鎌倉には2つの獅子岩がある。山崎のしし石と二階堂の獅子巖だ。
私が獅子巖を見たのはずいぶん前の事で、庭石の大きさくらいの
岩がいくつか散在しているだけだった。ネットにある獅子巖の写真
は、人家の無い沢道の傍らにぽつんとあるだけだ。そこから地図上
に、この辺りと目印をつけて、獅子巖と書き入れてみた。しし石と
結ぶと、東南に傾いた長い線が引けた。
前のページ18.鎌倉の獅子の最後に書き加えたように、この傾い
た線は正しくないのだ。山崎のしし石から真東に向かって線を引き
直した。天園ハイキングコースの、138mの山頂にぴったり当たった。
鷲峰山127mと大平山(天園156m)との中間に位置する山だ。何と
言う山なんだろう。獅子巖はこの頂上にあったはずなのだ、と、思う。
山頂に獅子巖と書いて、始めに書いた場所を消した。
獅子岩と言うと、中国の有名な故事を思いだす。獅子は子供を崖
から落として、登って来た子だけを育てると言う、野蛮なたとえ話だ。
これは本来この後に、「だけどヒトはそんな事をしないよ。獣じゃ
なくてヒトなんだから」と続けるための訓話だと思う。そうでなけ
れば、獅子にした意味が無いじゃないか。
山頂にある獅子巖は、だから、崖下を覗いて恐がったり、落とすぞ
と脅かされたり、そういう肝試し的な使われ方をされ易いと思う。
それは集団でイジメになったり、犯罪に発展したりする、かもし
れない。そんな岩は無い方がいい。と、誰かが思って、沢の下の道
ばたの岩に、獅子巖を呼び変えて安全な方向にすり替えて来たのか
もしれない。
ふたつの獅子岩を結んで正三角形を作る。その中心が調伏すべき
荒ぶる魂の居る所だ。その頂点は材木座海岸になった。砂浜だ。
どんな巨石を置いた所で、波がかかれば、日々岩は崩れて行く。
当時の技術では、建築不可能な場所だ。その正三角形のとんがりの
ちょうどぴったり半分の位置に、望夫石はあったのだった。
観音が祀られた観音山の山頂に。それも地震で壊れる以前は、南
の海岸線に向かって突き出した形で、指し示す様にあったそうだ。
この望夫石と2つの獅子岩を地図上で結ぶと、二等辺三角形がで
きあがる。その真中に、祀られるべき少女の奥津城がある。今も誰
にも語られずにある墓。頼朝の長女、大姫が眠る場所だ。
怨霊封じの中心に、19歳で亡くなった姫が座っている。それは
不思議な事だろうか。たとえば東北の座敷童の様に、あるいは昨今
の、Jホラー映画の妖怪のように、非力でかわゆらしくて、髪の長い
少女が最強のボスキャラだという伝統は、ここから始まったのでは
ないかと思うのだ。後世の人が後付けした大姫の肖像では、と。
ーーー以下を20.大姫の戦いに続けます。一ーー
***亀子***(27 Jun.2007)