宇沢弘文 その2
ヤンキーはもともと投機に長けていて、当時の資本主義的な条件(今もそうだろう)を巧みに(有利に)応用して、土地を 生活と生産の基礎と見るよりも、投機的な儲けを追及する手段や道具と考える傾向があった(今もそうだろう)。... ヤンキーは資本主義においては時代の寵児であり、一方、ノルウェーからの移民は農業を目的とした開拓移民であり、小さい時からその有り様を目にしていたヴェブレンは、資本主義的な投機に極めて批判的であった
日経の「やさしい経済学」で連載した 宇沢弘文氏であるが、なかなか良かったが シリーズコラムという制約のなかで舌足らずな面は否めない。と言うわけで 私が補足するなんて僭越なことは出来ないが、多少 付け加えたほうがいいと思うことをコメント。
宇沢弘文氏の スタンスは ヴェブレンの 制度主義であり、ヴェブレンの考え方を理解することが 宇沢氏の主張の理解に結びつく。
ソースティン・ヴェブレンの理解は 宇沢氏の著した ヴェブレン(岩波書店)を読めば良いだろう。この本 もう絶版らしいが、極めて面白い本である。以下そこからヴェブレンの出自を紹介してみる。
ヴェブレンは米国人だが、もともとノルウェーからの移民の子である。当時の米国は、ニューイングランドからやってきたアングロ・サクソン系を中心とするヤンキーが経済力を持っていた(今もそうだろうけど)。 ヤンキーは投機に長けていて、当時の資本主義的な条件(今もそうだろう)を巧みに(有利に)応用して、土地を 生活と生産の基礎と見るよりも、投機的な儲けを追及する手段や道具と考える傾向があった(今もそうだろう)。
宇沢氏は、ノルウェーの移民たちが これら ヤンキーにしてやられた(つまりダマサレ搾取された)こと、あるいは 農民が犠牲となって 利益を貪るのは都会のヤンキーであったこと が その後のヴェブレンの思想に影響していると 述べているが、宇沢氏自身が そう思っているのだろう。 ヤンキーは資本主義においては時代の寵児であり、一方、ノルウェーからの移民は農業を目的とした開拓移民であり、小さい時からその有り様を目にしていたヴェブレンは、資本主義的な投機に極めて批判的であった。
宇沢氏は 農業に特別な産業としての位置づけをしている。日本の農村人口(農業を営む市町村に住む人口であって 農業人口ではないと思われる)は20パーセントか25パーセント程度が望ましいとしている。そして農村は 彼の言う 社会的共通資本の構成要因であって、社会全体の安定性を維持するための仕組みと見なしている。
よって 農村とは 単に農業生産物を効率的に生産する場ではなく、農の営み自体がその存在意味の大きな部分を成すということになる。ややユートピア的な位置づけではあるが、宇沢氏の言うところは良く理解はできる。
私も農村地帯を仕事でドライブすることが日常であるが、農村地帯の四季折々の風景や風物は確かに感動を与える。宇沢氏の言を借りれば「農の営みというとき、それは経済的、産業的範疇としての農業をはるかに越えて、すぐれて人間的、社会的、自然的な意味をもつ」となる。
Posted: 土
- 1月 22, 2005 at 10:36 午後
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