傭兵と日本
自衛を越えた軍人としての活躍の場を求めて海外で傭兵に志願するものもいるわけである...彼がフランスの外人部隊に入り、そして日本の国籍を捨て海外の国籍となれば、このような日本国内の問題にはならないはずである。...
日本という憲法9条によって戦争から守れた国籍を持つ事は、どこかで平和な国に依存する精神的なエゴがあったのではないか?.. 日本の平和という閉塞感に耐え切れず、海外で軍人の道を選らんだならば、平和憲法を持つ日本という国籍をキープすることは自己矛盾ではないだろうか?
傭兵として命がけでビジネスとして生きてきただろう彼らは、結局は心のどかかで自分を庇護してくれる平和憲法を持つ平和な祖国日本というノスタルジーを切れずにいたのではないか。
イラクで日本人の傭兵が撃たれた。安否がわからない。日本人である以上、我々日本人は彼を心配し、日本政府も全力で救出に向けて対応を図っている。当然だろう。しかし、違和感がある。
彼はいわゆる傭兵である。自分で望んでフランスの外人部隊に志願し、外人部隊という特殊部隊で活躍したようである。そして、今回はイギリスの警備会社に勤務していたが、イラク米軍基地の警備であり、事実上警備会社という名の傭兵だったと言える。自分で望んだのだから自己責任で見殺しにしろとは決して言わない。日本人である以上、日本政府と日本人は彼の無事を祈るだろう。
平和な日本の閉塞感?に耐え切れずに、海外で軍人になろうというひとは確かに居る。平和だと閉塞感なのか?不思議な気がするが、今回の自衛隊イラク派遣(出兵)で、自衛官の中には軍務を全うする軍人?としての充実感を味わったひとも居るらしい。ある意味で、自衛という枠を越えたその意識に戸惑いを覚えるのは私だけではあるまい。自衛を越えた軍人としての活躍の場を求めて海外で傭兵に志願するものもいるわけである。と言ってもごく少数だ。
冷泉彰彦氏は、「表面的な実戦機会を求めて傭兵となったのなら、そのことには同情の余地はありません。生命は救出すべきです。ですが、その上で人命を玩ぶ行為やその予備行動を行った嫌疑に関しては追及すべきです。そして、このような傭兵に憧れる人間を、これ以上出してはなりません。」とストレートに述べてる。私も同感である。
そして、私が疑問に思うのは、なぜ彼は日本の国籍をまだ持っていたか?ということ。彼がフランスの外人部隊に入り、そして日本の国籍を捨て海外の国籍となれば、このような日本国内の問題にはならないはずである。私には彼は、そしてフランス外人部隊に現在居る日本人に問うてみたいことがある。なぜ日本人であり続けるか?である。日本という憲法9条によって戦争から守れた国籍を持つ事は、どこかで平和な国に依存する精神的なエゴがあったのではないか?と。
日本の平和という閉塞感に耐え切れず、海外で軍人の道を選らんだならば、平和憲法を持つ日本という国籍をキープすることは自己矛盾ではないだろうか?傭兵として命がけでビジネスとして生きてきただろう彼らは、結局は心のどかかで自分を庇護してくれる平和憲法を持つ平和な祖国日本という「ノスタルジー」を捨て切れずにいたのではないか。
親や社会に反発する反抗期の子供と同様の心理なのかもしれない。海外で命がけで傭兵として生きてきたと言いつつ、日本の平和憲法に反発し、平和に反抗する。が、結局、日本国籍を捨てずにいることは日本の平和を前提とした立場であり、ある意味で深い思慮もなく、紛争地域で戦争ごっこに参加してきた日本人ということだろうか。そこに危険なエゴ(日本人であり続けながら実戦には参加したいという)を感じるし、他国での戦争地域でビジネスとしての軍人という立場を都合良く得たいという無責任さも禁じ得ない。
日本人として彼の無事救出を祈りたい。
Posted: 月 - 5月 16, 2005 at 10:16 午後
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