16.7.2003 ダッカルビの都 春川


春川随一の繁華街、明洞(ミョンドン)。「冬のソナタ」にも度々登場するおなじみの名所である。大通りの1本裏に位置する歩行者天国の商店街で、長さはおよそ300m程、テレビで見ているともっと賑わってるように見えるのだが、韓国にしては夜が早いようで2000を回ると店も閉まって閑散としてしまったのは意外だった。


春川は人口約25万人、江原道の道庁が置かれている一帯の中核都市である。ソウル市内を流れる漢江の上流にあたる昭陽江などがつくる春川湖、衣岩湖などを持つ水の都で、鳥肉とキャベツを甘辛いタレにからめて焼くダッカルビの本場でもあり、また言わずと知れた「冬のソナタ」の主要舞台でもある。ソウルからは鉄道・バスで1時間半〜2時間ほど、恐らく冬ソナ効果で日本人観光客も増えつつあると思われるが、我々の訪問時にはほとんど出会うことはなかった。

昭陽湖からのバスは市内に入り、どこまで行くのかわからずに進んでゆく。市街の南端に高速バスターミナルがあり、そこの観光案内所が併設されているというのでそのまま乗っていたが、ターミナルの気配がせず不安になってきた。ガイドブックの地図ではこの辺だが・・・一応運ちゃんに「シウェ(市外)ポストミノル?」と聞いてみるが、地図を見せても「今はここじゃない。移転したけど、すぐ近くだからわかるよ」というようなニュアンスの事を言われたらしく、ここで降りろという。今ひとつ要領を得ないまま下車したが、案の定なにもない郊外の道端で、開いている店もなく歩いている人もおらず、道を尋ねることもできない。地図の辺りにも市外バスターミナルは確認できず、仕方なく向かい側に渡って反対側のバスに乗って市街に戻ることにした。

しばらく線路沿いの広い道を走り、川を渡って右折したところで線路をくぐる。ここからが市街メインストリートで、今度は迷わず明洞交差点の辺りで降りることにした。考えても仕方がないので、交差点の近くにあるらしい春川観光ホテルに。名前は立派だが、ロビーは薄暗いしなんとも怪しい雰囲気(あ、危険とか宿泊をお勧めしないとか言う意味ではありませんよ)。だが、繁華街には近く、みたところ観光都市というわけでもないようなので、直接行っても満室ということはないと思われる。部屋も小ぎれいでNHKも映り、ツインで50,000W。ちょっといいお値段かな・・・


早速市内探検に繰り出したが、実は私には密かに探しているものがあったのだ。この旅行に出発する1週前位だったと思うが、冬ソナでユジンがミニョンにコーヒーを買って渡すシーンがあり、その店の構えをしっかりと覚えていたのだ(15話。実はこの買ってくる間にミニョンが完全に過去の記憶を取り戻すという、ドラマ中かなり重要なシーンでもある)。一応ロケ地めぐりもやっているつもりなので、ご当地に行ったからには是非ともこの店を探し出したいところだ。

歩行者天国を一通りスキャンしてみたが、それらしい店は探し出せない。だいたい表通りはお洒落な服屋やファーストフードの店などばかりで、しっかりと眼に焼き付けた昔ながらの街の商店などありはしない。やっぱりあれは別撮りだったのかな・・・と、ホコ天の中程、路地を入ったところにある店が目に留まった。もしかしてあれか〜?あっ、そうだ!店先のアイスクリームストッカーをはっきり覚えているぞ!いや〜見っけた見っけた・・・

ご覧の通り日本の地方都市にもよくあるような、食品と雑貨を扱って開いているんだか閉まっているんだかわからないような店だが、外で騒いでいたらアジュンマが出てきた。

冬ソナ関係の本やらパンフやらのコピーをたくさん持ってきているので、今日本でこんなに流行っているので見に来ましたといったら、大層喜んでくれて缶コーヒーを1本ずつ奢ってくれた。暑くてのどが渇いているのに、コーヒーは辛い・・・が、好意を台無しにするわけにもいかないので有り難く頂いた。このアジュンマ、実はなかなかの美人なんだが、一緒に写真撮らせてくれと言ったらえらく恥ずかしいらしく、説得して説得して説得して、やっと撮らせてもらえたので、一応お顔はモザイクかけさせて頂きます。

「そうなのよ〜ここの店なのよ〜あんた達よくわかったわね〜」なんて言われているのだろうが、まだ日本人のこういうロケ地巡礼は来たことがないらしく、アジュンマも嬉しかったようである。そりゃそうだろう、最初のBSの放送でこの場面が出て次の週だもの・・・

夕食は当然ご当地名物をいってみようということで、ホコ天の1本裏側に広がるダッカルビ横町に繰り出す。時間のせいか閑散としており、何十軒も軒を連ねている各店舗からアジュンマが店先に出てきて、壮絶な客引き合戦を繰り広げるのだが、その激しさといったら皆さんもなんとなく見当がつくだろう。基本的にB級グルメ(春川は学生の街でもあるので、安くて量の多いダッカルビは貧乏学生の友でもある)なので、どこに入っても大差ないと思われるが、どの店も本当に客が入っていないのでちょっと引いてしまう・・・
客は少ないながら、学生らしきグループが盛り上がっている店があったので、そこに入ってみた。ちょうど夕立も降ってきたようで、いいタイミングで店に入って正解だったが、傘もないし出る頃までにやんでくれるだろうか・・・

ダッカルビはご覧の通り、ジンギスカンの鉄板のように中央が盛り上がってお椀形をしている皿の上に鳥肉、キャベツやネギを乗せて特製のタレをからめて焼くもので、牛カルビなどと同様に大きなブロックで乗せてからハサミで切ってゆく。やり方を知らなくても店の方で全部やってくれるので心配無用。味付けはご多分に漏れず結構辛目で、熱々のを頬張るとまたまた汗が噴き出してくる。しかし、この国の外食全般にいえることだが、とにかく量が多い上に1人前の設定がないことが多いので、1人旅だと泣く泣く諦めるケースも多々あるのが恨めしい。

今回も2人前を腹一杯食って18,000Wで、最後はこちらでもアジュンマと記念撮影をさせてもらった。しかし、曜日の関係かはたま学校が夏休みなのか、店の前を歩いている人もまばらで、雰囲気としては結構淋しいものがあったが、どうもこの辺から春川到着以来漠然と抱いていた疑問がはっきりとした形を持って大きくなってきた。この街は妙に淋しいような・・・しかも観光都市のようでいてあまり見所がないような・・・今はどんなことになっているのやらわかりませんがね(ニヤニヤ)。

結局雨は小降りにはなったものの完全にはやまなかったので、ショボショボになりながらホテルまで帰った。といっても歩いて2分もかからないが・・・

ホテルに帰ってきたが、これでまだ2000前である。どうも収まりがつかないので、また夜の街に繰り出すべく支度を始めるが、どうもここは・・・繁華街が1つしかない、夜の淋しい日本の地方都市に似ている。韓国ってこうじゃねえだろう!

ガイドブックには市街南端、先程バスで戻ってきた道の線路と交差した辺りに屋台村があると記されている。時折小雨も降っており、歩いて行くにはちょっと距離がある道のりなのでタクシーに乗って行ってみた。ところが・・・これが屋台村?なんか掘っ建て小屋みたいのが並んでいて、しかもどこも店に人入ってないよ!とても今から入れる雰囲気ではない。一回りしてトボトボ帰ってきた。

あまり見せ場もない春川の市場で見つけた、豚の頭と韓国風腸詰めのスンデ。スンデとは豚の腸にうるち米や春雨などを入れて、豚の血をつなぎにお湯で茹でたもので、見た目はとってもデンジャラスですがつまみとしては結構うまい。新大久保の職安通りなどでも食べることができますが、頼みすぎに注意!
帰りのタクシーの中、どうも様子がおかしいと考え込んでしまった。街はそれなりに大きいが、繁華街は明洞の1つだけ、それも数百メートル進めば終わりで、その南端に続く市場は束草のそれとは比べ物にならないほど規模が小さく、人気のないものだった。

韓国の都市にはつきものの地下商店街(要するにサブナードやなんばウォークみたいなもの。実は平壌にもあるので、朝鮮民族は地下街がお好き?)は大勢の人で賑わっているが、人口でいえば半分以下の束草に明らかに見劣りがする。春川湖や衣岩湖はそれはきれいなのだろうが、街の活気や魅力という点については、正直ここを目的に訪れる価値があるのか、疑問が・・・

夜が早いのも意外だった点で、とにかく9時10時は宵の口、市街から遠く離れた大浦まで遅くまで賑わっていた束草やソウルは別格としても、明洞のホコ天は真っ暗、頼りにしていた屋台村はこの調子・・・韓国といっても、私が今まで見てきたのはほんの一部分だったのかと、冷水を浴びせられた気分であった。そりゃそうだわな〜、4,000万人全員が明け方まで酒飲んでバカ騒ぎしてるわけでもなかろう。

明洞の交差点付近でタクシーを降りてから、まだ未練たらしく周辺をうろついて、もう入る店はないと悟らされビールとピスタチオを買ってホテルに帰ってきた。同居人が風呂に入っている間、豆の殻を割ってポリポリとやっていたのだが、こちらも風呂に入って寝付いたところ、どうも腹の具合が悪くなってきた。それも尋常な痛さ&下り具合ではない。食い過ぎか!?いやそれもあるが、ピスタチオが悪かったのか・・・結局一晩、どうもすっきりと寝付けないまま朝になってしまった。


17.7.2003 春川から冬ソナの名撮影地、南怡島(ナミソム)へ


翌日朝は南怡島に向かうべく、列車で加平(カピョン)を目指す。ソウル(清涼里)―春川間92.9kmを結ぶ京春線は終日約1時間ヘッド、所要時間およそ1時間半〜2時間で、加平までは春川から約30分。

春川駅と市街の間にはAH-64"アパッチ"攻撃ヘリを装備するアメリカ陸軍第2歩兵師団第2航空連隊が駐留するキャンプ・ペイジの広大な敷地が横たわり、車は大きく迂回しなければならない。というわけで、駅は市街から遠く離れただだっ広い所にポツンと建っている。


出札所で切符を買う。春川―加平間は1人5,200W、ずっと塀が続いている基地外周だが、駅前ロータリーの花壇を囲んでいる石に登れば・・・オ〜アパッチが見えるで〜! 自衛隊の次期攻撃ヘリ候補にも挙げられている同機だが、日本に駐留部隊はなくこれが私が初めて見る機会になる。写真を撮ることも可能で特に咎められるわけでもないだろうが、遠く離れたエプロンに駐機している機体を撮るには300mm以上が必要と思われ、諦めてしまった。

韓国は発車時間前に改札を行わないので、駅前広場をぶらぶらしていたら、知らないおじさんと目が合って、どうも微笑まれたような気がする。誰だ?あのオヤジ・・・気のせいかなあ・・・でも、私もどこかで見たような気がする。それもつい最近・・・

結局思い出せずに、駅舎に入ったら、改札の前で同居人が誰かと話している。よく見るとさっきのオヤジだ。誰?・・・近づいていったら、なんと亥安北韓館の館長さんではないか!! な、なんで館長さんがここにいるの!? 聞いたら、ソウルでの知り合いの結婚式に行く途中だという。朝9時前に春川に出てくるためには、亥安を何時頃に出なければいけないのですか?と聞いたら、春川で1泊したのだそうだ。へ〜しかしよく考えたら、我々があなたにお会いしたのは昨日ではないですか。午前中に館内を案内してもらってから、ルートは違えど一緒に春川まで出てきたのだ。

ここでせっかくだから、亥安ではもらっていなかった名刺をもらったが、またまたビックリ! 館長さんは統一部の職員だったのだ。国家公務員である。失礼ながら私はまた、田舎のおじさんの現地雇いかと思っていたのだ。もしかして、かつては南山の麓であんなこと、こんなことをされたんですか・・・いや、でも(そ〜ゆ〜前歴で決まりですか!?)、館長さんはあちらの人にしてはとても温厚で、あまり流暢ではないながら知り合いに日本人もおらず全て独学で覚えたという日本語で一生懸命語りかけてくれた。その誠意に答えられず、片言ですら韓国語を話せなかった我々がとても恥ずかしく、また申し訳なく思った。出発時間が近づいてきた。彼とまた伺いますと約束をして、同じ列車に乗り込んだ。


2面4線の春川駅、手前のホームに停車するトンイル号用客車編成。台湾の旧型客車を彷彿とさせる狭窓が並ぶボロ客車だが、冷房化も行われており車内は白い背もたれカバーつきの回転クロスシート。恐らく我々が乗る列車の次の1000発列車の編成と思われる。


我々が乗る0900発のムグンファ号564レ清涼里行きは隣のホームに停車していた。トンイル号は全席自由席だが、こちらは全車指定席で、7号車に落ち着いた。なお、日本の急行〜快速列車に相当するトンイル号は2004年3月の改正で全国的に廃止され、ここ京春線でも格上げという形でムグンファ号に種別が統一された。しかし、全席指定が建前なのに対して従来のトンイル号的な性格の全席自由席の列車があったり、停車駅にも変化がないなど、列車名が変わっただけで実態としては大きな変化はない。

京春線は沿線に大きな工場などもないようで、この路線規模ならば日本ではとっくに廃止されているだろう貨物輸送が今でも行われている。春川は終端駅だが、貨物の引き込み線らしきものがさらに先に伸びており、ホームの向かい側にもボギー無蓋車が無造作に置かれていた。また、キャンプ・ペイジ向けだろうか、いわゆる米タン(米軍向けの燃料輸送タンク車)列車が何本か運転されているようである。


南 怡 島


大体半分ほどの乗車率で出発した列車が加平に到着したのは0932南怡島はソウル近郊の有名観光地だが、朝に逆方向から向かう人間はそれほどいないようで降りた乗客は数人だった。さて、我々は重たいザックとカメラバッグを持っている。これをどこかに預けたいのだが・・・韓国の常として駅にコインロッカーは見あたらない。出札口に聞いてみてももちろんないという。ああそうですか、そうですか・・・駅のロータリー向かいには何軒かの商店、土産物屋があるが、思い切ってここで預かってくれないかと聞いてみた。結果はもちろんダメ。今のご時世、こんな得体の知らない旅行者の荷物を預かってくれるわけもなかろう。

南怡島までは駅から車で10分ほどとのことで、この暑さの中歩いて行けるわけもなく、駅前に停まっていたタクシーで向かった。料金は3,700W。着いたところでびっくり!島に渡る船着き場の一帯には車がビッシリと停まっており、どこからか人がワサワサ湧いてくる。カッと照りつける真夏の日差しと人いきれ、まさに真夏のリゾートだ!


南怡島は名前の通り北漢江に浮かぶ島で、入場料5,000Wを払ってこの船着き場より渡し船に乗って向かうことになる。

ここは日本人には(先日までは)ほとんど知られていないが、ソウル市民にはかなり有名な観光地のようで、券売所も船着き場も大行列。宿泊施設もあって泊まることもできるし、あらゆるアミューズメントが楽しめるらしい。冬ソナのように、春川の高校生がデートに来る思い出の地なのである。右上は島の北端にある船着き場。さて、重い荷物を背負ってどこまで歩けばいいのやら・・・相変わらず体の調子は最悪。腹の具合はそうでもないが、気持ち悪さと息切れで立ち止まることもしばしば・・・しかも、案内所や目指す「恋歌の家」がある一帯までは400〜500mはあろうかという直線が続いている。

船着き場から入ったところに案内の大看板がある。ご覧の通り、島の中心を貫く一直線の並木道(看板の右奥の方向)を反対側まで歩かなければ恋歌の家まではたどり着けない。これはマジ辛かった。途中何度も休み休み・・・ところが、道の脇になんか線路が引いてあって、ミニSLが走ってるんですけど。これに乗っていったら楽なのではと思うが、どこから乗れるのかが今ひとつわからない。

やっとの思いで「恋歌の家」に到着。ドラマ撮影中は出演者やスタッフの休憩所としても使用された冬ソナ信者にとってはまさにメッカのようなところで、現在は出演者のサインやスチールが展示された売店&軽食レストランになっている。

なお、コインロッカーだが、この建物に隣接する管理事務所の観光案内カウンターのところに、少数ながら無料(デポジット式)のものがある。上の同居人が背負っている位の小ぶりのバックパックなら入るので、島内を身軽に散策されたい方はぜひ行ってみて下さい。


建物の中はこんな感じ。2002年OAの冬ソナはすでに訪問当時韓国でも過去のドラマになっていたが、それでもロケ地巡礼と思わしきあちらのギャルが鼻息荒く展示されているサインや写真を見つめ、備え付けのノートに何かを書き込んでいた。薄暗い店内の入って左側奥の壁面に、冬ソナキャスト&スタッフの切り株に書かれたサインが展示されている。

ユン・ソクホ監督のサイン
チェ・ジウのサイン ヨン様のサイン
パク・ソルミのサイン パク・ヨンハのサイン


上の店内全景写真と撮影したところからさらに手前に下がったところに、長椅子で囲まれた食事スペースがあり、公式スチール写真、また恐らくここでしか見られないロケ中のスナップが無数に貼られている。なぜか時々冬ソナとは全く関係ない俳優の写真も貼ってある。

さらに、ここに来てぜひ食してみたいのが、撮影中ロケ弁としてキャスト・スタッフが食べたキムチ弁当4,000W也。アルマイト製の弁当箱に入っているのをそのままコンロで直火にかけるため、カウンターでは軍手と一緒に渡され、これを蓋を閉めた状態でガンガン振って混ぜてから食べる。量も多く、普段なら大満足なのだが、今の私には拷問・・・とても1個は完食できそうにないので、ひとつ頼んで同居人と半分ずつ分け合った。それでも半分食べるのがやっと、これは相当重症である。

今来た道を恋歌の家の所で直角に曲がると、回想シーンに登場するおなじみのメタセコイアの並木道に出る。これは20mmの超広角レンズで撮っているので背景は遙か彼方だが、望遠で狙えば並木の向こう側に北漢江の水面が垣間見えるあのシーンとなるのだ。

雪の中でユジンとチュンサンがバレーボール(のポーズ)をやったコートは並木の裏にある。

同居人にとってはここが今回のツアーの最終目的地、張り切って島中を歩き回るのに対し、私はもう歩くこともできなくなり、「静観樓」と名付けられた重厚な屋根つきの休憩所で寝ることに(左上)。酷暑の中、川の中州らしく風が本当に心地よい島内は本当に広く、またあちこちに動物が放し飼いされている、。メタセコイア並木の脇には池があり、アヒルや鴨が親子で泳いでる。ダチョウがそこかしこに放し飼いされてるのはびっくり!さすがの韓国人も怖がって近づかないが、レジャーシートの上に弁当などを広げてちょっとその場を離れたら、すかさずダチョウの蹂躙を受けてしまう。こうなると何もかも突っつかれて踏まれてジョビジョバー(!)とやられても黙って見ているしかない。

左はタイトルカットに使用した写真で、船着き場から恋歌の家に向かう松並木。今年(2004年)韓国観光大使となったチェ・ジウとイ・ビョンホンがCMで戯れているのがここで、CMには写真の右側を走っているミニSLも映っている。このSL、帰るときになって上で紹介した船着き場近くの看板の裏から乗車することができる。

暑いし食欲もなかったのだが、ないなりに屋台で焼いていた串ソーセージがあまりにうまそうだったので、1本買って2人で分けて食べた。もう帰りの長い道を重いバックパックを背負って歩く体力は残っていなかったので、申し訳ないが同居人に全部背負ってもらう。今日これからソウルまでたどり着けるのだろうか・・・

船着き場まで戻ってきたら、帰りのラッシュとなっており次の船を待つ長い行列ができていた。しかし、船のキャパは結構大きいので1回来ればそれなりに乗れてしまう。右は帰りの船から見た、冬ソナにも登場した島のボート乗り場。

命からがらの体で対岸に帰ってきたものの、またまた船着き場―駐車場一帯は行きの時以上のすごい人並。タクシー待ちの行列も長〜く伸びており、いつ乗れるのか見当もつかない。とりあえずバス停に行ってみるが、韓国のバス停には時刻表というものがないので、こちらも果たしていつ来るのかまったくわからない。というわけで、2人で手分けして道路の両側、バス停とタクシー乗り場に並び、先に来る方を待った。

見渡す限りの駐車場の敷地に家族連れを満載にした車が出入りで行列を作っているのに対して、高校生位のギャルが何組もグループでバスを待っている。その賑わいぶりはまるで夏の鎌倉あたりの海岸に似ている。照りつける太陽の下、いつ来るかわからないバスをひたすら待つ・・・我々はもう今日は夕方までにソウルに着けばいいので急ぐ旅でもないが、とにかく体調が回復しないので早くホテルに着きたい・・・しかしまだまだ先は長い。

と、長く見えたタクシー待ちの行列が、各車に3〜4人乗ったおかげでそれほど待たずに(20分位)順番がやってきた。しかし、韓国のガイドブックにはよくタクシーは相乗りで利用する習慣がある、と書いてあるが、なぜかここでは誰も相乗りをしていない。こんな入れ食いの観光地で相乗りをしたら稼ぎが少なくなるからなのか・・・というわけで、我々も2人で駅まで戻ってきた。帰りは行きよりも100W高い3,800Wだった。

座席リクライニング機構はないながら、固定窓・冷房つきで日本の14系座席車のように快適なトンイル号の車内。
加平駅に着いて時刻を見たら、列車はほとんど今行ったばかりのようで、次の列車は1638発のトンイル号1514レ。指定券を買って待合室で待つことにするが、混んでいるらしく離れた席になってしまった。朝の春川発と違ってすでに待合室にも駅前広場にも若者がわさわさ・・・ソウルに帰るのにはちょうどいい時間帯なのだろうか。

改札が始まってホームに入ったが、客の人数はさらにふくれあがり、大げさでなくホームからこぼれ落ちる勢いである。この人数、全員乗れるのかな・・・こちらは指定券を持っているので心配することでもないが、ふと空を見上げると、2機の飛行機がハエのように戯れていた。鳥山の25FS、"アッザム・ドラゴンズ"のA/OA-10Aだ。狭い国土だが、いやだからこそ、ここ加平は軍事境界線に至近の距離である。訓練空域としてはかなり気を遣う位置なのでは・・・と心配になってくる。

さて、列車は定時を過ぎたが、例によって遅れているようである。単線だし、さっき出ていった米タン列車も恐らく遅れているだろうに悠長に5分程も停車していた。これから乗るトンイルもあの列車とどこかで交換駅を変更しているはずだ。10分ほど遅れて列車が到着したが、すでに車内は超満員!乗れるのか!?と思うほどの混雑ぶりである。

やっとの思いで6号車の指定席にたどり着いたが、当然のごとくその席には先客が座っていた。切符を見せてどいてもらうが、一帯に座っているのが若い女性のグループのようで、そのうちの1人が「あんた達一緒なんだから並んで座った方がいいでしょう。こっちもグループだからあの人と取っ替えなさいよ」というようなことをまくし立てる。しかし、本当にそう言っているのか?なんか「お前らが座るところはない!」と怒鳴られているような気もする。一悶着あった挙げ句、結局何を言われたのか良くわからないままに我々は並んで座っていた。


超満員の列車は徐々に遅れを取り戻しながらも、比較的ダラダラのペースで田舎の単線を走ってゆく。途中恐らく食用だろう、犬を飼育している家畜小屋をいくつか見た。

列車の終着はソウル市街の北東、清涼里(チョンニャンニ)で、位置といい駅周辺の環境といい上野に似ている。ここから市街中心部へは地下鉄に乗り換えることになる。到着したトンイル号にはすぐに片端キャブの入換機、2100形が取り付いて引き上げて行ってしまった。

右はホームの反対側に停車していたおフランスの香り漂う韓国随一の本線用電機、8000形。非電化路線が多い韓国で数少ない電化幹線である、東岸へ伸びる山岳路線の中央線・太白線用強力電気機関車で、アジアでフランス・アルストム社製の特徴あるゲンコツスタイルが見られるのはここだけである。




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