2004-04-20 23:12:00
願わくばボランティアバッシングに発展しないことを
国単位の活動や、国連団体にまかせておけばいい。そんなばかげた論理に飛躍しそうで怖い。確かに、危険地帯にのこのこ出かけていったというそしりは甘んじて受けなければならないかもしれない。しかし、それは空港で「金返せ!」のプラカードを掲げてよいということにはならない。ニュースでプラカードを見たとき、何とも情けない気持ちになった。せめて、プラカードを掲げていた人が顔を出し、自分自身をさらけ出しながらアッピールしていたらよかったのに。プラカードに隠れて「金返せ!」はないだろう。
人道支援の熱い情熱に駆られた純粋で無鉄砲な若者たちは、死刑制度を維持していたり難民受け入れを制限する政策を採ったりして海外で評判が悪い日本のイメージを高めるものであったにもかかわらず、それを誇りにするどころか、逆に日本の指導者と保守系マスコミは人質は「無責任」だとしてほしいままに貶している。彼等を励ましてくれたのは、アメリカのパウエル国務長官であった。彼等は国務長官からテレビを通じ「もし誰もリスクを取ろうとしなければ、決して進歩はない」との元気づける言葉を受け取ったのである。
Letter from Yochomachi "LE MONDE「日本では人質は解放されるための費用を払わねばならない」"
ストレス社会になってしまっている現在の日本においては、立場上反論できなそうな人を見つけると格好のターゲットにされてしまう。
疲れている(解放から数日では疲れは回復内だろう)3人およびその家族をニュースやら、ワイドショーならでさらし者にし、記者会見を設定するように求める。記者会見ではここのところさかんに話にのぼる「事故責任」なる言葉が続出することは想像に難くない。その回答を聞いて”識者”なる人たちが「軽率でしたね」などとコメントすれば、視聴率が取れるのだろうか。
彼らがしたことは、日本がやりたくても手が回らない末端のところに視点を置いた活動だったはずだ。事故責任なる言葉は無論存在する。戦時下の国へ出向き、活動するには少々準備不足であったかもしれない。しかし、それと彼らの活動は切り離して論じなければならないはずだ。
本当に願う。ボランティアバッシングに発展しないで欲しい。彼らの活動は活動として評価し、その手法は手法として批判の対象とする。理性的な対応を期待したい。
Posted by kaizawa | TrackBacks