嗚呼平壌、美しき街よ


党創建記念塔。シンメトリーデザインのアパートの屋上には左から「百戦」「百勝」と書いてあります。
 平壌の空中散歩を堪能した我々が、次に向かったのは党創立記念塔。主体思想塔と同じく大同江の東側、紋繍(Muns)通りにある記念塔へは車なら3分かかるかかからないかの距離だが、またバスは遠回り。東平壌大劇場を回り込むようにしてひと川向こうを折り返し停車した。疑ってばかりいたが、どうもこの大回りには、「市街では簡単に転回できない」という理由があるようだ。東京でも、分離帯のある大きな道などではUターンできずに何kmも反対方向へ走り続けることがよくある。こちらでは交通規則が厳しく、交通量が少なくてもフットワーク良くUターンは許されないらしい。そうすると目的地の「目」を読むことが重要になり、どう考えても遠回りにしか見えないルートをとることもしばしばあるわけだ。

 党創建記念塔は1995年10月10日、朝鮮労働党の創立50周年を記念して建立された、塔というよりモニュメントである。スローガンと党の歴史を象徴した銅板の浮き彫りで装飾した円筒形の基部、そしてその上に革命を担うプロレタリアートの力の象徴、ハンマー(労働者)、鎌(農民)、ペン(インテリ)を持つ拳が天に向かって突き立てられている。3つの高さは党創建50周年を記念して50m、また円筒も直径50mとなっている。「記念塔はこれまでのしきたりを破って、ハンマーとかま、筆を交叉させず、それぞれ直立させボリューム感と洗練された造形美を生かし、それらを円筒型構造物で囲んで領袖、党、大衆の一心団結を強調するユニークな設計となっている」(「平壌概観」1995年外国文出版社)。ここでもどこからともなく現れたチョゴリ姿のお姉さんが解説をしてくれる。といってもK嬢だとほとんど訳が追いつかないのだけれど。

プロレタリアート三種の神器を真下から見る。
 万寿台の金日成氏の銅像からの距離は2,160mとのことである。ん?この数字は・・・ 2・16とは正日氏の誕生日なのである。石積みの数やら石碑の寸法なら誰にも迷惑をかけないだろうから結構なのだが、こういった「爆撃」は住んでいる人間にはたまらんだろうなあ。何で415m(4・15は日成氏の誕生日)にしなかったかというと、多分その距離では適当な土地がなかったのだろうけど、突然自分の家が接収されて次に住むところ世話してくれるんかいな。万景台の日成氏の生家一帯も、もちろん昔は集落だったのだけれど、「聖地」とするために集団で移転させられたのだそうである。「2・16」という数字が気まぐれに作り出す運命のいたずら・・・個人の運命など、所詮国家に対しては鴻毛ほどの重さも持ち合わせてはいないのだ。そしてそれは海を渡った隣の国も恐らく同じなのだろう。

 後ろを振り向くと、その万寿台の銅像、朝鮮革命博物館が真っ正面に見える。そして、その背後には一直線にあの幽霊ホテル、柳京ホテルが聳えていた! むむむ、ここも主体思想塔と金日成広場、人民大学習堂のような直列のデザインなのか!? しかし、よく見るとスルメを立てたような柳京ホテルはこちらを向いておらず、三角形がいびつになっている。気にしてみると若干中心線も合っていないようだ。もともと柳京ホテルが万寿台に向かって正対していないのだからどこに造っても正面を向いて直列するわけがない。しかし、若干意識はしたのではないかと思われる位置設定ではあった。一言も説明してくれないくせに折々で自慢げに見せつけるんだから・・・

高島平かとみまごうばかりの高層住宅と公園。正面奥には岩山のような遊具(?)があって子供達が登って遊んでいました。
 また、背後はと見れば、これも主体思想塔と同じく見事なシンメトリー。オフィスビルのように見えるがすべてアパートとのことである。この一帯は公園として整備されており、近年の建設のせいか建物も下の緑地のたたずまいもちょっと共和国には見えずまるで日本のニュータウンのようである。噴水や木々の植え込み、遊技具で遊ぶ子供達・・・私的にはここが非共和国的光景のナンバー1であった。

もう一つ、こちらに着いたときからうすうす感じていたことではあるが、陵羅島を斜め前方に見ながら 気づいたことがある。この街、ソウルに似ているのだ。牡丹峰の下を東西に抜けているトンネルがあるのだが、ここを通った時「南山のトンネルだ!」と驚いてしまった。トンネルを抜けると片やすぐに大同江、片やすぐ漢江、牡丹峰の位置といい、大同江のカーブ具合といい、さらに平壌駅(とソウル駅)の位置や線路の曲がり方、大きな中洲(羊角島と汝矣島)とその最上流側にある大きなビル(羊角島ホテルと大韓生命63ビル)まで、とにかくよく似ている。同行のO氏によると風水で街を置く場所を決めたのだから必然的に似てくると説明されたのだが、自然の地形はそれで説明がつくが鉄道やビルまでが似て来るというのは、やはり同じ国民がデザインした結果なのだろうか(厳密に言えば鉄道は日帝・つまり日本が建設したものだが)。

 ここまで朝からよく強行軍で回ったものだ。もう万景台が遠い昔のように記憶の彼方に去ってしまった。さあ、次は今日の行程の最後、サーカス観覧だ。

 スリリングなサーカスに大興奮!


党創建記念塔広場の前を走る紋繍通り。ここでも公共交通機関は超満員。
 これも、正直期待していなかったのだ。サーカスなんて、日本でも何十年も見ていない。いい年してサーカスでもあるまい。しかもこんな所に来てまで・・・しかし昨日の学生少年宮殿の記憶が蘇る。中坊(厨房!?)のとき、最初ふてくされていたヤンキーが最後はすっかり夢中になっている、あれだ。素直になってみろ、子供になってみろ・・・この国の、見ることができるすべてを、見に来たのだから。きっと素晴らしいものが見られるはずだ。

 バスは大同江を渡り、またしても普通江沿いに北上し始める。平壌でサーカスというと2軒あって、1つは有名な人民軍サーカス劇場、これは現在バスが走っているルートの先、牡丹峰の裏にある。1964年建設で平壌では老舗。もう1つは万景台の学生少年宮殿に近く、高層アパートが建ち並ぶ光復通りの中程にある平壌サーカス劇場で、最近新設されたとのことだが人民軍が敷地面積1万5,000平方メートルなのに対して7万平方メートルと大きく、設備も充実しているらしい。また祖国解放戦争勝利記念館の角を左折した。柳京ホテルを左に見て南下、普通江駅にぶつかり八谷橋を渡って光復通りへ。金日成氏の母、康盤石女史の生家がある七谷(Chiru goru)にほど近い光復通りのほぼ中間地点に平壌サーカス劇場はあった。

 こちらも先日の学生少年宮殿と同じく、建物前の駐車場には何台ものバスがすでに停まっている。玄関を入ると大階段が2回に伸びており、そこは観客席を壁で隔てた回廊のようになっていた。この回廊には主に金正日氏の現地視察や朝鮮戦争時の写真パネルなどが何十点も壁沿いに並べられており、結構興味深いものがあるのだが、この手の展示物はいつも素通りさせられてしまう。観客席はかなり勾配の急な、4分の3位円形でステージを囲んだ予想よりこぢんまりとした空間だった。資料では3,500名が収容できるとのことだが・・・でも、サーカスってこういうものだっけ?あまり広い会場ってのはないわな。それにしても、ステージが近すぎる。我々は最前列から8列目位に座ったのだが、それでもステージキャストの表情もはっきり見える。

S氏熱演!のハンカチ手玉
 他の演劇と違い、サーカスはフラッシュをたくのは遠慮して欲しいというので、すでに高感度フィルムを使い切ってしまった私はあまり写真は撮れなかった。それも当然で、大きな脚立のような足台を使い、何人もが組体操のようにして驚異的な幾何学模様を作り上げる最初の演目から、恐ろしく集中力を要求されるであろうアクロバットの連続。観客は息をのむような演技に圧倒される。

 次は下の人間が担いだ、4mはあろうかというやぐらの上に乗った1組の男女がお互いに飛び移ったりする演目。男の方の顔とBGMがまるで「戦隊もの」調で、やはりイルボンはその辺まで研究し尽くされているのかリスペクトなのかわからないが、気がつくとこちらも手のひらにうっすらと汗をかいていた。この演目は若干失敗もあったのだが、そもそも飛び移って台に足を着くこと自体が奇跡に近い。若干悲痛な表情で終わりの挨拶をする男女ペアにも惜しげもない拍手が送られる。

 事前に読んだガイドブックには熊が出てきたりするのだが、今回は人間のみで基本的に飛び移り系が多い。この舞台は昇降式でどこをどうやると転換できるのかわからないが、プールでのシンクロのような水中ショーもできるのだという。円形舞台の後方にはいわゆる額縁式舞台も控えており、ここでは箱抜け、人体分割というマジックショーで楽しませてくれた。一度成功した後タネ明かしをやるのだ。箱は裏側、キャストは後ろを向いて、ササッ箱を覆う布を持って中央の机に移動した時に箱の中の美女が布に隠れて前屈みに走るのを見て観客は大爆笑!

 ピエロはいないが、おじさんと水道橋博士に似た若い男の2人組がコミカルな動きを見せるハンカチの手玉も見事なプロフェッショナル。と、ここで客席いじりが発生! なんと当ツアーのS氏が連れて行かれてしまったのだ! 3人横並びでのハンカチ手玉が始まる。S氏は意外に健闘するも端から端へと一番移動距離の長い順序で段々遅れ始め、遂に落とす。もう勘弁してくれと手を合わせてお願いするS氏、しかし2人組は許してくれない。再びハンカチの死闘が始まる。これも落とし所を押さえいるというか、見事なエンターテイメントになっていた。

互い違いに重ねた5段のパイプの上に乗る驚異的な演目。さらにこの上で縄抜けをやるのです!
 この後も何段も重ねたパイプの上に乗ったり美女が空中で口にくわえた台座の上に先端に花が咲いている長い棒を載せ逆さまになったりと、冷静に考えると「この行為に何の意味があるのか?」と笑ってしまうような、それでいて息を飲む演目が続く。再び2人組が登場し帽子投げで客いじり。今度は中国人のおじさんが連れて行かれたが、1つも頭に載せることはできなかった。

 それにしても、2人の見事なまでも息の合った演技! 恐らく若い方の厳しい師匠なのだろう、50代も後半かと思えるおじさんがとても興味深かった。コミカルな演技で観客を笑わせる彼はおそらくこの国で庶民としては最上層に位置する階級であろう。しかし、労働党員として革命を支える彼の職分は道化なのだ。どのようないきさつでサーカスに入ることになったのか。共和国では職業選択の自由はなく、党がそれぞれの配属先を割り振るのだというが、それが本当なら一道化としてこの建物の中で遠からずそのキャリアを終える彼は日々何を思うのだろうか。ともあれ、そんな旅行者の思いは知ってか知らずか、彼は見事なラインを描き帽子を投げて見せ、百発百中でその頭に帽子を載せて見せた。

 最後はまるでクレーンのような巨大な空中器具に取り付けられた4つのブランコから6人が自由自在に飛び回る、まるでメガネザルの檻のような空中ブランコで締め。これもなかなか見応えのあるダイナミックさで、フィナーレで全員が上から安全ネットにポンポン飛び降りてきた。オールキャストが舞台に出てきて挨拶すると拍手喝采で終了。最後に気がついたが、ここも音楽は生オケであった。

 演技終了後、ツアー主隊は平壌から約160km北東に位置する朝鮮四大景勝の一つ、妙香山に出発するが、我々を含む4名がオプションの錦繍山(Kumususan)見学のため別行程となる。観光バスともお別れで、観客でごった返す駐車場に待っていたワンボックスに乗り換え一足先に出発。ここまでの添乗員、現地ガイドは妙香山に同行するため、新しいガイドが挨拶。今度の人は40代前半位かと思われるダンディなJ氏で、日本語もほぼネイティブかと思われるほど堪能(もちろん来日経験はなし)、もう一組の参加者であるO氏もまた共和国2度目のエキスパートであるためここまでのようなおっかなびっくりぶりは全くなくなった。これからどうします? 特に決めてない? ああ、今日もマスゲーム見られますよ。えっ!?

 日本人唯一!? マスゲームを二晩続けて観覧


オールキャスト揃ってフィナーレの挨拶
 昨夜の興奮もまだ生々しいマスゲーム、今日も見られるのか!? これは大変なことになった。正直、共和国に来るまで同居人はどう思っているか知らないが、私は前述のように「見られれば結構」位にしか思っていなかったのだ。既に圧倒的な演技を目の当たりにして、感動と興奮に酔いしれている自分に気づく。エンターテイメントで人を洗脳するとはこういうものかというほど、頭ではわかっているのだがその甘美な瞬間をもう一度と望んでいるのだ。もちろんタダでというわけではない。3等で良ければ1人8,000円、どうします? 同行のO氏も少々興奮気味だ。これで満場一致で(といっても4人だが)アリラン・リターンズが決定!

 その前に、切手を見たいというO氏の希望で高麗ホテルの隣にある切手屋へ。さすがに豊富な知識を持つO氏、希望には無駄がない。高麗ホテルの隣に切手屋があるなど知らなかったのだ。車はバスの時と違い平壌駅・高麗ホテルへの最短ルートである線路沿いを走っている。と、新義州・南浦方面から来た列車と真横で併走になった。ウワッ!あれほど待ち望みながら見ることができなかった機関車が私の真横を走っている。車は窓も開き、まるで私の嗜好を知っていてこんなシーンを用意してくれるのでは・・・と思えるほどだったが、夕方の完全逆光だったので撮影は断念した。悔しい!

「アリラン」記念切手。1ウォンでこれを貼れば葉書を日本まで送れます。シートバラと台紙つき豪華セット両方あり、メーデースタジアムでは結構セットも売れていました。共和国のお土産といえば結局これしかありませんので、興味なくても切手屋には行かなきゃならんと思いますよ。
 切手屋でO氏は夢中になって各種の記念切手を買い漁っていた。私もお土産もあるし、昨夜のメーデースタジアムの出店では売っていなかった金日成氏生誕90周年、人民軍創設70周年記念のシートをはじめ鉄道や路面電車柄のを3,000円分ほど購入。中年の店主らしい女性と若い女性3人で切り盛りしているここも場所柄か日本人の応対も手慣れており(話せる人はいなかった)、平壌観光には欠かせない店と思われる。切手に興味なければ行ってもしょうがないですけど。

 20時からのマスゲームにはそろそろ時間の余裕もなくなってきたが、昼間の観光だけだと思って皆厚めの上着を持ってこなかったので一度ホテルに戻るが、出発時すでに1945を回っており間に合うのかと気が気ではない。東京と違い絶対に渋滞はないので急げば大丈夫だとは思うが・・・果たして、約8kmの距離を走ってメーデースタジアムに着いた時、時計は1955を指していた。昨日と同じく正面ゲートの真ん前につけてくれたので、ゆうゆう間に合ったわけである。

 それから1時間半、我々はもう再び見ることはないと思っていた「アリラン」を堪能させていただいた。今回は日本語が話せるJ氏が隣にいるので各幕ごとのテロップなども教えてもらい、高感度フィルムが底をついたこともありゆっくりと観賞に専念することができた。恐らく日本人でアリランを2度見た人間は我々4人だけなのではないかと思うが(自慢にならん!?)、やはりこれだけの大舞台、1度では全てを見ることは難しい。最低2度見てそのディテール、ひいては全容を知ることが可能なのではないだろうか。平壌の5月上旬の夜は肌寒い。暑がりの私も万一のためにと持参したゴアのウィンドストッパーを着込み、一場面も見逃すまいと目の前の大スペクタクルを凝視し続けた。

 感動の時はあっという間に過ぎ、暗闇の中をホテルへ戻る。今晩は4人だけで寂しい夕食だ。しかし明日も錦繍山という大イベントが控えている。ここは午前中で終わるので、午後の予定をお互いのグループで出し合い、あそこも行きたい、ここも行きたいと話は弾む。どうやらO氏は本当に共和国に対して広範な知識をお持ちのようだ。これは心強い。私は一応地下鉄建設博物館に行きたいとの希望を出してみた。趣味に走り過ぎなのでO氏と同行のI女史には申し訳ないとは思ったのだが、彼らも気遣ってかどうかどこでも行ければ珍しいところなのだからいいじゃないですかと言ってくれた。ん!じゃ今日は早めに部屋に引き揚げるとしますか。本日もドラマとカラオケ番組を見て2時頃就寝。

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