投稿日時:2004-12-26 07:02:35

SFの絵空事ですか?

人の脳は何故感情や社会性を持ち得たのか?」會澤の最近のエントリです。で、このエントリにコメントをもらった。
社会性の発達と同時に個我の発達も人間の特徴だと思います。果たして動物達は人間ほどに『私』というものを意識しているのでしょうか。同族と共に暮らす事が他者との対比で自分というものをより意識させているのかもしれません。アリやハチはどうなんでしょうね・・。
hateneさん
このコメントに會澤が返したメッセージ。
その通りだと思います。自我というのを獲得し得た原因というのはなんだったのでしょう。そしてそれが主として固定したのはいったいなぜだったんでしょう。
突然変異による種の変貌というのがいわれますが、遺伝子レベルでの変異が種として定着するというのがどうも不思議なのです。身体的な特徴が固定していき、それが種の優位性を勝ち取った結果そちらが優勢になっていく。それは理解できます。知識というのは一気に蓄積しません。蓄積した知識を後進に伝えるためには口伝よるもの書物によるものが考えられますが、人類が初期の段階では言語も無論文字に関しても皆無であったと思います。知識を蓄積できうる脳の発達。これはいったいどんなトリガーで起こったのでしょう。わからないですねぇ。
回答ではないです。疑問点が一つ自分の中で明らかになったってことでしょうか。
進化を扱ったものの中ではミッシングリンクとかいわれる部分であったようです。現在はどうなっているのかわかりません。進化を遺伝子というもので括ってしまうのはいささか無理があるのではないか。なんとなくですが素人の會澤はそう考えております。遺伝子というのは、確かに身体の設計図です。では心の設計図でもあるのか?
心が脳に位するものであれば、遺伝子による人格形成というのもあるのかもしれません。それ以前に、知識を受け入れることのできる機能と容量を持った脳の形成というのはホモサピエンスたる人間はいつ獲得したものなのでしょう。そのトリガーとなったのは、なんだったのでしょう。

會澤は専門的なことを勉強したわけではありませんので、答はありません。ただね、會澤SFって好きなんですよ。サイエンス・フィクション。で、私の好きなSF小説に、人の進化にそれ以前に発達した、他惑星の知的生命が干渉した。そういう話があります(ネタバレになるので小説の名前は出しません)。そういう荒唐無稽な話かもしれないけど、そんなんがあっても良いかもしれない。
じゃその生命体が知的進化を遂げたトリガーはなんだったのか? なんにも疑問は解決してませんな。

投稿日時:2004-12-15 14:05:14

ジオンの夢

宇宙航空研究開発機構ってところが企画したタウンミーティングの記事。
【レポート】JAXAタウンミーティング - 人はなぜ宇宙(そら)を目指すのか? (1) 将来的には宇宙サミットも? (MYCOM PC WEB)
非常におもしろく読ませていただきました。で、
  • 宇宙をめざすのは自分の知らないところだから。
違うのかな?
別の人たちの中には、「儲かるから」ってのもあるんだろうな?表だってそういうこと言う人がいない(非難されるから?)けど、それは間違いなく事実なんだよね。

日本におけるロケット開発ってのはここのところ失敗続きですね。會澤は「日本における」って所に疑問符を付けたい。會澤が好きなスタートレックって物語には、「星(もしくは星系)」って概念はあるものの、国って概念はあんまり出てこない。思想グループってのは厳然としてあるけどね。宇宙なんてのはまだまだ人の手に余る存在だと思うのね。そこに「日本の」とか「米国の」「中国の」って形容詞がつく。人がまだまだ自分の力の小ささを認識していない証拠だと思うなぁ。
人は地球の自然って奴を征服したつもりになっている(人が多いように思う)けど、自然は人がコントロールできるような代物ではないってことがわかってきたんじゃないかな?人の営みによる温暖化・オゾン層の欠落。今さらだよね。同じですよ。宇宙(そら)も。

ジオン・ダイクンはコロニーの独立を掲げましたね。宇宙(そら)に自由を!結局変質しちゃったけど。宇宙開発には国っていう概念をなくして取り組んでこそなんじゃないかなぁ。ただ、それができないうちはあんまり深追いしてはいけないんじゃないかなぁ。悲観的に過ぎるかな?

投稿日時:2004-12-15 13:18:52

人の脳は何故感情や社会性を持ち得たのか?

まず最初にお断りしておく、タイトルは非常に学術的ですが、會澤が書くエントリにそのような学術性を求められても困りますし、答はここにはありません。(^^;;
このエントリを書くに当たって参照させていただいた文献は次の通りです。

NetScience Interview Mail Home

順天堂大学 医学部 生理学第一講座 教授である北澤 茂先生のインタビュー記事。実をいうとこの記事の日付は「2003/12/25」でございます。見事に一年前。こちらのホームページは會澤がいつも見ておりまして、アーカイブしております。しかしアーカイブしてしまうと「いつでも見れる」という安易な感情に支配されまして...言い訳です。
で、乱暴に會澤が感じたことを書きつづってみます。
  • 人の動機付けに報酬(快感と呼んでいる文献もある)がからんでくる。これは「人の感情」から見ても理解できる。
  • 人の行動はその場の報酬(快感)だけでなく、その先にある報酬(快感)を期待して決定づけられる。
  • 脳の中ではドーパミンニューロンという感覚器官(あっ、この表現正確ではありません)が司っている(らしい)。
  • 人の社会性もその延長線上にある。赤ちゃんは社会性もへったくれもない。成長するにしたがって獲得する社会性はドーパミンニューロンが司る報酬(快感)によって変化する。つまりは教育。
  • キレ易い若者はなぜ作られるのか? 切れることでドーパミンニューロンが報酬(快感)を得るのか? 行動の先にある報酬(快感)を知らずに育ったために、継続的・持続的(つまり我慢する)行動が取りづらいのか?
  • 本来運動系を司っていたはずのこれら脳内ニューロンが感情をも司るようになったのはなぜなんだろう。
いい例えではないかもしれませんが、脚気の検査で膝下の辺りを叩きますよね。そうすると不随意運動って言うんですか?人の意識とは別に、意識を通り過ぎて運動に直結する刺激がありますよね。同じように、普段我々が意識していないうちに行動に刷り込みが行われている。いわゆる性悪説・性善説ってのは、その刷り込みに人の脳が選択的に片一方の刺激を積極的に取り込むことが証明されればどっちが正解ってことになるんでしょうね。會澤は結局どちらでもない、人の社会性獲得の段階でどっち側の刷り込みがより多く(もしくはより強く)あったかって所に落ちつくんだろうと思いますね(あぁなんとも無難な)。脳という機関が取捨選択を行うとは考えづらいし考えたくない。それと「報酬」という言葉のとなりにわざと「快感」という別訳をのせたのは、「報酬による行動選択」。という言葉面に抵抗があったから。とはいえ、「快楽による行動選択」ってのも言葉面的に問題大ありだわね。
犯罪を繰り返し犯す人というは生まれたときから犯罪者ではないッスよね。どっかでなんかのタイミングで刷り込みが行われた。行動を司るドーパミンニューロンが報酬(快感)を得る。もしくは期待した報酬(快感)が得られない。ことによって、その人の行動パターンに隔たりがでる。そういうことなんでしょうね。

社会科学的にも、心理学的にもそのへんの話は決して新しいことではない。しかし、医学的に人の脳の中のパターンから言ってもそういう話が出てくる。それは會澤的には新鮮に感じましたです。

人ってのは不思議だ。そして、この手の感情・社会性っていうのはいつの段階で獲得したものなんだろう? かつて人も「生きる」ことに汲々としていた時代があったはず。その時点で社会性を獲得したのだろうか?人と関わり合うことで、一つの獲物を分け合うことは「個」としての繁栄には必ずしもプラスにだけ働くとはいいがたい。「生きる」ことは「個」が生きることではなく、「種」が生き延びること。そう考えれば確かに納得できるけど、それが「個」の脳内に生じたのはなぜなんだろう?考えれば考えるほどいろんなことが浮かんでくる。
結論が出なくてもいいから考えていきたい。