2006年06月27日 21:20
堕落論
「青空文庫 Aozora Bunko」というのを聞いたことがあるかと思う。主として作者没後50年たって著作権が消失した文芸・言論作品を電子テキストとして収蔵する試みを行っているプロジェクトである。などと會澤が説明するのは分をわきまえよといわれるやもしれぬ。會澤もよく愛用している。
さて、坂口安吾が青空文庫にあるというのを最近知った。新潟に住んでいるものとして、新潟に生を受けた安吾には多少親近感を憶える。加えて、学生時代に読んだ堕落論
は最初“何を言っているのだ!”と怒りさえ覚えたのを憶えている。戦後の歩みの中で、堕落することを是とするのは何事ぞ!と安直に文面をなぞった會澤の読解力のなさ。まぁこれにつきるわけですな。ただ、駄文安吾の全集の中の一つであったと思われる堕落論
はなぜか気になって幾度か読み返した。ぼんやりとした記憶ではある。
早速青空文庫から安吾の作品を読んでみた。まずは堕落論
を。
坂口安吾 堕落論 から2006年6月27日に引用戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱(ぜいじゃく)であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。
末尾を引用するなど、まさに愚の骨頂ではあるものの結局、価値観というものが大きく変貌した時代。白が黒になり、黒が白になった時代。イヤ、時代というのはあまりに一般論に過ぎるかもしれぬ。現在の日本にも同じようなものはいくらでもある。ライブドアしかり、村上ファンドしかりである(あまりに卑近な例しか浮かんでこない會澤の頭の中はなんとも情けない)。
価値観というのが周りの影響によって“作り出される”ものであれば、再び戦争などという人が人でなくなってしまう現実に再び相まみえることになるだろう。自らの中から“生み出される”価値観はそれに打ち勝つことができるはず。戦後日本はこりもせず再び同じ道を幾度も歩こうとしてきた。それを正しいと信じる者がいる以上、これからもそうだろう。
戦争によって日本は米国の占領を経て自由を得た。現憲法がこの支配下に置いて制定されたことをあげつらって“日本”憲法ではないということを平気で口にする政治家がいる。制度というのは結局運用して初めてその意味が生じてくるのであって、制定過程がおかしいから制度自体がおかしいのだというのは子供の論理に思える。日本が敗戦したのだということをいまだに認めない輩がいる。自身を見つめ直すきっかけを自ら放棄しているのだろうか。話がかなり横道にそれた。閑話休題。
青空文庫 Aozora Bunko」は多くの作品が収録され、日本のネット上の財産になっている。なかなか協力することができずにいるが、いつか工作員(作品の入力・校正に携わる人を青空文庫では工作員と読んでいる)に!と思っている。自分のことで汲々としている會澤に勤まるのかという疑念は極めて大きいのだが...
Posted by kaizawa | TrackBacks