO写真を見つけられるということだった。

 モニターの黒と灰色のモザイクはやがて青から赤へのグラデーションに分けたモザイクになり、黄色に近い線が円盤の形を作ると、小太りの少年が長い溜息をついた。

「どう、本物だった?」霞は、点吉と呼ばれた少年に言った。

 点吉はなにやらもぐもぐとモニターを見つめながら口を動かして、玉丸霞には聞こえない声で答えた。

「・・・可能性は・・・光源が・・・なのだ。」霞は点吉が何を言ってるか、さっぱり理解できなかったが、適当にあいづちをうつことでそれに答えた。

「ずいぶん急いで部室にやって来たようだけど、何かあったのかい?」

 三三が言った。・・・そう言えばなぜかはわからないが、霞は全力でこの部室に来たのだった。いまも霞の顔にはぽたぽたと汗が伝っている。

「え?いや別に。何でもないんだ。どうしてだろう?何かみんなに言いたいことがああったのかも知れないけど、忘れちゃった・・・はは」

「ふーん?」三三はにっこり微笑むと自分の作業に戻った。

 霞は適当に壁の本棚から、何冊か古いマンガを取り出すと、それを読みふけることで時間を過ごした。もともと霞は「円盤部」の部活動にはそれほど興味を持ってなかった。幼なじみである峠三三に「一人、部員が足りないから、廃部になってしまう」という話を聞いて、その穴埋めに参加したに過ぎない。矢河原中学では生徒はクラブ活動を義務づけられていたが、霞自身は他に入りたいクラブもなかったので、それは都合が良かったのだ。「円盤部」といっても、そのクラブ活動はたいしたものではなく、UFOに関する書物を読んだり、たまにUFO写真を河原に撮りに行ったりと、たいしたこともなく気楽に午後を過ごすのみだからだ。

 霞は今日もマンガを読みながら日が暮れるのを待つと、峠三三と連れだって学校を出た。帰り道が途中まで同じということもあって、二人は帰り道の土手を連れだって歩いた。道は歩くと30分くらいの距離だ。

「何か浮かない顔をしてるね」峠三三が言った。

 峠三三は玉丸霞にとって、小学校からの付き合いだ。三三は男性とは思えないほど、物腰おだやかで、常に周囲の人々を気にかける優しい性格だ。その性格からクラスの誰からも好かれており、成績も優秀だから、先生受けもいい。

「・・・ん。いや、別に体調が悪いわけじゃないよ。峠くんは僕が体育の授業で倒れたのを知ってるだろう?」霞は答えた。

「ああ、しばらくクラスのみんなの話題だったよ。大丈夫だったかい?」三三はくすくす笑った。霞の顔は赤くなった。クラスの中で、いまや霞が気絶したことを知らない人間はいないらしい。この噂はやっぱり当分続くのだろうか?人の噂は七十五日って聞いたことがあるけど、そんなに続くのはたまらない。

「頭は平気さ。いまは痛みさえないんだけど、それよりも気になることがあって、保健室で目が覚めてから何か変なんだ」

「変って?」

 三三はにこにこ微笑みながら、霞の顔を見ている。三三は、いつもこんな風に誰の話を聞くにも真剣だ。そんな様子はクラスの女子にも少なからず、人気がある。霞はそんな三三を普段からうらやましく思っている。彼のようになれたら・・・。

「うーん。うまく言えないんだけど・・・何か、今の自分の感覚が、微妙にずれているような・・・そんな気がするんだ。例えば、鏡の自分と向かい合って、そこに、うつっていた自分と、今の自分を取り替えたような。今の自分が、実は本当の自分じゃないような・・・そんな不思議な気分がするんだ。三三くん、僕の言ってることわかる?」

「わかるような、わからないような・・・」三三は首をひねっている。その様子は真剣に霞に起こったことを、自分に当てはめてくれているかのようだ。

「それは目が・・・見ているモノが逆さに見えるってことかい?」

「いや、自分の見ているモノは普通に感じるよ。だけど、何か・・・うーん。うまく言えないなあ」

「それは気絶してからかい?」霞には、その次の三三のセリフが聞こえる気がした。・・・それは頭の打ち所が悪かったんじゃないのかい?

「い・いや頭は大丈夫なんだよ!・・・全然平気さ、ただ」

「ただ?」

「ただ、やっぱり何か違うって気がする。・・・ね?僕はひとりっ子だったよね」

「な・何だい?薮から棒に。玉丸くんは確かにひとりっ子だよ。僕らは小学生の頃からの幼なじみじゃないか。それとも僕の知らない兄弟がいるのかい?」

「い・いや。なぜだかわからないんだけど、僕はもしかして本来は双子だったのかな・・・って気がするんだ。もう一人が兄貴なのか、妹なのかもわからないんだけど。さっきも言ったけど、保健室で起きてから、何か自分が自分じゃないような気がするんだ。自分には忘れちゃいけない人がいたのに、いつの間にかそれを思い出さなくなってしまったような悲しい感じ。自分の顔を思い出せないような、そんな感じ。ね?そんなことってないかな?」

「一度、本当に医者に診てもらった方がいいかも知れないよ」

 三三は心配そうに霞を覗き込んだ。

 帰宅すると父親はまだだったが、母親が夕食の用意をしていた。台所には包丁の刃がまな板を打つ音が響いている。

「え?どうして母さんがいるの?」

「あら、おかえり。何よ、ごあいさつね。自分の家にいちゃ悪いって言うの?」

「あ・ごめん。そういう訳じゃないんだ。パートはどうしたの?」

「パートって何よ?」

「え?母さん、夜のコンビニに・・・あ、そうだね。僕は何言ってんだろう?そうだ。母さんは、ずっと家にいるよね」

「おかしな子ね。当たり前でしょ。そう言えば、さっき学校の先生から連絡があったわよ。霞、あんたったら、今日学校で気絶したんだそうね」そう言って母親は霞の額に手をあてた。熱でもあるんじゃないかといぶかっている様子だ。

「どこか強く、打ったんじゃない?」

 その顔は心の底から霞を心配しているようだ。

「ど・どこも悪くないよ。母さんと会ったのが久しぶりだなって思っただけさ」

「何言ってんの。毎朝顔を会わせるのに・・・その時は、寝ぼけてるからよ。さ、ごはん出来てるから、片づけちゃって。作りすぎちゃったわ」

「うん。いただきます」夕食の熱いシチューを食べながら、霞は考えた。

 ・・・今日の僕は、バスケットボールにぶつかってからやっぱり何か変だぞ。本当にどこか頭の打ち所が悪かったのかな?自分の名前を逆に呼んだり、いつの間にか花を握ってたり、どうしてあの時、万太が午後いなくなるように感じたんだろう?それにどうして母さんが、夜のコンビニに働きに行くとおもったんだ?他にも何か大切なことがあったような気がするけど、それが全然思い出せない。峠くんに言ったセリフじゃないけど、自分が本当の自分じゃないようなうす気味悪い感覚が、ずっと続いている。こんな感じは明日の朝まで続くのだろうか?もしかしたらずっとかも?それはちょっと冗談じゃないな。

「母さん」

「どうしたの霞?」

「僕ってもしかして、双子だったの?」

 母親は眉根を寄せて、まじまじと霞を眺めた。目には完全な不安が宿っている。

「あんた本当に大丈夫?」


第四章 第三話 「父」

理性の眠りは怪物をはぐくむ

ゴヤ

 霞はシチューを食べ残すと、そのまま自分の部屋に入った。

 部屋は、霞の家は集合住宅なので、あまり広いとは言えない。ベッドに鞄を放ると(なぜか霞は鞄を天井近くにまで、高く鞄を放ってしまった)霞はとりあえず宿題を片づけた。予習も済ますと、母親の次に風呂に入った。いつもそうだが、母親の抜けた髪が湯船に浮いているのは気持ち悪い。身体を洗ってから、傍らにあるネットを使って、湯船に浮く髪とあかを捨てた。湯船の中で霞は今日一日のことを思い出した。とんだ一日だったな・・・霞はひとりごちた。

 風呂からあがった後は、霞は何気なくテレビを見ながら、おやつをぱりぱり食べて

時間を過ごした。昼間霞を悩ましていた心のわだかまりは、いまでは霞の中ではどうでもいいことになっていた。明日になったらきれいさっぱり忘れているさ。それよりもクラスのみんなは、明日も自分が気絶したことを覚えているだろうか、それだけが

気になった。恥ずかしい記憶はすぐ忘れられればいいのに・・・。

 寝る前に歯を磨き、部屋を片づけると母親におやすみと言って、しっかり窓を閉めてから床についた。しばらくは、霞は布団の中でも目がさえていたが、やがて訪れた睡魔とともにいつの間にか瞼は重なり始めた。

「花言葉は「私を忘れないで」っていうのよ」

 かすむ視野の中で霞は、そんな誰かの声が聞こえた気がしたが、たいして気にすることもなくやがて眠りに落ちてしまった。

 夜半、父親が帰って来た気配がして霞は目覚めた。どうしよう。父さんに「おかえり」って言ってあげようかな?いいや、すごく眠い。どうせ疲れて帰って来ているんだから、毎朝、顔を合わせているのに、わざわざ生意気な息子の顔なんて見たくないはずさ。

 そう思って霞は寝返りを打った。父さんが部屋に来たら、ちょうど目覚めたふりをして、「おかえり」と言おう。

 しかし、誰も玉丸の部屋を訪れる気配はなかった。母親がまだ起きているのかわからなかったが、母さんはいつも父さんをどんなに遅くとも、出迎えるのを自慢にしていた。でも、いつか父さんがべろんべろんに酔っぱらって帰って来たときは、さすがに一瞥しただけで、鼻を鳴らして寝てしまったこともあったぞ。あの時は父さんは朝方まで玄関で寝てたんだ。もしかして今日も父さんは酔っぱらっているのかな?

 部屋はそれから物音ひとつ無く、しんと静まりかえっていた。

 母親が父親を迎える気配も無かった。

 おかしいな。

 霞は、さっきの音は本当に、自分の父親が帰宅した音だったのだろうか?と思って

不安になった。もしかして、あれは全くの他人で・・・泥棒ってやつかも。

 母親が起き出す気配がないのは、それにまだ気づいてないことからもあきらかだ。

 どうしよう?ふとんの中で霞の心臓は高鳴り始めた。

 どうしよう?泥棒だったら、僕が追い出さなければならないかな?

 母親は女だ。きっと恐怖ですくんでしまって、泥棒になんか立ち向かえないだろう。それにまだ侵入者の気配に気づいた様子がない。もし今のが泥棒だとしたら、必然的に男である自分が、真っ先に立ちむかわなきゃならないと霞は思った。僕にそんなことが出来るだろうか?相手は大人の男に決まってる。家の中に忍び込むプロなんだから、当然家の誰かが気づいて、いきなり立ち向かってくることにも警戒しているはずだ。自分のような華奢な中学生が、たとえ大きな声を出して他の住人に助けを求めても、すぐには退散しないかも知れない。もしかして逆にこちらがやられてしまうかも。相手は武器を持っているかも知れないのだ。 

 霞の心臓はどきどきと脈打った。想像は想像を呼び、いま霞は、泥棒に殺される覚悟で立ち向かっていかなきゃいけない、と最悪の予想をしていた。

 今の霞には全身が耳となっている。どんな小さな音も逃さないといった感じだ。

 しかし霞は、家の中に、それから何の気配も感じなかった。

 あいかわらず部屋はしんと静まりかえっている。

 隣の台所の冷蔵庫の振動が、枕に響いてくるのが感じられた。

 高鳴っていた心臓の鼓動は、それからだんだんと収まっていった。

 そして、あれは気のせいだったのかも、と思うようになった。

 母親はいつも寝る前に鍵を閉めていることを、霞は思い出した。今日だって閉めている母親の姿を、寝る前に霞は見た覚えがあった。仮に泥棒が、家に侵入しようとしたとしても、鍵をこじあけなきゃ、中には入れないはずだ。こじ開けるときは、きっと派手な音がするだろう。そんな音は微塵にも聞こえなかった。やっぱり気のせいだったのか・・・。そうに決まっている。びくびくした自分がバカみたいだ。

 ほっとしたと同時に、霞は尿意を感じた。

 今まで布団の中で震えていたにも関わらず、霞はがばっと起きあがった。泥棒が気のせいだと思ったあとは、家の中に恐いモノはなかった。

 しかし、いざ部屋のふすまを開けようと思った途端、ふすまの向こうの暗闇に誰かが立っているのが霞に見えた。

 心臓をいきなりわしづかみにされたような衝撃が、突然全身に走り、霞は動けなくなった。脚は急にすくんで動けなかった。さきほどの泥棒に立ち向かおうとした勇気はどこへやら、霞は身体に震えを感じた。恐怖というベールがいまやしっかりと、霞の心を包み込んだ。そのベールに包まれた霞の心は、氷山に突き刺されたかのように冷たく固まった。

あれは誰だ?

 心臓は再び、早鐘を打ち鳴らし始めた。あれは誰だ?母親にしては背が高い、父親にしては体格が違う。その相手はふすまのわずかに開いた間から、いままさに霞を見おろしている。霞は自分を見おろしているその異質な目に、再び凍りついた。

 何だあの目は?人間の目じゃない。人間の目は、あんなボールのような大きさじゃないぞ!それに何だ?ここからじゃよくわからないけど、どう見てもふすまの向こうの男は、普通の人間には見えない。頭が異様に大きい気がするし、体型はかなりアンバランスなようだ。こんな人間が地球上にいるのだろうか?

 突然、霞がそう思う間も無く、ふすまは音も無く自動ドアのように横に開いた。

 アンバランスな生き物はゆらりと、影のように部屋に入り込んできた。


第四章 第四話 「尿」

ひとつは滅び、ひとつは生まれる力を持たぬ、

ふたつの世界を彷徨う。

マシュー・アーノルド「大修道院」

 生き物は一人、さらにゆらりと音もなく近づくと、玉丸霞の正面に立った。

 部屋は暗かったが、霞は目の前の生き物の、その異様な姿に目を見張った。

 やはり、こいつは人間じゃない。

 明らかにアンバランスな体型。異様に巨大な不気味な頭。まるで脳だけが風船のように肥大化しているようだ。その頭の大半をしめる大きな瞳は、この世の全ての暗黒を吸い込んだかのように暗く、霞自身もその瞳に吸い込まれるのではないか、という薄気味悪い恐怖を覚えた。

 何よりも直感的に、その暗黒の瞳に霞はただならぬ悪意を感じた。

 顔全体の皮膚は地球上のどんな動物にも当てはまらないようなしわが、鱗のようにびっしりとはりめぐらされており、霞は一瞬、悪質な爬虫類をイメージした。口と鼻は小さく、あの大きさで呼吸が出来るのかは全く疑問だ。しかし、目の前の生き物はその巨大な頭にもかかわらず、妙なしわの寄る銀色の服に包まれた体型はひょろりと華奢そうで、霞が立ち向かっても微動だにしないという感じではなかった。

「・・・お・おまえ・誰だ!」

 霞は必死に勇気を振り絞り、それだけ言うことが出来た。

 生き物は微動だにしない。その不気味な黒い瞳はじっと霞を見据えているが、霞の発した言葉には気づかないようだ。言葉がわからないのかも知れないと思ったが、どうやらそんな雰囲気ではないらしい。相手はこちらに対してある程度の知識を持っているが、それは彼にとって評価に値しない、といった感じなのだ。

 相手に見下されているという感覚が、霞の自尊心を刺激して、勇気をさらに振り絞った。

「こ・ここに・何の用だ!」

 あいかわらず霞の脚はひとりでに、がたがた震えた。

 どうやら霞の意志とはうらはらに、体全体が小刻みに揺れ動いているらしい。

 霞自身は必死に踏ん張っているつもりなのだが、手指や脚には、力が入っているのかどうかわからなかった。股間にはいままさに放尿してしまいそうな寒気を感じる。全身が冷たく感じるのは、一気に吹き出した汗のせいに違いない。

 しかし一瞬、霞は今この家にいるのは自分だけではないのだ、と思った。

 隣の部屋には母親がいるのだ。

 自分は母親を守らねばならない、という重い責任感が急激に心へのしかかってくるのを感じた。

 霞は意識的に、自分はこの生き物に立ち向かわねばならないんだ、という決意が自然にわき起こってくるのを、冷静に見ることが出来た。

 おまけに相手はひとりなのだ。運が良ければこいつを組み伏せられるかも知れない。そうしたところで大声を出せば、母親だって気づくだろう。母親は警察を呼んでくれるはずだ。時間を稼げば、そのうち父親だって帰って来る。

 霞の体はあいかわらずがたがたと震えていたが、かすかな希望を感じることで、ようやく自分が拳を握り、足を踏ん張っていることを実感できた。

 生き物は再びゆらりと動くと、いつの間にか手にしていたボックスを霞に向けた。

 これは武器だ、と直感した霞は、そのボックスが向けられた直線上より、すぐさま飛び退こうとしたが、生き物がちょいとボックスのスイッチを押した途端、いきなり霞の体中に不快な電撃が走った。

 まるで魂をむんずと引きずり掴んだかのように、その電撃は霞の全身の力を奪い取った。霞は自分の脚では全身を支えることが出来ず、倒れ込む形で部屋の床にひざまづいてしまった。顔に絨毯のざらざらした感触を感じる。

 電撃による痛みは、まるでいがのついたミミズが全身を這うように不愉快にしばらく続いた。

 突撃しようと身構えた意志が、無惨にも踏みしだかれた感じがして、霞の自尊心は

怒りで煮えくり返った。そして同時に、こうもあっさりと相手に脱力させられたことで、にがい敗北と屈辱感を味わった。

 生き物が音もたてず、こちらへ向かって来るのが気配でわかった。霞は再び胸のうちに恐怖がわき起こるのを感じた。しかし今、体は微動だに震えもしない。全身は前のめりに倒れ込んだ不自然な状態で、まるで金縛りにあったように硬直しているのだ。霞は自分の心臓の鼓動を、耳に痛いほど感じた。全世界で音を立てているのは自分の心臓と、汗がしたたる音だと思った。いずれ無惨にも放尿する音が加わるかも知れないと思うと、急に涙が頬に伝った。

 こいつは僕をどうするつもりなんだ?突然、霞の脳裏に「僕は殺されるんだ」という意識がよぎった。

「た・たのむ。やめてくれ!殺さないで」

 霞は声の限り叫んだつもりだったが、むろん今の金縛り状態では、口を開くことが出来なかった。情けなくも、口から発せられたのは、だらだらと流れたよだれだけだったのが、霞の屈辱感をさらにあおった。

 生き物はひざを折って、霞の髪をむんずと掴み、霞の頭を持ち上げた。霞の目にいきなり生き物の顔が飛び込んで来た。目の前の突きつけられたその暗黒の瞳に、霞はがたがたと震えた。心なしか、霞にはその生き物が、その小さな口を曲げて、にやりと笑ったかのように見えた。

 まるで今の僕は「蛙」だ、玉丸霞は思った。

 蛙は蛇と対面すると、目の前の巨大な生物の餌になるのを、本能的に悟り「もう逃げることはできない」と思いながら硬直してしまういう・・・。

 今の僕は、まさに蛇ににらまれた蛙だ。

 玉丸霞は、自分をかつて蛙のようだ、と感じたことがあったような気がした途端、

急に自分自身の体が矮小して、みっともなく縮んでしまったかのような不思議な感覚を覚えた。そして、こともあろうか生き物の暗黒の瞳に、まるで掃除機がごみを吸い取るように、自分が今まさに吸い込まれている、と思った。

 かつて「円盤部」の部室で、峠三三と宇宙の神秘に関して話し合ったことがあった。宇宙の外れにはブラックホールなる存在があって、その虚無は光さえも吸い込む暗黒なのだそうだ。今まさに玉丸霞は、その暗黒に無理矢理引きずり込まれる感覚を

身をもって体験していた。霞の瞳には暗黒が広がり、その暗黒はさらに深い暗黒に

落ち込んでいった。霞はこの世で最大最悪のジェットコースターに縛り付けられたような、そんな感じがした。

 しかし、そのジェットコースターには出口が無く、あるとすればそれは虚無と呼ばれる底なしなのだ。霞は全身が、暗黒のさらに奥へ落ちるのを実感した。

 ・・・そこで「玉丸霞の悪夢」は、終わった。

 しかし目覚めても、「霞玉丸の悪夢」はまだ続いていた。


第四章 第五話 「刃」

すべての慰めは卑劣だ。絶望だけが義務だ。

ゲーテ

 玉丸霞の意識が暗黒の底を突破すると、見覚えのあるスポットライトが霞玉丸を包んだ。

 つい先刻まで、恐るべきスピードで暗黒の空間を突き進んでいた玉丸霞の意識は、ガツンとした衝撃を感じて、霞玉丸本来の意志へと強引にひき戻された。もはや仰向けに寝かされている玉丸の周りの空間は微動だにしない。ふと気づくとあの銀色が、再び例の針を玉丸の耳に差し込もうとしているのが見えた。

 「玉丸霞」より本来の「霞玉丸」に戻った衝撃で、玉丸の視点はぐらぐらと不安定に揺れた。玉丸は自分が置かれている立場がわからず、しばらくパニックを感じた。

 目の前の風景に対する意識と、それに対する感覚がうまく定まらない。まるで、体に魂がちゃんと収まっていないような不快感を感じる。

 銀色だ。また、あの銀色たちがいる!僕はいつの間にか、また彼らに連れ去られてしまったんだ!玉丸の目の焦点はゆらゆらと定まらなかったが、銀色たちの異様な風

体が確認できないわけはない。

 馴染みとなった恐怖が再び、玉丸を襲う。前回は壁の中で目が覚めた後、ベッドへ

拘束されてしまったが、今回はそれも省略されてしまったようだ。

 くそ!僕はいつの間にか、また蛙のようにベッドに拘束されているぞ。どうして?いつ、こんなことになったんだ?全然思い出せないぞ、畜生!

 玉丸は、不思議なことに今までこちらを向いていた銀色が、背中を向けていままで手にしていた針を下げるのを見た。その時、玉丸は本来ならば針の先に付いている小さな「球」が、不思議にも無くなっているのを見て、再び自分に衝撃の波が襲って来るのを感じた。

 何て事だ!僕はすでにあの球を、頭の中に突っ込まれてしまったらしいぞ!

 いい知れぬ恐怖の冷たいベールが玉丸を包む。拘束されたベッドの金具から血が吹き出すのも構わず、身もちぎれんばかりに四肢を振り乱し、玉丸は絶叫した。 

「ひどい!おまえたちは一体、何様なんだ。どうしてそんなひどいことをする?何の権利があって僕にそんなことが出来るんだ?振り向け!答えろ!」

 どうやら「玉丸霞」より本来の「霞玉丸」に戻る時に襲った暗黒への墜落は、あの球が作用していたものらしい。銀色たちは、今日の午前に玉丸に起こったバスケットボールによる気絶からの出来事を、物質的にコントロールしたらしいのだ。

 霞玉丸はあろうことか、あんな小指の爪ほどしかない球体によって自分の人生の一部を変換されたということに底知れぬ絶望を感じた。あのまま目覚めなければ、僕はあの夢を死ぬまで見ていたのだろうか?・・・そんな不安が玉丸を襲った。夢とはいえ、自分は人生の一部を見事に操作されたのだ。銀色たちは人間の「夢」さえもコントロール出来るのか?

 もし、そうならばあのフォーリンと心郎がいたエンテレケイアという世界も、そんな夢の一部だったのだろうか?

 僕は二度とあの素晴らしく優しい世界を訪れることが出来ないのだろうか?

 もう二度とあの気持ちのいい二人に出会うことはないのだろうか?

 玉丸の中では、あのエンテレケイアの美しい空と風景が、墨汁をこぼしたように黒く汚れていった。あれはみんな銀色たちに「見せつけられた」風景だったのか。

「なんて残酷な奴らなんだろう!」

 霞玉丸はここに来て、ついに確信に至った。

 霞玉丸は今まで銀色たちに対して、わずかながら「希望」というものを抱いていた。それはかつて玉丸が小さかった頃、テレビ・メディアで見たいわゆる平和的な「宇宙人」というイメージが、玉丸の頭の中で形成されていたからだ。彼らは地球の破滅的な事態に対して、ここぞという時にその進んだ科学で助けてくれる「味方」であり、人類のピンチを救う「平和の使者」だった。時には個人を助けてくれる「ヒーロー」であり、限りなく優しい「母」のような存在だった。仮に進んだ科学など無くても、彼らは地球人の子供と「友だち」になりたがっている優しい生き物であり、そのコミュニケーションは愛で結ばれるものだったのだ。

 しかしここに来て、玉丸はそんなテレビ・メディアが自分たちに伝えてきた宇宙人のイメージは全く偽物であったと確信した。少なくとも今、玉丸の眼前にいる彼らはテレビにかつて登場したようないわゆる「主役」をつとめられるような存在ではない。彼らはどう考えても、先ほど登場した「味方」もしくは「平和の使者」によって物語の最後には倒される宇宙の「悪者」であり、人類の「敵」であるはずだ。

 霞玉丸は粘土をこねたような外観をしている硬いベッドに四肢を拘束されながら、そんな結論に達した。

 単にそれはコミュニケーションだけの問題ではないと思った。宇宙人に日本語が通じるような甘い考えは持っていなかったが、何らかの言葉は彼らにもあると思った(それは単に彼らに鼻と口があるからだが・・・)。

 玉丸は言葉を持つ生き物は、何らかの形でも知的なコンタクトを求めてくると思っていたのだ。しかし今、玉丸は自分の中での「子供」であった部分が土足で踏みにじられたのを感じていた。彼らはコンタクトどころか、こちらの存在に対しては、まるで人間が地面の蟻を意識しないかのごとく「無視」をつとめた。

 ときどき銀色と玉丸はかすかに目が合うこともあったが、向こうが投げかけてきた視線は、明らかにこちらを評価に値する存在とは認識していないようであり、そんな価値が存在することも考えつかない、といった侮蔑の表情だった。彼らは全くの無表情だが、そんな軽蔑の眼差しは表情が無くても作れるものだ。それは学校の体育の授業の時、運動音痴の玉丸に向けてクラスメートが投げかける視線と似たものだったが、玉丸はそれ以上に、自分の全存在が否定されている感触を味わった。

「なぜ君らは、僕に・・・僕にこんなことをするんだ!」

 彼らの無視は続く。

 いいしれない不安と恐怖の入り交じった冷たい刃が、ざくざくと玉丸の心を切り刻む。手足は意志とは裏腹にがたがたと震えた。体がばらばらになって、自分の体ではないみたいだ。

 ガチャンという音がするなり、玉丸の四肢の金具が消えた。

 逃げるんだ!という意志が働いたが、玉丸の体は力が入らず、ぴくりとも動かなかった。気づくと、銀色の一人がボックスを玉丸に向けている。あのボックスがある限り、玉丸は銀色から離れることは出来ないのだ。


第四章 第六話 「胸」

無知な正直者がしばしば最も巧妙な喰わせ者の手くだを見抜く。

ゲーテ

 霞玉丸は二人の銀色に引きずられるように移動すると、まもなく狭い円形の部屋に放り投げられた。ここまで玉丸を連れてきた銀色が手にしていたボックスによって、手足の拘束を解かれると突然、玉丸は両手首と足首が痛み出すのを感じた。手足をさすりながら部屋を見回すと一人の人間の姿を見つけた。

「笑子!」

 部屋の隅に座っていたのは、玉丸の双子の妹である霞笑子だった。笑子は寝間着のままで顔を膝に埋めて座っていた。笑子もすでに連れ去られていたのか!

「・・・た・玉ちゃん?」

 笑子は震えながら顔をあげて、声をかけたのが玉丸だと確認すると、玉丸の胸に飛び込んできた。狭い部屋に笑子の裸足の足音が響く。

「玉ちゃ・・・玉ちゃん!うわあああん!」

 笑子はその顔をしっかりと、玉丸の胸に埋めると堰を切ったように泣き出した。

 笑子が泣き出すなんて・・・?玉丸のイメージである笑子は、いつもからからと笑っていて、冗談と皮肉まじりに玉丸をからかう憎たらしい存在だった。

 それに笑子は、人に自虐的に攻められるのを好むマゾヒストであることを玉丸は知っている。笑子の神経は普通の人間と変わっていて、いわゆる「痛み」が彼女には「快感」と伝わるらしく、よくコンパスの針を手の平に刺すのを玉丸はよく見かけたものだった。

 「痛み」を喜ぶ人間を泣かせる力とは何だろう?と玉丸は思った。

  玉丸は笑子を抱きしめながら、「これは本当に、僕の知っている笑子なのか?」といぶかった。エンテレケイアが嘘だったと知った今には、目の前の笑子とて本物だとはにわかに信じがたい。

「笑子?」

「玉ちゃ・・・玉ちゃん!うわあああん」

「どうした?笑子。一体、何があったんだよ?」

「ごめん・・・ごめんね。玉ちゃん、ごめんなさい!」

「どうした?何があったんだよ!」

「知ってるくせに!あの銀色たちに、体じゅうをいじくられたのよ!あいつらったらこっちが動けないのをいいことに、あの気持ち悪い手で触りまくったのよ。下手な痴漢よりも、よっぽどゲスなやつらだわ!」

 笑子はその時の様子を思い出したのか、ぶるっと体を振るわせた。

 玉丸の寝間着の胸は笑子の涙で濡れた。その冷たさを感じながら、玉丸もわずかに

瞳が濡れてくるのを感じた。笑子が何をされたにしろ、それは人間が普通に生活するうえで受ける「痛み」の範疇を越えていて、おまけにそれは人間の常識で推し量れるものでは決してないことを、今まさに玉丸は悟った。笑子が何をされたにしろ、それは人間の手によるものではない不気味な行為であったはずだ。

 そして笑子の精神は、玉丸が考えている以上にデリケートで、それにとても繊細に出来ていることを玉丸は初めて知った。銀色たちが笑子に与えた屈辱は、「痛み」というパラメータで測定出来るものではなかったのだと思った瞬間、玉丸はむくむくと銀色たちに対する怒りが、胸のうちにわいてくるのを感じた。笑子はしきりに玉丸に向かって「ごめんなさい」を繰り返しているが、謝るのは僕の方だと玉丸は思った。

「ごめんなさいだって?笑子、何を謝ってるんだよ」

「あの・・・くそったれの銀色たちのことよ!わた・・・私、学校で円盤部にいたあの時、玉ちゃんの話を信じてあげられなかった!」

「忘れてたんだから・・・仕方ないよ」

「忘れさせられていたのよ!私の耳にあいつらが針を刺したのを見たんでしょう?あの針先の球は、私の記憶を奪っちゃうのよ。私はちゃんと・・・本当は玉ちゃんの言うことをわかっていたのよ。だけどあの球が、私の心を別の方向に向けるようにいやらしく操っていたんだわ!」

 紺万太の言うとおりだ。あの球は、記憶を自在にコントロールすることが出来るらしい。この場所であったことを思い出すには、実際にここへ来る他はないのだ。

「玉ちゃん、どうしよう・・・私、恐い。この場所から逃げたいわ」

 笑子は涙を拭うと言った。

「・・・僕だって、そうさ」

 玉丸は粘土をこねたような円形の小さな部屋を眺めて、直接壁に触れた。

 壁は思った以上に硬く、びくともしない様子だ。

 おまけに最初、玉丸が運びこまれた時の入口は、跡形も無く消え去っていた。銀色が、あのボックスを向けた途端、今まであった入口は壁へと変化したのだ。

「あのボックスがあればなあ・・・」

 あのボックスは、銀色が玉丸を壁からすぽん、とひき抜くのにも使われていた。

「ボックスって、あのくそったれどもが、いつも持ってる銀色のやつでしょ。無理よ。一度私あのボックスを奪い取ろうとしたんだけど、すぐに体をかちかちに凍らされちゃったもんね。卑怯よね。あいつら、あれが無いと何も出来ないのよ、きっと」

「どういうこと?」

「・・・だって考えてみてよ。私たちをさらうときも・・・あのむかつくベッドに乗せるときも、あいつらボックスを使うのよ。それにいつも集団でやって来るのよね。一人じゃ何も出来ないんだわ」

 それは気づいていた。銀色たちは玉丸の前に登場するときは常に4〜5人なのだ。それにあの銀色たちの体にも、玉丸は直接的な脅威は感じていなかった。彼らの背丈は

大人ほどあるが、腕は木の枝のようだし、脚は運動音痴の玉丸よりも細く、華奢に見えた。

 玉丸は、自分が必死の思いで立ち向かえば、奴らの一人ぐらいなら、組み伏せることが出来るかも知れないと常々思っていた。玉丸は銀色に出会うと、確かにその異様な姿に恐怖を覚える。しかし、それ以上に脅威だと思うのは、相手がボックスを使ってこちらの自由を奪い、屈辱感を覚えさせるその行為と、予測できぬ行動なのだ。

 あいつら一体何が目的なんだろう?

「・・・ということは、笑子はさらわれる時のことを覚えているのかい?」

「当たり前でしょ。あんな狭い部屋に4〜5人が、どかどかやってくるのよ。私が気配に気づいて身を起こそうとしたら、もうあいつらボックスをこっちに向けてるのよね。そこでプツン!私が次に気づくとあの気味悪い壁の中よ」

「その時、僕をどうして起こさないんだよ」

「必死に叫ぶわよ!玉ちゃん、玉ちゃんって呼ぶわ。だけど玉ちゃんは、その時には

眠らされているのよね」

「そうか・・・ごめんよ。気づかなくて」

「いいのよ。きっと、それもあいつらの仕業なのよね。でも不思議なのは、どうして私たちをさらうのかってことよ。双子ってことが珍しいのかな」

「あいつら、みんなそっくりだぞ。双子どころか、百子ってのがいそうだよ」

 今まで笑子はひっくひっくと泣きじゃっくりしていたが、そこで初めて笑子は笑顔を見せて、ぷっと笑った。

「ひゃくご・・・ね。そうかもね。あははは・・・」

 玉丸は、いつもは気になる笑子の高らかな笑い声も、今は心なごむのを感じた。


第四章 第七話 「嘘」

自分にすっかり正直になるのは、良い鍛錬になる。

フロイト

「紺ちゃんは来てくれないのかしら?」

 笑子は紺万太のことを紺ちゃん、と呼ぶ。

「どうしてだよ?万太の名前がどうして出てくるんだ?」

 霞玉丸は、笑子がいきなり万太の話題を出したのが不思議だった。

「あら、玉ちゃん。私が知らないとでも思ってるの!超能力よ。紺ちゃんの超能力を使えば、こんな壁あっと言う間じゃない!私の体をいじりまくったあの銀色のバカたちを、けちょんけちょんにしてくれるわ」

「あ・・・あいつの超能力はスプーンを曲げる程度だぜ?それにあいつがどうしてこんな所に来るんだよ」

 玉丸がおそるおそるそう言うと、笑子は笑い出した。

「あははは・・・いやだ、玉ちゃんたら。隠さなくったっていいじゃない。テレビ番組に出てる紺ちゃんが見せてる超能力は、私もう嘘だって知ってるもんね。昨日の夜は紺ちゃんの超能力で、あいつらをやっつけたんでしょ?びっくりしたわ。わあ、すごい!紺万太は本当に超能力者だったんだ!ってね」

「何だ・・・知ってたのか」

「思い出したのよ。・・・じゃなきゃ、玉ちゃん一人で脱出できたわけないもんね」

「ちぇっ・・・言ってくれるなあ」

「玉ちゃんはいつから知ってたの?」

「そう言われてみれば、いつからだったかな。でも昔からあいつは、自分が超能力を使えるってことを他人に知られたくなかったんだ。・・・というよりもそれは、万太の両親かな。万太は超能力を人に使いたくて、うずうずしているふしがあるけど、両親がそれを禁止してるらしいんだ。あの時は笑子が気絶してたから、思う存分能力を発揮してたんだよ」

「私は起きてたわよ。ただ恐くて、目をつぶってたの。動けなかったのよ」

「じゃあ、「船」からどうやって脱出したか覚えてるかい?」

「それ以降は気絶しちゃったのよね」

「この部屋は昨日の「船」の中なのかな?」

 もしそうならば、この船の壁のどこかには万太が埋め込んだ銀色たちの死体があるはずだ。玉丸はその考えにぞっとした。

「違うと思うわ。・・・ただ何となくだけど、これは別の船だって気がするわ。匂いが違うもの。昨日はほこりのすえた匂いがしたけど、今日はそれほどじゃないもんね。私たちが自動車を何台も持っているように、あいつらも何台も船を持っているんだわ。それに自動車の中をちゃんと掃除する人と、しない人がいるでしょ?こんな船も、持ち主の個性で匂いも変わるんだわ」

「あいつらはみんな同じ顔をしているように見えるけど、実はちゃんと個性があるのかな?」

「どうかしら?私は違うと思うわ。あいつらには特徴といったものは限られてるし、これも何となくなんだけど・・・銀色たちが、いつも群れてやって来るのは、全員でひとつのことをやろうとしているんじゃなくて・・・誰か偉い奴、例えば会社の上司みたいなやつに命令されてやっているんだと思うの」

「つまり、いつも4〜5人で群れて来る連中は、誰かの糸で操られている操り人形みたいなものなのか。ロボットみたいだな。だからみんな同じ顔なのかな?」

「いい表現だわ。操り人形ね。そうよ、きっとそうだわ!あいつらいつもフラフラやって来てボックスを向けるだけだもんね。単純作業だわ」

「・・・だとすると当然、銀色たちを操っている上司がどこかにいるはずだぞ」

「私は見たことないわ。この船にいるのかしら?きっと少人数だと思うわ」

「それも「・・・何となく」かい?」

「違うわよ。銀色たちの動きが・・・さっき玉ちゃんが「百子」って言ったけど、動き方がみんな単純で、そっくりだからよ。それはきっと銀色たちを操る人間が少ないからだわ。大人数で命令を出していれば、さっきの自動車の例のようにその動きにも個性が出るはずだもん」

「なるほどね。だけど、そいつは僕たちの前に姿を現さないんだろうか?どうして僕たちにこんなことをするのか聞いてみたいもんだよ」

「全くだわ。だけど玉ちゃんは感じなかった?あいつらが私たちを扱う態度。まるでモルモットか何かを扱うみたいに・・・」

「それはうすうす感じてたよ。あいつら僕がいくら叫んでも、ぴくりとも反応しないんだ。完全に無視してるっていうか・・・見下されているような思いがしたよ」

「ここには他の人はいないのかな?」

「僕は見たことない」

「でもあいつらの私たちを扱う手際、初めてとは思えないわ。きっと・・・待って、玉ちゃん・・・あっ!」

 その時突然、壁が開いて銀色たちが玉丸のいる部屋へ乗り込んで来た。

第四章終わり 第五章につづく


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