Japana Sociala Forumo

怒りを胸に立ち上がれ

ハワード・ジン

大統領選挙が終わったあと、私の友人はみんな、さまざまな感情を抱えているようでした。がっかりする人、怒りにふるえる人、不満でたまらない人、何もかも嫌になった人。(そのほかに簡単には説明できない複雑な感情を持った人もいたことでしょう。)

いつもは「こんにちは」としか言葉を交わさない近所の人たちが、私を引き止めて話しかけてきました。口々にアメリカが危ないと興奮して訴えます。

ずいぶん昔に、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』というラジオの放送劇があったでしょう。強大な力をもつ怪物のような火星人が地球を征服するためにやって来るという物語です。ドラマを事実だと信じた人びとが全米でパニックを起こしたことで有名な、あの番組が再放送されたのかと思いました。

でも、すぐに思い直しました。彼らは決してH・G・ウェルズを聴いていたわけじゃない、アメリカを占領した不気味で強力な怪物が本当にいて、全世界を支配しようとしている、と。

ブッシュが大統領に再選されたのは確かです。投票や集計で不正があったにせよ、なかったにせよ、対立候補のジョン・ケリーはさっさと敗北を認めました。雑魚が鰐(わに)に仲直りを申し出たのです。再選を果たしたブッシュは勝ち誇って、自分の政策が国民の支持を得たと公言しました。対立陣営だったはずの民主党は反対する兆しさえ見せません。

これでは何のことはない。同じクラブの会員が、選挙で(10億ドル単位のお金をかけて)小競り合いを演じたあと、同じ酒場で一杯やっているようなものです。11月の半ばに、ビル・クリントン前大統領を記念する図書館ができました。あの開館式を思い出します。民主・共和の両党から駆けつけた議員や歴代の大統領がブッシュ現大統領と並んで、党派を超えて団結しようと謳(うた)いあげました。

──国民は、もう4年間、ブッシュを大統領として受け入れた。アメリカはひとつに結ばれた幸福な家族となった。さあ大いに喜び祝おうじゃないか──と肩を抱き合う。しかし、そんなお祝いの雰囲気から取り残された人びともいます。アメリカ市民は意見が一致しているわけではありません。

次の事実を考えてみてください。ブッシュが獲得した票数は、投票総数の51%です。投票率はちょうど60%でしたから、ブッシュは有権者の31%の票を獲得したに過ぎません。同じように、ケリーの得票率は有権者のわずか28%です。棄権した40%の人びとは、票を入れるにふさわしい候補者がいなかったと言っているように思われます。投票した人たちにしても、同じ気持ちだったかもしれません。けれど、ともかく投票に行った。

これが決定的な勝利といえるでしょうか? 人びとの意思が尊重されたといえるでしょうか?(40%を占めた棄権票が最高得票だったのですから、もしも私たちが本当に民主的だったら、棄権した人びとの意思が尊重されるでしょう。つまり、大統領などいらないということです。)

燃え上がる市民運動

大統領は、国民から「使命」を託されたと言い張るかもしれません。そうじゃないとはっきり言い返すことができるか。それは彼を選ばなかった私たちの活動にかかっています。

確かに彼は対立候補よりも多くの票を獲得しましたが、ほとんどの有権者にとって、ケリーは本当に選びたい人物ではなかったでしょう。過去6ヶ月の世論調査によると、国民の過半数が戦争に強く反対しています。投票用紙には、自分たちの意見を代表する候補の名前が印刷されていませんでした。これでは過半数の有権者から選挙権を奪ったと同じことです。

いま何をなすべきでしょうか。選挙の結果を見て、人びとは激しい感情に満たされています。怒りや失望。深い悲しみや挫折感。そこには燃え上がりやすい大量のエネルギーがたまっています。もしこれに火がつくと、選挙戦の喧噪に振りまわされていた人びとが再び立ち上がり、炎のような反戦運動を繰り広げる可能性があります。

どうしても譲れないものをかけて選挙に参加した市民の熱いエネルギーをすっかり吸いとってしまう。選挙戦にはそういうところがあります。市民の思いは置き去りにされたまま、いくらかましというだけの候補者をホワイトハウスへ送り込むために、膨大な労力が浪費される。

でも選挙が終わった今、もう遠慮はいりません。候補者が大切な争点をことごとくはぐらかしても、市民は黙ってついて行きました。よかれと思ってそうした市民があまりにも多かった。これからは、その必要はありません。

私たちの大統領選挙は民主的とはいえない政治プロセスです。狭く閉ざされた選挙から解放されて、いまこそ選挙のキャンペーンではできなかったことに全力を傾けることができます。大きな声ではっきりと、アメリカがほんとうに変わるために何をすべきかを訴えることです。

宗教だけでなく政治の上でも原理主義を唱えるキリスト教徒がブッシュを支持しています。国民の22%を占める(正確な数こそわかりませんが、少数派であるには違いない)彼らは、神の名の下に大量殺人を祝福し、帝国による征服を祈願する。

私たちの活動が、このような人びとの怒りを買ったとしても、気にすることはありません。彼らは、聖書の教えをないがしろにする心ない人びとです。聖書は、隣人を愛しなさい、剣を打ち直して鍬にかえなさい、圧政にしいたげられた貧しい人びとに尽くしなさい、と戒めています。

私たちが望むもの

アメリカ市民のほとんどは戦争を望んでいません。私たちが求めるのは、生きていく上で大切なものです。健康でいられること。仕事を持つこと。教育を受けること。子供を育てること。そして、まともな住まいや汚染のない環境が必要です。10億ドルの原潜や40億ドルの空母のためにではなく、ほんとうに大切なことに、国家の富が使われることを求めています。

政府がプロパガンダをまき散らし、その政府に従順なテレビやラジオや大新聞が、プロパガンダを何度も繰り返し報道する中で、もっとも人間らしい願いを私たちは見失ってしまうかもしれない。けれども、それは一時期のことにすぎません。何が起きているのかがわかるようになるにつれ、他者を思いやるという本能が自然と目覚めてゆきます。

ベトナム戦争の時代に同じことが起こっています。当初、アメリカ市民の三分の二は、政府を信頼し戦争を支持していました。政府に迎合するメディアの報道を見る限りでは、疑いを持つ理由は何もなかったからです。しかし数年後には、アメリカがベトナムでしていることが知られるようになり、戦争が正体を現しはじめました。遺体袋に詰められた兵士が続々と送還され、ナパーム弾を浴びせられたベトナムの子どもたちの姿がテレビに映し出され、そして闇に葬らようとしていたソンミ村虐殺の真実がついに明るみに出ると、市民は反戦に転じました。

イラクで何が起こっているか。政府はプロパガンダで国民を煙に巻こうとし、怖じ気づいたメディアは事実を報道しません。それでも、真実がだんだんと見えてきました。私たちが目にしたものは、自由と正義を信じてイラクに行った兵士が、戦争によって人間性を破壊された姿でした。私たちの兵士が、無力な捕虜に拷問を加え、負傷者を撃ち殺し、住宅もモスクも爆撃し、街から街を瓦礫(がれき)の山にかえ、家を捨てて逃げるイラク市民を荒野へと追いやる姿を目撃しました。目の前に突きつけられた光景に、私たちアメリカ市民のだれもが心を揺さぶられたことでしょう。

こうして私が記事を書いている間にも、ファルージャがすさまじい爆撃を受け、街が跡形もなく破壊されようとしています。手足をなくした子供たちの写真が公開されるようになりました。片足をなくして簡易ベッドに寝かされた赤ちゃんもいます(しかし大新聞やテレビはまだ取り上げていない。なんと情けないことか)。

歴史の中で、同じことが何度も繰り返されてきました。最新最強の兵器を持つ軍事大国が、敵対する弱小国の市民を力ずくでねじ伏せようと、破壊と虐殺の限りを尽くす。それはさらなる抵抗を招くだけです。

アメリカはファルージャで勝利を収めることはできないでしょう。もとより勝てる見込みのない戦いでした。

私たちは問いつづける

アメリカは何もためらうことなく惨劇を繰り返しています。恐れ知らずの政府に対抗するためには、戦争に反対する市民もひるむことなく、さまざまな行動を起こさなければなりません。

社会運動の歴史に、手本となる方法がいくつも記されています。デモ集会を開く(大統領就任式が行われる1月20日にワシントンで大きなデモがあります)。平和への祈りを捧げる。ピケを張る。市街を行進をする。建物を占拠する。市民として、政府に服従せず抵抗をつづける。そうして私たちはアメリカ市民の良心に訴えてゆくことでしょう。

私たちは問いつづけます。私たちが生きるアメリカをどんな国にしたいのか。世界中から非難されるような国でいいのか。私たちには他国を侵略し爆撃する権利があるのか。独裁に苦しむ他国の市民を救うためだと言いながら、莫大な数の市民を殺害することができるのか(これまでにイラクで何万人が死んだのでしょう。3万? それとも10万?)。生き残っている人びとは私たちの戦車や戦闘機におびえている。他国を占領する権利が私たちにあるのか。その国の人びとが私たちに出て行ってほしいと思っているのは明らかなのに。

選挙の結果からは、アメリカ市民のほんとうの姿を知ることはできません。ふたりの候補にはこれといった違いがなく、選挙で国民に与えられた選択の余地は、まるで投票記入所のしきりのように狭く限られていました。そのため人びとが抱く希望は歪められて、結局は何も期待せず、投げやりな気持ちで投票していった。

世界を結ぶ人の絆(きずな)

でも、私たちはひとりぼっちじゃありません。味方がたくさんいます。まず国内に、そして世界中にきっと(地球の全人口の96%はアメリカを除く世界に生きていることを忘れないように)。私たちは、この大仕事をひとりでする必要はありません。社会運動ではかならず力強い連帯が結ばれるものです。

世界には変わらぬ現実が存在します。国家を支配する人びとの思惑がなんであれ、現実を変えることはできません。その現実がいま動き出しました。すでに「テロとの戦争」は悪夢となり、内部告発者が政権の秘密をあばき(CIAの高官が「帝国の傲慢」について述べた文書を公開して辞任しました)、兵士たちが任務に疑問を持ちはじめ、戦争にまつわる政治の腐敗(ハリバートン社とベクテル社との数十億ドルもの契約)が明らかになっていく。

勝利に酔ったブッシュ政権は思い上がり、狂信的なタカ派の言いなりになっています。道を誤っているのに猛スピードで車を走らせるようなものですから、崖から落ちてしまうと思ったときには手遅れでしょう。ブレーキを踏んでも間に合いません。

民主党の指導者たちがこの現実を理解せず、(共和党の赤と民主党の青に国民を二分する無意味な色分けなど止めにして)アメリカの街々で人びとの希望に耳を傾けようとしないなら、暴走するブッシュの後ろにぴったりとくっついて自分たちも車を走らせていることに気がつくでしょう。大惨事は目の前に迫っています。臆病で頼りない民主党は、民衆から打ち寄せる反乱の波を受けて、党を改革するでしょうか。それとも、平和と正義を真剣に求める新しい政治運動に(4年後か8年後かわからないにしても)道をゆずるのでしょうか。

遅かれ早かれ、重大な変革が求められると私は考えています。国民は戦争に疲れ果てている。国家の莫大な富が浪費されるのを見るに耐えない。家族にとって必ず必要なものが満たされていない。

人びとが求めているものは何でしょうか。なにも難しく考えることはありません。まず生活していくための要求があるでしょう。健康保険が受けられること。仕事を得ること。生活に十分な給料が保障されること。そして、心を満たしたいという要求があります。たとえば、人間としての尊厳が守られること。この地球に生きる人びとと、同じ人間として絆を感じていられること。

ブッシュが国民から「使命」を与えられたと思いこんでいるのなら、私たちはアメリカ市民として、自らに課せられた使命を果たさなければなりません。

Howard Zinn, "Harness That Anger," The Progressive Magazine (January, 2005). http://www.progressive.org/jan05/zinn0105.html http://www.commondreams.org/views04/1202-32.htm

翻訳/荒井雅子・別処珠樹・安濃一樹 編集/安濃一樹
ヤパーナ社会フォーラム
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