2006-01-02 11:39:00
ホロデッキは実現可能か?現実とは何か?
タイトルの「ホロデッキ(Holodeck)」なんていったって知ってる人しか知らない言葉。會澤が愛するスタートレックの中に出てくるヴァーチャルリアリティ実現装置のことです。會澤の好きなエピソードの中に、このホロデッキの住人(登場人物といった方がいいか?)が自分がヴァーチャルリアリティ(つまりコンピュータ)が作り出したもので、コンピュータのプログラムが終われば自分は消えてしまうのだろうか?と悩む場面があります。すごいシーンですよね。ここまで読んできて何のことだかわからない人は読み飛ばしていただいていいです。もしくは「Star Trek -U.S.S. Kyushu- [スタートレック総合サイト]」をみて勉強してみてください。
スタートレックの話はおいておくとしても、人間の認識ってのはものすごく不思議なものだと思いませんか。例えば、ここに林檎があるとします。テーブルを挟んでAさんとBさんが向かい合っています。
なんにも不思議なことがないじゃないか? そうでしょうか。AさんもBさんも「林檎」という物体をみて共通認識として「これは林檎である」という認識があるのです。連想認識として「林檎は甘酸っぱい食べ物である」という認識も持ち合わせているかもしれません。さて、ここでテーブルの上にある「林檎」と呼ばれるものが「林檎」としてどんな特性を持っているのでしょうか?甘酸っぱい香りがするかもしれませんが、テーブルにあるのが写実的な絵画・もしくは写真であったとしても先の会話は成立しますから、香りという特性はのぞくとします。(Aさん)「林檎ですね」(Bさん)「そうですね林檎です」
林檎は丸い。林檎は上部にへたがある・もしくはへたの部分がくぼんでいる。多くの場合赤みを帯びている。表面にはわずかに斑点がある。etc.
他にどんなモノが思い浮かびますでしょうか?よりたくさん思い出してください。これが「林檎」の概念です。しかし、自然界にたくさんある「林檎」の個体を思い出してみればわかるとおり、一つとしてまるっきり同じものは存在しません。それでも「林檎」は林檎として認識されます。古い哲学者はこれは「林檎」の根源性質を共通認識しているからだ。というふうに説明しました。当然林檎だけでなく、すべての「もの」について根源性質を共通認識としていることになります。そうでなければある人にとって「白」であるものが、別のある人にとっては「黒」になってしまうことになります。
ここで黒だとか白だとかいっているのはあくまでも「物質」の特性に基づく話で人の真理の話や倫理の話に踏み込んでいるわけではありません。
では、人はどこからその根源性質を共通認識としたのでしょう。教育によるものでしょうか。おそらくそうですね。しかし、會澤がこのエントリで問題にしたいのは哲学的なことではありません。教育論でもないんです。記憶・認識というのは「どこ」で行われているのか?ということです。
人間の記憶・認識を司る器官というのは『脳』ということになります。最近になって人間の脳が(解剖学的に)どのような役割を持っているのかが明らかになってきています。脳のある部分は香りに対して反応する。またある部分は触覚を司る。そういうことがわかってきています。チョット會澤は感覚的に受け付けない話ではあるのですが、頭蓋骨を開き脳の一部に微弱な電流を流すと被験者は味覚を関知したり、触覚を感じたりするそうです。まだまだ実験段階ですが、そういうことが少しずつわかってきています。
将来、これがもっともっと進むと脳のどの部分にどれぐらいのどんな信号を流すと人は「林檎」を認識するか。なんていうこともわかってくるかもしれません。そうなったとき、目の前にある「林檎」は現実の林檎なのか、電極の刺激による林檎なのか被験者は判断できるのでしょうか。
現在我々は様々な状況下において個々別々の認識をし、それらの中から共通の認識を共有しながらコミュニュケーションしています。ヴァーチャルリアリティなんていう言葉が出てきて久しいですね。仮想現実なんていうように日本語訳されるんでしたっけ。しかし、仮想か仮想でないか判断するのは「何」でしょう。ヴァーチャルがヴァーチャルでなくなる可能性があるのですね。それでなくとも現実はかつて空想でしかなかったものを現実の物にしています。
先に例を出したスタートレックに「ジョーディ・ラフォージ」というキャラクターが出てきます。彼は生まれつき目が見えませんでした。しかし彼は宇宙船のメカニックとして仕事をしています。彼は「バイザー」といわれるインターフェイス(メガネのような形状をしています)を通して脳の中に信号を入れています。彼は視覚を獲得したのです。時として彼の「視覚」は赤外線スコープであったり、放射線スコープの機能を持ったりしています。当然インターフェイスにフィルタをかけることで現在我々が赤外線フィルタで見ているような映像が「視覚」として認識されるわけですから理屈は合っています。こういう機能を持つものが開発されるのは現在空想の物語であるスタートレックだからと言えると思いますが、かつて空を飛ぶこと、宇宙を飛ぶことも同様に空想以外の何ものでなかった頃があったわけで、一笑に付すのは早計だと思います。そうなったときに現実は誰が決定するのでしょうか。ベッドに寝たままで幸せな一生をシュミレーションし、脳内にインプットしてやることは福祉事業として認可されるのでしょうか。彼にとってはそれは仮想ではなく現実です。映画でもありましたね。現実って何でしょう。映画では現在の生活ではあり得ないようなアクションが出てきたりしましたが、現実と仮想を分けるものが(もしかしたら)存在しない以上彼には非現実とは認知されないわけで...
脳の働きって実に不思議ですねぇ。ところで「Q」は現実の存在でしょうか。「Q」の能力とはすべての生命体の脳に働きかけることのできる能力だとしたら、現実は「Q」によって変えられてしまうのはないでしょうかねぇ。「すべての」ってのが非現実的ですが、非現実と現実との境を決定するのは脳の働きであって...(エラー:循環参照です)
Posted by (^^)v2 | TrackBacks