少年犯罪を報道する価値はあるの?
少し前に、子どもが放火をして弟が焼死の事件があった。
その子は「親からひどく扱われた」という。
その子の表情にはほとんど変化がないともいう。
そんなニュースをみて、ふと両親と話した。
両親は教育関係のエクスパートナー。
私「ねえ、母上。ADHD(多動)の子って、
親の暴力がADHDの子どもをつくり出してるの?
それともADHDの子どもが親の暴力を誘発してるの?」
母「どっちもどっちよ。」
父「え、そんなに簡単に言っちゃていいの?
どっちも原因だということを、そんなに簡単に言えるのかな。 ほんとにどっちも原因なの?」
母「・・・。」
私「・・・。」
父「わからない、ってことじゃないのかな。」
終わり。
*****親子問題の本を読んでると、少なからず、
実は虐待によって子どもが傷つくというより、
子どもの多動などの状態が親の暴力を誘発するってことが結構浮かび上がってくる。
ただし、どちらが先かの話ではない。
親と子の関係はかなり複雑で多様性がある。内田樹さんは、「わからないことに答えをすぐに出さず未知のままにしておくことに耐える能力が知性」という(母に知性がないといってるのではない)。そういう文化を持っているのがユダヤの人々だという。
ユダヤ教の聖典はうずまき状の広がりをもつ。いまもいろんな解釈について議論され200年くらいしてみんなの共通の認識が出来上がるとそれも解釈として書き足されていく。例えばそういう未知のものを大切にしている文化に対してナチスが仕掛けた戦争のネーミングが「最終解決」という皮肉。
白黒すぐにはっきりさせたがる文化はとても弱い。
負け組・勝ち組って言葉がなぜ好んで使われるのか。
ひいては、「子どもがキレやすくなった」なんて言いのける知性って・・・
太田光総理が「アジア共通の歴史教科書をつくる」って法案を出してた。「大変だろうけどその作業をしようとしていくこと自体が大切」理由はやっぱりそこに知的な営みがあるから。
今週の爆笑問題のポッドキャスト、
「恋愛・家庭のどろどろした話特集」(8月22日編)。
かなりのどろどろを期待してたけど、けっこう甘酸っぱいかわいい話が多かった。
中学でモテモテのA君。
体が目的でA子さんと付き合うが、
実はB子さんのことが好きだった。
B子さんに乗り換えようとするが振られる。
卒業してだいぶ経ってからB子と再会。
実はB子もA君が好きだったけど、
A子と付き合ってたから応援しようって決めたの、と言われる。
どろどろじゃなくて甘酸っぱい話じゃん!!!
(って田中の突っ込み)
後半、太田が「家庭編はどろどろですよー」と家庭編を紹介。確かにどろどろ。
面白かったのは、家庭がとてもどろどろしたリスナー。
「太田さん、田中さんこんばんは。僕の家庭はこんな感じで大変どろどろしているんですが、このテーマにしてくれたおかげでこうやって投稿することができました。このテーマにして頂いてお二人には本当に感謝しております。どうもありがとうございました。」
ニュースをみて私が安易に思ったのは、表情がない子は、親によって表情を奪われたのか、もともと出さない子なのか。
それはあたり前だけど両方あって、そのどっちかはきちんと読み取っていっても、親密圏の問題がそう簡単にわかるわけではない。
強調したいのは、子どもにそういう傾向があったり、親にまずい傾向があっても、家族というダイナミズムの中でいろんなやりとりがあって、子どもに表情が出てきたり、親のストレスが緩和されたりする。
そういう営みを通して夫婦・家族の絆が強くなったり、親がゆとりを取り戻せたり、安心して自分に自信をもって成長する子になれたり。そういうことができる場所に、家族や学校や職場を「定義し直す」ことはいつだってできる。
それから今回の放火もひと月前にあった、医者の家に火をつけて父と子だけ残った事件の影響を間違いなく受けている。しかもあの事件では医師の父がそんなにバカではなかったので自身の子への暴力を認め、放火を出発点として家族の再生が始まった。
太田光総理は「子どもの犯罪は一切報道しない」という法案を出したことも覚えておくべき。
子どもに「放火したら家庭はリセットできる」という心理操作が、一見ポジティブな形でメディアから伝わらなかっただろうか。
ここからは妄想。
トム・クルーズをあそこまでのスターに育てた人物が複数、必ずどこかに居るはず。いろんな障害をみんながもっているのだから、そのひとたちと一緒に生きているのだって覚悟の哲学、複雑系の哲学は本当に大事。でなければ、トムだけでなく私たちの誰もが突然、歴史で習ったようなひどい差別を受け、虐殺されるまではあと一歩。かみひとえ。
障害をかかえた人間が、まるでそうではないかのように生きられる、生き生きと生きられる、そういう「きっかけ」を与えてくれるような「教育者」は必ずいる。
そしてそれは「スーパー教師」みたいなものではなくて、もっともっと大勢の、複数の人間との営みの中にあると思う。
原因はよくわからねど、
いまある目の前の問題と向き合っていくしかないなぁ(みつを風)
Posted: 2006年08月23日 (水) at 23:37