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パート2は黒部ダムから川に沿って欅平まで戻ります。このルートは通称「下の廊下」と呼ばれ、パート1で解説したとおり黒部川が最も急峻なV字谷を形成している日本有数の秘境です。今回はあまり乗り物は出てきませんが、怖いものが見たい方はご覧下さい。 |
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下の廊下への旅は(上流出発なら)黒部ダムから始まります。東京方面から行くには夜行の「アルプス」が便利です。大町に着くとすぐの接続で扇沢行きのバスが出ています。欅平から上がるのなら東京から「北陸」がいい感じですね(関西圏からだと「きたぐに」はちょっと辛いかな?)。しかし欅平発はね・・・まあ、ご覧になっていただければわかります。 朝一番扇沢発のトロバスで黒部ダムへ。トロバスは客が多ければ続行が出ますが、行くことが決まっているのですから予約しておいた方がいいでしょう。ダムへの観光客はバスの横の穴を行きますが、我々はこの手前側、トロバスのループ路をしばらく歩いて横のトンネルに入ります。 |
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| 外に出るとダムの堰提を右後ろに見、急坂を下っていきます。これが結構道無き道って感じのグズグズの急斜面で、これからの行程が思いやられますが、15分も下ると川面に降りてきます。細いコンクリートの板を1本通しただけの橋を渡って後ろを見ると、オオ!ダムが圧倒的な大きさで聳えていることに気がつきます。放水が行われていますが、これは峡谷の景観を維持するための観光放流と呼ばれるもので、例年6月下旬から10月中旬まで行われています。水量は8月15日までは毎秒15トン以上、8月16日からは毎秒10トンなので上の写真では毎秒10トンが放出されているはずです。ダムの高さは186メートルでこれは国内1位、ダム上の幅は左右のウィングダム(左69メートル、右56、メートル)を含んで492メートルに達し、提体の体積は1,582.845立方メートルにもなります。ここまでならダム観光のみでも2時間もあれば来ることは可能ですので、今度行かれた際は下まで降りてみてはいかがでしょうか。 | |||
| ダムは見えなくなりましたが、まだ1時間も歩いてません。この辺はほとんど平坦で、川を右に見つつ木立の中を歩くハイキング気分の道です。しかし、すでに人の気配は全くなく、何かあったら終わりだな・・・との恐怖を折に触れ抱き始めます。ここは内蔵助谷出合。大タテガビンと呼ばれる絶壁の裏に広がる平地―内蔵助平への道が分岐する所です。内蔵助谷を登っていくと剣沢雪渓を経て立山・剣岳へ通じており、このルートで上り下りする登山者も多いですが、かなりの上級ルートなので初心者はやめておいた方がいいです。かく言う我々もド初心者。分岐には目もくれず下の廊下を進みます。(本当は下の廊下も初心者が行ってはいけないんですよ!) | ![]() |
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う〜ん、そろそろ牙を剥き始めたような・・・でもまだ川面に近いし、ハイキング気分抜けず?そう言いつつ、右の写真はモザイクかけてしまいましたが結構ゲンナリした顔してます。 |
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まだまだ? ちなみに「下の廊下」という呼び名は現在では黒部ダムより下流を指し、ダムより上流は「上の廊下」と称します。ダムができる以前はその辺りを「中の廊下」と言ったそうですが、現在ではこの呼び名はあまり使いません。黒部ダム―仙人谷間のルートはダム建設に遡ること40年あまり前の1925(大正14)年にダム開発調査の目的で開削されたもので、1918(大正8)年設立され黒部水系の開発を行った日本電力株式会社の名を取り、日電歩道とも呼ばれます。日本電力は1938(昭和13)年電力国家管理法により日本発送電株式会社に統合され、戦時経済の一翼を担った後、戦後の1951(昭和26)年電力会社再編成により全国9つの電力会社に分割された時、黒部川水系は関西電力の帰属となったのです。これはパート1で述べた通り1つの水系は当初送電していた地域本位で帰属を決めたことによります。 |
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| 右側の写真はタイトルカットですね。こうやって見るとトラボラの山岳地帯みたい・・・ |
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管理人が行った年は雪も少なくルートも比較的早く開通したのですが、そんな年でもルートには残雪があり、場所によっては巨大なスノーブリッジができています。黒部川流域は降水量が年間平均で3,810mmという多雨地帯ですが、この何割が雪なのでしょうか。清冽で冷たい川の水は春先から初夏にかけてその量を増し、水温む富山湾に流れ込み温かい海水と冷たい川水の層を作り出します。これが富山名物蜃気楼の原因となるのです。黒部は富山県の自然、観光、風物に多大な影響を与えているのです。 |
| 木を3本渡しただけの橋を渡る。結構マジっすかって感じですが、ここまで来たらもう突っ走るしかない。覚悟を決めるとそんなに怖くないもんです。それほど高さもないですし(とは言っても落ちたらまあ死ぬでしょうね)。昔はこんなのが至る所にあったらしいです。黒部ダムの資料館と宇奈月の黒部川電力館で上映している映画や記録写真にはもっとすごいのが(ほとんどサーカス)出てきます。何度も解説しているように、毎年夏に道を造り直すので、この橋も前の年にはなかった物かも知れません。道の整備・補修はすべて関西電力の予算で行われ、我々通行人はあくまで好意で通してもらっているだけですので、道を壊したりして迷惑をかけないようにしましょうね。 | ![]() |
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| 白竜峡から約1時間、下の廊下最大のハイライト、十字峡に到着です!。秘境ハンターの誰もが夢見る十字峡。私はその昔、何の番組かは忘れましたがみなみらんぼう氏が秘境十字峡を探検するというようなのをテレビで見て、「ここに行ってみたい!」と心に決め幾年月、ついにこの地に立ったのです。今にして思えばアマゾンの奥地じゃあるまいし、狭い日本で秘境つったってたかが知れてますが。十字峡がよく見えるポイントは本道からちょっとはずれたところにあり、降りて一服&記念撮影。思いのほか引きがなく、左の写真は20ミリで撮ってますがこれでギリギリなのがおわかりいただけるでしょう。コンパクトや「写るんです」ではどうにもなりませんので注意。
ここで1日目の行程が約半分、ダムを出てから大体4〜5時間経っているはずです。いつまでも居たいのですが、明るい内に阿曽原小屋に着くためにはそうそうのんびりもしていられません。ではそろそろ出発しますか。 |
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何か向こうに人工物らしきものが見えてきましたね・・・
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オーッ!さっき見えてたのはこれだったんですね!秘境に突然現れる人工物。これは地下の黒四からの送電線の繰り出し口なのです。つまりこの奥にはパート1で紹介した発電所が広がっているというわけです。中はよく見えないのですが、送電線はダクトを伝って開閉所・変電所に通じ、さらにその奥には発電所建屋があります。このように黒四発電所はすべて地下にありますが、その理由は国立公園内の景観保全と、雪崩などの自然災害から発電所を守るためなのです。開口部の上にはそれぞれ関西電力の社紋と左側「関西電力」、右側「黒四発電所」と描かれています。この辺りは「S字峡」と呼ばれている所です。 |
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ここで道は下に降り、長い吊り橋を渡って(これが結構怖い)平地に出ます。ここは恐らく仙人谷ダムを建設したときに削りだしたか残土を捨てたかで平地になったとおぼわしき人工的な香りのする平地。ダムまで1km位?しっかりした道が続いており(ただ車ではどこからも来られません)トンネルを抜けると仙人谷ダムに到着です。 ここでちょっと豆知識。関電の社紋はブーメランのような形2個を上下に組み合わせた形ですが、これが何を意味しているか知っていますか?実は上側が「V」すなわちボルトを、下が「A」すなわちアンペアを表しているのです。 |
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パート1で紹介したようにダムの堰提を歩いて対岸に渡ると、上部軌道の坑口を横切ります。実はここにさしかかった時、奥の方からなにやら音がするので急いでカメラを出そうとしたのですが、ちょっとの差で間に合わず列車が来てしまいました。定期では上部軌道の列車は1日4〜5往復ですので、グッドタイミングというか惜しい!そうそう簡単に来られる所ではないのでなおさらです。とりあえずトンネルだけで1枚。ここに立っていると硫黄の匂いとムワ〜っとした熱気が坑内から漂ってきます。 |
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停車した列車から作業員が降りてきました。これがパート1で仙人谷ダムを撮った橋で、橋の上が仙人谷駅ということなのですね。写真の向こう側が黒四発電所方、右側が仙人谷ダム(上流)になります。ここから下流の道は日電歩道とは呼ばず水平歩道と称します。これはこの道が日本電力が黒部川水系の開発権を取得する以前の1919(大正9)年に開通したことによるものです。すなわち、仙人谷ダムは水平歩道が開削されてから約20年の月日を経て完成したことになります。 |
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| 行程中唯一の宿泊施設、阿曽原小屋は高熱隧道建設中宿舎のあった所にそのまま建っており・・・おっと、建っているのはその通りなのですが、実は建物そのものは毎年8月下旬に建てて10月中旬に解体してしまうのです! プレハブ製ですべて板にしてしまってコンクリートの基礎の間に平積みにしておくんですね。なぜそんなことをするのかと言えば、雪崩で建物はことごとく破壊されてしまうためなのです、そう、ここが小説に出てきた第2の惨劇が起こった場所なのです。しかし・・・山小屋の営業期間って9月上旬から10月中旬までなんですよ。再来月には壊してしまうのに組み立てなければいけないという・・・それも結構大きな(小屋と言うには大きすぎる)建物なんですよ。大変ですねぇ。
阿曽原小屋を守っているのは佐々木泉さんという元富山県警山岳救助隊の人で、オフシーズンは宇奈月で農業、8月末になると阿曽原にやってきて小屋を組み立てて約1月半小屋の主として働きます。泉さんなんて名前でどんなカワイイ方かと思いきや、髭ぼうぼうのちょっと尊師に似たオッサンです。名物男で良くテレビにも出るのでご覧になった方も多いかと思います。奥さんもちょっと壊れ気味の楽しい方です。何よりここは秘境中の秘境の温泉として有名で、山小屋で風呂に入れる快適さもさることながら夕食のカレーが絶品!米は佐々木さんが作っている宇奈月産のものとのことですが、あまりのうまさについ何杯もお代わりしてしまいます。なんで温泉があるかというと、高熱隧道から湧き出ているお湯を横坑にパイプを引いて持ってきているからなんですね。トンネルを掘る時あれほど作業員を苦しめた温泉水脈に今宿泊客が恩恵を与っているというわけです。 |
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水平歩道中での幕営は禁止されていますので、登山客は阿曽原小屋に泊まるか写真右の広場でテントを張ることになります。小屋から急な山道を5分位下った所、ほぼ中央下の方に見える小屋が温泉の脱衣場で、この写真では見えませんがその左の木立の辺りがプールのようなコンクリート製の風呂です。脱衣場の隣にはトンネルが口を開けており、お湯のパイプが奥から伸びています。天井にはうっすらと湯気が・・・鬼気迫る光景のこのトンネルは新黒三発電所につながる横坑なのです。左側の岩肌が出ている所は雪崩で全部なぎ倒されたのでしょうね。 |
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阿曽原は水平歩道本筋からずっと低いところにあるので(寄り道する形になる)、昨日来た道とは別ですが再び本道に戻るべく急登を登ります(これがキツイ!)水平歩道に戻ればここからは水平の名の通り平坦な道が続きますが、突然視界が開けてまたもやとんでもない所に来てしまったと後悔の念が・・・ここは大太鼓と呼ばれる最大の見せ場(難所?)です。道幅は約80cm、崖側には柵などありません。まるでピストンリングのはまりこむ溝のよう・・・最初に水平歩道を開いた人たちの執念というか狂気を見る思いです。日本中何とかスカイラインとかスーパー林道とか言って舗装道路作ってる役人ども、ここにも立派な自動車専用道路作って見やがれっつーの。 |
| 険しい山道というわけではないですが、言ってしまえばここが水平歩道で一番危険なんですね。例年4〜5人が水平歩道で命を落としますが、大概は転落です。落ち着いて通れば何ということもないのですが・・・一番高いところでは200m位とのことですので、一度落ちたら救助できないためそのまま見つからない人も沢山います。日本中開発し尽くすこのご時世にこんな所が!と驚きますが、この道は観光用ではないというのが良くお分かりかと思います。あくまで関西電力の保守点検用通路という位置づけです。写真は上流側を見たところ。すでに阿曽原小屋は遠く山筋の陰に隠れています。上部軌道は水平歩道の下150m位の山中を走っているはずです。 | ![]() |
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まあ具体的にはこんな感じっすね。当然ここで人がすれ違うことはできませんので、前から来たなと思ったら広い所で待避するしかないです。先に欅平発はちょっと・・・と書いたのは、欅平発だといくら水平とはいえ、最初に300mの直登を登らされる羽目にことになるのと、このヘビーな情景が先に来てしまうからなのです。しかし、こんな所は通れん!と思っても、欅平からならすぐ帰れますが、黒部ダム発ですとまた2日かけて帰らなければいけませんので、一長一短ではありますが・・・行こうと思った方はこの写真をじっくり10分見てから決めるのが良いかと思われます。 |
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| 急峻な谷は阿曽原から折尾谷、志合谷と続きます。そのたびに道は大きく沢を回り込むのですが、志合谷は沢の最奥部がトンネルになっています。トンネルといってもご覧のような洞穴。毎年雪崩で壊されてしまう沢部の道を穴を掘ってバイパス化したのですが、長さ100m位、人が何とか立てる高さで当然灯りなどはありません。また、沢を回り込む形なので内部はずっとカーブしており真っ暗。このため水平歩道を歩く時はヘッドランプが必携となります。複数人数の時は全員が持つ必要はありませんが・・・とにかくこの洞穴、ここで起こった惨劇を思い出してしまいおっかないです。 | |
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志合谷のトンネルを過ぎると谷の中腹になにやら人工物が見えます。そこが志合の横坑口なんですね。坑口の横にはかつての宿舎があったはずなのですが、こちらは阿曽原と違い平地がなさそうなので、上から見たところよくわかりません。そう、ここが「高熱隧道」で宿舎が空を飛んだあの志合谷なんですね。 黒部には世界でも珍しい「泡(ほう)雪崩」という現象がありまして、通常の雪崩と違い乾ききったパウダースノーが何かの拍子で斜面を落ちていくときに、その中に含まれている空気を極限まで圧縮し、強力な爆発力を発揮するのです。志合谷の宿舎は最も雪崩の危険がない(と思われる)場所を選定し、鉄筋5階建てと強固な構造としたにもかかわらず、この泡雪崩で生じた爆風の前にはなすすべもなく、何と宿舎の形のまま空を飛んで山の裏側で川対面の奥鐘山山腹に激突、作業員84名も布団で寝たまま宿舎ごと山を飛び死亡するという大事故を生じました。時に1938(昭和13)年12月27日、一夜にして忽然と姿を消した鉄筋5階建ての宿舎に現場はパニックとなったものの宿舎の行方は杳として知れず、発見されたのは翌年の春先でした。奥鐘山はこの写真で左側になりますので、宿舎は左右中央下の辺りから左側の尾根を越えて飛んでいったのでしょう。実は1940(昭和15)年1月9日、阿曽原小屋も同じ泡雪崩に襲われ、裏山のブナの森が鋭い刃と化した爆風で根こそぎ切り取られ、6階建ての阿曽原小屋に矢のように降り注いだ結果死者・不明28名を出す事故を起こしています。どちらの場所も植物の生育状況などから慎重に建設場所を選定したにもかかわらず、数百年に1度といわれる規模の雪崩が宿舎を狙ったかのように連続して襲ったのです。 ・・・しかしここを過ぎると欅平の駅もすぐ。駅の姿もちらほら見えるようになりアナウンスも遠く聞こえてきます。秘境をさまよい2日目、どうやら再び人里に近づいてきたようです(本当は欅平も相当人里からは離れているのですが)。 |
| しばらくすると笹が生い茂る原っぱに出ます。ハイキングをしているような牧歌的な道は明らかに今回のツアーでは異質な光景ですが、突然急な下り坂となります。ここが蜆(しじみ)坂。今回の行程で一番辛い急登です。前述の通りこれが欅平発をお勧めしない最大の原因で、垂直距離約300m、東京タワーを一気に登ることになります。山登りが目的の人にはそちらの方がいいのかも知れませんが・・・下りでさえ足ががくがくで、もう勘弁してくれ〜と叫びたくなる頃突然欅平の駅横に出て、秘境探検ツアーは終わります。時計は16時前、阿曽原を出たのは10時頃ですから約6時間の行程でした。実は管理人はこれが黒部峡谷鉄道の初乗りでして、よもや初乗りが欅平発になるとは・・・と笑ったものです。 | ![]() |
いかがでしたか。黒部の谷は不思議な魅力で人を誘います。それは雄大な自然であったり、巨大な科学技術の所産であったり、現代史の恥部とも言えるおどろおどろしい逸話だったり・・・見るものによってさまざまな側面をあらわにし、時には優しく語りかけ、時には苛烈に牙を剥きます。誰もが行ける場所ではありませんが、機会があったらぜひ訪れてみてください。
黒部行くぞ!と思った方に・・・
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●日電歩道・水平歩道は例年8月末に整備が完了し、9月上旬から通行が可能になります。開通は前シーズンの積雪によるので、遅れる可能性もありますので注意(10月までずれ込むこともままあります。そうすると通行可能期間は半月ちょっととなってしまいます)。一番のハイシーズンは秋分の日前後。 |
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●黒部ダム―欅平間は1日では踏破できません。行程中唯一の宿泊施設である阿曽原小屋に宿泊する場合は予約をお勧めします(電話番号は掲載しませんのでご自分でお調べ下さい。道の開通状況も教えてくれます)。前の広場では幕営も可能です。 |
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●阿曽原は異色の温泉のある山小屋ですので、入浴セットを持っていった方がいいかも知れません(石鹸等は使えません。露天風呂は時間で男女が分けられているので水着は必要ないでしょう)。また前述のようにヘッドランプはグループ中1人が必携です。携帯電話は全行程圏外ですので持っていっても意味がありません。 |
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●10月下旬には雪が降り始め、シーズンは終わりです。翌年秋まで待ちましょう。このルートは純粋な登山とは若干性格の異なるものですが、登山のレベルとしては中級以上になります。初心者も無理ではありませんが相当のリスクを伴いますので、各自の責任において企画してください。またなるべく2人以上で行くようにしてください。毎年必ず4〜5人が命を落とします。自分がその1人にならないという保証はどこにもないということを充分認識しての行動をお願いします。 |