感染症新法 論壇

けんりほうnews記事の中から感染症新法に関する記事をまとめてみました。

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目  次

「感染症新法」について
「感染症新法」補論
らい予防法への反省は何だったのか-新感染症予防法の問題点
感染症新法成立に対する東京HIV原告団・弁護団の声明

「感染症新法」について

東京HIV弁護団 安東 宏三

、去る四月三〇日、参議院本会議は、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律案」(いわゆる感染症新法)を賛成多数によって可決し、衆議院へ送付した。参議院国民福祉委員会においては、ごく一部の修正がなされ、また一三項目にわたる付帯決議が付けられたが、同法案のもつ問題性は依然改められてはいない。この法案の問題点は何か。それは、感染症分野における人権とは何か、という基本的間題の理解に関わる。

、WHOは、本年五月一一日から開催中の保健総会(ジュネーブ)において、向こう数十年問のWHOの基本戦略である「二一世紀のHealth For All」(HFA)を採択する。今回のHFAの中心的テーマは「健康と人権」であり、その最も重要なキーメッセージは「人権はコミュニティの利益と対立しない。相補的なものである。」という点にある。そして、WHOにおいては、ここにいう人権の内容として、@差別されない権利、A適正手続の保障、Gプライバシーの権利、Cメディカルサービスや情報、公衆衛生上のインフラ等にアクセスする権利、の四点が含まれるとの共通理解がある。日本では、感染症分野における人権問題といえば、強制隔離等の公権力行使においてどのように適正手続(憲法三一条)を保障するか、という議論のみに矮小化されがちであり、しばしば人権と公衆衛生がゼロ・サム的に捉えられる。しかし、本来感染症法制が対象とすべき人権はより広汎なものであり、国際的には、このような人権規範を感染症法制に統合しようという努力が各国で進められているのである。

、このような視点を欠く感染症政策が行われるとどうなるか。その好個の例は「エイズ予防法」(一九八八年)を頂点とする、わずか一〇年前のわが国のエイズ政策に求められる。まず、当時、HIV感染者に対して、国が責任をもって最善の医療を提供ないしは保障する、という政策的努力が払われることは全くなかった。このためHIV感染者は、まともな医療を受けることすらかなわないまま、あっという問にエイズを発症し、次々と無念の死を遂げていった。また、当時、実効的な差別禁止が政策的に位置付けられることもなかった。当時のHIV感染者、とりわけ血友病患者たちは、いわゆるエイズパニックを背景に、就学差別、就職差別、いじめ、差別的診療、さらには診療拒否に至るまで、ありとあらゆる凄まじい人権侵害を受けた。にもかかわらず、国は、このような差別を実効的に禁止する政策をとらなかった。当時行われたいわゆる「エイズ撲滅キャンペーン」は、教育啓蒙といいつつ、実際は、未感染者に対してエイズの恐怖を喧伝する手法で展開されたものであり、かえって差別を助長しさえした。いうまでもなく、エイズ予防法には医療を受ける権利の保障も差別の実効的禁止も規定されていない。
 実は、一九八八年当時既に人類が獲得していたエイズに関する正しい科学的知見(既にウイルスも同定され、感染ルート、感染力等も明らかであり、一定の効果ある治療方法もあった)に照らせぱ、HIV感染被害者を監視下におくことで蔓延防止を図ろうとする「エイズ予防法」の思想は、明らかに不適当であった。殊に、当時わが国におけるHIV感染者の圧倒的大多数は血液製剤由来の薬害被害者であったという実情に鑑みれば、その不当性は尚更明らかであった。しかし、当時、そのような特性に対応したHIV対策は全く考慮されなかった。かえって、国は、「エイズは極めて危険な死病だから、政策としては未感染者への感染防止しかない」という、当時の医学的知見からしても根本的に誤った考え方に基づき、エイズにレッテルを貼り、公衆にエイズに対する恐怖心を植え付けるという、誤った政策手法により、感染拡大防止を企図したのである。このために凄まじいプライバシー侵害が横行した。いわゆるエイズパニックの発生も、多くはここに負う。これは、僅か一〇年前の話である。

、このような観点から見たとき、今回の日本の感染症法案には極めて問題が多い。紙面の都合で詳論はできないが、まず、感染症患者が最善の医療を受ける権利の内実が全く規定されていない(正確にいえば、医療を受ける権利の具体的保障はなく、医療体制については全て今後厚生大臣が定める「基本指針」に先送りされ、単なる予算措置の問題としてしか位置付けられていない)。患者の自己決定権を尊重した、インフォームドコンセントに依拠した医療という位置づけもされていない。また、差別禁止については法案のどこにも文言すらない。勿論、適正手続保障の観点からも重大な問題がある。本法案が「新感染症」・「指定感染症」という、要件の極めて不明確かつ不適切なカテゴリー(医学的カテゴリーではない)による人権制約を認めていること、入院手続の不適切性、救済申立制度の不十分さ、補償制度の欠如、都道府県知事を手続主体としていること(人権制約が各県毎に区々となりかねない)など、極めて問題ある規定を多々含んでいる。今回の法案は、ある論者の言う如く、「理念において予防優先であり、細目に至っては予防のみである」といわざるを得ない内容となっている。エイズ予防法の教訓は全く生かされていないのである。

、我々は、予防法の教訓に基づき立法作業に対して発言の機会を求め続け、ようやく、公衆衛生審議会伝染病予防部会基本問題検討小委員会における意見聴取(昨年一〇月一六日)、及び参議院国民福祉委員会における参考人招致(本年四月二一目)の場で、法案の全面的・抜本的見直しを訴えたが、容れられるところとはならなかった。感染症法制については、エイズ予防法の反省のうえに立ちその教訓を生かして、「一〇〇年ぶりの大改正」の名に恥じない、また国際的な議論の水準にも応えた、二一世紀に向けての新法をつくる努力をすべきである。そのためにも、衆議院では徹底した慎重審議が望まれる。

、なお、前号のけんりほうニュースの谷田憲俊氏の指摘によれば、感染症分類についても医学的に見て問題があるとのことである。我々は医学的論点についてはコメントできる立場にはないが、法案が誤った医学的知見に基づいて構成されているとすれば、ここでも過ちは繰り返されていることになる。我々は人権の視点から発言を続けるが、医学の立場からも是非とも活発な議論を望みたい。(なおWHOは、来年五月の総会で採択予定の新しい国際保健規則(IHR)において、疾病名に対応した現行の監視システムから症候群に対応した新しい監視システムへ歴史的転換をするといわれているが、そのような議論が公衆衛生審議会で紹介されることも一度としてなかったことを付言しておく。

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「感染症新法」問題追補

兵庫医科大学第四内科  谷田 憲俊

月号に「感染症新法」の問題点を指摘した。その投稿以来、「感染症新法案」が手に入った。また、東京HIV弁護団の野間氏が朝日新聞の論壇に意見を掲載した。野間氏は、公衆衛生審議会伝染病予防部会基本問題検討小委員会の「新しい時代の感染症対策について(以下、新感染症対策)」を高く評価する一方、上程された「感染症新法案」が悪いとしている。前回、私はその「新感染症対策」に問題が多いとした。
 けんりほうニュースの読者は混乱するかもしれない。そこで誤解のないように、ここに私の意見を明らかにするため追補したい。なお、「新感染症対策」には、前回に私が指摘した以外の問題もある。厚生省には大略を送ってあるが、ここでは割愛し隔離問題に絞る。
 私は、危険な感染症の場合、隔離・強制入院もやむを得ないと思っている。患者個人の人権も大切だが、周りの人権が侵害されてはならないと思うからである。しかし、「『新感染症対策』には隔離する必要のない感染症を隔離する」と、問題を医学的見地から提起した。例えば、「コレラは隔離すべき」かどうかである。私の意見は前月号にあるよう「隔離の必要はない」である。「新感染症対策」を策定した高名な方々は「隔離すべき」である。
 問題は明らかになったと思う。私の見解が正しいか、高名な方々が正しいかである。
 厚生省はもちろん、朝日新聞や東京HIV弁護団の野間氏は高名な方々が正しいと思っている。けんりほうニュースの読者には医師もいる。そこで、昨年六月の「新感染症対策」中間報告を紹介するので、判断材料としていただきたい。そこでは、狂犬病をコレラと、Bウイルス感染症をペストと同列としていた。(さすがに、これらは「新感染症対策」では訂正された。)
 私は、感染症の成り立ちに立脚した施策こそ「感染症新法」としてふさわしいと思う。それがひいては、人権にも配慮する結果になる。「新感染症対策」に問題があるので、「感染症新法(案)」にも問題が生じてしまう。基本に誤りがあると、派生する施策に問題が生じるのは当然である。
 難しいことは医者たちでやってくれと言われるかもしれない。どうも、それが現問題に対するマスコミの姿勢でもある。しかし、その結果はどうだったか考えてみる必要がある。「らい予防法」で犯した過ちを繰り返してはならないと思う。

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「らい予防法」への反省は何だったのか?
     -いわれなき隔離を強制される「感染症新法」の問題-

 (兵庫医科大学第四内科)西宮市 谷田 憲俊

の必要性が叫ばれて久しい伝染病予防法改正が具体化している。昨年十二月には、公衆衛生審議会伝染病予防部会基本問題検討小委員会の「新しい時代の感染症対策について(以下、新感染症対策)」が公表された。法案として国会に提出され、来年には施行されそうだという。
 「新感染症対策」の基本的方向・視点には、個々の国民に対する感染症の予防・治療に重点をおいた対策、患者・感染者の人権の尊重、感染症類型の再整理、感染症の発生・拡大を阻止するための危機管理の観点に立った迅速・的確な対応、および上記の方向・視点を実現するための法体系の整備の五点が挙げられている。現行伝染病予防法ができた当初の百年前、サーベルで患者を避病院に駆り立て死を迎えさせたのと比較すれば大きな進歩といえる。
しかし、その「新感染症対策」の内容には驚かされる。「対応の必要な感染症の分類」で、「状況に応じて、入院勧告または命令に基づく感染症指定病棟(床)への入院を求める」三号感染症として、「コレラ、細菌性赤痢、腸チフス、パラチフス、ポリオ、ジフテリア」が区分されている。ここで採用している「入院勧告・命令」は、人権に配慮するとはいえ、記されている内容は実質的な強制隔離入院である。患者本人だけの問題ならば隔離は必要ない。すなわち、入院勧告・命令は、他者を害する可能性があるために生じる。そこでこれらの三号感染症についてみる。

レラには脱水治療の目的以外に入院の必要性はない。人から人へは感染しないので隔離の必要もない。重篤になる細菌性赤痢は特定の菌種だけである。現在日本に流行している菌種には入院や隔離は必要ない。腸チフスやパラチフスも、通常は一般病棟で十分対応可能である。ポリオを発症するのは、感染者の1%以下である。患者発現時には感受性ある接触者は既に感染しているので、隔離の効果は疑問である。ジフテリアも初期は隔離が有効だが、抗生物質投与で感染性は急速に失われる。すなわち、これらの感染症に隔離の必要はわずかか認められない。百年前ならいざ知らず、感染症の成り立ちが理解された今日では、適切な対応策を講じれば隔離に頼る必要はない。
 隔離が蔓延防止に有効な感染症も、接触者対策を十分に行えば隔離の必要性は少なくなる。逆に、接触者対策を怠れば、隔離入院策に頼らざるえない。隔離入院用病床を多数設置するのと、元来必要で感染防止に有効な接触者対策を充実するのと、医学的にも医療経済の面からもどちらが適切か明らかと思う。接触者対策には院内感染対策が求められるので、院内感染防止の副次的効果もある。感染症の成り立ちに立脚した施策は、それ自体が人権にも配慮する結果になる。そうした施策から感染症への理解も深まり、医療レベルの向上も望める。

念ながら、今の動きはそうなってはいない。このままでは、戦後になってもいわれのない隔離と断種が続行された「らい予防法」で繰り返された過ちが繰り返されそうである。人権擁護の立場からHIV感染者も討議に参加したとのことだが、果たしてどれだけ感染症を理解して討議に参画したのだろうか。感染症に対する恐怖を煽って、患者差別を再び繰り返そうとしている。「らい予防法」への反省は何だったのだろう。 HIV患者が差別された教訓は何だったのだろう。何とか「感染症新法」をまともな姿に変えなければならないと思う。今まで私は厚生省をはじめとしてメディアにも申し入れしてきたが、全く反応はない。残念ながら、感染症は社会にとっていつまでも鬼門のようだ。

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