投稿日時:2005-10-10 10:54:31
y=ax 今さらながら…
言わずとしれた大ベストセラー。なぜに今さら!そうです。會澤が変わり者所以でしょうか。売れているうちには読みたくない。大きな波が過ぎ去ってから読みたい。オイラは流行に流されているわけではないんだ!と思いたい。…バカですね。
そのくせ、買っているんですよ流行っているうちに。で、積んでおくんです。積ん読。そのうち読みたくなったら読む本たち。妻にはこの感覚は理解できないようです。何せ『ノルウェーの森』を今年の正月に読んでいたぐらいですから。理解できなくて当たり前かもしれません。今年の夏は『ソフィーの世界』だったなぁ。で、昨日今日で『バカの壁』です。バカはお前だ!…言い返す言葉もございません。
全部読んだわけではないのです。まだ前半だけ。何度か読み返しながら読んでおります。なるほどおもしろい。多くの人が読んでいるわけですから多少ネタバレでも許していただけるでしょうか。タイトルからしてネタの一つですが…
タイトルにも使いましたが、大脳の『認識』という物に関する部分の記述です。この本は哲学書として読まれたんでしょうかねぇ?少なくとこの章に関しては、非常にわかりやすい認識論について述べたものであると感じています。人の脳ってのはずぼらな処理を行っています。少なくとも認識下においては。人の脳に日々与えられる情報(先生の例に沿って言えば入力)は膨大なものになっています。それを処理している(出力)。ところが、その情報のすべてが処理対象になっているかというと実はそうではない。全部処理していたとしたら、これはもう大変なことになります。もしかしたら人間は発狂するかもしれない。少なくとも人間の(純粋な)処理能力はすべての入力をリアルタイムに処理するだけの能力を持ち合わせていない。そこで、どうしたか?人が選択したのは入力を選択的に処理する。という方法です。「選択的」というところがミソです。我々は目に入るもの全てを「見ている」と思っています。しかし実際には「見ている」のは「見ようとしている」ものであることが多いです。先生の例で、y=ax というのが出てきます。y:入力、x:出力。a:フィルタ。ということになります。a=0が無関心。a=∞が原理主義。という例があり、思いっきり頷いてしまいました。このほんの帯にある「『話せばわかる』なんて大うそ!」は、言い当てて妙ですな。その通りですね。人間の脳は、前提条件によって見えるもの見えないものがでてしまうわけです。
記憶が嘘をつくというのもありますね。そうである!と思いこんでいる事柄に関して、「きっとそうだ」「そうに違いはない」「現実に私は見た」という具合に発展していって、(実際にはなかったことなのに)記憶が形成されてしまう例というのが事実観測されているそうです。
コンピュータではどうでしょう。ちょっと前ファジー理論というのがいろんなところでもてはやされました。その後きっといろんなところで活用されているんだろうと思います。思いますが、目立ってませんよね。情報を処理する際に、人間のようにずぼらに処理させることは難しいのです。會澤は、パソコン初心者に「PCなんて融通がきかないバカなんだから怖がらなくていい」って言います。パソコンは精密機械(その通りですが)だから難しい。という認識がまかり通ってしまっているようです。でも、パソコンにいろんな仕事を分担させようとしたときに、一番簡単なのは均等に処理を分担させることです。しかし、実際には指令したご主人様(ユーザー)はAという処理が真っ先に必要だとします。しかし、いつでもAとは限りません。ときにはBの場合もあります。人間に処理させる場合であれば、人の命令の仕方や、言葉遣いでその優先順位が自然に伝わることがあります。パソコンの場合はそうはいきません。ご主人様が優先順位を指定してやらなければ均等に処理を続けます。場合によってはヘビーな仕事にパワーを多く割り当てるかもしれません。「ご主人様が急いでタイプしたから“きっと”この仕事の優先順位は高い」と判断してくれるコンピュータがあったらすごいですね。まだまだパソコンはそこまで行っていません。人間ではできているのに。そこが重要です。パソコンは指示しなければ動かない。人間だったら「使えないヤツ」だったりするわけです。
人間の認識ってヤツがフィルターを通して得られる。ちょっと考えると非常に簡単なことかもしれませんが、実は大きな問題・課題をはらんでいることを想像するのは難しくないです。先ほどの例で、y=ax の a=0 が無関心。a=∞ が原理主義。としましたが、0でないまでも極めて0に近いフィルターや、無限大でないにしても限りなく無限大に近い(この言い方数学的には大変な間違いです)フィルターは會澤も、皆さんも持ち合わせているはずです。それが相互理解を妨げ、「壁」となっている。できるならベルリンの壁のように青空の下にたっている壁であって欲しいものです。屋外の壁であれば、壁の向こうを垣間見ることができます。崩したところで天井が崩れるわけでもありません。屋内の壁。もしくは天空まで伸びる無限の壁は壊すこともままならぬわけですからねぇ。
人間の脳ってのはすごく不思議な働きをします。いろんな本を読みましたが、読めば読むほど疑問が湧いてきます。これが、パソコンの話ならパソコンをバラして構造を観察することである程度理解できるかもしれません。最近のパソコンはブラックボックス化されたインターフェースチップが多用されていますからわからないかなぁ。人間の脳の場合はそうはいきません。かつては人体実験を行ったりしていたみたいですが、今となってはそれは無理です。人の脳がどのように物事を認識するのか。先生の本の中に、『林檎のイデア』の話も出ました。個体としての百個の林檎を全て『林檎』と認識するのは人の脳が林檎のイデアというようなものを認識している。これはすごいですよね。パソコンに林檎の映像で林檎という個体を認識させる(画像認識)させるには、様々なパターンを並べて高度な計算をしなければなりません。人の脳は平然と行っているんですよね。これはすごい。(會澤には認識できないことが多いのですが)文字の中にはあえて崩して書かれるものもあります。しかし、人間はそれをちゃんと文字として認識するんですよね。
認識っていうのは、脳が気持ちとかハートの部分に影響されながら作り出すもの。それを排除するのは無理。もともとそういうフィルターを通してみるようにできているんだから(ん?これ自体フィルターか?)。でも、相互理解はできるはずだよね。何だろう。争い会っている人たちと僕らで分かり合える共通のもの。『幸せのイデア』があるなら、きっと分かり合えるはずですよね。で、それはきっとあると信じたいなぁ。