計画配置は共産主義の亡霊


やる気のある人たちをプレイアップすることを考えないと。..おそらく今は無くなった共産主義国家の非効率が直ちに再現するだろう。.. 私は反ハイエクだが、ハイエクのいう『人を高度に合理的で知的なものとしない』という考え方には大いに賛同する。... ハイエクとはおよそかけ離れた存在とも言えるアマルティア・センでさえ、自由と市場を最高のものとしている。

 読売新聞に医師の計画配置をと社説が載ったらしい。私は読んでない(計画配置と聞いただけでむしずが走る)。舛添大臣がすかさず『医師の計画配置はダメ』と発言した。その通りと舛添大臣に拍手を送りたい。

 大臣は『規制を考える人は、自由な社会の大切さが分かっていない』と。そうなのだ。自由な社会、この大切さを軽んじて議論は進まない。傑作なのは、右派の反共であるはずの読売新聞でさえ、計画配置の計画経済?の共産主義の亡霊を持ち出すということ。舛添大臣は『「枠をはめるのはダメ。規制するのではなく、自由なやり方がいい」と言ったのに、この点は新聞に書かれなかった。』と。

 共産主義は滅びた。なぜ医療に共産主義的な非効率の計画配置を持ち出すのか理解できない。『医師の偏在解消には、「パニッシュメント(罰)」を与えるようなやり方ではいけない。やる気のある人たちをプレイアップすることを考えないと。行きたくもないのに、「行け」と言ったら、やる気をなくすだけでしょう。』と、これもその通り。

 医療や教育は社会的なインフラである。国として社会としてそれなりの負担をすべきインフラである。つまり国民が負担をするもの。ここに計画配置という(安易な)強制力と非効率を働かせば、極めて質が悪くなる。おそらく今は無くなった共産主義国家の非効率が直ちに再現するだろう。国や地方自治体に医師の計画配置という強制力を持たせれば、手抜きと辻褄合わせた、ただの形骸化した医療制度になる。年金制度を見ればわかる。

 私は反ハイエクだが、ハイエクのいう『人を高度に合理的で知的なものとしない』という考え方には大いに賛同する。国家主導による医師の計画配置など愚の骨頂である。なさけないことに日本医師会の一部もそれに賛同している。ハイエクとはおよそかけ離れた存在とも言えるアマルティア・センでさえ、自由と市場を最高のものとしている。人間から自由闊達な精神を奪うような計画配置で縛れば高度であるべき医療は窒息してしまうだろう。

 地方の医師不足は地方に魅力がないからである。臨床研修必修化で地方の大学や病院で研修医が来なくなったのは、とりも直さずその大学や病院に魅力がないからである。なぜ地方の病院や大学に魅力が無いかは国も考えるべきだろうが、強制的に医師を配置するのは安易であり、かつ危険な発想だ。旧ソ連と米国とどっちが医療が進んでいたのだろうか?なぜキム・ジョンイルは外国人医師団の治療を受けるのだろうか?なぜ共産主義が滅んだか?読売新聞はよく考えるべきだろう。(地方や地方の大学、病院が)努力もせず、改善もせず、強制的な医師を計画配置に頼れば、ますます安易でかつ怠惰となり、ますます魅力が無くなるだけだろう。


Posted: 水 - 10月 22, 2008 at 12:37 午前         |


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