Mon - November 24, 2003お金の話昨今、国の財政の話やら、個人の所得の減少やらと暗い話題が多い。ユニセフの財源の多くは寄付金に頼っている。
私は月々決まった額(微々たるものだが...)を銀行引き落としでユニセフに募金している。正直、額はここで表明できるほどの額ではないが、2つの点を述べていきたい。
1つ目は税制上の優遇措置にある。ご存じの方もいるかと思うが、認定を受けたNGO(政治団体へも同様)への寄付金については一定額を所得から差し引いて税金を計算してもいいことになっている。 第78条 えー非常にわかりにくいですねぇ(^^;; 税金の話をする時には、「所得」というのがいかなるものかをきっちり押さえておかねばならないのですが、その辺の話は省略(専門家ではありませんので間違ったことを流布してはいけませんので)。まぁ(1)に該当するのは相当額の金額を寄付した場合に相当します。所得の25%を寄付するというのはあまり考えられませんからこの部分も省略。 難しい表現をしていますが、年間に寄付した合計額から1万円を引いた額を「所得」から減額した上で所得税を計算してもよい。ということになります。税額から減額されるわけではありません。 しかし、寄付を行った場合は頭に置いておく必要があります。これはサラリーマンなどで源泉徴収されている場合には、自分で申告しなければなりません(修正申告)。最近はフォーマットも簡略化されており、枠に沿って書き込んでいけばいいだけなので決して面倒ではありません。医療費控除も同時に行えます。 もう一つぜんぜん違う側面を述べたいです。 それは、我々の寄付の使い道がいわゆる途上国向けに行われるため、日本での金銭価値以上に寄付金の意味が大きくなるということです。 一例を挙げると次のようなものがあります。 (US$1=120円) 寄付金に関しては一時的なものと、継続的なものがあります。外食一回をパスした金額程度であっても有意義な使い方をしてもらえばそれはそれ、生きたお金の使い道であると私は考えております。具体的に自分のlifestyleにあった方法を探っていただければいいのではないかと。無理してまで寄付しろなどとはいいませんが、一日間缶コーヒー半分我慢しただけでも月1,800円になるわけです(缶コーヒー1本=120円、月30日)。捻出できない額ではないと思います。むろん無理する必要など”まったく”ありません。 このエントリーを書くに当たっては、悩んだ。ただ、自分の気持ちを正直に表現しようとこのWebPageを開いたということもある。へたくそな文章であるが、書いていこうと思っている。続きはまた後日。 右側に表記しているFavorite Linksの先頭にユニセフのWebPageへのリンクを張ってある(リンクに関してはユニセフに許可を得ている。リンクを張ることの許諾を得ただけで内容に関してユニセフから許可を得たものではないことを付け加えておく)。この記事から興味を持った方はClickしてみて欲しい。 Posted at 08:09 PM This entry only & Comments/TrackBack
なぜUNICEFか?例えば赤十字でもいいし、国連団体にも色々ある。なぜUNICEFに肩入れするのか?
UNICEFと言う団体が掲げているのは、世界中の子供たちとその母親に対するケアと言うことだ。
會澤がなぜにそこにこだわるのか、誠に舌っ足らずな説明ではあるが以下に述べてみたいと思う。 最近日本での凶悪犯罪の低年齢化が言われている。言われているだけでなく、事実起きているのが悲しい現状だ。子供を子供として扱うのが過ぎて子供をつけあがらせる原因になっているという議論がある。実は會澤もその意見に賛成だ。物事の分別がつく年齢というのは、15・6歳のあたりにあるのではないか?その辺からは”完全に”おとなとして「法律上」扱う。そのぐらいはっきりさせた方がいいように思う。 「日本」では。 日本に「」(かぎ括弧)をつけたのはもちろん理由がある。日本や、同じように犯罪の低年齢化が続いている米国は、世界の中では特殊な存在になってしまう。世界の国の富を集めた母集団があるとすると、世界のトップ5が母集団の半分どころか大半を占めてしまうと言うのが現状だ。 つまり、いわゆる先進国と呼ばれる国への富の集中傾向はどうしようもないほど顕著に表れていると言うこと。逆に考えれば、世界の大半は飢えに苦しみ。生きることが基本的なものでなくなっている国が多いと言うことだ。 シエラレオネ と言う小国(面積という意味です)がある。5才未満の児童死亡率が非常に高い国で、1,000人当たり316人が5才未満で死亡すると言う国です。約3分の1に達しているわけだ(出典はユニセフ、国連人口局、国連統計局による)。 子供がいなくなった世界を想像して頂きたい。日本も別の理由により超高齢化社会への道を歩んでいるが、社会の活力がなくなっていく尻つぼみの社会であることは容易に想像できる。子供は社会にとっては将来の活力であり、屋台骨を支える存在なのだ。 日本という国にいて見えるもの見えないものというエントリ を先日書いた。国によっては傍目に自業自得ではないかと思えるような歴史を持つ国も少なくない。しかし、考えていただきたいのは子供に責任はないのだ。歴史の責任者とは誰かと問われると幾分微妙な問題になってくるのだが、少なくとも歴史にこれまで関与してこなかった子供たちには責任はないはずだ。そしてその国の将来を担うのは間違いなく子供たちなのだ。 そんな子供たちが、国の歴史や、おとなたちの都合でないがしろにされているという現実。最悪の場合、生まれてくる子供の3人に1人は5歳の朝を迎えられないのだ。そんなことはあってはいけないのではないだろうか。 子供と子供ともっとも身近な存在である母親をサポートするというUNICEFの理念は、間違っていないと(會澤は)思うのだ。ある意味普遍的なものなのではないかと思うのだ。 ゆえにUNICEFなのだと言いたい。 このエントリーを書くに当たっては、悩んだ。ただ、自分の気持ちを正直に表現しようとこのWebPageを開いたということもある。へたくそな文章であるが、書いていこうと思っている。続きはまた後日。 右側に表記しているFavorite Linksの先頭にユニセフのWebPageへのリンクを張ってある(リンクに関してはユニセフに許可を得ている。リンクを張ることの許諾を得ただけで内容に関してユニセフから許可を得たものではないことを付け加えておく)。この記事から興味を持った方はClickしてみて欲しい。 Posted at 12:56 AM This entry only & Comments/TrackBack Thu - October 23, 2003日本に住んでいるから「わかる」こと「わからない」こと非常に抽象的なタイトルであり、またひとつのエントリーに書ききれない内容であるので、パートoneだと思って頂きたい。
尚、(財)日本ユニセフ協会(記事中ではユニセフと略称させて頂く)がエントリーの中に出てくるが、ユニセフとの連携関係はない。 幸せなことに日本という国に私は生まれた。数々の不具合やら不満が日本には存在するし、今の日本に満足しているかといえば答は「ノー」だ。
しかしながら、私が生まれたのは昭和39年(東京オリンピックの年)、いわゆる「高度成長期」に突入し日本経済がこの世の春を謳歌している時代だ。戦争という忌まわしい過去を背負いながら、それでも少なくとも「経済的」には先進国と呼ばれる国に仲間入りをした時代。当然の事ながら私は戦争を知らず。飢えを経験していない。 生きることを主体的に語ることができる国に、時代に生まれたということになる 残念ながらこの地球上には同じ「人」という動物に分類されながら、「生きる」ことを必ずしも当然なことと認識できない環境におかれている人がいる。自殺やら殺人といった殺伐としたものが、テレビのニュースをにぎわしているが「死ぬ」ことが当たり前のことでないからこその事態だ。 死ぬことが当たり前。死んでいく人がそこら中にある。そこに日常的にある時代や地域が存在する。日本という世界一治安のいい、経済的にも恵まれた国にいては情報としてしか得ることしかできず、また感じることができない。 ユニセフという団体がある。 For every child Health, Education, Equality, Protection ADVANCE HUMANITY 子供というのは世界の未来を担う存在だ。子供の頃の僕らは自由に夢を語り、将来を想って生きてきた。それが当たり前だと思っていたし、疑問を感じることはなかった。夢を語る時自分自身が明日「死ぬ」ことを頭に置いて話したりしない。明日は訪れるものだし、それが当然なことなのだ。 子供の頃私は、自分以上に裕福な子供を見てうらやましいと思った。ねたましいと思った。 非常に情けない話だが、逆に逆境におかれた同年代の子供を見て優越感を持っていたのもまた事実だ。 正直に言うとユニセフという団体のことを初めて知った時、子供の頃に持った優越感が自分の中にあったことは認めなければならないと思う。 それは事実だ。 ユニセフというのは世界中の子供と母親のために活動している団体だ。世界中には、1才未満の死亡率が非常に高い国が少なくなく存在する。子供の頃夢を語っていたと話した。しかし、これらの国々では夢を夢みることができる前に死ぬことになるのだ。なぜ? そこには人為的なものも存在する。自然災害によるものも存在する。様々な理由によるものがある。「理由」は様々だが、「現実」に子供たちは死に瀕している。 日本にいたからこそ知り得た事実だ。 僕らは何ができるだろう。何もできないのだろうか? 簡単には語れないものかもしれない。ただ、私は単純に考えてみた。「死に瀕している」という現実の前に信条もへったくれもないのではないか。誤解を招くのを恐れずにいうなら、日本に生まれた僕らだからこそ「できる」ことがあるのではないか。 このエントリーを書くに当たっては、悩んだ。ただ、自分の気持ちを正直に表現しようとこのWebPageを開いたということもある。へたくそな文章であるが、書いていこうと思っている。続きはまた後日。 右側に表記しているFavorite Linksの先頭にユニセフのWebPageへのリンクを張ってある(リンクに関してはユニセフに許可を得ている。リンクを張ることの許諾を得ただけで内容に関してユニセフから許可を得たものではないことを付け加えておく)。この記事から興味を持った方はClickしてみて欲しい。 Posted at 07:54 PM This entry only & Comments/TrackBack |
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