2006年08月25日 21:18
老いてなお
昔から好きなアーティストの中に「さだまさし」がいる。彼の楽曲の中に「療養所(サナトリウム)」という曲がある。
さだまさし「療養所(サナトリウム)」より引用歳と共に誰もが子供に帰ってゆくと / 人は云うけれどそれは多分嘘だ / 思い通りにとべない心と動かぬ手足 / 抱きしめて燃え残る夢達
會澤は今年4月に42になった。以前にも書いたが、気持ちは20代
。
とはいうものの、体は正直で、以前に比べてどうも体の動きがよろしくない。異常はないといわれたものの、右肩の鈍痛はずっと続いているし、左足土踏まずも痛みが取れない。そもそも一晩寝れば取れていた程度の疲れが取れずに続く。ため息などつきたくなってしまう。
(^^)v3: 得体の知れぬ恐怖 から2006年8月25日に引用死ぬってどんなことなんだろう。今まで生きてきたこと、今まで考えてきたことは完全にチャラになってしまうことなんだろうか。
などという一文をしたためてから数週間後に妻の祖父が亡くなった。死ぬということ。老いるということを考えずにいられないんだなぁ。誰が話していたのかわからないけど、「認知症というのは死への恐怖から発狂しないための一つの方法」という話を思い出した。本人にしてみれば、若者と違って身近に迫ってくる「死」という恐怖からは確かに逃れられるわけですね。
「療養所」に出てくるおばあちゃんは穏やかに微笑んでいますが、現実には認知症のおじいちゃん・おばあちゃんを持っている家庭は戦いになります。義父母のところもそうでした。亡くなった祖父は徘徊の症状こそありませんでしたが、正常なコミュニケーションがなかなか取れなくなっていました。
目を離せない。義母が常に話をしていた台詞です。しかし、祖父にしてみれば悪気などあるはずもなく、不思議なものでほんのわずかな期間であったのですが、認知症の症状が(少なくとも表面上は)無くなってしまうこともありました。人間が老いるということは、何かが壊れていくことなのでしょうか。医学的にはそうなのかもしれません。でも…
人として生物学的には不可逆的に、つまり一方通行で死に向かっている。これは間違いないことです。生まれた瞬間から人間には死へのカウントダウンが始まる。確かにそれは現実なんだろうと思います。では、老いるということはどういうことなんだろう。老いるということが人という個体のフェードアウトの時期だと考えると辛くなってしまいます。會澤の体は確かにラグビーボールを追いかけていた学生時代と比べたら…いや、比べるべくもなく、衰えているのは間違いありません。では、考えていることは? 同じだったら悲しいなぁ。
答などあるはずもありませんが、年を重ねることは自らの成長であると信じたいです。老いるということはその集大成であって欲しい。希望でしかありませんが、老いてなお、燃え残った夢達と格闘していたいと思いますね。
會澤的には、若いお姉ちゃんにちょっかいを出してぶん殴られ続けるスケベジジイになるような気がして少々不安です。
Posted by kaizawa | TrackBacks