池永満のエセックス便り番外編

 
    イギリスにおける患者の権利の法制度化の現状と課題

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国では、古くから裁判所の判決などで確立されてきた規範(コモン・ロウCommon Law、判例法)が基本的かつ重要な法体系をなし、国会で制定された法律とともに法律的効力をもっており、むしろ、その数の方が圧倒的に多いので、法律的に確立した権利であっても成文法の規定がないことは珍しいことではない。(例えば、刑事裁判における審理の基準になる刑法ですら統一的な刑法典は存在しないー数年前にその法案が提示されているが、制定には至っていない。)従って、法律の教科書もまず判例法を主たる法源として、つまり先例となっている個別の事件 Court Casesの判決を紹介することから始まるのが常である。
 もちろん、今日では民事刑事を問わず、あらゆる分野において国会や行政当局により多くの法令が制定されているが(成文法 Statutes Law)、それらの多くは、Common Lawで確立された基本的な規範や権利義務関係を前提としながら一定の条件のもとに、それを例外的に制約する規定を定めたり、或いは、もっぱら特殊な個別的分野における基範を創設したり、組織行政上の手続きや役割分担を定める規定が大部分であるように思われる。
 医療分野でも全く同じ状況にある。従って以下、患者の権利、とりわけインフォームド・コンセントと、それを実効的に担保する上で不可欠なセカンド・オピニオンを得る権利や医療記録に対するアクセス権、或いは権利擁護システムなどが、成文法に明記されているかどうかではなく判例法も含めて法律的にどのように確立されているか、さらに「患者の権利の促進に関するWHOヨーロッパ会議の宣言」(1994年3月、以下単に「WHO宣言」という)との比較で残されていると思われる課題は何かなどについて簡単に紹介したいと思う。

 

(1)自己決定権


     全ての医療行為に対する自己決定権は、最高裁判決を含む多くの判例により、すなわちCommon Lawにより確立されており、これに反する治療や検査は、Trespass(違法)、Assault又はBattery(暴行)、 或いはNegligence(過失)などとして、その法律的責任が問われる。
     イギリスにおいて国民医療を提供しているナショナル・ヘルス・サービス(National Health Services-NHS)における公的な住民代表組織でもある地域医療評議会(Community Health Council-CHC)の全国連合会(ACHCsEW)が発行した「Patients'Rights(患者の権利)」と題するリーフレットは、この点について「If you are examined and treated without your consent it can be a form of assault (もしあなたの同意なしに検査や治療がなされた場合には、それは理論上暴行罪を形成する)」と簡潔に述べている。
     そのため、NHSのガイドラインは、特に「相当なリスクや合併症を伴う可能性のある治療措置(例えば全身麻酔、外科手術、特定の薬物や放射線を利用する療法など)を行う場合には、十分な情報を提供した上で、文書による同意をとる」よう医師らに勧告している。
     自己決定権には、当然治療拒否権も含まれる。患者が日常的に求められる同意(自己決定)の項目などについても、「Patients' Rights」の「Agreeing to treatment(治療への同意)」の項に列記されているほか、同じくACHCsEWが発行して広く市民に配布されている他の文書には自己決定権が法律の規定などにより制約される主要なケースについても各論的な説明がなされている。なお、臨床試験など医学研究に関するものは制定法令を含めて沢山の規定があり、厚生省(Department of Health)によるガイドラインも出されている。
     またNHSが制定発行している「患者憲章(Patient's Charter)」は、患者が自己決定権を有することを前提にして、その自己決定がインフォームド・コンセント(Imformed Consent)として有効になるよう「情報に対する権利」を詳細に提示しているが(その内容は次項以下で紹介する)、あわせて自己決定の範囲として、「医学的な調査や医学生の研修にかかわることを望むか否かを選択する権利」があることなども明記している。
     ところで、患者が子供の場合の自己決定権の行使については、判例法のほかに子供の権利条約と整合性を持つものとして立法された「 The Children Act 1989」による定めがあり、16歳以上の場合は、無条件に子供自身が、16歳未満の場合でも、その治療行為の効果や危険性などについて理解できると医師が判断した場合には、やはり子供自身がこれを行使することとされ、親も子供の決定に干渉することはできない。
     なお患者自身が自己決定権を行使することが困難な場合の手続きについては、緊急医療や精神医療など必要な分野毎に多くの法令が準備されており、逆にいえば、これらの法律にもとづかない限りは自己決定権の制約が出来ないことを意味している。

(2)説明および報告を受ける権利


     前記のごとく、患者が法律上、自己決定権を有することは、イギリスにおいては半ば常識的なものであるが、その前提となる説明或いは報告を受ける権利もCommon Lawとして確立している。
     NHSのPatient's Charterが「情報に対する権利」を提示していることは前述したが、その第一項で「患者は同意する前に、提案された治療、その治療に伴う危険、他の代替手段などについて、明確な説明を受ける権利を有する」としているのは、治療行為への自己決定のための説明を受ける権利を示すものである。
     しかし患者が説明や報告を受ける情報の範囲はこれにとどまらない。後述する医療記録に対するアクセス権のほか、Patients' Charterでは、「NHSに対する苦情が、関係部門の責任者か事務長から迅速かつ十分に調査され文書による報告を受ける権利」や、「地域におけるヘルスサービスにかかわる詳細な情報を受ける権利(その中には期待しうる水準、いわゆる待ち時間(Waiting list)の状況、或いは地域のGP<General Practitioner、イギリスの地域医療を担っている開業医>に関する情報などを含む)」などアクセス可能な医療サービス(苦情処理を含む)の内容が広範囲に提供されるようになっている。
     なお、患者に対する情報提供においては、判例法上「治療上の例外」(therapeutic exception) が認められており、具体的には専門的な立場から、その情報が患者に危害を加えると考えられる場合には、その危害情報(harmful information) は提供されない(withholding of information)。危害の恐れに関する第1次的な判断権は専門家自身に委ねられている。
     しかし、自己決定権に関する判例法の前進と相まって、その範囲は相当狭められてきている。なおこの問題は医療記録に対するアクセス権においても同様であるので後述する。

(3)セカンド・オピニオンを得る権利


     一定の条件つきである(つまり絶対的なものではない)が、認められている。ACHCsEWの文書における表現を借りれば「医師は、患者の診断に自信がないときには、自ら常にセカンドオピニオンを求めなければならない。」「患者が要求し、医師がその必要性を認めた場合には、まず患者が受け入れるコンサルタントが紹介され、その後、更に患者も医師もそれが望ましいと考える場合には、患者にはセカンドオピニオンを求める権利がある。」とされている。
     しかし、NHSの下で働く医師らの登録と懲戒権限を一手に有しているGeneral Medical Council (GMC) のガイドラインは、医療の専門化などが進行しているなかで、「GPは、仮にそれが必要だとは思えない場合であっても、専門家の意見を求めたいという患者の希望がある場合には注意深く考慮しなければならない。」としており、GMCが広く医師らに配布している「Good medical practice(適切な医療)」では、「respect the right of patients to a second opinion(患者のセカンドオピニオンを求める権利を尊重すること)」と単純に記述している。
     加えてGMCは、GMCに登録したDoctorの義務として、「全ての患者を、丁寧に、かつ思慮深く取り扱うこと」「患者の尊厳やプライバシイを尊重すること」「患者の訴えに耳を傾け、その考えを尊重すること」などを掲げており、これらに反すれば懲戒の対象とされる。
     こうしたGMCの態度もあり、イギリス医師会 (British Medical Association - BMA) の医師への倫理に関する勧告(Ethical advice)でも「GPは、患者による合理的なセカンドオピニオンの要求については、常に(それが不本意であっても)黙認すべきである」とされており、一定の理由をつけて患者が要求した場合は、GPは事実上常に同意せざるを得ない扱いになっているものと思われるが、患者がどの程度その権利を行使しているのかに関するデータは得られていない。

(4)医療記録の閲覧謄写権


     患者は自己の医療記録にアクセスし、そのコピーを請求できるが、この権利は「Access to Health Records Act(医療記録に対するアクセス法) 1990」 により立法的に確立されたもので、1991年11月1日以降に作成された全ての医療記録に適用されている。
     なお、それ以前も、コンピュータに入力され保存されていたデータについては「The Data Protection Act 1984」によりアクセス可能であったが、カルテなどはほとんどコンピュータ化されておらず、医療記録に対するアクセスという点ではあまり意味を有していなかったので、この分野の基本法としては「Access to Health Records Act 1990」のみを上げるのが実情に即しているものと思われる。(なお、裁判所も患者の医療記録に対するアクセス権はこの立法により確立されたものであるという理由で、1991年11月1日より前の医療記録の開示請求をした訴えを退ける判決を出している)。
     ところで、この法律では、個人情報開示制度に不可欠の要素とされている患者の訂正請求権に関しても規定するとともに、「その情報が患者の身体的、或いは精神的健康に深刻な危害を与えるだろう(information likely to cause serious harm to the physycal or mental health of the patient)と記録保管者(GPの診療所では、そのDoctorが保管者となる)が考えた場合」(いわゆる危害情報の問題)や、第3者に関する事項などは開示されないなど一定の例外規定も定められており、不服がある場合は提訴できることも規定されている。
     ところで、前述したようにイギリスにおける医療は原則としてNHSの下で実施されており、NHSは医療記録に対する患者の開示請求に対する具体的な手続きについては、法制定当初から詳細なガイドラインを出しているが、特に今回の苦情処理手続改革(1996年4月1日から施行)により、医療記録の非開示に対し不満がある患者らは、提訴をすることなく、苦情処理手続きに基づく苦情として今回の改革で新たに設けられた独立審査機関(Independent Review Panel)に対し、非開示決定の再検討を求めることが出来るようになった。
     これに加えて「危害情報」の取扱に関して、イギリスも加盟国としてその審議に加わったWHO宣言は「情報は、その提供による明らかな積極的効果が何ら期待できず、その情報が患者に深刻な危害をもたらすと信ずるに足る合理的な理由があるときのみ、例外的に、患者に提供しないことが許される」(宣言2ー3)とし例外的取扱いを更に限定する立場をとっており、非開示決定に対する患者の苦情処理においてNHSの実際の運用がどのように推移するのか注目すべきところであろう。
     なお、イギリスには、医療記録に対するアクセス権とは別個に、医師が患者の健康状態などに関して作成した患者の雇用主や保険会社などへの報告書に対する事前閲覧、或いは訂正申立権などを定めた法律「Access to Medical Report Act 1988」もある。

(5)患者の権利擁護システム


     患者の権利の法制化にあたっては、単に患者の権利を謳うのみならず、患者が実際にその権利を行使しうるように擁護するシステムを同時に確立することが不可欠であり、WHO宣言でも司法手続き以外の独立した苦情処理システムの設立の必要性が強調されている。
     この点に関しイギリスでは、90年代初頭からの議論を経て、患者の苦情処理と医師らの懲戒手続きの両面における改革がなされ、1996年4月より新たな手続きが実施に移されている。
     その第一は、医療現場ないし医療提供側における第一次的な苦情処理を迅速化し(Local Resolution)、かつ、それに連続する段階として必要な場合は専門家外のメンバー(layman)を含むパネル(Independent Review Panel)による審査手続きを導入したこと
     第二は、医療提供サイドでの手続きに満足しない患者の苦情を、独立の立場から調査するオンブズマン( Health Service Ombudsman)の権限を拡大し、従前は対象としていなかった医療行為の専門性にかかわる事項(たとえば医療過誤に関する苦情など)も含むこととし、それに対する調査を尽くせるよう組織や機能を強化したこと
     第三は、GMCによる懲戒手続きを強化したこと(なお深刻な事案における懲戒手続きでは、その最終段階において刑事手続き類似の公開審査がなされる)等をあげることが出来る。
     但し、損害賠償金の請求に関しては、依然として訴訟事項、つまり裁判所の専属とされ、今回の改革の対象とはされていない。これは患者の苦情を、第一義的に医療と医療システム改善のために生かすという考え方に基づいているものと思われる。
     なお今回の改革の目標としては、苦情処理の迅速化や手続きの単純化など10に近いキーワードが掲げられているが、この改革のために、7本もの改正規則(Amendment Regulations)と3本の指示(Directions)が出されており、それらを補足するNHSのガイドラインも詳細を極めており、果たして単純化に成功しているのかどうか、私にはわからない。

    (19 January 1997記)

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