2006-02-19 06:31:10

着床前診断(受精卵診断)

日本産科婦人科学会は着床前診断の許可対象を習慣性流産の患者へも広げる旨発表した。以前から、生命の選別につながるとして着床前診断を認めてこなかった同協会が容認に踏み切った理由として流産による母胎への影響(肉体的・精神的含む)を考慮したとある。
着床前診断は基本的には人工授精が大原則。人工授精させた卵を母胎へ戻す前に遺伝子診断し、異常が見つかった場合卵を戻さずに破棄するというもの(正確には「破棄する」とは明記されていない)。
着床前診断:習慣流産にも適用 効果に疑問の声も−医療:MSN毎日インタラクティブ
着床前診断ネットワーク|着床前診断、受精卵診断について、大谷産婦人科院長・大谷徹郎医師による説明及び相談
上記二つのリンクは参考として表示したものです。日本産科婦人科学会のホームページは06/02/19現在内容を確認できません。ホントは一緒にリンクさせたいところなんですが...

僕ら夫婦には子供はいない(できない)。僕ら夫婦で決断したことなので、その点に関しては迷いというかそういうものはない(少なくとも今はない)。しかしながら、子供を熱望していながらできない夫婦というのは現に存在する。その夫婦(およびその周囲)の苦しみは察するにあまりある。
一方生命の倫理という観点から、生命の選別というものが行われる可能性というのも事実存在するだろう。事実、ダウン症候群は染色体異常によって引き起こされる先天性障害だが、米国で着床前診断などでダウン症を宣せられた母親の多くが中絶を選択したという報告がある。
蛇足ながら、ダウン症というのは染色体異常によって引き起こされる病であることは事実だが、遺伝病ではない。両親(もしくは片方)に因子が存在して起こる可能性も無論存在するが、基本的には染色体異常は、受精後父親、母親の染色体が交差し、分離増殖する段階で不分離・結合不良によって引き起こされるものであって、誰にでも起こりえる可能性がある。ダウン症は文献によると700人に一人とか1,000人に一人とかといわれるが、いずれにしても可能性は誰にでもある。會澤の知り合いにもダウン症を発症した子供をもつものがいるが、子供のみならず、その両親にもあたかも欠陥があったのような差別的な話を平然とする者が事実存在する。ゆとり教育などというバカを作る教育を進めず、無知による差別がない社会を作っていくのが我々大人の義務であるのではないかと思う。(蛇足がえらく長くなってしまった)
子供が欲しいという両親の思いも。生まれてくる子供に障害があっては可哀想という感情も理解できる。そして、人の命というのは神が与えたもうたものであり、ふれてはならぬという意見もある。どれも正しく、結果としてどれも100%ではない。

會澤は着床前診断の是非については踏み込まないでいようと思う。人の好奇心は科学の発展を進め。そしてかつては神の領域にまで踏み込んだ。韓国で起きたスキャンダルでも、人の卵子が多く研究者に提供されていた事実がある。一部の研究者などにいわせると、受精し、分裂を起こしていない卵というのは体細胞の一部であり、生命倫理とは切り離すべきだなどという発言があったりする。線引きというのは往々にして難しいものではあるが、生命を作り出すというのは生命の根幹であり、軽々に扱うべきではないのではないか。このての話題が出る度に會澤はそう思う。とはいえ、韓国で起きた事件では研究者を擁護する団体も少なからず存在している。それらの団体では再生医療という研究者の行っている研究に思いを寄せている人たちの悲しい思いが見て取れる。
事実と思いが入り交じっているのはいかなる事件でも同じだが、韓国で起きたスキャンダル。今回日本で報じられた生命倫理に関するアナウンス。いずれも科学が進んだことによる悲劇であると思ってしまうのは會澤の思い過ごしだろうか。
子捨て・親捨てはすでに死んだ言葉になっているが、子になる前の生命(生命と呼べるかどうか...)。平均年齢が上がったことによる福祉の問題。生命をめぐる問題は永遠につきることはないのだろうか。
科学技術が進むべき道がいくつも示されているように思う。どの道に進むか。どの道をあえて捨てるか。科学者・研究者のみならず我々も傍観者になってはならぬのだと思う。悩むこと発言すること。残念ながら今のわたしにはそれしかできない。

Posted by (^^)v2 | TrackBacks