2006年06月20日 08:46
僕らはどう伝えればいいのだろう
先日信州へ家族旅行へ行ってきた。小布施の町の外れ、山あいにある曹洞宗 梅洞山岩松院
。こちらの一般駐車場から仁王門への小道に、その歌碑はありました。地元の俳句会のみなさんの歌碑であるようなコメントがありましたが、記録をとってきませんでした。横書きになってしまって少々趣に欠けますが歌は次の通りです。
ガンダムのテレビに見入る 児は六才 戦死とは何を 我に問いたり 香久子
戦争を知らない私はもとよりこと、父の世代も戦争の記憶は薄れつつあります。ガンダムは宇宙戦争のさなかに出会う人と人のドラマですね。戦争という極限状態が、普通の生活から一歩も二歩も離れた世界=空想の世界。を示しているのだと思います。しかし、広島を旅行したときに語り部のおばあちゃんから聞いた言葉に表せないような惨状。そういった状況を指し示すことはガンダムの世界にはありません。それを否というつもりはありません。しかし、この歌碑にあるように「戦死とは何?」と問われたときに何と答えればいいのでしょう。
人の命の尊さ。などというのは“言葉としては”言い古されているのですが、実際に体験する機会は多くありません。コンピュータやゲームの世界が最たるものですが、リセットが有効な世界。やり直すことができるヴァーチャル世界の中で遊ぶ子供たちの中にどんな倫理観が育つものなのか。世界への関心の低さなとということもいわれます。隣国で起きている危険な兆候も「自分の生きる中にはまったく関係のない話」として取り合おうとしない若者(もしくは正対したとして、それに対するいかなるアクションも持ち得ない自分を知っていて無関心を装うのか)を職場で見ました。ヴァーチャルな仮想世界では、危険が回避不能であればゲームを中断することができます。回避不能であり、絶望的な状況ではゲームを終わらせ選択を変えてゲームを最初からやり直すことも可能です。現実には...
スタンフォード監獄実験 - Wikipedia から2006年6月20日に引用普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまうことを証明しようとした実験が行われた。
上記引用はWikipediaにある、スタンフォード監獄実験の一文です。監獄を舞台に看守役と囚人。双方の心理変化をとらえようと行われた実験のことです。実際には実験は失敗に終わります。心理変化が起こらなかったのではなく、起こりすぎて続行は危険であると判断されたためです。戦争という極限下において人間は理性を失い、非人道的な行動に出る。それを戦時中下の愚かしい扱いへの免罪符とするつもりはないが、そうなることがわかっていながら戦争への道を進もうとする行為はおそらく“犯罪的”行為なのだろうと思う。
戦争という行為の原因を探るのは容易いことではないと思うけど、そこで行われ続けてきたことの結果として人の命が失われる。単純に人の死ということだけではない重さがそこにある。人の命の重さに違いはない。しかし、死をもたらした“もの”が何であるか。それを説明するのは難しい。難しいけど語り継いでいかねばならい事柄の一つだろう。
「戦死とはなんぞや」と子供たちに問われたとき、少なくともそれを賛美するような教え方をしてはいけない。死する人と戦死という事実を分けて考えなければならない。某国の首相は戦争によって死する人たちは同じであり、その人達に敬意を表して不戦の誓いをするために靖国に詣るという。そこには日本の犯した戦争という行為をどう考えるのかというメッセージは見えてこない。また隣国は、靖国には戦没者とともに戦争責任者が祀られており、そこに詣ることは戦争責任者を是認することにつながるといって非難する。そこには、死する人への思いは見えてこない。あなたならどう語るだろう。
戦死 - Wikipedia から2006年6月20日に引用戦死(せんし)とは、兵士や士官等の軍隊に所属する者が戦争に参加し、その戦闘中に死亡することを言う。類義語に「戦没」がある。こちらは戦争で亡くなった者をさし、直接の戦闘に関わらない病死なども含まれる。ただし、両語の区分は明確でなく、混用されることもある。
言葉の意味だけではない歴史の意味まで語れるだろうか。不十分で舌っ足らずな説明であるかもしれないけど、歴史を含めて自分の言葉で説明したい。歴史は周りが勝手に作り出すものではなく、自分自身がそこに必ず関与して作られるもの。選挙などで意思表示をしなかったために自らの思いとは異なるところに結論が行き着いた。また流されているだけで気がつくとその流れが自らの思うところから離れていた。いずれも些細ではあるにせよ自らの関与がそこにはある。そこに目を向けていきたい。
Posted by kaizawa | TrackBacks