2003-12-10 12:50:00

思いやる心

青空文庫さんから新仮名遣いのものを選んで持ってきた。

ジョバンニはまっ赤になってうなずきました。けれどもいつかジョバンニの眼のなかには涙がいっぱいになりました。そうだ僕は知っていたのだ、勿論カムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの書斎から巨きな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、まっ黒な頁いっぱいに白い点々のある美しい写真を二人でいつまでも見たのでした。それをカムパネルラが忘れる筈もなかったのに、すぐに返事をしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午后にも仕事がつらく、学校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、カムパネルラともあんまり物を云わないようになったので、カムパネルラがそれを知って気の毒がってわざと返事をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。

宮沢 賢治『銀河鉄道の夜』

冒頭の一文である。ここだけ抜き出して引用するなんて名作を冒涜するようなものだろうが、誰かを思いやって、涙を流さんばかりに、そんな気持ちに最近ついぞなっていないようなそんな気がしたのだ。


昔ラグビーをやっていた、ひとりプレーではなく、みんなでプレーするのだ。そういわれた。


学生の頃生協の仕事に携わった(中途半端な形で終わってしまい自分の中では封印していたことだけど)、『ひとりはみんなのために』。


今、自分のことで精一杯。


あぁ、だけど、知っているんです。怠けるためのいいわけだってこと。知っていて動けない(動かない)自分がここにいます。情けないです。


一年に何度かこんな気持ちになるのですね。で、また忙しさをいいわけにしてしまう。くり返す学習能力のない私ですが、なんとか自分のまわりのことだけでも一生懸命にやっていきたいと「今」思っております。


Posted by kaizawa | TrackBacks