2008年10月11日 22:32

雪の越後の花嫁衣装と清水園

雪の越後の花嫁衣装

モロFLASHのページなので、あまりリンクははばかられるのですけど、パンフレットの細かいところはこちらをご覧下さいませ。「雪の越後の花嫁衣裳:新潟見どころナビ

医者にいった10/9に妻とほんのチョットだけ、このイベントをふらふらしてきました。新潟県の新発田市という山形寄りの都市で行われているイベントです。比較的長期にわたって行われているイベントですので、もしも近くにおいでの際にはいかがでしょう。會澤のへたくそな写真でよろしければ、アルバムをご覧下さいませませ「MobileMeギャラリー - 雪の越後の花嫁衣装

外部リンクのパンフレットを見るとわかると思いますが、市の中心部付近にある駐車場が無料になります。イベントをやっている店舗にはそれぞれ実際のパンフレットが置かれていますので、そちらをお持ちになって駐車場脇の事務所で無料処理をしてもらって下さい。この自動車社会ですからこういったサービスは有効です。ちょっと頑張ってるナァ。

ただし、新発田市というのは城下町でして、城下町独特の入り組んだ道路構造が遊びに来る人を拒みます。T字路。クランク状の変則交差点など。細い路地に入れば、すれ違いがやっとという場所も多いです。無料になるのは今回のイベントが行われている商店街のほぼ中央にあります。幹線国道からどうしても市街地に入り込まねばなりません。できるだけ太い道路でおいで下さいませ。もう一つご注意。このイベントの特徴は、花嫁衣装が一堂に会した形で展示されているのではなく、各店舗保有の花嫁衣装をその店舗で公開しているという点です。全部回ろうと思ったら相当歩きます。

新発田の商店街も例外に漏れず、シャッター通り商店街と化しています。それを少しでも活性化しようと言うことで作られたイベントですので、開いている店舗も興味があったら覗いてみて下さいませ。何か、主催者みたいなコメントだなぁ。


ギャラリーの方に、清水園というのが出てきます。頂いたパンフレットをPDFにしてみたので、私の共有フォルダから拾って見てみて下さい。この清水園は、

新発田藩三代藩主溝口宣直の時代、高徳寺を五十公野へ移した跡地に藩の下屋敷が造られた。付近が清水谷と呼ばれていたことから、「清水谷御殿」と称された。

四代藩主溝口重雄の時代、幕府茶道方の縣宗知を招いて庭園の造営が行われた。

1891年、沢海の大地主である伊藤文吉に買収された後、1946年より北方文化博物館の分館となり、「清水園」と名づけられた。

2003年、同じく縣宗知の指南下で造られた五十公野御茶屋庭園とともに、国の名勝に指定された。指定時の名称は「旧新発田藩下屋敷(清水谷御殿)庭園および五十公野御茶屋庭園」。指定にあたっては「越後を代表する大名庭園である」と評された。

清水園 - Wikipedia から2008年10月11日に引用

新発田市内に住んでいる會澤は、子供の頃、この付近に写生会に来た覚えがあります。しかし、近くにあるだけにかえって馬鹿にして、入園することはありませんでした。今回ここにも展示があるということ。パンフレット持参で入園料が割り引かれることから入ってみることにしました。正直言って驚きましたよ。新発田市民がこんな事いって良いのか疑問ですが、大変美しい庭園です。こんな庭園が新発田市内にあるなんて...

ちなみにすぐ隣にある「足軽長屋」言葉の通り、江戸時代の下級武士(足軽)が住んでいたという長屋を移設復元した物です。大名の茶室を構えた庭園のすぐ隣に足軽の長屋が存在するなど、当時の身分制度を考えるとあり得る話ではありません。清水園は美しく、ボーッと見ているだけでも良い感じなんですが、こちら「足軽長屋」の方はあくまでも歴史的資料。綺麗な物ではありません。

2間の4畳半程度の部屋+小さないろりがある少し広めの部屋+(今でいう)キッチンという間取り。トイレの存在は確認できませんでした。なるほどこういうところで暮らしていたのかぁとけっこうボロボロの茅葺き屋根に哀愁を感じてしまいます。まぁ、それだけ(ゴメン関係者!)。


あんまり商店街が寂しいので、新発田市応援!&ディスカバーふるさと・キャンペーン(誰がやってるんだよ)ということで。


Posted by kaizawa | TrackBacks