2007-12-02T00:07:28

オリオン座

オリオン座

ふと見上げるとオリオン座が目に入った。久々だなぁ。え〜、飲み会がありました。帰りに本来であればタクシーを使うぐらいの距離ですが、歩いて帰ってきました。30分ぐらいかな。

オリオン座というと、冬の星座の代表格。子供の頃にも見た記憶があります。小雨が降って、空が澄み切っていたこともあるのでしょうが、珍しく星がたくさん見えました。子供の頃の新潟は、街灯だって少なく空は暗かった。そしてその分、小さな星々まで鮮明に見えましたね。今地上の明かり(人工の明かり)が多く、空がどんどん明るくなっていく。僕らの瞳に入ってくる光はそんな人工の光が圧倒的に多くなって、星々の輝きはだんだん失せてくる。寂しいですね。


時々このブログにも書いたと思いますが、星を見るといつも思い描くことがあるんですね。「星はずっと以前からそこにいた」って事。地上が明るくなって見えなくなったとか言いますが、実はそんなこととは関係なく、ずっとずっと以前から星はそこにあったんですね。人が気付くと気付かざるにかかわらずです。何か生きていくことに通じるような気がします。私のような凡人は、テレビに出てくる「いわゆる」有名人のようなスポットライトが当たることはたぶんない。それに不満を感じたりすることはないわけじゃない。でも、それでも、私はここで生きている。

“生きている意味”などということを朗々と論じる方がいらっしゃいます。素晴らしいですね。私はそんなことわかりません。ではおまえの“生きている意味”はないのか?そうですね。強いて上げれば“生きていること”それ自体が意味何じゃないかなぁと言うしかないですね。ニヒリズムではないですが、生きていることに意味を見いだすことなどそれほど意味があるとは思えないんです。

人は生きている。それは素晴らしいことだと思うんですね。社会に対して何ができるかとか、自分自身の実現が人生の究極の意味だと論じる方もいらっしゃいます。でも、星はそんなことに関係なく、遙か以前からそこにあるんですね。人もきっと同じなのではないかと。そこにあること。それでいいんじゃないかなぁ。


オリオン座は會澤が見上げていなかった昨日の空にもきっと鎮座していたのだろうし、たぶん去年も10年前も同じ。10年後も同じように空にある。星はおそらくその命を終えるときが来る。でも、それまで人の思いなどお構いなしにそこにあり続けているんですね。たぶんそれが自然の意味。人も同じ。何ができるかを人生の目的にしてしまったら、何もできなかったとき、その人の「生きていること」は何の意味も持たなくなる。それよりも「生きていること」そのものがきっと生きていることにつながるんだろうな。


冒頭の画像は、Wikipediaから引用した画像で、ウィキメディア・コモンズに従うものです。素晴らしいです。ウィキに寄付することも考えています。ずっとお世話になっていますしね。


Posted by kaizawa | TrackBacks