判 決 紹 介

エホバの証人輸血拒否事件(1998.2.9判決)

 1998年2月9日、東京高等裁判所は、輸血は受けないことを明示して手術を受けたエホバの証人の信者が、輸血されたことにより精神的苦痛を受けたとして医療機関に損害賠償を求めた事件について、医療機関側に五五万円の慰謝料の支払いを命じる判決を言い渡しました。
 この判決は患者の自己決定権を認めてきた従来の判例に沿っているものですが、医師の裁量権より患者の自己決定権が優ることを明確に述べている点が注目されます。そこで、患者さんの代理人として訴訟を担当された当会の赤松岳弁護士から判決書の写しをいただき、ここにご紹介することにしました。

【事案の概要】

 原告の女性(当時六三歳)は、悪性の肝臓血管腫で手術が必要だとの診断を受けていました。エホバの証人の教えにしたがい輸血を拒否している彼女は、無輸血手術できる医療機関としてT研究所を紹介され、主治医に自分の意思を告げ、希望が叶えられるものと信じて入院しました。入院中にも絶対に輸血を受けたくないという気持ちを主治医に何度も伝えていました。
 ところが、T研究所では「相対的無輸血」(できる限り輸血をしない方針だが、輸血以外に救命手段がない事態になった場合には輸血する)という立場をとっており、術前の検討会でも術中の出血に備えて予め血液を用意しておくことを確認していました。
 しかし、主治医らはこのような具体的な輸血の可能性について、術前には説明しませんでした。「原告の生命を守るためには、本件手術をやらざるを得ないと考えていたので、本件手術について輸血がどの程度必要であるのか輸血をしなければどうなるかについては、それを説明すれば原告は手術を拒否すると考えて、あえて説明をしなかった」のです(地裁判決)。
 さて、彼女は希望通り無輸血手術がなされるものと信じて、手術室に入りました。しかし、手術による出血の状況から医師らは輸血が必要と判断して、本人にも家族にも相談することなく1200Nの血液を輸血しました。
 術後、医師らは彼女の「ためにならないと考えて」輸血の事実を告げませんでした。ところが、週刊誌の記者が輸血の事実を聞きつけて取材に入るなどしたため、約二ヶ月後に本人に輸血したことを告げました。
 そこで、彼女は、1.手術中いかなる事態になっても輸血をしないという約束に違反して輸血した、2.輸血しないかのように振る舞って手術を受けさせたのに輸血をしたことによって自己決定権及び信仰上の良心が侵害された、として、T研究所と医師らを相手に損害賠償を求める裁判を起こしました。

【一審判決】

 一審の東京地裁は、1.について、輸血以外に救命方法がない事態が生ずる可能性のある手術をする場合に、いかなる事態になっても輸血をしないとの特約を合意することは、公序良俗に違反し、無効であるとしました。したがって、この約束に違反しても責任は生じないというのです。
 また2.の輸血の可能性について説明しなかった点については、(この判決の論理は非常にわかりにくいのですが)どんな場合も輸血しないかどうかまでの説明の必要はなく、医師には一般的な救命義務があるなどの理由で違法性はないと判断して、女性の訴えを退けました。

【今回の判決】

 高裁は一審と異なり、「人が信念に基づいて生命を賭しても守るべき価値を認め、その信念に従って行動すること(中略)は、それが他者の権利や公共の利益ないし秩序を侵害しない限り、違法となるものではな」いから、絶対的無輸血の合意も有効に成立しうるとしました。しかし、本件では合意の成立が認められないと判断してこの部分は原告の主張を認めませんでした。
 しかし、一般的に手術には患者の同意が必要である、「この同意は、各個人が有する自己の人生のあり方(ライフスタイル)は自らが決定することができるという自己決定権に由来する」ものであるから、患者が絶対的無輸血に固執していることを認識していた以上、主治医らはT研究所が相対的無輸血の方針をとっていること、それは女性の希望と異なること、その上でなお入院治療を継続して手術を受けるかどうか選択する機会を与えるべきであったとしました。
 T研究所側は救命のため輸血が必要だったから今回の輸血については違法性が阻却されると主張しましたが、裁判所は、本件では救命ないし延命が至上命題ではなく患者の自己決定権が優先されるべきであると判断して、この弁明を退けました。

【感想など】

 輸血について、手術そのものとは別に説明とこれに基づく同意が必要であることは、すでに確立された認識になっているはずではないでしょうか? したがって、輸血を明確に拒否している患者に対し、輸血の可能性についてきちんと説明せずに手術を受けさせることは、それだけで説明義務に違反し、患者の自己決定権を侵害していると評価すべきですから、高裁判決はきわめて当たり前のことを確認したにすぎないと思います。
 しかし、その「当たり前」を公然と明らかにすることはむずかしいものです。医師の説明義務やカルテの開示など、国際的な潮流からも「あきらか」で「当たり前」な考え方を実際にこの国の医療において実現しようとする私たちの試みがぶちあたっている壁を思うとき、今回のように患者の自己決定権やインフォームド・コンセントという言葉が繰り返し登場する判決を積み重ねていくことも、とても大切だと、改めて思いました。

(文責 久保井摂)