この世の中で本当に喜びを与えてくれるものはいくつあろうかと指折り数えてみると、決まって最初に指を折らねばならぬものは食べ物であることに気づく。だから、家でどんなものを食べているかを見ることは、人の賢愚を知る確実なテストである。 - 林語堂

2009年06月14日 23:18

命について、健康について

命

結婚して12年。私が合計6回。妻が、2回。母が1回。入院回数です。ハハッ!伊達に、保険料払ってないッスよ。たいしたもんです。さて、明後日(6/16)に7回目の入院と相成ります(科は異なりますな)。

別に深刻に考えているわけではありませんし、もともといい加減な人間ですからね。しかし、夫婦でこれだけ入・退院を繰り返しますとですね、命について、健康について考えてしまうものなのですよ。

重症・軽症でいうなら、妻が一番でした。妻にも話をしていることですが、妻の2度目入院の時には覚悟しました。今だから妻にも話せることですけど、当時「病理検査の結果が出るまで安心しないで欲しい」なんて話が出たとき、どうしたもんかと混乱しました。それに比べれば、私の今回のヤツなんぞマシなもんです。しかし、考えてみれば、世間一般の人は大きな入院を経験しないまま暮らしている人がたぶん過半数。それで当たり前と考えがちです。そうですね、実感が湧いてこないんですよね。自分が健康を損ねたときに、どうなるのか想像しろという方が難しいかもしれない。とはいえ、身近な人が健康を害したところを見る人は、多いはずです。何もなければ両親を見送ることになるでしょうし、祖父・祖母を見送ることもあるでしょう。死に至らないまでも苦しんでいる様子は、誰しも見ているはずですよね。


私が初めて親近者の死と向き合ったのは祖母の時でした。今年17回忌だったはずです。当時、関東で仕事をしておりまして、祖母が危ないから帰ってこいと連絡を受けたとき、覚悟していたためかあまり感傷に浸ることはありませんでした。しかし、本当に骨と皮になってしまった祖母を見たとき、やはり衝撃を受けました。むしろ、臨終を伝えられたときよりも既に意識無く横たわる祖母を見たときの方が、よほどショックでしたね。命というのは終わるものなのだというのを実感した瞬間だったと思います。

それ以前にも、(グロテスクな表現で申し訳ありませんが)死体を見たことはありました。しかし、親近者となるとやはりまるで違って感じましたね。自分自身に投射されるからでしょうか。今さら隠してもしかたありませんので、はっきり言いますが、私は自分が一番可愛い。その次は親近者ですね。

両親などとニュースを観ていると、連日、誰それが殺された。誰それが死体で見つかった。そういうのが当たり前のように報道されています。報道するなというつもりはありませんが、日々命の重さが軽くなっているような気がしていたたまれない気持ちになることがあります。ゲームの世界でも、「死んだ・殺された」が当たり前になっている。小学生が、ロールプレーイング・ゲームでそんな言葉を吐いていたとき、命について切々と語り聞かせることできますかねぇ。私、できそうもありません。自信ないです。「生きている」ことが当たり前になって、「死ぬ」事も日常的なものになってしまう。それってどうなのよ。疑問を感じますが、自分でできることを考えると煮詰まってしまいます。


健康ブームなんていうのもいわれて久しい言葉ですねぇ。「健康のためなら死んでもいい」笑い話です。イヤ、笑い事ではないのかもねぇ。ナントカのためには、ホニャララという食材がいい。そんな話がテレビなどで報じられると、その食材がスーパーから消える。ふざけた話だと思いませんか?本来、食事というのはバランス良くとることが基本です。女性にいうと怒られそうですが、皮膚から吸収される成分なんて極々限られていますし、極々少量です。化粧品で肌が美しくなる…否定するつもりはないんですけどね。

自分は運命論者ではないつもりですが、病というのは人の力ではどうしようもない場合もあります。會澤は死ぬのが怖い。自分という存在が無くなってしまうことが想像できないから。相反する思いですよね。死ぬのは怖いから何とかしたい。でも、それを回避する方法なんて無い。病でなくとも、事故でなくなる人もあります。明日が来ることが当たり前に思っているのは、実は可能性の一つでしかないことにみんな気づいていない。明日の朝、自分が冷たくなっているかもしれないんですよね。

量子論の「シュレーディンガーの猫」ではありませんが、生きていることと、死んでいることは実は次の瞬間まで解らないのかもしれません。別に哲学を語ろうしているわけではないんですけどね。「生きている意味」をいろんなものに追い求める人もいますね。宗教なんかが良い例です。宗教を全否定しているわけではありませんよ。それによって、ある種の「意味」を見いだせる人がいるなら、それだけで存在してイイものですから。押しつけないで欲しいだけ。私にとって、タレントとして嫌いな方に入っている、明石家さんまがよく言う言葉「生きているだけでもうけもの」。これ私好きです。明日死ぬのは怖いけど(ほら、また自己矛盾な話してる)。


絶望しているわけでも、楽観しているわでも、ましてや達観してもいません。時々、頭の中をチラチラよぎる。命について、健康について書いてみたかっただけです。書いてみてわかったことは、自分にはまだわからない。ということですね。論理的でもないし、冷静とも言えない。それが私であることはわかりましたけどね。


デジタルメモ「ポメラ」

買っちゃいました。気分の良いときにデジタル日記を付けてこようと思います。飽きっぽい會澤ですから、毎日とはいかないでしょうね。しばらく留守にしますが、文字を読むことも書くことも好きなので体調次第です。再開がいつになるか約束できませんが、ポメラで付けた日記をネタにしましょうね。可愛い看護婦さんでもいたらその話題ばっかりだったりして。

留守の間、Macをどうしようか実は悩んでいます。Mac君にしておいて欲しい仕事はいっぱいあるので、動かし続けるってのも選択肢です。まぁ、1日中ってことではなく半日ぐらいとかね。ある程度自動化してある仕事はそれで良いでしょうね。でも、自動化してないヤツはあきらめるしかないですね。以前もっぱらサーバー君にやってもらっていた動画変換作業のスクリプトを動かしてみたのですが、エラー続出。集中力も続かないので、今回は無理かな。エラーが出たらスキップして、通り一遍スクリプトに通すってのもありかもしれない。

ということで、もしよろしければブックマーク(RSS)から消さないでおいて頂ければ幸いです。


Posted by kaizawa | TrackBacks