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16.7.2003 楊口〜第4トンネルへ! |
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本日は束草を離れ、内陸の楊口(ヤング)という町を経由し南侵第4トンネルと乙支展望台を見学、江原道庁のある春川(チュンチョン)まで行く。当初の予定では15日中に楊口まで到達し宿泊する予定であったが、前述の通り統一展望台見学のバスの本数が少なかったためその後の予定が狂ってしまったもの。一切予約をしていない行き当たりばったり旅なので支障はなかったが・・・ |
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| アジュンマは早速味噌チゲを作り始めたが、そんなに品数あるのか!?バスの時間もあるし、大丈夫なのかな・・・おかずは上記のとおりで、これだけでも充分なところに持ってきて、しばらくするとグツグツと煮立ったチゲが運ばれてきた。大汗をかきフ〜フ〜言いながら食う。その間にも出前の注文があるのか、アジュンマは大きなお盆におかずの小皿を載せてはどこかに行ってしばらくして戻ってくる。0800〜0900は韓国でも朝ドラタイム。我々の店でも向かいの乾物問屋でも同じ姑にいびられる美人妻を描いたドラマを見ているが、こちらのアジュンマが盛りつけに忙しくほとんど見ていないのに対して、向かいのハゲ親父は一心不乱に見ていたのが印象的だった。 | |
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チョルドキルを急いで戻り、ホテルをチェックアウトして市外バスターミナルへ。「束草ポスターミナル」と書かれた屋根の発着場には各行き先のバスが並んでいる。前述の通り鉄道のない束草には高速と市外の2つのバスターミナルがあり、両者は市街の南北に遠く離れているが、ソウル便などは経由地が違うだけでどちらにも設定されている。「高速」といっても高速便のみ、市外の方は下道便ばかりというわけではなく、市外発着のソウル便も途中からは高速を走る。後ろに見える茶色い建物が我々の泊まったホテル。ちなみに、このホテルの向こう側、50mも行った交差点の所に韓国では珍しいパン屋(ケーキも売っている)があるが、ちょっと面白いのでぜひ行ってみて下さい。 |
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バスはターミナルを出ると、昨日と同じ海沿いを北上し一路共和国を目指す。どこまで行くんだろうと思うと、途中の杆城で左に折れ、国道46号を山に入ってゆく。以前に来たときは束草から真っ直ぐ地方道56号を登っていったのに・・・国貞様によると、バスの転落事故があってルートを変更したのだという。確かにこの彌矢峰を経由する道はまさに峨峨たる山塊を縫って走るとてつもない山道、日本でもこんな壮大な風景はみたことがないほどの見事なもので、それだけにつづら折れと奈落の底に吸い込ませそうな崖の連続。ただでさえ寿命の縮まる思いのする事が多いこちらの運転では何があっても不思議ではない。あの光景が見られないのは残念だが、命には代えられないか。 国道46号は迂回ルートだけあってそれに比べれば比較的緩やかな田舎道で、徐々に山間に分け入って行く。ただし彌矢峰経由ルートに比べればちょうど三角形の2辺を経由するような回り道で、時間はかなり増加していると思われる。予報通り雨が降ってきた。しかもかなりの大雨だ。ここはパート1で紹介した、潜水艦座礁によって陸に逃亡した共和国工作員が50日にも及ぶ掃討戦の末、最後の2名が射殺された場所で、この北側にはもう集落はなく、林道の入口はすべて鎖で封鎖されている。座礁地点の正東津からは直線距離でも100km以上、発見され交戦した地点を追っていくと160kmにもなる。展望台のようなわかりやすい場所よりも、こういった普通の場所の方がより恐ろしい。あのカーブの向こうから誰かがヌッと出てきたら・・・潜水艦に乗り組んでいた26名中、最後の1名は現在も行方がつかめていないのだ。 バスは峠の陳富嶺を越えると、平坦な道となって龍垈里で彌矢峰からの道と合流、名刹百潭寺を横目に見ながら川沿いの田舎道を走り北面(元通)という町に着いた。目的地の楊口まではあと30km足らず、ここでしばらく休憩となる。さてボーッと座っていたのだが、地図を見てみると、ここで降りてトンネルと展望台の入口、亥安(ヘアン)まで行けないかと考えてみた。亥安までは楊口で降りてもバスが1日3往復、それも行ったらその便で帰らなくてはならないような設定でタクシーを使わなければ行けないような所なのだ。ネット上の数々の韓国旅行記でもトンネルと展望台まで行った人のレポートは皆無である。いずれにしてもタクシーに乗らなければならないのなら、ここで乗った方が全然早い。北面と楊口、亥安は標高1,304mの大岩山を中心にまたしても三角形の位置関係にあるのだ。ここからなら1辺で済む。 ここで降りたいのだが・・・と運ちゃんに伝えると、案の定まったく話が通じず「ここは楊口ではない。お前らは楊口まで行くんだろう?」と制止される。地図を見せて我々はトンネルと展望台に行きたいのだと何度も話すが、いずれにしても楊口までという話になってしまう。そうこうしているうちにバスターミナルの係員か、兄ちゃんが乗ってきてどうしたどうしたと仲裁に入る。ここからタクシーに乗って亥安まで行くんだ〜!と何度も根気よく伝えると、やっとわかったらしく今度は客待ちのタクシーの運ちゃんを連れてきて、この人が案内するからすぐ荷物をまとめて乗れ!と言っているらしい。皆にお礼を言い、床下に放り込んであった荷物を出してタクシーへ。バス代は楊口まで1人8,100W、もちろん返金してくれるわけはないがいずれにしてもこれだけ走って800円なのだから安いもんだ。本当は最初にタクシーの値段を決めておきたかったのだが、そんな語学力&交渉力はない。運ちゃんは走り出すとメーターを倒し、大雨の中タクシーは街を見下ろす坂道を上りはじめた。 |

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北面から35km程田舎道を走ると、第4トンネルと乙支展望台見学の拠点、亥安に到着。まずここで1996年開館の、安保学習の資料を展示してる北韓館に立ち寄り、内部を見学。展示は統一展望台にあるものとほとんど同じで目新しいものはないが、日本語が結構話せる館長さんが出てきて歓迎してくれ、直々に案内してくれた。その後、三角屋根のスペース1つ分ある広〜い土産物コーナーに案内されたが、朝鮮人参とかばかりでそそられる物がないのでアニョカムサニダとなった。ここまで館長さんはニコニコしながらずっとついてくるので、ちょっと気まずい。 |
| 屋外に展示されている、戦後米軍のMBTとして、また韓国軍では現在でも現役のM47中戦車。後方に見えるのはM113兵員輸送車か。平日のせいか、またソウルから遠く離れたマイナー観光地のせいか、他の見学客は1人もおらず。しかし、第4トンネルと乙支展望台の見学申請はここで行うため、北韓館には結局必ず寄らなければいけないのであった。 | |
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北韓館の前に広がる亥安の風景。館長さんの話によると、半分は伝承らしいが亥安は昔湖の底だったそうで、かつては湿地で蛇が多く生息していたという。これが人を噛んで安心して農業が営めないため、豚を放したところこれが蛇をあらかた食ってしまって人々は安心して暮らせるようになったという。これが亥安の名の由来だとの事である。宿は一軒しかないらしい、最寄りの楊口からバスが3往復しかないひなびた集落だが、野辺山の辺りに似ており実にいい所である。これで最前線でなければ、もっと観光客が訪れるだろうに・・・ |
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再びタクシーに乗り、山の方に向かって登っている1本の細い道に入る。この道、入口の所はバリケードを築いたゲートとなっており、ここで先程北韓館で交付された申請書を提示する。結構まじまじと見ており、検問所は統一展望台の手前にもあり初めてではないが正直かなり緊張する。無事通過するとものすごい斜度の登りとなる。5分も走り、再び検問を通過するとると突然山の中腹にある写真のような建物の前に出る。これが安保館、第4トンネル坑口前にある安保教育の展示館である。建物に入り、再び見学の申請。ここから先は案内の兵士がつくようである。館内には迷彩服を着た軍人がうようよいて、展示館だけでなく兵士の宿舎となっているようでもある。ここから先は完全撮影禁止、カメラは預かりとなる。 |
| ●第4トンネル―1990年3月3日に発見された、共和国が韓国に侵攻するために掘った秘密のトンネル。過去ソウルの北・漣川郡百鶴面に第1、鉄原に第2、板門店の南・都羅山に第3と続々と発見されたトンネルに続いて4番目にみつかったため、第4トンネルの名がついている。全長2,052m、軍事境界線より1,028m韓国側に延びており、高さ・幅とも約1.7mで1個師団の人員を迅速に南側に送り込むことが可能と言われている。比較的人里にある第1などは、夜寝ているとどうも何かを掘っているような音がするという近隣住民の報告があり発覚したというような逸話があるが、人里離れた山奥にある第4はこれらのトンネル群の存在と、脱北した対南工作を担当していた人の証言により発見されたものである。もちろん他のトンネル同様、ただちに境界線部分で強化コンクリートにより埋め戻され、24時間の監視体制下に置かれている。 |
| いよいよ第4トンネルに入る。ツアーはまとまった人数が集まると随時案内されるようで、我々の他に中年の男のグループと小学生位の子供を連れた親と祖父母のような家族連れと思われるグループの12人ほどで前後に兵士がついてトンネルを進む。坑口を入るとヒヤッとした空気が体を包む。外も暑くはないが、トンネル内は肌寒い位。50m程ほぼ水平に進むと緩い角度で降りはじめ、100m位進んだ所でこういった所ではお約束の名水が湧いている。柄杓で飲んだ後さらに進むと、大体250m程進んだ所で斜めに横切る別のトンネルに突き当たる。今まではコンクリートで巻いてあったのに、こちらは素堀り。そう、こちらが本当の第4トンネルなのである。今まで歩いてきたのは韓国側で掘った取り付きトンネルに過ぎない。 |
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第4トンネルは4本の南侵トンネル中唯一、坑道内にトロッコが敷設されており、これで見学できるというテーマパーク的なコースとなっている。取り付きトンネルが本坑に突き当たる所が乗り場となっており、上に防水用のアクリル屋根がある小さなトロッコに乗り込むと運転台を後ろにして推進運転で発車する。今回のツアーは人数も少ないが、なぜか私が一番前に乗ることになってしまい、行きがかり上南北対峙の最前線を行く尖兵としてゴロゴロと坑道を進む。坑内は明かりもついており結構明るいが、塞いだとはいえこの先は共和国、これまた向こう側から誰かがヌッと現れたら(そればっかりやん)・・・先端まで行くのかと思いきや、トロッコは50mも進んだ所で停止、ここで案内の兵士による解説を聞くことになる。当然すべて朝鮮語なので内容はわからないが、その間中私はずっと先頭で穴ぐらの先の1点を凝視し続けたのである。あ〜おっかな。でも向こうから攻めてきたら私の姿、相当間抜けだろうな〜(第4トンネル・乙支展望台パンフレットより) |
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見学の行程としてはたったこれだけで、せいぜい20分もあれば終わってしまう。出てきたところでカメラを返してもらい、坑口のところで警備の兵士と一緒に記念写真を撮ったりできる。ご覧の通り、本トンネルは写真前方の山の奥約250m辺りをこの写真で左右に横切っており、右側が共和国側、左側は結局どこまで掘れたのかはわからなかった。また、発見して接収する課程もどうなっていたのかは不明。迎え掘りしてぶつかって「ワッ!」とやったら逃げていったのか、それとも探知されたのを悟っておとなしく引き下がったのか・・・手前の塔には国連軍と韓国軍兵士の活躍と「南進(侵?)粉砕」の文字が彫られている。朝鮮戦争時、物資の補給や兵力の集結、また休戦時に軍事境界線の位置を選定するうえで最重要地点であるこの一帯の奪回のために9つの激烈な戦闘が行われ、韓国軍の死者は3,800名に達したという。 |
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| 車は一度少し下ってから、また別の急坂を上りはじめた。霧で10m先が見えないコンディション故よくわからないが尾根を進んでいるようだ。こちらは10分弱ほど走ったろうか、時々霧が晴れた所から覗く景色は遠く亥安らしい里を遠く下に見た、放牧地のような広々とした草地で、点々と何かの小屋や物置が配置されている。しばらくすると道は尾根の5m程下を走るようになり、進行方向右側の尾根部分にはずっと二重になっているらしい鉄条網と、立派な宿舎のような建物がいくつか見えるようになる。程なくして車は小さな駐車場に停まった。ここが軍事境界線に面した乙支展望台である。 | |
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乙支展望台全景。標高は約1,049m、我々が行ったときも韓国軍のトラックが停まっており、1階はこれまた兵員宿舎となっているようだ(帰りにトイレがあるかと思って廊下を奥の方に行きかけたら、兵隊がワラワラ出てきてビビッた)。ここがまさに軍事境界線を挟んだ南方限界線の縁にあたり、右側はもう共和国が目の前。二重の鉄条網の間には絶え間なく兵士が行き来しており、左端に見えるような衛星通信のアンテナがいくつも設置されている。見学客は2階の展望室に上がり、下記のような光景を目にすることができる。(第4トンネル・乙支展望台パンフレットより) |
| 展望台からの景色はもちろん撮影禁止なので、展望室に置かれている一帯の立体模型をご覧頂きたい。前方に広がっているのはスターリン高地と呼ばれる緩斜面とその後衛峰で、金剛山までは38km。見ているうちに若干霧が晴れてきて、北方限界線の後方位までは見えるようになってきた。ソンネ川までは水平距離で200m程、高低差は80m位ある深い谷で、鬱蒼と茂る木々の間に幅1mもないような渓流が見え隠れする。とにかく限界線までは人工物は一切見えない。
145GP(監視所)の隣には恐らく「自主」と読める看板が、その右146GPの周囲には監視小屋のような小さな建物と通路が確認できるが、人影はまったく見あたらない。またカンム峰の手前の斜面には耕作地のような地面の色が違う部分が認められる。また、ム山には韓国軍の無線盗聴や韓国内のテレビ・ラジオなどの電波をジャミングする高さ84mの鉄塔が、カンム峰・メ峰には共和国軍1個大隊を収容できる兵舎が建っている。この日ももちろん金剛山は望むべくもない曇天で、結局今回のツアーでも一度も拝まずじまいであった。しかしこの展望台、まるで動物園のゴリラの森のようなスペクタクルで、施設が見える&近いためか、統一展望台よりリアル感や緊迫感は上(実はこの翌日、ここの西側でお互いが発砲する小規模な衝突があった)。アクセスは限りなく遠いが、皆さんぜひ訪れていただきたい。 |
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昭陽湖を高速船で渡り春川へ |
| 展望台から戻る道すがら、亥安の集落を見下ろす。ここは平地を囲む周囲の山がまるで野菜を入れるボウルのようだというので、朝鮮戦争時米軍によって「パンチボウル」と名付けられた典型的な盆地で、この生成については隕石衝突説と周囲の地質に比べて軟弱なため浸食されたという差別浸食説の2つがあるようだが、確かにこのアングルなど熱函道路から見下ろす丹那盆地によく似ている。盆地自体は標高400〜500mと高く、キャベツなどの高原野菜が主な農産物のようである。いずれにしても一帯は朝鮮戦争時まさに血で血を洗う大激戦が繰り広げられた所で、現在でも展望台より南に位置する大岩山(この写真で正面にあるはず)などは現在でも民間人立入禁止となっている。また大岩山は1997年に韓国で初めてラムサール条約に加入したことでも知られている。我々は帰路大岩山を回り込むように、この写真で右に位置するドソル山脇の峠を越えて楊口に抜けることになる。 |
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一大軍事基地となっているドソル山の稜線を越えれば、道は楊口への坂を転げ落ちるようにつづら折れで下ってゆく。下に降り月雲里(ウォルンリ)という所で国道31号に突き当たり左折。右に曲がれば金剛山に行くが、もちろんどこかで行き止まりになっている。すぐ隣の東面(林塘―イムダン)で検問所を突破、当初バスを降りるはずだった楊口に近づいてきた。 実はここまでで当初日本で両替していった5万円=50万Wをすでに使い果たしつつあり、楊口でキャッシングしなければタクシー代が払えない。運ちゃんに銀行に行ってくれと言うと、あんまりないんだというような返事が返ってきた。この辺ではそれなりに大きな町のはずだが・・・どっか探せばあるだろう。運ちゃんがあちこちで停まって通行人に場所を聞いて、やっと1軒みつけたが、これは農協では・・・。 道を挟んだ向かい側にCDボックスがあったので、こちらで用が足りるわいと早速カードを突っ込むが、「このカードは使えない」と表示が出て返されてしまった。DCなのに、使えないのか!?この辺りからちょっと焦りだす。2・3度やって諦めた後、今度は道を隔てた農協に入り店内のCD機へ。しかし、こちらもなんと日本語表示が選べるにもかかわらず、DCカードは食ってくれなかった。おい頼むぜ〜!。日本円の現金も持ち合わせがない。さすがに真っ青、こんなところで無銭乗車か!慌ててタクシーに引き返し、同居人に泣きついたところ、別に農協でも両替してくれるんちゃうの?というので窓口へ行ってみる。迷彩服の軍人さんが恩給手帳?のようなものを持ち、年金か何かの払い込みの相談を延々とやっている後ろで5分は待ったろうか。「日本円両替できます?」「できますよ」 助かった〜! 「パスポートを出してください」あ〜慌ててて忘れてた・・・また車に走ってパスポートを取って返し、2万円分を両替。こんな田舎の農協で日本円を出されても驚く風でもない。やれやれと疲れ果てて車に戻り再出発。楊口のバスターミナルで降ろして欲しいと頼んだが、どうやら船着き場まで連れて行ってくれるらしい。ここへ来るまでにすでに4時間近く運ちゃんと一緒の車の中、なかなか言葉は通じないが結構お互いの距離は近くなってきたような気がする。せっかくそうなっても、もうすぐお別れだ・・・車は楊口から10分ほどで道をそれ、細い坂を下っていき、斜面の途中の小さな広場で停まった。ここが昭陽湖(ソヤンホ)の船着き場だ。 |
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メーターを見たら120,000Wと出ていたが、110,000Wに負けてくれた。本当ならば楊口からこの船着き場までバスに乗らなければならなかったし、そうなれば時間的なロスも大きい。確かに韓国で1万1,000円は安くないが、トリップメーターを見ればすでに100kmを超えている。妥当というよりは安い金額であろう。語学力(と図々しさ)があれば8,000W位にはなるかもしれないが・・・ともあれ、ここで運ちゃんとはお別れ。これからの行程でおやつにしようと思っていた、朝買ったシルトックを1つ、お土産に渡そうとしたが、「君らが食べなさい」と受け取ってくれなかった。後で考えればおじさんにあんこの餅、しかもあんなに大きいのは食えないか。 ここからは楊口―春川間に横たわる巨大な人造湖、昭陽湖を高速船で下り一路春川を目指す。船というと一見遠回りで酔狂なアトラクションのように思えるが、実は道路はここを大きく迂回しており、船の方が所要時間が短い。所要は35分ほどで楊口―春川間の移動手段としてはこちらの方が一般的のようである。ただし就航間隔は約1時間ヘッドなので、行ったばかりだと結構待たなければいけないのがかったるい(バスの本数はさらに少ないはず)。また、船着き場には何もないので売店で待つことになるが、近いようで歩くと5〜6分はかかるので、出発時刻に近くなったら早めに降りていた方が安心だ。我々も売店でのんびりしていたら最後は走るはめになってしまった。慌てて降りてくるのは向こうからは見えているので待っててくれるとは思うが・・・ |
| 船着き場の隣に係留されていた、韓国軍の上陸用舟艇。手前に3隻、向こう側に横向きに2隻見える。まさか海軍の所属ではないと思うが・・・下流の北漢江を通してソウル首都圏2,000万人の飲み水を供給するダムは重要な軍事施設、本来は一帯撮影禁止となっている(また撮りますか・・・)。 |
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高速船の船内とコクピット。観光客だけでなく地元の人も多く乗っているのが、楊口―春川間の重要な交通手段の証明。スピードは確かに速いが、後ろのエンジンがものすごい音を立てている。高速船の料金は1人5,000W。 |
| 春川の北東10kmに位置する昭陽ダムは、韓国水資源公社が1967年4月から1973年12月まで6年半の歳月をかけて完成した多目的ダムで、提体に石を使用したロックフィルダムとなっている。湖の長さ65.8km、総面積2,703平方キロメートル、貯水量29億立方メートルはアジアでは最大級で、前述の通りソウル首都圏に水を供給する役割を担っているほか、10万kWの発電機を2個持ち水力発電も行っている。湖の周囲は自然の豊かさとソウルから手頃な距離であることもあって四季を通して釣りや湖上遊覧の観光客で賑わうほか、ダム周囲には鳥肉の焼肉であるダッカルビの食堂、またダッカルビと並んで春川の名物料理であるそば粉の冷麺、マッククスの食堂街がある。 |
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船着き場から長い階段を登ってダムサイトまで来たら、天ぷらや韓国の屋台に必ずあるタニシのような小さな貝を煮て出す出店がずらりと並んでいた。バスはダム脇のバス停に停まっており、始発だが人が大勢ですでに座ることはできない。つり革につかまってカーブを揺られていると、狭い山道を降りて上右の写真にある川沿いに出て、田舎道を20分程度走ると、春川の市街に入っていった |