クルーグマンへの批判


 クルーグマンのノーベル賞受賞におそらく(ハイエク派?は... 一番、面白いのは『クルーグマンにスウェーデン銀行賞 』でしょうか。 読んでみるとそれなりに面白いですが、『その時その時で理屈を変えて世の中に媚びてきたわけで、(中略)経済学者の卑しい部分を代表する人物だ』と手厳しい...真っ当に自分の研究がそのまま生のままで評価され研究費やポストを得るなんてことは極めて稀でしょう。

 クルーグマンのノーベル賞受賞におそらく(ハイエク派?は)文句たらたらだろうと思ったら、実際そうなんですね。一番、面白いのは『クルーグマンにスウェーデン銀行賞 』でしょうか。読んでみるとそれなりに面白いですが、『その時その時で理屈を変えて世の中に媚びてきたわけで、(中略)経済学者の卑しい部分を代表する人物だ』と手厳しい。が、この評自体がやっぱり『その時その時で理屈を変えて世の中に媚びてきた、卑しい部分を代表する』経済学者の評だから面白い。同学同士多いに批判し議論するのが学問の進歩につながるのだらか良いでしょう。

 猟官運動のために論文を書いたと揶揄しているようですが、研究者とはもちろんもともとそう言うタチなのは当たり前。科学研究費のために論文を書くのとどれほどの違いがあるのか?と思います。真っ当に自分の研究がそのまま生のままで評価され研究費やポストを得るなんてことは極めて稀でしょう。猟官や科研費のために論文を書く事自体は当然でしょう。自分の信じる研究しかやらない、自分の納得行く論文しか決して書かない、などがあるんだろうか。

 問題の本質は、どこまで自分の研究者としての真摯さとしての許容範囲があるか?でしょう。一般のかたが思うほど、研究者は仙人のような霞を喰っている人種ではない。むしろ多くの研究者は貪欲に研究資金と研究ポストを狙ってガツガツしている人種である。そしてそうでなければ(貪欲さがなければ)良い研究成果は得られない。

Posted: 金 - 10月 17, 2008 at 04:30 午後         |


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