投稿日時:2003-12-31 08:59:00
献血からHIV感染
献血というのは全血輸血に使われるだけでなく、血液製剤を作ることにも使われる。血液製剤は、必要な人にとっては必需品とも言えるもの。それが元でHIVに感染したというのはつらい。
献血するときに書く問診の中にも、HIV検査のための献血ではないということを誓約する文言があるのだが、結果としていかされないものになってしまったことになる。
企業などでもトラブルが起きるとその対策が求められる。で、その対策の結果、利便性が失われるということが往々にしてある。今回も、身分証明やら、検査精度を上げるための処置(結果のしてコストアップ)が必要になってくる。HIV感染者(疑われる人も含む)が献血するというのは現時点では”やってはいけない”ことなわけで、それによって迷惑がかかることも考えねばならないですよね。もとより、これら感染症を献血検査で検出したとしても、献血した人に通知はいかない。通知が行くと思っている人も多いみたいだけど、それは間違い。検査のためなら確か保健所などで行ってくれるはずである。
正月の初売りの際に、妻のウィンドウショッピングの合間に献血する。というのが毎年の通例になっている。毎年思うのはお正月から献血ルームに詰めているスタッフの方のご苦労についてだ。本当に大変。
心から感謝したい。
上記リンクは別に私が飯島直子さんが好きだからというわけでは...ちょっとある。
投稿日時:2003-12-30 12:44:00
森山直太朗「さくら(独唱)」
ピアノとヴォーカルの組み合わせ。森山良子の息子。卒業式ソングの新定番。色々な言い方があり、それぞれ正しいですね。
私は決してこの人「歌がうまい」とは思いません。ただ、感情を歌に乗せる乗せ方がストレートで好感が持てる。そう思います。
歌ネット - 森山直太朗 - 歌詞 - さくら 独唱 から2003年12月30日に引用さくら さくら いざ舞い上がれ
永遠にさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で
日本では4月に入学式が行われます。さくらは、やけにしゃちほこばった自分の背中より大きいランドセルと、精一杯「じみに」着飾ったお母さん達に似合います。そして、同時に別れの季節。
中学校の卒業式の時に担任の先生が唄ってくれた歌(独唱:オペラ風)が印象に残ってます。その後現場を離れ、県の教育委員会へ栄転(?絶対に現場が似合う熱血先生でした)された巌(ガンちゃん)先生。お元気ですか?
投稿日時:2003-12-27 09:04:00
鬼束ちひろ「月光」
実は非常に哲学的な詩の世界が広がっています。ある意味絶望に近い感覚。「人は泣きながら生まれてきた」そうですね、確かに赤子は生まれてすぐあたかもこの世に絶望して泣くかのように絶叫します。
歌ネット - 鬼束ちひろ - 歌詞 - 月光 から2003年12月27日に引用I am GOD's CHILD
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live in such a field?
こんなもののためにうまれたんじゃない
しかし、僕はこの世が絶望だけでできているのではないことを知っています。たとえ99の絶望であっても、ただ1つの希望は人が生きるだけの価値を持つのではないか?
若者の自殺がニュースになった一年でした。ネット上で絶望感のみを共有し、増殖させ、そして死を選ぶ。悲しいことです。どうか、どうか死を思っている人に届いて欲しい。世界は決して絶望だけでできているのはないということ。
どうぞどうぞ素敵な一年が全ての人に訪れますように。
投稿日時:2003-12-26 09:19:00
南極での皆既日食を見て感じたこと
皆既日食は過去幾度か放送された、残念ながら実物を見る機会には恵まれてはいないが、極北のオーロラと並んでみてみたいもののひとつではある。
今回は南極大陸での皆既日食。白夜の中低い高度で地平を巡る太陽に月が被さるという何とも不思議な光景。SFなどで、ふたつの月を持つ惑星などという設定があったりするとあんなふうな挿し絵が出てくるが、それが現実になっているという点は何とも不思議な感覚におそわれる。
大陸に影を差す月の映像もあった。皆既日食前後で左右の大陸の明るさが変わる。月の影だと説明されていた。すっげぇなぁ!何なんだろう。
鮮明なコロナや、プロミネンスも見ることができた。自然の大きさを感じるとともに、地球の小ささ、その上に立つ人の小ささを感じざるを得なかった。
私は神を信奉してはいない。人は神が作りたもうたという思いはないけれど、宇宙が神によって作られたとしたらそれはそれとして納得するかもしれない。現在の宇宙論ではビッグ・バンという巨大な爆発によって宇宙が始まったとされている。加速度的な膨張(インフレーション)の課程で多くの「物質」が生まれ、今もなお広がり続けている。
子供の頃(そして今も)、宇宙の果てには何があるのか?という疑問を持っていた。現在の宇宙論では、何もないと答える。正確には空間の概念そのものが宇宙という閉ざされた空間でのみ通用するのであって、「その外」というのは答えることができないのだという。
先日の皆既日食で、そんな壮大な宇宙の話でなくとも、身近にも太陽というおそらく人が触れることのできない荒ぶる世界があることを目にすることができた。太陽は今も活発に活動しており、その活動のめぐみの中で人は生きている。
宇宙を作りたもうた神は人のことなど眼中にないだろう。人にとっての神はおそらく太陽であり、その恵みを受ける受け皿であるこの地球であろう。そして何と傲慢なことにその地球を我がものとして活動している人間の業の深さか。
考えさせられる出来事だった。
投稿日時:2003-12-24 19:03:00
奥様の力作
本当に趣味の違う夫婦でございます。共通しているのは旅行好き、温泉好きってところかな?
あんまりはっきり写すな(あらが見える)ということで、アップにはしておりません。
私はこのての細かい作業が本当に苦手。その割にコンピュータを分解したりというのは好きですが、妻は機械と名がつくものは全て苦手。
私は身近にいろんな物が雑多に存在しているのを快適と感じるし、妻は全てにわたってシンプルが好き。
私は脂っこい濃いめの味付けが好き(ちょっと最近変わってきたけど)。妻は薄味の極み。
数え上げたらきりがないねぇ。元々まったく違った環境で育ってきたわけでそれはそれ、仕方ないですね。
なぜにこんな風に一緒に暮らすことになったのか? 人の縁とは不思議なもので...
うーん、それでもうまくいっているんです。それはそれで問題なし。
投稿日時:2003-12-24 15:36:00
加藤登紀子「時には昔の話を」
アニメ「紅の豚」のエンディングテーマ。この曲を聴きたくて登紀子さんのアルバムを買いました。この曲好きです。自分の学生時代は、いたって平穏なまま過ぎました。心の中の葛藤は大きかったですが、いわゆる学生運動の頃の激しさはみじんもありませんでした。この曲が語る「昔」とは学生運動華やかなりし頃のことと考えています。
大人になってあの頃のことを話す。でも、「あのころ」のまま熱いものをずっと胸に秘めて... かっこいいと思いませんか?
歌ネット - 加藤登紀子 - 歌詞 - 紅の豚〜時には昔の話を〜 から2003年12月24日に引用あの日の全てが 空しいものだと
それは誰にも言えない
今でも同じように 見果てぬ夢を描いて
走り続けているよね どこかで
自分の「あの頃」を語るのは正直すごく恥ずかしいし、わだかまりもある。ただ、友達から離れた(この辺の話がわだかまりの話)頃と自分の中に閉じこもった頃は重なっていますね。他人との関わり合いを煩わしいことと考え、さりとて自分自身にそれほど自身があるわけでもない。ものすごく中途半端なままただ時間だけが過ぎていく。ただ、そのころ考えたことは今の自分にとって大きな財産になっていると思います。
学生時代、東京で暮らした時代と続いた混乱(生活面でも精神面でも)はおさまっていますが、影響は当然あります。あったり前ですね。
投稿日時:2003-12-23 04:05:00
クリスマスモード
半分わざと、半分意図せずにぶれてくれました。
会社の駐車場から見たイルミネーションです。工場の高さいっぱいに作られたもので、結構迫力あります。私の勤めている会社なんですけどね(手前味噌)。
忙しい毎日ですが、毎年グレードアップしてるような気がするのは気のせいでしょうか? 管理してる設備管理部の意気込みがつたわってきます。数年前にはこのイルミネーションを見ながらカップルがいちゃついておりました(高校生風)。無料だからね。
投稿日時:2003-12-21 01:09:00
hiro「more close, more feel」
作詞はhiro本人。彼女のライヴ映像を見ると咽は大丈夫かしらと心配してしまう。SPEED時代から咽を絞るような歌い方してましたよね。ヴォーカリストとしての寿命を短くしてしまうのではないかなと心配です。
歌ネット - hiro - 歌詞 - more close,more feel から2003年12月21日に引用あふれだした甘い想いは 私をキラキラにしてゆくの
このフレーズ素敵だと思いませんか? 彼女ぐらいの年代の子から出てくるといいなぁと思いますね。恋する女の子はホントにキラキラしてる。なぜでしょう? 本当に綺麗になりますね。理由なんてわからなくともそんな風に「キラキラ」になってる子を見るとこっちまで幸せな気分になります。やらしい意味はないですよ。
変化ってのは突然やってきます。心地よい変化はとまどいながら笑顔も運んでくるのですね。
投稿日時:2003-12-17 20:36:00
骨髄バンクに関して
初期コーディネートのためにアンケートというか、現在の状況を書き込む用紙が送られてきて書き込んで返送した。結果からいうと腰痛持ちはコーディネートを続行できないのだそうだ。コーディネートの担当者も言っていたが、骨髄バンクが発行している小冊子にはその点の記載がない(改訂予定だそうだ)。
今回アンケートが送られてきて初めて知った。
私はずいぶん前から腰痛に苦しんでいる。最近ようやく落ち着いてきた。とはいうもののまだ痛み止めの薬は服用している。少なくとも薬を飲まずに普通の生活ができる程度でなければコーディネートは続行できないらしい。骨髄などというと骨を削るイメージがもしかしてあるかもしれないけど、実際には太い骨の中にある髄液を採取するもので骨を削ったりすることはない。
しかし、針を刺すのがお尻というか腰というか正確な名前は知らないがその辺の大きな骨なのだそうで、針を刺すことがトリガーになって腰痛を起こす人がいるのだそうだ。なるほどそういわれればそうかもしれない。
骨髄移植を待っている人はいったい何人いるんだろう?骨髄バンクとしてはドナー(提供者)の健康を害してまで、移植を進めるのは協会の趣旨に反する。ということだ。待っている人の命もひとつ。提供するドナーの健康もまたひとつ。双方対等であるというわけで、なるほどと感心した。ボランティアってのはそういうもんなんだろうな。
考えさせられる出来事だった。
投稿日時:2003-12-16 03:18:00
加齢による身体の変化(考えたくない話)
もうどうしようもない、夜勤が開けて身体を戻すためにあえて眠らずに夕方まで起きていたけど、もう使い物にならないポンコツ状態になってしまった。「以前は」とか「若い時は」というのはいいたくない話だけど、事実としてからだがついていかない状態になってきているのは認めざるを得ないところ。悲しい。
考えてみれば来年は2度目の成人式。最初の成人式の時には何がなんだかわからぬまま「おとなになった」という自覚も感慨もなくまわりだけがおめでとうを言っている。そんな感じだった。
振り返ってあの頃(20歳の頃)から更に同じだけ年を重ね、40の大台に乗ろうとしている自分。身体の衰えというのがないわけではないし、事実あちこちがたがきている。この先、若返りの秘薬でもないかぎり(そんなドラマあったね)加齢による衰えは隠しようもなくなる。それはそれ、事実として”認めたくない”けど認めざるを得ない。あとはそんな身体とうまいこと折り合いをつけながらどう暮らしていくかと言うこと。
年をとることは自然なこと、ただ悔しいかな精神的な成長の方が(特に私は)遅れてきているようで、まだ20代の若者のつもりでいる。この「つもり」が、心と体の大きな溝。おとなにならなきゃね。
世間一般ではおじさんの領域に足を踏み込んでいるという事実に、愕然としている自分がいる。ふぅ〜。
投稿日時:2003-12-13 09:25:00
総選挙が終わった(始まるのはこれからだよ<代議士さん)
勝手に引用させてもらう>事後承諾ゴメン。ひげさん。
「あいつじゃだめだ」「こいつじゃだめだ」「一票入れたからといって、何が変わる」と言って穴倉にこもるのはいいけれど、じゃ、候補者の人たちに比べて自分はどれほどの人間なのか。自分には何ができるのか。勇気を持って自分をどれだけ変えたことがあるのか。
う〜んそうだよねぇ。ご託並べるよりまず動くこと考えないとね。
選挙権をもらっってからたぶん一度も棄権していないはず。自分が投票した候補が当選したこともあれば、落選したこともある。落選したからってそれは意味のない一票だったかというとそんなことはない。楽勝だと思っていた候補が意外に接戦になる。当選はしたものの、候補の口から気を引き締めて当たりたいという言葉が出る。それが、落選者に投じた一票の重みになる。
もちろん受かった受かったといって喜んでばかりの候補には自分に投票しなかった人の声など聞こえないかもしれないが、それでも死に票なんてのは本来ないのだと思う。
死に票は、(今年もあちこちであった)投票にカウントされない票のこと。これはつらい。選挙管理委員が選挙区と比例区を間違えていたとかというのを聞くと、冗談じゃねぇと思ってしまう。
選挙権というのは、以前万人のものではなかったことをもう一度考えて欲しい。女性に選挙権が付与されるようになってまだ日が浅い。生まれや育ちで選挙権が生じていた時代だってそんなに遠いものじゃない。一定の用件さえ満たせば自分だって、あなただって選挙に立てるようになったのなんてつい最近のことだ。
先人が様々な戦いの中で勝ち取ってきた「権利」なのだ。ムダにするなんてもったいない。
近年は不在者投票も非常に簡単に行えるようになった。理由だって「その日は都合が悪い」それだけでいい。投票所に行く手間は確かにあるが、公平を期すため今は致し方ないと思うべきだ。そのうちインターネットで投票できる日が(そう遠くなく)来るだろうなぁ。
棄権をすることは簡単だけど、文句を言う資格すら棄権によって失っているのだということに気づいて欲しいなぁ。
次の選挙にはぜひ行きましょう。ぜひに。
投稿日時:2003-12-12 01:10:00
RE:分別の問題
一部分のみの引用を許していただきたい。
ジョンやヨーコを嫌いだ(好きではない)と書いてあるものもあった。きちんと理由まで書いている人は少ないが、乱暴にまとめると、『何かというと愛とか平和というのがキモイ』、『強い夫婦愛ばかりが取り上げられるが、そのためにジョンは妻子を捨てたではないか』などがあった(個人批判が目的ではないので引用はしない)。
(中略失礼)
例えば、発明王エジソンは自分勝手でいやな性格だったとか、野口英世はお金にだらしなく多くの人に迷惑をかけたとか、シュバイツアーは人種差別的な発言をしていたとか、この手の話が大好きな人は多い。このようなエピソードはその人物を語る上では興味深い事実かもしれないが、その成し遂げた業績とは何の関係も無い。
KHOOz NOTEBOOK 2003/12/11より
強く同意する。
別にジョン・レノンのことをいっているのではない。人となりと業績を一緒くたにしてはいけないだろうという部分にである。ファンの中には愛するがゆえに「盲目的」な愛し方をすることがある。これがこと恋愛であればそういう部分は存在する。男と女の関係は盲目的なものの上に構築されることがままあるのだから。
でもね、「アイツはこうだから。ああだから」とのべつ幕なし前提条件をいわれても困る。斜め読みしかしてないけど要するにバカの壁なわけだ。なぜ、作品を客観的に評価しようとしないのだろうね。多いんだ、これが。
楽曲というのは作品であって、作者を写す鏡ではない(時として作者の人となりが作品に反映される場合もあるけど、だからといって作品が悪しき物になるわけでもない)。作者=作品ではないわけで、ちゃんと分けて考えなきゃいけないよね。
洋楽を聴く環境になかった(今でも聞くことはない)ので、ジョン・レノンの作った曲がビートルズのどの楽曲なのかすら知らないから、ジョン・レノンの批評も、ビートルズの批評もしない。
ただ、知らないながらも「Yesterday」は好きだし、イマジンの歌詞も素敵だと思う。
それがビートルズの楽曲だからとかレノンが作った曲だからという以前に、である。好きとか嫌いっていうのはそういうところだと思うんだけどな。
フィルターを通してしまうと本当の色は見えなくなる。まっすぐに向き合うことが本当の姿が見えてくるのだと思うよ。好きな人でもここは嫌い。それはぜんぜん不自然じゃない。同様に嫌いだけど好き。これもあり。
投稿日時:2003-12-11 23:10:00
藤本美貴「会えない長い日曜日」
可愛いですよね。石川梨華の方が好みといえば好みですが...
最近モーニング娘。に「加入」したそうですが、この曲はピンで出てた頃の曲です。最初に聞いたときはまるっきり先入観なしに”歌い方は変だけど可愛い歌い方をする子”というイメージでした。つんくの曲だったんすね。今にして思うとそのとおりですね。
今回はちょっと長く引用。
歌ネット - 藤本美貴 - 歌詞 - 会えない長い日曜日 から2003年12月11日に引用待ちきれないで 電話しちゃった
だけど当然 直で留守電
まさか本当は 他の誰かと…
いけない風に 考えちゃう
もうすぐ夕方になる
メイクもくずれちゃう
会いたい…
他の方はどうか知りませんが、こんなこと言われてご覧なさい。ヘロヘロになりますよ。最後の「メイクも...」の部分は女の子ならではですねぇ。...でもこの曲の作詞はつんくだよな。よくこんなの思いつくなぁ。
最近ではモーニング娘。もばら売りを始め、以前のような勢いがなくなってまいりました。モーニング娘。というグループに所属した方がよかったのか? ピンで売ってた方が彼女のためだったのではないか。いらぬおせっかいですけどね。
あ、私可愛い子好きです。
投稿日時:2003-12-10 12:50:00
思いやる心
青空文庫さんから新仮名遣いのものを選んで持ってきた。
ジョバンニはまっ赤になってうなずきました。けれどもいつかジョバンニの眼のなかには涙がいっぱいになりました。そうだ僕は知っていたのだ、勿論カムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの書斎から巨きな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、まっ黒な頁いっぱいに白い点々のある美しい写真を二人でいつまでも見たのでした。それをカムパネルラが忘れる筈もなかったのに、すぐに返事をしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午后にも仕事がつらく、学校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、カムパネルラともあんまり物を云わないようになったので、カムパネルラがそれを知って気の毒がってわざと返事をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。
宮沢 賢治『銀河鉄道の夜』
冒頭の一文である。ここだけ抜き出して引用するなんて名作を冒涜するようなものだろうが、誰かを思いやって、涙を流さんばかりに、そんな気持ちに最近ついぞなっていないようなそんな気がしたのだ。
昔ラグビーをやっていた、ひとりプレーではなく、みんなでプレーするのだ。そういわれた。
学生の頃生協の仕事に携わった(中途半端な形で終わってしまい自分の中では封印していたことだけど)、『ひとりはみんなのために』。
今、自分のことで精一杯。
あぁ、だけど、知っているんです。怠けるためのいいわけだってこと。知っていて動けない(動かない)自分がここにいます。情けないです。
一年に何度かこんな気持ちになるのですね。で、また忙しさをいいわけにしてしまう。くり返す学習能力のない私ですが、なんとか自分のまわりのことだけでも一生懸命にやっていきたいと「今」思っております。
投稿日時:2003-12-10 12:26:00
5へぇ
あんまりテレビ見ないので、まわりが「へぇ、へぇ」いってても気が付かなかった。
フジテレビの人気バラエティー番組「トリビアの泉」で使われている押しボタンを商品化した「バンダイ」(東京都台東区)は9日、通販会社「ビーン」(大田区)が類似品を販売したとして、同社に販売差し止めを求める仮処分を東京地裁に申し立てた。
このボタンは、番組で紹介された雑学知識に驚いた出演者が連打することで、「へえー」「へえー」と音が出る仕組み。申し立てによると、バンダイはフジテレビの同意を得て商標登録し、先月上旬、「1/1へぇボタン」(1980円)として発売。10万台以上を出荷するヒット商品になった。ビーンは12月になって、ほぼ同じ商品(1580円)のインターネット販売を始めたという。
著作権やら権利のたぐいをとやかく言うつもりはないけれど、イイじゃんそんなもん。おもちゃでしょ。笑ってやり過ごせば。ってわけにはいかないんだろうね。
で、もっとビックリしたのは10万台!売れてるってこと! 私は世間に取り残されているようだ。