なぜ少子化になったか?


 もう4年前だろうか、大学院の講義題材にGHQサムス准将を扱った... サムス准将はGHQでマッカーサーから保健部門を統括指導するように命令された人物である。... スタート時の貧弱であばら骨の浮き上がった子供たちが、2年後にはニコニコ立派に成長している...が、サムスが給食の費用は米軍が出し、日本政府はそれを返せるときに返せばよい、という譲歩案まで出しても日本側は学校給食を拒否しようとした。

 もう4年前だろうか、大学院の講義題材にGHQサムス准将を扱った。彼は敗戦直後の日本で保健システムの再構築を行った。彼の業績はあまり日本では知られていない。日本国憲法が米国製だと揶揄する向きも多いわけで、その逆の流れでサムス准将の偉業は無視されているのかと思ったりするが、それはさておく。

 彼は学校給食を日本で始めたのだ。彼が学校給食を始めたと称賛すべきだろう。敗戦直後の我が国で喰うや喰わずの日々で成長期の子供たちに栄養をつけようというもの。

 彼は(当時から抵抗勢力の多い)日本の官僚でも、大賛成してくれるだろうとさっそく日本国政府官僚と協議に入った。そして見事、彼の期待は裏切られる。文部省も厚生省の役人も、大人が飢えているのになぜ子供に給食する必要があるのか?大人は敗戦直後に日本を支える勤労に励んでいる。だから食料は働いて日本を支えている大人にすべきだと主張した。

 サムス准将はマッカーサーから保健部門をGHQとして統括指導するように命令された人物である。怒りに燃えたが、日本の役人に執拗に説得してとうとう学校給食を始めた。講談社の「日本人の生命を守った男」という本に当時の写真が載っている。給食前と後の子供たちの写真である。スタート時の貧弱であばら骨の浮き上がった子供たちが、2年後にはニコニコ立派に成長している。写真を見るとジーンとくる(私はもう年よりだからそう感じる)。

 これをテーマに院生と議論したことがある。非常に落胆したのは、当時の日本の役人の考えも理解できるし、親が生き残れば子供はまた産まれるが、親が(空腹で)働けないなら日本が潰れてどうしょうもなくなるかもしれない、という意見が出たこと。これは当時の院生だけの意見ではないだろう。多くの日本人が「理解できる」スタンスかもしれない。

 どうも私はこのスタンスの延長上に少子化があるような気がした。勿論、このサムス准将の学校給食推進には占領軍としての民心宣撫の色もある。が、サムスが給食の費用は米軍が出し、日本政府はそれを返せるときに返せばよい、という譲歩案まで出しても日本側は学校給食を拒否しようとした。つまり非常時には子供は役に立たないという発想が根強いのではないか、、、我々日本人には。少子化がこれだけ進行した過程において、多くの日本人が当時の文部、厚生の役人と同じ発想だったんではないか。経済発展優先、経済効率優先。そして「親が生き残れば子供はまた産まれる」は起きなかった。生き残った親は子供をつくるには年がいっていたのだ。

 高度経済成長を経て日本は成熟してきたが、忘れたものはヒューマニティかもしれない。かっこつけて言うわけではないが、弱者へのいたわりがヒューマニティではないか。いつまでたっても子供は親の付属品であり、火急の時は無視される存在かもしれない。自分たちの(自分の ではない)子供を守ろう、育てようという意識がなければ少子化はますます進むだろう。ちなみに、講義題材にはもう二度とこれは扱わない。なぜなら私はとても落胆したから。それに、何度も言うがもう遅い。


Posted: 水 - 6月 7, 2006 at 10:27 午後         |


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