新たな冷戦の始まり
直接には隣国ウクライナへの懲罰としてロシアは天然ガス供給をストップすると威嚇したが、ウクライナのその先のヨーロッパ西欧諸国は天然ガスストップに震え上がった...今やルーブル暴落破綻国ではなくエネルギー武器大国のロシアが、欧米が中東地域の単独石油依存から脱するための方策である中央アジアからの石油供給のためのパイプラインを擁するグルジアを支配下に置こうとするのは当然だった。
北京オリンピックの間に確実に世界は変わったような気がします。やはりクルーグマンの述べる通り
ではないかと思う。東西冷戦が終りベルリンの壁が崩壊したのは19年前の1989年だった。それから20年間のパックス・アメリカーナの時代が続いた。共産主義が終焉し、完全な市場主義の時代となった。しかし、無意味な東西冷戦が終り、代わりに平和と繁栄の時代が世界に溢れるというのは幻想だった。 現実に来たのは荒々しい市場主義のグローバリゼーションであり、世界各国の各国間の経済格差拡大そして各国国内の経済格差は益々大きくなった。勝ち組と負け組という二分割の世界観は+と−しかないデジタル時代にはお似合いだったのかもしれない。ソ連が崩壊し、自由市場と民主化で平和な繁栄を謳歌するはずだったロシアもルーブルが暴落して経済混乱が生じただけで、欧米型市場主義に対する幻滅が広がり、むしろ皮肉なことに旧ソ連の強権国家体制への復古主義が広がった。西側はロシアを単なる新たな市場としか見ていなかったのではないか。 グローバリゼーションによる世界各国間の経済的なタイトな結びつきは、戦争への抑止力になるというのはクルーグマンの言う通り幻想のようである。経済的なタイトな結びつきとは、一方で高度な相互依存であり、相互のどちらかが相手の高い依存性、つまり生命線を握っていることにもなる。自国の不利益を省みずに、その依存性を武器につかえばどうなるか?それがロシアの天然ガス供給ストップという『武力行使』で試された。直接には隣国ウクライナへの懲罰としてロシアは天然ガス供給をストップすると威嚇したが、ウクライナのその先のヨーロッパ西欧諸国は天然ガスストップに震え上がった。エネルギーは武器そのものだった。しかし、これは新しいことでない。その昔、日本も禁輸制裁から戦端を開いたほどエネルギーは極めて危険なものではないか。 もともと戦争とは、仕掛けた方も犠牲を伴うものである。それを思えば、グローバリゼーションによるタイトな経済相互依存性でも仕掛ける方が多少の経済的な犠牲を払っても相手の生命線を狙う戦略は容易に行使されるもので、高い経済相互依存性が戦争を抑止するとはもともと幻想でしかない。米国は20年間のパックス・アメリカーナの時代に何をしたか。911テロに遭ったとは言いながら、アフガニスタンタリバン戦争に続き、核兵器疑惑をでっち上げてイラク戦争まで行い、超大国一国主義を貫こうとし、さらには、超大国一国主義を完遂するために、旧ソ連周辺国にまでミサイル防衛網を拡げようと画策した。 しかし、パックス・アメリカーナは意外なほど短期間だったようだ。ミサイル防衛網をロシア周辺国にまで拡げるのは戦略的な失敗ではないか。よく考えれば、キューバに平和の為と称してロシアが戦略ミサイルを配置できるだろうか?キューバ危機を見れば自明だろう。ロシアはこのままグルジアがNATO圏になることを甘受しないだろう。今やルーブル暴落破綻国ではなくエネルギー武器大国のロシアである。欧米が中東地域への単独石油依存の危険性から脱するため、中央アジアからの石油供給のパイプラインをグルジアに設置した。しかし、超大国のロシアがそのグルジアを支配下に置こうとするのは当然ではないだろうか。ワシントンは、ロシアにあまりにも近接するミサイル包囲網を無理に設置しようとすればするほど、グルジア紛争のようなことが生じる危険性を余りにも軽視していたようだ。パックス・アメリカーナの終焉に気がつかなかったブッシュ政権の甘さかもしれない。皮肉なことに中東の石油よりもロシアの影を色濃くひく中央アジアの石油の方がもっときな臭く危険性が高かった。 我々中年以降には馴染深い、冷戦構造の中の危ういバランスでの平和がまた始まろうとしているのか。少なくとも単純な冷戦構造ではないだろう。中国やインドもいる。日本は新しい冷戦構造の中で再び極東の挟間の国と化するのか。今度は中国の影の国となるかもしれない。
Posted: 日 - 8月 17, 2008 at 04:43 午後
|