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嗚呼平壌、美しき街よ― |
| 党創建記念塔。シンメトリーデザインのアパートの屋上には左から「百戦」「百勝」と書いてあります。 | |||
党創建記念塔は1995年10月10日、朝鮮労働党の創立50周年を記念して建立された、塔というよりモニュメントである。スローガンと党の歴史を象徴した銅板の浮き彫りで装飾した円筒形の基部、そしてその上に革命を担うプロレタリアートの力の象徴、ハンマー(労働者)、鎌(農民)、ペン(インテリ)を持つ拳が天に向かって突き立てられている。3つの高さは党創建50周年を記念して50m、また円筒も直径50mとなっている。「記念塔はこれまでのしきたりを破って、ハンマーとかま、筆を交叉させず、それぞれ直立させボリューム感と洗練された造形美を生かし、それらを円筒型構造物で囲んで領袖、党、大衆の一心団結を強調するユニークな設計となっている」(「平壌概観」1995年外国文出版社)。ここでもどこからともなく現れたチョゴリ姿のお姉さんが解説をしてくれる。といってもK嬢だとほとんど訳が追いつかないのだけれど。
| プロレタリアート三種の神器を真下から見る。 | |||
後ろを振り向くと、その万寿台の銅像、朝鮮革命博物館が真っ正面に見える。そして、その背後には一直線にあの幽霊ホテル、柳京ホテルが聳えていた! むむむ、ここも主体思想塔と金日成広場、人民大学習堂のような直列のデザインなのか!? しかし、よく見るとスルメを立てたような柳京ホテルはこちらを向いておらず、三角形がいびつになっている。気にしてみると若干中心線も合っていないようだ。もともと柳京ホテルが万寿台に向かって正対していないのだからどこに造っても正面を向いて直列するわけがない。しかし、若干意識はしたのではないかと思われる位置設定ではあった。一言も説明してくれないくせに折々で自慢げに見せつけるんだから・・・
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| 高島平かとみまごうばかりの高層住宅と公園。正面奥には岩山のような遊具(?)があって子供達が登って遊んでいました。 | |||
もう一つ、こちらに着いたときからうすうす感じていたことではあるが、陵羅島を斜め前方に見ながら 気づいたことがある。この街、ソウルに似ているのだ。牡丹峰の下を東西に抜けているトンネルがあるのだが、ここを通った時「南山のトンネルだ!」と驚いてしまった。トンネルを抜けると片やすぐに大同江、片やすぐ漢江、牡丹峰の位置といい、大同江のカーブ具合といい、さらに平壌駅(とソウル駅)の位置や線路の曲がり方、大きな中洲(羊角島と汝矣島)とその最上流側にある大きなビル(羊角島ホテルと大韓生命63ビル)まで、とにかくよく似ている。同行のO氏によると風水で街を置く場所を決めたのだから必然的に似てくると説明されたのだが、自然の地形はそれで説明がつくが鉄道やビルまでが似て来るというのは、やはり同じ国民がデザインした結果なのだろうか(厳密に言えば鉄道は日帝・つまり日本が建設したものだが)。
ここまで朝からよく強行軍で回ったものだ。もう万景台が遠い昔のように記憶の彼方に去ってしまった。さあ、次は今日の行程の最後、サーカス観覧だ。
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スリリングなサーカスに大興奮!― |
| 党創建記念塔広場の前を走る紋繍通り。ここでも公共交通機関は超満員。 | |||
バスは大同江を渡り、またしても普通江沿いに北上し始める。平壌でサーカスというと2軒あって、1つは有名な人民軍サーカス劇場、これは現在バスが走っているルートの先、牡丹峰の裏にある。1964年建設で平壌では老舗。もう1つは万景台の学生少年宮殿に近く、高層アパートが建ち並ぶ光復通りの中程にある平壌サーカス劇場で、最近新設されたとのことだが人民軍が敷地面積1万5,000平方メートルなのに対して7万平方メートルと大きく、設備も充実しているらしい。また祖国解放戦争勝利記念館の角を左折した。柳京ホテルを左に見て南下、普通江駅にぶつかり八谷橋を渡って光復通りへ。金日成氏の母、康盤石女史の生家がある七谷(Chiru goru)にほど近い光復通りのほぼ中間地点に平壌サーカス劇場はあった。
こちらも先日の学生少年宮殿と同じく、建物前の駐車場には何台ものバスがすでに停まっている。玄関を入ると大階段が2回に伸びており、そこは観客席を壁で隔てた回廊のようになっていた。この回廊には主に金正日氏の現地視察や朝鮮戦争時の写真パネルなどが何十点も壁沿いに並べられており、結構興味深いものがあるのだが、この手の展示物はいつも素通りさせられてしまう。観客席はかなり勾配の急な、4分の3位円形でステージを囲んだ予想よりこぢんまりとした空間だった。資料では3,500名が収容できるとのことだが・・・でも、サーカスってこういうものだっけ?あまり広い会場ってのはないわな。それにしても、ステージが近すぎる。我々は最前列から8列目位に座ったのだが、それでもステージキャストの表情もはっきり見える。
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| S氏熱演!のハンカチ手玉 | |||
次は下の人間が担いだ、4mはあろうかというやぐらの上に乗った1組の男女がお互いに飛び移ったりする演目。男の方の顔とBGMがまるで「戦隊もの」調で、やはりイルボンはその辺まで研究し尽くされているのかリスペクトなのかわからないが、気がつくとこちらも手のひらにうっすらと汗をかいていた。この演目は若干失敗もあったのだが、そもそも飛び移って台に足を着くこと自体が奇跡に近い。若干悲痛な表情で終わりの挨拶をする男女ペアにも惜しげもない拍手が送られる。
事前に読んだガイドブックには熊が出てきたりするのだが、今回は人間のみで基本的に飛び移り系が多い。この舞台は昇降式でどこをどうやると転換できるのかわからないが、プールでのシンクロのような水中ショーもできるのだという。円形舞台の後方にはいわゆる額縁式舞台も控えており、ここでは箱抜け、人体分割というマジックショーで楽しませてくれた。一度成功した後タネ明かしをやるのだ。箱は裏側、キャストは後ろを向いて、ササッ箱を覆う布を持って中央の机に移動した時に箱の中の美女が布に隠れて前屈みに走るのを見て観客は大爆笑!
ピエロはいないが、おじさんと水道橋博士に似た若い男の2人組がコミカルな動きを見せるハンカチの手玉も見事なプロフェッショナル。と、ここで客席いじりが発生! なんと当ツアーのS氏が連れて行かれてしまったのだ! 3人横並びでのハンカチ手玉が始まる。S氏は意外に健闘するも端から端へと一番移動距離の長い順序で段々遅れ始め、遂に落とす。もう勘弁してくれと手を合わせてお願いするS氏、しかし2人組は許してくれない。再びハンカチの死闘が始まる。これも落とし所を押さえいるというか、見事なエンターテイメントになっていた。
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| 互い違いに重ねた5段のパイプの上に乗る驚異的な演目。さらにこの上で縄抜けをやるのです! | |||
それにしても、2人の見事なまでも息の合った演技! 恐らく若い方の厳しい師匠なのだろう、50代も後半かと思えるおじさんがとても興味深かった。コミカルな演技で観客を笑わせる彼はおそらくこの国で庶民としては最上層に位置する階級であろう。しかし、労働党員として革命を支える彼の職分は道化なのだ。どのようないきさつでサーカスに入ることになったのか。共和国では職業選択の自由はなく、党がそれぞれの配属先を割り振るのだというが、それが本当なら一道化としてこの建物の中で遠からずそのキャリアを終える彼は日々何を思うのだろうか。ともあれ、そんな旅行者の思いは知ってか知らずか、彼は見事なラインを描き帽子を投げて見せ、百発百中でその頭に帽子を載せて見せた。
最後はまるでクレーンのような巨大な空中器具に取り付けられた4つのブランコから6人が自由自在に飛び回る、まるでメガネザルの檻のような空中ブランコで締め。これもなかなか見応えのあるダイナミックさで、フィナーレで全員が上から安全ネットにポンポン飛び降りてきた。オールキャストが舞台に出てきて挨拶すると拍手喝采で終了。最後に気がついたが、ここも音楽は生オケであった。
演技終了後、ツアー主隊は平壌から約160km北東に位置する朝鮮四大景勝の一つ、妙香山に出発するが、我々を含む4名がオプションの錦繍山(Kumususan)見学のため別行程となる。観光バスともお別れで、観客でごった返す駐車場に待っていたワンボックスに乗り換え一足先に出発。ここまでの添乗員、現地ガイドは妙香山に同行するため、新しいガイドが挨拶。今度の人は40代前半位かと思われるダンディなJ氏で、日本語もほぼネイティブかと思われるほど堪能(もちろん来日経験はなし)、もう一組の参加者であるO氏もまた共和国2度目のエキスパートであるためここまでのようなおっかなびっくりぶりは全くなくなった。これからどうします? 特に決めてない? ああ、今日もマスゲーム見られますよ。えっ!?
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日本人唯一!? マスゲームを二晩続けて観覧― |
| オールキャスト揃ってフィナーレの挨拶 | |||
その前に、切手を見たいというO氏の希望で高麗ホテルの隣にある切手屋へ。さすがに豊富な知識を持つO氏、希望には無駄がない。高麗ホテルの隣に切手屋があるなど知らなかったのだ。車はバスの時と違い平壌駅・高麗ホテルへの最短ルートである線路沿いを走っている。と、新義州・南浦方面から来た列車と真横で併走になった。ウワッ!あれほど待ち望みながら見ることができなかった機関車が私の真横を走っている。車は窓も開き、まるで私の嗜好を知っていてこんなシーンを用意してくれるのでは・・・と思えるほどだったが、夕方の完全逆光だったので撮影は断念した。悔しい!
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| 「アリラン」記念切手。1ウォンでこれを貼れば葉書を日本まで送れます。シートバラと台紙つき豪華セット両方あり、メーデースタジアムでは結構セットも売れていました。共和国のお土産といえば結局これしかありませんので、興味なくても切手屋には行かなきゃならんと思いますよ。 | |||
20時からのマスゲームにはそろそろ時間の余裕もなくなってきたが、昼間の観光だけだと思って皆厚めの上着を持ってこなかったので一度ホテルに戻るが、出発時すでに1945を回っており間に合うのかと気が気ではない。東京と違い絶対に渋滞はないので急げば大丈夫だとは思うが・・・果たして、約8kmの距離を走ってメーデースタジアムに着いた時、時計は1955を指していた。昨日と同じく正面ゲートの真ん前につけてくれたので、ゆうゆう間に合ったわけである。
それから1時間半、我々はもう再び見ることはないと思っていた「アリラン」を堪能させていただいた。今回は日本語が話せるJ氏が隣にいるので各幕ごとのテロップなども教えてもらい、高感度フィルムが底をついたこともありゆっくりと観賞に専念することができた。恐らく日本人でアリランを2度見た人間は我々4人だけなのではないかと思うが(自慢にならん!?)、やはりこれだけの大舞台、1度では全てを見ることは難しい。最低2度見てそのディテール、ひいては全容を知ることが可能なのではないだろうか。平壌の5月上旬の夜は肌寒い。暑がりの私も万一のためにと持参したゴアのウィンドストッパーを着込み、一場面も見逃すまいと目の前の大スペクタクルを凝視し続けた。
感動の時はあっという間に過ぎ、暗闇の中をホテルへ戻る。今晩は4人だけで寂しい夕食だ。しかし明日も錦繍山という大イベントが控えている。ここは午前中で終わるので、午後の予定をお互いのグループで出し合い、あそこも行きたい、ここも行きたいと話は弾む。どうやらO氏は本当に共和国に対して広範な知識をお持ちのようだ。これは心強い。私は一応地下鉄建設博物館に行きたいとの希望を出してみた。趣味に走り過ぎなのでO氏と同行のI女史には申し訳ないとは思ったのだが、彼らも気遣ってかどうかどこでも行ければ珍しいところなのだからいいじゃないですかと言ってくれた。ん!じゃ今日は早めに部屋に引き揚げるとしますか。本日もドラマとカラオケ番組を見て2時頃就寝。