屋台を求めて右往左往


 マスゲームの興奮もさめやらぬうち、暗闇の中をホテルに帰ったのは22時前。スタジアムを出てみれば、ものすごい数の人・人・人・・・出演者も一緒に帰りはじめているらしい。もちろん送迎バスなどあるはずもなく、演技に使ったバトンや小道具を手に持ってゾロゾロと歩いている。こちらでは一般市民の公共輸送機関としてトラックがポピュラーであるが、これも荷台に人が鈴なり。何となく神宮球場で夜野球が終わった後を連想する光景だった。

マスゲームの興奮さめやらぬメーデースタジアム
 ホテルに着くと、添乗のP氏がこれから屋台に行こうと思いますので、希望者はそのままロビーに残ってくださいと言う。待ってました屋台! 出発前に聞いたのだが、アリラン祭典に合わせて市中に屋台村ができているらしい。もちろん、普段の平壌は屋台、外食やショッピングなど夢のまた夢の街である。今回はお祭りムードを盛り上げるために日本から屋台セット一式を持ち込んだのだそうだ。それも、昼にちらりと見た感じでは並大抵の数ではない。一番大きかったのは平壌体育館、ヘルスセンター(そう、こんな物もあるんですよ!)蒼光院の間の広場で、ここだけは若干暗いながら東京と変わらない喧噪があった。皆の頭に、漫画みたいに「ポワ〜ン」とあの屋台村の風景が浮かんだことだろう。

 しかし、ツアーの常として、なかなか出発の号令がかからない。参加者の意思表示が弱いせいもあるのだが、いつまで経ってもメンバーが固まらず、またほぼ集まったら今度は添乗、案内員連中がどっかに散らばってしまった。どうなってんの、このツアー・・・結局30分近くを浪費してバスは再びホテルを出発。これは本当に偉いと思うが、担当のツアーがいる間案内人はおろか運転手も24時間体制である。1人で行っても最低2人の案内人がつくらしい。人口2300万人の国で、これに要する人的コストというのはいかばかりだろうか・・・

 と、バスは暗闇の中の平壌駅前を右折した。文字通り怒濤のような1日を終えて、ツアー客はいくらか親しくなってきた。皆はこの屋台には来なかったハワイか香港に行きそうなオヤジのうわさ話に花を咲かせている。彼は一体なにしに共和国に来たんだろう・・・昼間私1人でレンズを交換にバスに帰ったことがあったのだが、このオヤジが若造と2人で深刻な話をしている現場を見てしまった。2人は殺気立った形相で私に一瞥をくれると、バスの通路越しに斜めに座って話し始めた。オヤジなんで外に観光に行かないでバスに1人乗ってていいんだろ? 安保観光、いやすでに外に出るすべての観光にはなから興味はないオヤジはナイトライフについて若造の協力を取り付けようとしていたのである。「なあ、わかったか? カラオケとかさあ・・・あるだろ?」などと言っているのが聞こえたが、オヤジ本当はカラオケが最終目的じゃないだろう? 果たして、彼は屋台には目もくれず別行動となったのである。案内人の足並みが揃わなかったのもひょっとしたら彼のお守りが原因? いないのをいいことに言いたい放題である。

高麗ホテル横の特設屋台村にて。隣の高層アパートの上から皆が覗いています。
 バスは暗闇の中、ホテルらしき建物の駐車場に停まった。ここはどこなのだろう。後で地図を確認したら、そこは「アットホームなサービスに人気がある」とガイドブックにある、大同江岸の平壌ホテルであった。窓から漏れる照明も白熱灯ながら一般の家庭とは異なる落ち着いた、寒々しくない光を放っている。「ここです」というので一同降りてみるが、ホテルの入口から見て裏側、表通りに面した舗道にある「屋台」というのは我々の概念で言う「売店」であった。幅1m50cm位のカウンターだけがある箱があるだけで椅子もない。むむむ・・・。よく見たら、その隣にもテントらしきものがあった。やった!あるじゃん。ところが、そこにまず首をつっこんだ若造が「ここはダメです」。なんでよ! 彼の説明によるとここは総連がいるからとのことなのだが、屋台のほぼ全てが日本から持ち込んできたものだというのに総連系じゃないものなんかあるのか!! 

 どうも話の全てに要領を得ない。とにかく別の所に行きますからとまたバスに乗せられる。だからさ〜、昼間見た体育館の所が一番大きくていいじゃん、と言いたいところなのだが、彼らには彼らの事情があるのだろう。どうせ希望を伝えても聞いてくれるわけじゃなし、とすっかりこちらも思考が共和国回路である。結局連れて行かれたのは高麗ホテル脇、小規模ながら10軒ほどのカウンターが四角形に配置されている囲みの中の屋台「村」であった。

 なんで最初からここに来ないんだろう・・・と、まあとりあえず良しとしよう! 思いのほか時間を食ったので飲み食いは正味30分ちょっとということになり、慌ただしく七面鳥の焼肉とビールを注文。集まった有志で乾杯。高麗ホテルの隣だけに、テーブルは日本人のビジネス関係ではないかとおぼしき背広の男達で活況を呈している。期間中毎年恒例となっている国際見本市が開かれているということで、羊角島ホテルでも出品しているので・・・という人に会った。出入口はホテル側の1カ所のみで、中に入れば袋小路で実に管理しやすい構造ではある。日本人はこの中に囲われて・・・と思うと情けないが、鶏肉とはいえ焼肉の煙などを盛大に上げて、肉が口に入るのは将軍様(正日氏)の誕生日に家族で1口ずつ、などという話を聞いているから大丈夫なのかとも思ってしまう。東京なら帝国ホテルの隣のような場所だが、職住接近のこの街では隣のビルも2階以上はアパートかも知れないのだ。と思って上を見上げると・・・ゲッ!みんながこちらを見下ろしてる! そりゃそうだよなぁ。よくこれで暴動が起こらないもんだ。その辺の、「ホントのところどうなの?」という問題にこのツアーはなかなか答えを出してくれない。

平壌随一の繁華街、蒼光通りを高麗ホテルの前から撮影。大体これで見たとおりの明るさだと思ってください。
 皆で紙皿に盛られた鶏肉を1口ちょっと食べて、ビールを飲み干したらさあ帰りましょう。と高麗ホテル前に停めてあったバスに乗り込む。このホテル前の道は蒼光通りといって、外貨商店やレストランが建ち並ぶ平壌随一の繁華街なのだそうで、恐らく期間限定だとは思うが通りにイルミネーションが渡されちょっと華やかな雰囲気を演出していた。しかし、やはりベースの明るさが違う。なにがいけないのだろうか・・・真っ暗闇の中にむりやりイルミネーションを巡らせたのでますます不思議な光景だ。ちょうど田舎の夜祭りが終わった後のような感じである。やはり夜景というのは街灯、建物の窓から漏れる灯りなどが総体的に醸し出すものなのだ。しかし、これでもこちらの人たちには歌舞伎町やお台場のように見えているのだろう。

 ところが、ホテルに帰り部屋の窓を開けたところ、街が昨日と比べ明るくなっているのに気がついた。いや、気のせいではない、ゆうべは確かに真っ暗だった。今日は少なくとも中標津市街位にはなっている(中標津の皆さんごめんなさい)。街灯がついたのだろうか。しかしなぜ今日から? マスゲームが始まってから5日も経っているのに。恐らく発電所は建国以来の限界運転を強いられていることだろう。あんまり無理しないようにネ。今晩も風呂の順番を待ちながらドラマを、続いて明日の支度をしながらカラオケ番組を見て、2時前頃就寝。

 人・人・ひとの万景台


吹き抜けっぽい造りが気持ちいい羊角島ホテルのロビー。右に透明エレベータが見えます。
 遠くへ行かない今日は前日に比べ1時間遅い9時出発。朝食は8時からということで、下に降りて若干余裕があるのでホテル内を探検してみた。日本レストランの隣には日本製品を扱う売店がある。プリンスホテルにある売店とちょっと似ているが(?)、扱うのは薬からさきいかまで幅広く、これが真っ白い室内のショーウインドウに並べて展示されている。次はロビーを横切って反対側、こちらには書籍をはじめ絵はがき、CDやポスターを扱う土産物屋、通路をはさんで何ともいえない商品を扱うファンシーショップ、ここも突然日本製のクリップなどを並べてあって謎。確かに日本製はステイタスなのだろう。しかしここにクリップを置いても意味がないのでは? さらに先に行くと、大きな宴会場が2部屋あって中国人の団体はこちらでバイキング形式の朝食をとっていた。なんか、こっちの方がいい・・・

 また、平壌の外国人用ホテルには寿司なども食べられる日本料理店(我々が食事をとる所は違うらしい)やカラオケ、マッサージ、カジノやいわゆる「スッキリ」できる所があるという。地下に降りる階段の所にボードが出ていたので降りてみた。が。廊下が続いているのはわかるが灯りがついていない。10m先は真っ暗だ。これが一流ホテルの地下1階!? あまりに恐ろしい状況なので後ろを振り向きながらすぐに引き返した。カジノやカラオケが朝っぱらからやっているわけはないので灯りを消しているのだろう。

共和国随一の格式を誇る外国人専用の高麗ホテル。
 今日もぼそぼその肉類とキュウリ入り油炒め、パン2切れ、後からお粥。品数は多いのだが、どうも食欲をそそられるラインナップではない。イカの朝鮮風塩辛に箸をつける。口に入れるまでは何とも思っていなかったのだが、食べた瞬間「ウッ!」となる。そうなると急にスイッチが入ったように、もやしのナムルも匂いが鼻について食べられなくなってしまった。ナムルは大好物なのだが・・・どうも、飲み込んだときに鼻に抜ける匂いがダメみたいだ。そうなるとお粥もキツイ。結局その後はパンをかじっただけで切り上げるが、こんな事で食事が口に合わない奴は私だけのようである。ホンマに繊細というかお上品というか・・・我ながららしくないとは思うのだが。

 9時過ぎにホテルを出発したバスは再び平壌駅の角を右折して蒼光通りへ。と、高麗ホテルの角を再び左折し昨日行った屋台の前を通り、三角形を描いてまた元の西城通りへ戻った。しばらく線路沿いに走った後右折して千里馬通りへ入る。あれっ?まず最初に万景台に行くはずなのでは。バスは屋台村の前を通り普通門を回って普通江沿いに走る。完全に逆方向である。またオレ行程忘れてるのかな。祖国解放戦争勝利記念館が見えた。ここも昨日通ったな・・・

 と、バスは左折した。あの105階建ての幽霊ホテル、柳京ホテルを回り込むようにして今度は南下。こうなると昨日通ったとおり普通江駅、パルゴル橋、光復通りを経て確かに万景台に行く。が・・・何でこんな遠回りする必要があるのだろう。羊角島から万景台に行くのに、このコースは時計の5時から8時をわざわざ1時経由で行くようなものである。確かに平壌観光はバスの車窓がすべてといって良いツアーなので、100mでも余計な道を走った方がいいのだが。どうも外国人が通っていい道(というか通らなければいけない道)が決まっているようである。わざわざ高麗ホテルの所を一辺300m位の三角形を描いて元の道に戻るなど、とても怪しいではないか。

万景台の駐車場にて。これが共和国での一般的な公共交通機関です。
 学生少年宮殿の前を過ぎるとまだ通っていない道に入る。路面電車の停留所ではあいかわらず大勢の人が列を作っている。その先で左折すると、道は小さな川沿いの田舎道になった。立木の向こうに田園風景が広がっている。この辺から人が多くなり始めた。と、人々は見る見るうちに群となって、付近は行楽地のような様相を呈してきた。見ると右側に遊園地が見える。ループのジェットコースター、フライングカーペットなど、およそこの国らしくない乗り物を持つ本格的な遊園地だ。こちらも結構人で賑わっている。人々の群はますます大きくなっていき、ある一点を目指して逆巻く奔流と化してきた。これが万景台、金日成氏の生家がある「聖地」である。

 もうバスは人の海に浮いている小舟と化してしまった。窓下には顔・顔・顔・・・休日に下北沢へ車で行くと味わう、「ウワー身動き取れん!」というあの恐怖を思い出す。しかし運転手はお構いなしに人の川を遡上していくのだ。一度ならず、バスのすぐ前で人の流れが右から左に変わったことがあった。こうなるともうひかないのが奇跡に近い位である。そして、突然バスは駐車場でも何でもないところで停まった。ここで降りるらしい。

老いも若きも次々と「巡礼」に訪れます。
 歩かないように配慮してくれるのはありがたいのだが、何とも「タメ」がなさ過ぎる。すでにそこは万景台の中心である生家の至近であった。しかし、ここまで来るといやがおうでも人民と触れ合うことができる。挨拶くらいでは咎め立てられることもないし、私は調子に乗って小学生くらいの男の子のいがぐり頭をグリグリしてしまった。向こうもさしてびっくりした様子でもなかった(と思う)。

 こちらの子供達は皆セーラー服のようなボーイスカウトのような白いシャツに赤いネクタイの制服を着用している。大人達は男はスーツ、女は意外にチマチョゴリは少なくブラウスにスカートが多いようだ。家族連れはあまり見かけず、大人達は大人達で、子供達は学校単位で「参詣」しに来ているようである。私は気がつかなかったが、有名な万景台のわき水の横を通ったようだ。本やネットでどの旅行記を見ても、旅行中ツアーのほとんどが激しい下痢にかかったと書いてあるが、一説によるとその原因がここのわき水にあるようだ。ここに立ち寄らなかったせいか、我々のツアーで下痢に悩まされた人はいなかったようである。

深々とお辞儀していました。この子が大きくなったとき、この国はどうなっているのでしょう・・・
 生家は様々な媒体で必ず写真になっていて、今さら特にここで書き留めることもないが、私はなぜかストックホルムの野外民俗資料館、スカンセンを思い出してしまった。馬屋(なのか?)の様子などがちょっと似ていて・・・失敗したろくろの上の湯飲みのようにクニャーとひしゃげた壺など、貧しかったのでこんな物でも大事に使っていましたというアピールなのだが、それにしては家自体はこぎれいで貧しいというには・・・「貧しさ」と「威厳」の紙一重のバランスを演出するのに苦労していると見受けられた。

 ありがた〜い説明を受けている間も人民の列は途絶えることなく、我々の横を追い抜いていく。馬屋と家屋でU字型になっている狭い中庭を足早に通り過ぎていくが、どうも多くの人々は生家を見てはいないようだ。事務的に来てささっと帰ってしまう。これだけの人が渦を巻いて押し寄せておいて、ベルトコンベアに載せられたように一瞥もくれずに去っていく様は滑稽でもあり、ちょっと哀しい。冷たい大人達に比べて、子供達は先生が長々と説明をし、それを神妙に聞いている。花束を供えていく子供もいる。何度かチャンスを待ったのだが、上の写真は家族連れで来ていた幼い女の子を捉えた会心の一枚。

右の花束が供えられている方が母屋、左が納屋。母屋の中に3枚の写真が飾ってあります。中央が金氏、左が父親の金亨稷(Kim Hyon jik)先生(共和国では金氏のご先祖は皆「先生」と呼ぶことになっています)、右が母親の康盤石(Kan Ban sok)女史。万景台は金氏の集落で、代々墓守の家系ということですが、当時亨稷先生は小さな薬局を営んでいたそうです。盤石女史はここからほど近い七谷(チルゴル)の生まれですが、康氏は平壌でも1・2の名家なので家柄の劣る金氏との結婚を周囲から大反対されたとのこと。敷地の奥にはひしゃげた瓶が。これは「こんなものでも捨てずに使うほど貧しいながらも物を大事に使っていた」という説明のために展示されているものですが、いろいろいわくがあるみたいですネ。

とにかくどこまで行っても人・人・人・・・右は霊験あらたかながらも日本人ツアー客が多く罹患する下痢の原因と言われているわき水。
 敷地一帯にはこのほかも記念碑や建築物などがいろいろあるようだが、我々は生家のみを見ただけでバスへと戻るらしい。行きと違う道を通って、気がついたら我々の番号のバスが目の前にいた。バスは再び人の波をかきわけて、今度は大同江沿いの景色のいい道を通って市街地に戻る。9年の世界青年学生祭典に合わせて建設された数々の屋内運動場が建ち並ぶ青春通りを抜けて安山通りへ。普通江ホテルの所を右折し、セマウル通りに入って少し進んだところで停まった。ここが地下鉄千里馬線の南側始発駅である復興駅。意外なことだが、平壌観光には必ず地下鉄乗車がコースに入っている。しかし、観光客が乗車できるのはこの復興駅と、一駅先の栄光駅の間だけなのである。この2駅だけがよその人に見せてもいいように力を入れて造り、あとはとても見せられたものではないから乗せないのだ、と言われているが・・・

 地下鉄探検


出札口らしき窓口。エスカレータは3基あります。
自動改札は中国製でしょうか。一応定期券読み込みのスロットがありますが、定期券客は一回も見ませんでした。
 例によって団体は駅前で足踏み。トイレに行っている人を待っているという説明だが、誰だよ帰ってこないのは?と見ていたら最後に出てきたのはうちの同居人だった。隊列を組んでいよいよ駅内部へ。入ってすぐ、右側に出札口のような窓口があるが、閉まっている。平壌地下鉄のシステムは全線一律10チョン(1ウォンの10分の1)で自動改札に直接コインを投入する方式なので、切符を売る必要はないのだろう。確かに改札では人々がどんどんコインを投入して通り過ぎて行く。

 ホールの隅には本やネット旅行記で必ずといって良いほど写真が載る地下鉄路線案内図がある。平壌には地下鉄が2路線あるが、これは下に「どこに行きたいですか?」という文字と駅名ボタンがあり、ボタンを押すと図中の駅名表示が光るのだという。が、・・・今回私は押さなかったが、実は希望の駅名を押しても光る所が全然一致しないのだそうだ。なぜかはまったく不明。一応秘匿のためだとは思うが・・・

 いずれにしてもこの地下鉄、100%日常で利用する人のみの利用を前提としている。日本、というか平壌以外の世界中のように田舎者が出てきてまごつかないように、と配慮する必要がないのだ。だから、別に押した駅名の所が点滅しなくても誰も困らない。てゆーか2路線でこれしか駅がなかったら別に点灯しなくてもなあ・・・

右上がりが千里馬線で、現在いる復興駅は左下。もう一本は革新線といい、千里馬線「戦友」駅と革新線「戦勝」駅で交差していますが、両駅は直接接続はしていないようです。エスカレータを降りるとなぜか水平通路を歩く。


 エスカレータは下まで2分以上かかった。案内人の話では100mの深度とのことで、核シェルターとしての利用を想定していることは明らかである。それ自体は別に驚くにはあたらないのだが、いざという時に人民が入ることができるかどうかは疑問。平壌ではエスカレータは歩いてはいけないということなので、皆おとなしく2分の時間を共有している。東京の人間としては普段左に立つのが習慣となっているので、ここぞとばかり右側に立ってみたがどうも背中が落ち着かなかった。人によって立つ位置が違っていいるのが今回の参加者が各地から来ているのをよく表している。エスカレータの終点からさらに40mばかり歩くと、アラ、心斎橋?

豪華なシャンデリアが印象的な復興駅のホーム。ここからしばらくはRHP1段増感なので若干画像は荒れますがあしからず。
 な〜んて、大阪の人には珍しくないでしょうが、ドーム型の広々とした空間が広がっていた。考えてみると貧乏くさいというかコスト重視のデザインが多いアジアの地下鉄のなかで、ドーム構造の地下鉄駅は平壌と大阪だけなのではないか? すごいな〜大阪。もっと誇っていいと思うぞ。

 一応この復興駅は始発駅とのことなので(千里馬線はこの先万景台まで延長計画があるが、いつ開業するのかはまったく未定)、列車もすぐに発車するわけでもないようだ。しかし時間が充分あるわけでもなく、追い立てられるように先頭車に乗せられると発車。

 いかにも都営5000形のパ○リという塗りが意外にも似合うこの(700形?)車両はベルリンUバーン(地下鉄)の中古。車内は恐らくクロスシートであったと思われるオリジナルに対してロングとなっていて、木目のデコラと緑のモケットが神戸市営地下鉄のような雰囲気を醸し出している。灯りは確かに暗いが、外国の地下鉄なんてみんなこんなもんだから特にひどいというわけではないと思う。日本の基準で判断してはいけない。むしろ車内の清潔さに驚いた。良く整備されているという印象である。まさか観光客用の模範編成があるわけでもないだろうが・・・

栄光駅で撮影した列車。元はベルリンUバーン(地下鉄)のDタイプですが、旧西ベルリンのものですので造りはいいです。軌間1,435mm、第三軌条集電で直流825V。どちらも後打ち(後ろ側)からの撮影ですが、平壌の地下鉄はテールランプというものがなく、後部もヘッドライトを点灯しています。また車掌も前部運転台に運転士と一緒に乗るのだそうです。形式もやっぱり700形じゃないようですね。
車内は木目デコラ、緑のビニールシート。Dタイプは1998年に216両が譲渡されたとのことですが、いいもんもらいましたね。車端部には各車とも親子の肖像画が。運転台はドイツ語表記のままでした。
栄光駅は復興駅と違いホームに柱を持つドーム構造。天井から下がるシャンデリアはぶどうの房をモチーフにしたものだそうです。明るさはこれも大体見た目通りだと思ってください。千里馬線は1973(チュチェ61)年に開通したものですが、一応計画には初めて大同江東岸を通る第3の路線が計画されています。しかし、これもいつできるのかはまったくわからないようです。
やべえ!真ん中の写真には軍人さんが! ここは国鉄平壌駅に至近の乗換駅なのですが、国鉄から乗り換える人はどれほどいるんでしょうか。

栄光駅から地上に戻る。東平壌火力発電所の煙突からは黒煙がもくもくと出ていました。
日本以外では都市交通の車両というと各車間は通り抜けできないのが普通で、先頭車に集められたのは人民と隔離された専用車なのだろうなと思っていたのだが、人民も普通に乗っていた。上の車内の写真、グラサンかけた兄ちゃんも人民なのである。車内も真っ暗というわけではなく、 3分程で栄光駅に到着、こちらはまたいかにもソビエト式の、ホーム上に柱を持つ壮大な地下鉄駅である。階段を上がったところの踊り場で地下鉄のパンフレットを売っていたので購入。英語、ロシア語、なぜかスペイン語があるが、英語は市中の書店やホテルの売店では見かけないので迷わずここで購入した方がいいと思う。再び長〜いエスカレータを昇って地上に着けば、そこは平壌駅の近く、バスが先回りして待っていた。

 

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