隷従への道と健康づくり
ハイエクはノーベル経済学賞を受賞し、米国の大統領自由勲章を受けた偉人?...
ハイエクは小さな政府と規制緩和の英国サッチャー改革やレーガン政府の思想的基盤となった思想創設者と言える。
よって、サッチャーやレーガン改革を成功とみる人はレジェンドとなり、サッチャーやレーガン改革を失敗とみる人はまあ一人の思想家と思うだけとなる。... ハイエクの発想の根源は、人間はもともと合理的でもそれほど知的でもなく、人が色々と組織や計画を作っても、本質的に合理的でもない知的でもない人の作る組織や計画が(限界があり)うまく機能するわけがない。.. つまり、(健康づくりの)ダイエットに間食やらお菓子の誘惑に負けるなら、あるいは虫歯予防でも良いが、私はいっそのこと、この町では、間食やお菓子の広告を規制してしまえ、というものである。...タバコはニコチン薬物中毒であるから次元が違う有害物質である(そしてアルコールも、、危険性の周知は不可欠だし、規制も必要だ。
経済学者にして哲学者の右派?ハイエクの有名な著書に『隷従への道』というのがある。ハイエクはノーベル経済学賞を受賞し、米国の大統領自由勲章を受けた偉人?である。なんせ後者は米国大統領が文民に与える最高の栄誉とされる。ハイエクは小さな政府と規制緩和の英国サッチャー改革やレーガン政府の思想的基盤となった思想創設者と言える。よって、サッチャーやレーガン改革を成功とみる人はレジェンドとなり、サッチャーやレーガン改革を失敗とみる人はまあ一人の思想家と思うだけとなる。私は後者である。
このハイエクを思う度に、いつも迷うのは健康づくりでのこと。先日、ある町の健康日本21計画の評価委員会に行ってきた。出てくる課題はいつもの通りと先日も述べた。
ハイエクの発想の根源は、人間はもともと合理的でもそれほど知的でもなく、人が色々と組織や計画を作っても、本質的に合理的でもない知的でもない人の作る組織や計画が(限界があり)うまく機能するわけがない。そして人を正しく導くものは、社会的過程を経てだけであるというもの。実にシンプルで説得性がある。レッセフェール風である。
じゃあ健康日本21などの計画が無駄かと言えば、決してそうではない。ハイエクの言う『社会的過程』とは、市場だったりする。それを極端に勧めれば市場主義者になる。ただ、健康日本21での『社会的過程』とは、敢えて言えば(中間)評価だったりする。計画について自由に批判評価するのが良い。お役所主導のお手盛りシャンシャンの委員会ではダメ。計画を立てっ放しで、評価もしなければ(立てた計画なんぞは)弊害があってこそすれ無意味なものだろう。だから中間評価や最終評価で喧々諤々の議論が宜しい。しかし、本質的な『隷従への道』の問題が別にある。
つまり、(健康づくりの)ダイエットに間食やらお菓子の誘惑に負けるなら、あるいは虫歯予防でも良いが、私はいっそのこと、この町では、間食やお菓子の広告を規制してしまえ、というものである。こんなこと事実上は不可能かもしれないが、やろうと思えば出来るはず。問題は根源的なハイエクの指摘した問題が残るということ。そうやって行政や住民組織が規制してしまえば、健康的な判断力でのダイエットではなく、行政や組織に自分の判断力を奪われた隷属的な人格が生じるのではないか?という、いささか考え過ぎのような根源的問題である。ただ、この町でそうやっても、どうしても食べたい住民は(簡単に)隣町でお菓子を購入するという現実もある。
ハイエクは、人間なんてもとから合理的でも知的でもないとしているので、逆に言えばある種の規制がないとメタボも虫歯も減らないということになる。タバコの広告規制は反対だという人がいるが、あれはあきらかに違う。タバコはニコチン薬物中毒であるから次元が違う有害物質である(そしてアルコールも、、危険性の周知は不可欠だし、規制も必要だ。人食い虎を野放しする社会はない)。でもお菓子や間食は摂り過ぎなければ少なくとも害にはならない。そして食べたいという自由意志は阻止できない。
もともと健康づくりと称してどこまで個人の意思や自由な選択に関与できるかが問題である。欧米の医学専門誌にも広告規制の是非が論じられている。しかし、現実にはお菓子メーカーなどは余りにも強力な宣伝(プロパガンダ)をやり過ぎではあるだろう。食べたいという自由意志とは言うが、その意思はどこから生まれたか?実に巧みに人間の根源的食欲本能をいたずらに刺激するコマーシャルから生まれたとすれば、それはその人の自由意志ではなく、製菓会社に作られた『自由意志』と言う名の隷従かもしれない。
Posted: 水 - 10月 22, 2008 at 03:22 午後
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