このページでは,ロボット制御工学に携わる一研究者の視点から,メディアに溢れる科学の話題を読み解くためのヒントを,ロボットあるいは科学に専門的に携わっていない方々を対象に解説しています.ここでは,私の哲学に則って,忌憚のない論理的(客観的)考察を述べることを方針としています.しかし,私の浅学から,解釈に錯誤があるかもしれません.読者諸賢の御指摘をお待ち致します.
ロボット工学の分野にも,半ば都市伝説化している「定説」のような言説があります.これらについて,雑駁な私見ながら,論理を展開していきます.
uploaded at 2008.12.10 (wed) 16:04
そんな時代は我々が生きている間は来ないだろう,というのが私のロボット工学研究者としての結論である.その論拠については,月刊機能材料「人と機械の相乗効果を規範とする次世代ロボット再定義の試み」に詳述してあるので参照されたい.ここでは,最も重要なポイントだけ述べることにしよう.
ヒューマノイドの実用化が進まないことを受けてか,二足歩行ロボットに対する批判が散見される.曰く「必ずしもロボットが二足歩行しなくてもよいのではないか?」と.私も同意する.しかし,行き過ぎて「二足歩行ロボットは役に立たない」となるとそれは違う.力学的特性において,二足歩行には二足歩行の利点がある(もちろん,車輪や無限軌道,多足歩行にもそれぞれの利点がある).
ヒューマノイドを筆頭に,いわゆる「次世代ロボット」全体の実用化が進んでいないのだ.その原因について私は,「人間型」や「二足歩行」を目指すから困難なのではなく,「自律」を目指すから困難なのだ,と考えている.確かにこれまでの産業用ロボットは,自動化によって生産性の飛躍的な向上を成し遂げた.しかし,一見似ているように思える「自動」から「自律」への移行に際して越えなければならない技術的な壁は,とんでもなく高い.
「自律」については,性急に実用化にリンクさせず(過剰な期待をしたり,過剰な研究費を投入せず),地道に基礎研究を継続することが望ましい.一方,実用化を目指す「次世代ロボット」としては,別のポイントにフォーカスすべきである.それは,我々の主張する「マンマシンシナジー」,すなわち,人間と機械の相乗効果,であると考えている.
工学研究者として,ひとこと言っておきたい科学一般の話題について,例に依って雑駁な私見ながら,論理を展開していきます.
uploaded at 2008.12.05 (fri) 15:42
last revised at 2009.08.21 (fri) 18:02
私は researcher ですが,どちらかといえば scientist ではなく engineer です.しかし,科学に携わる一人として,ニセ科学の氾濫には危機感を覚えます.古今東西,如何に人がニセ科学に騙されてきたかについては,私が拙い文章で論じるより,後述の参考文献に任せるべきでしょう.是非読んでみて下さい.
少なくとも,私が関係する学生諸君には,科学実験の体をなしていない実験に大げさに感心する芸能人のようにはなって欲しくありません.そのための唯一の方法は「確かな知識にもとづいて,自分の頭で必死に考えること」です.
まずは現在の科学についてきちんと勉強すること.知識はいい加減なくせに議論は好き,という人もいますが,それにつき合うほど暇ではありません.「下手の考え休むに似たり」とはよく言ったものです.学生諸君に向けて言うなら,「真摯な姿勢でとにかく勉強しろ.でも,今の理想,今の感覚(特に違和感)は大事に取っておけ」です.
また,知識の量だけ蓄えても,硬直化した知識を杓子定規に振りかざすだけでは折角の知識が活きません.知識を単に,ひからびて凝り固まった過去の結果,とするのはあまりにも皮相な観点です.先人が,その知識を得るために重ねてきた論理的思考過程を追えば,先人の「人間らしい想い」が活き活きと追体験できます.先人の結果だけではなく思考過程に学ぶことによって,正に今,我々が抱える課題を解決するための論理的思考を正しく行なうことができる,と私は考えています.
学生諸君,学ぶこととは,知識の断片を覚えること,だと思っていませんか? 諸君にとっての学びが「パサパサに乾燥した」結果の丸暗記ではなく,先人の思考過程を追い,論理的思考とはこういうことか!と,感動を以て理解すること,であってほしいと思っています.
下記リンクで議論されているような「波動」「マイナスイオン」などもすべて何処かで誰かが言った「知識の断片」に過ぎません.論理的思考なしに知識の断片を受け入れることは危険なのです.「大学教授が主張するのだから正しいだろう」「マスコミで報道されているから正しいだろう」ましてや「情緒的に受け入れやすい(テレビゲームを苦々しく思っている人が「ゲーム脳の恐怖」に飛び付く,など)から正しいだろう」など,論理のかけらもない,思考停止の危機的状態です.特定の条件下である現象が起こった(←テレビ番組でよくある「実験」)としても,それを安易に敷衍しようとした時点で科学の手を離れ,ニセ科学に足を突っ込みます.
つまり「難しいことは分からないけど,とにかくマイナスイオンは良いらしい」などと知ったかぶって吹聴するな,ということです.性急に正解を求めるばかりに結論だけを鵜呑みにするのではなく,その結論がどう導かれたのか,その導出は果たして論理的か,自分の頭で必死に考えるべきです.理系だろうが文系だろうが関係ありません.論理的に考える,ということが求められているのです.論理的に考えれば明らかにおかしいことを鵜呑みにする思考停止な人々,あるいは,間違っていると分かっていても他の理由で都合がいいから利用したい,信じたい人々,等の存在が,ニセ科学の存在を許しているのでしょう.
以下,マスコミの報道について.結局は,その報道に関わる記者たちの,哲学,倫理,リテラシーによるのだろう.我々としては,マスメディアは有益な情報源として利用しつつも,安易に踊らされることなく常に自分の頭で必死に考えるべきである.
uploaded at 2009.08.21 (fri) 18:12
last revised at 2009.10.26 (mon) 10:29
科学リテラシーが不足しているいくつかのマスメディアは既に容易に踊らされている.行政や大企業のエリート,あるいは「識者」と呼ばれる人たちも決して例外ではない.これは笑っていられる事態ではない.我々の税金がニセ科学に投入されているかもしれないのだ.
特に最近は「エコ」とつけば中身をよく確かめもせず何でもアリ,という雰囲気さえ感じられる.好例は「音力発電」であろう.渋谷ハチ公前で実証実験を行なったそうだが,どう考えても実証実験に値する技術とは思えない.実証実験とは,研究室レベルで効果が確認されている技術について,実際の使用環境内でも同様の効果を実現できるかどうかを見るためにある.研究室レベルでも(ユビキタス性を利用した微小電力用途における応用を除いては)実用に値する発電量を得られていない「発電床」の実証実験をしても,少なくとも技術的には何の意味もない.
大出力エネルギー源として音力発電を使用するというアイデアには,ライフサイクルコスト/アセスメントの視点が決定的に欠けている.例えるならば,ばらまいた小銭(エネルギー)を回収するためにいくらコストをかけられるのか?ということだ.ポケットの穴からポロポロこぼれ落ちる一円玉数枚を惜しむばかりに,数万円かけて人を雇い道具を揃えて回収するようなことをしていないか.ポケットの穴ばかり気にしている間に,財布の穴から五百円玉がジャラジャラこぼれ落ちていることを見逃していないか.今一度冷静な評価が必要である.
そもそも音や振動から回収できるエネルギーの総量など知れている.音力発電に使われている圧電素子の発電効率は,発電所で使われている電磁誘導発電機に比べて圧倒的に低い.音や振動のように広く拡散してしまったエネルギーを再び集めるのは至難の業なのだ.そういうことが何となくでも分かるというのが「科学リテラシー」の感覚であろう.別に科学者/技術者でなくとも「音や振動が発電所の代わりになるなんて,ほんまかな」と思える,そういう疑問を抱くことのできる科学リテラシーが,現代に生きる我々には必要だ.
はっきり言えば『首都高全体に「発電床」を敷きつめて発電すれば、原発 1 基分の発電量が見込める』という音力発電の主張は,ウソである可能性が非常に高い.安易に信じてはならない.ちょっとした計算をすれば分かるのに,自分で確認もせずに信じる「識者」や,確認もせずに税金を投じる行政の担当者は,科学リテラシー不足の批判を免れまい.
念のため「ちょっとした計算」をしておこう.首都高速道路株式会社の首都高速道路通行台数等データによれば,平成 20 年度の平均通行台数は 1 日あたり約 111 万台である.原発 1 基の発電量を 100 万 [kW] とすると,
1,000,000 [kW] × 24 × 60 × 60 [s/day] / 1,110,000 [台] = 77.8 [MJ/台/day]
となる.つまり,車 1 台が 1 日のうち首都高を走っている間に,平均約 77.8 [MJ] の電力量を発電床によって回収できる,と音力発電は主張していることになる.これはかなり大きな発電量である.
どのくらい大きいかを直感的に捉えるために,ガソリン換算してみる.(独)経済産業研究所の戒能による「総合エネルギー統計の解説(補論 10 エネルギー源別標準発熱量表の改訂について)」によれば,ガソリンの標準発熱量は 34.5 [MJ/l] である.
まずは効率を最大に見積もって,どれくらいガソリンが必要か考えよう.ガソリンエンジンの最大効率は 30 % 程度である.ガソリンエンジンの出力がすべて道路の中に埋め込まれた発電床の振動に変わるとし,この振動から電気エネルギーへの変換効率(発電床の効率)を最大に見積もって 10 % としよう.すると,
77.8 [MJ/台/day] / (34.5 [MJ/l] × 0.30 × 0.10) = 75.2 [l/台/day]
となる.つまり,音力発電が主張する原発 1 基分の発電量を実現しようとすると,損失を考慮しないとしても,111 万台の車 1 台 1 台が,1 日あたりおよそ 75.2 リットルのガソリンを首都高上で消費しなければならない.ガソリンを使い過ぎである.
さらに,現実には様々な損失があるので,効率はずっと悪い.実際にありそうな値で改めて計算する.ガソリンの化学エネルギーから道路の振動エネルギーに変換される効率を 2 % とし,振動から電気エネルギーへの変換効率(発電床の効率)を 2 % と仮定しよう.すると,
77.8 [MJ/台/day] / (34.5 [MJ/l] × 0.02 × 0.02) = 5640 [l/台/day]
となる.つまり,上記のような損失があると仮定すると,音力発電が主張する原発 1 基分の発電量を実現するためには,111 万台の車 1 台 1 台が,一日あたりおよそ 5640 リットルのガソリンを首都高上で使い果たすほど爆走しなければならない.非現実的である.なぜ「ウソ」なのか,お分かり頂けたであろうか.そしてこれは,本当に「エコ」だろうか.
なお,音力発電については,以下の関連記事を書いている.少々長いが,踊らされず,冷静な批判的視点を持つためにじっくり読んでほしい.
以下,音力発電に踊らされるメディアや識者,企業の様子である.この「前へ倣え」は何だ?本当にどうかしているのではないか.皆,自分の頭で考えることを忘れている.批判的視点のない絶賛は,カルトのようで不気味でさえある.猛省を求める.
uploaded at 2009.10.08 (thu) 15:53
last revised at 2009.10.26 (mon) 11:22
「発電床」がグッドデザイン賞を受賞したようだ.「審査委員の評価」には「微弱な発電を技術開発により実用化レベルにまで引き上げた技術力(が評価された)」と記載されているが,何を以て「実用化レベル」にあるとされたのだろうか.もしそれが,技術の中身ではなく,単に「売上があるから」という理由だけなのであれば,その「実用化レベル」との評価には疑問を持たざるを得ない.
これほど影響力のある賞を受賞するというのは,審査委員の先生方をはじめ日本人全体の「科学リテラシー不足」が危険なレベルに達している証左ではないか.これは本当に危ない.警鐘を鳴らさずには居れない.
ロボットとデザインとは関連が深い.常々,私のロボットには本当の意味で良いデザインを取り入れたいと思っている.その文脈で,私のロボットがグッドデザイン賞を受賞できれば嬉しいと思っていたが,この一件でその気持ちも萎えてしまった.
uploaded at 2009.10.27 (tue) 08:53
去る 2009.10.21 に,学生団体 F-DooRs が主催する 立命館大学ビジネスアイデアコンテスト が開催された.私のホームグラウンドで,(株)音力発電の速水浩平社長が審査委員長を務め,講演を行なうということで,私も参加してきた.
この講演にて速水氏は,「首都高速道路全体に『振子型振動力発電装置』を設置すると火力発電所2〜3基分を発電!」「首都高速道路全体に『発電床』を設置すると,東京 23 区一般家庭用で使用する電力の 40 %〜 50 %分を発電!!」と主張した.
これに対して,私は質疑応答時に「それはウソですよね」と速水氏に直接指摘しておいた.これで,当該主張に対する疑義を,速水氏が確かに認識したことになる.今後,速水氏の当該主張が変化するのか,あるいは当該主張の計算根拠となるデータを公表するのか,注視したい.
計算根拠となるデータを公表しても技術の中身まで出す必要はない.ビジネス上,不利にならない範囲でデータを公表することはできるはずだ.むしろ計算根拠が明示されている方が,信頼性が高いということで投資も呼び込みやすくなるのではないか.
疑義があるにもかかわらずデータを出さないならば,「出せない」のではないかと邪推せずにはいられない.もし今後も速水氏の主張が変化せず,かつデータも公表しない場合,単なる計算ミスを通り越して,研究としては捏造の疑いが,ビジネスとしては詐欺の疑いが濃厚になると私は考えている.
uploaded at 2009.10.18 (sun) 18:49
農作物を農薬漬けにするのは勘弁願いたいところだが,一方で,無農薬なら安全,というのではあまりにも単純すぎる.農薬=危険,無農薬=安全,というような「分かりやすい話」というのは,分かりやすいだけに危険だ.
適切な農薬を適切に使えば安全である.無農薬だからといって安全とは限らない.どの農薬をどのように使う/使わないのが適切か,を簡単に判断する方法はなく,地道に研究しなければならない…こういう当たり前の考えは,一般にはウケが悪いようだ.
私が推薦する書籍を,簡単な書評と考察とともにここに挙げておきます.
本書は「遊びの世界のロボット」から,「工学の世界のロボット」へ入っていく扉を初めて開ける人のためのガイドブックである.ロボットを見るだけ,遊ぶだけなら,中身についての知識はなくてもよい.しかし,これからロボットを作ろうとする人たちにはロボットの構造や制御のしかたについての工学的知識をいろいろと知ってほしい.ロボットの出来が断然ちがってくる.
また,これからロボットづくりをめざす高校生やロボットコンテストに参加中の大学生のための参考書であるとともに,ロボット工学の授業の難しさに悩む大学生のためにはいちばんやさしい教科書でもあり,ロボットの研究室に在籍中の大学院生が基礎知識の欠落を笑われないようにするための自習書であり,技術者として社会に出たばかりで早く先輩技術者との知識のギャップを埋めたいと思っている若者たちには格好の虎の巻となるはずである.本書の使い方は,ロボット工学の世界を見渡すためのミニ百科事典として活用するのがよい.
以下の二冊によって,LaTeX を使って論文を書く際の「作法」の大部分が網羅できる.学生諸君には,これらの本を,借りるのではなく実際に買って座右に置き,論理的な「理系の文章」を執筆する際に逐一参照することを強く勧める.
理工学系学生の実験リポートと卒業論文には,誤字,当て字,送りがなの間違い,常用漢字と平がな書きの表記違反など科学・技術文書以前の基本的な文章作成ルールの問題でつまずいているものが多い.
さらに驚くべきことに,「科学・技術者が具備すべき能力は専門知識を駆使した独創力であり,文章作成能力などは必要ない」と反発する学生もいる.
独創力が科学・技術者に求められる能力の一つであることは確かだ.しかし,将来勤務するであろう企業や研究所あるいは大学において,独創的で画期的な研究開発を成し遂げたとしても,それを論述した「科学・技術報告書」や「学術論文」に通読困難で論旨不透明な文章が羅列されているならば,上司や学会に研究開発の成果を認知させるのは到底不可能である.当然,成果が理解されないかぎり,研究開発のさらなる発展も期待できない.
本書は,大学,高専などの理工系学生と若い科学・技術者を対象に,初歩的な実験リポートと卒業論文の書き方から科学・技術報告書さらに本格的な学術論文の構築法までをわかりやすく解説したものである.
本書は,決して LaTeX の解説書ではない.LaTeX が使える,ということを,車が運転できる,ということに例えるなら,本書はむしろ交通ルールの解説書である.
引用は以上.ドライビングテクニックを磨くだけではなく,交通ルールを遵守し,トラフィック(=レポートや論文による意思疎通)を円滑にするべく努力しよう.ビジネスプランというものがあります。マイクロソフトのプレゼンテーションソフトである「パワーポイント」には、ビジネスプランのテンプレート(雛形)が組み込まれています。それには、会社の使命、プロジェクトチーム、市場分析、ビジネスチャンス、コンセプト、競争、ゴールと目標、財務計画、必要なリソース、リスクと利益といったサブタイトルがあらかじめ用意されて並んでいます。
ここにはビジネスに対するアメリカ型の典型的な要素還元的思考が現れています。わたしは、自分自身がビジネスインキュベーターという仕事をしてきましたので、たくさんのビジネスプランを読んできました。それらはお見事と言ってよいくらいにこの考え方を踏襲しています。ここには会社の設立に関する要素がきれいに分解されて、それを読むものに対してわかりやすいロジックで並んでいます。ただひとつのわたしがいちばん知りたいことを除いて。
何を知りたいのか? それは、お仕着せのテンプレートからは知ることのできない起業家の独創そのもののことであり、どんな未来を切り拓いてゆくのかという起業家自身の身体から発せられる言葉であると言っておきたいと思います。もっと簡単に言ってしまえば、「わたしの前の、この理解しがたい起業家は果たして信用してよいのか」ということなのです。
もし、起業家というものを定義しようとするなら、テンプレートに従って自らのビジネスモデルを組み立てるマインドの持ち主であるはずはなく、テンプレートそのものを書き換えるような人間であるはずです。なぜなら、起業とは、既成の何かに従属することを最も避けたいというマインドセットとほとんど同義であると言えるからです。そして、そのような人間は、容易には理解されないことが多いのです。
引用は以上.起業家として素人の私は,容易に理解されないことを他人のせいにして安心してはならないが,起業家として素人であることを恥じ,理解されたいが故に安易な道を選んでテンプレートに堕する愚を犯し,工学研究者としての矜持を見失うこともまた,避けなければならない.