停戦会議場


おなじみの光景ですが逆から見ると感慨深いものがあります。
 石碑より板門閣を回って行くと、ついに停戦会議場へ。板門閣からの階段に並んで順番を待っている間、撮影は説明が終わってから、撮ってはいけない所で撮影しているとき、人民軍の人間が手を「パンッ」とたたくので撮影はやめなければならないといった説明を聞く。目の前には見慣れた3棟の青い建屋。順番を待って真ん中の棟に入る。

 ついに、あの停戦会議場に入った! ・・・と思いきや、ここもあまりの大人数でなにがなんやら・・・写真を撮ろうと思っても、人・人・人で狙いが定まらない。勢いに任せて部屋中央のコードの線を越えてしまった。ご存じ、このコードが北と南の国境なのである。国境とは、そして世界でもっとも遠く離れた国の境とは、こんなにもいとも簡単に越えられるものなのか・・・

各建物を中央で貫くコンクリートの線が軍事境界線。38度線というと東西に走っているように思えてしまいますが、なんとこの建物の所では南北に走っているのです。 軍事境界線の南側、国連軍区域を部屋の中から見る。よく北側の兵士に比べ南側の兵士はだらけてるという話を聞きますが、確かに左写真で見る北側の直立不動と比べるとだらしない(リラックスしている?)ようです。
室内で軍事境界線の南側をまたいで北側を見る。机の上のコードが境界線になります。南側から見学に来ると机に触ってはいけない、椅子に座ってはいけないなどと事細かに指示され緊張するそうですが、北側から行くと椅子に座ってもいいし傍若無人な振る舞いができます。ちょうど外と中で緊張感が逆になっているわけです。右はお約束、外から室内を覗き見る国連軍兵士。

 韓国に来てしまった。しかし明洞や南大門市場に行けるわけでもない。すぐにまた帰らなければいけない。さらば韓国・・・そして再び共和国に。オッあっちに国連軍のMPがお約束の覗き込みを!しかしこちら側は人の尻で近付けない。よし、あっちを回って・・・再びこんにちは、韓国。一体俺は何をやってるんだ・・・このように、部屋の中では正直民族の分断や平和にゆっくり思いを馳せる時間もなく、さぞや外から覗いたら面白い光景が展開していただろうと思われる。今度、少人数のツアーでもう一回来よう。
板門閣の上から見下ろすとこんな感じ。3棟ある青い建物のうち中央のものが停戦会議場、板門閣と対峙するように建つのが国連軍側の「自由の家」。向こうには韓国の建物が。右はもともと現自由の家の場所に建っていた「平和の家」。
 部屋を早々に追い出されたら、会議場を見下ろす板門閣へ。建物の3階にあるバルコニーで見学&撮影タイム。石碑の所からずっと案内してくれている人民軍の人もここで若干物腰が柔らかくなってきて、みんなが一緒に撮影をせがんでいる。うちの同居人も当然1枚。そしてここも退散ということで、なんだか忙しい板門店見学ツアーは終了し開城への道を引き返したのであった。

 さらば板門店


さらば板門店!待ちかまえていた甲斐あって「ソウル 70km」の標識を撮影に成功。コンクリート製のゲートのすぐ向こうが総合講義室になります。
 停戦談判会議場の辺りまで来ると依然としてこちらに向かってくる観光バスと狭い道ではすれ違えず、しばらく立ち往生するなど、この日の板門店は本当に最後まで大混雑であった。総合講義室のゲートを抜けると再び高速で猛スピードに。「ソウル70km」の標識が撮りたかった私を含む数人はバスの最後部で準備しており、非常に難しいコンディションだったが何とか1枚撮影。開城の市街地付近まで来たところで、インター(というほどのものでもないが)を降り市街地へ向かう。

 まず着いたところは「統一館」という道の駅のような所。ここで昼食となるのだが、大きな食堂が何部屋もあり、ここでも中国人が人民パワーで飯を食っていた。我々日本人はバスを停めた通り沿いの部屋に通され、お待ちかねの昼食。しかし・・・これが私的にはゲロまず。米が悪いのかなあ・・・牛肉のしぐれ煮みたいのもあって、普段はこういうの大好きなのだが、味付けも口に合わないようだ。飢餓の国であまり残すのも悪いので、何とか一通り口をつけはしたが、これで終わりと思っていたのに相変わらずの時間差攻撃でスープが出てきた。これはどうもサムゲタンらしいが、本来鶏を内臓をくりぬいてまるごと煮込むところが、ちぎったささみ状態でスープに浮いているというニセサムゲタンであった(ここで丸ごと出てこられても困る)。う〜、もう腹いっぱい。ちょっと食が細くなったかな・・・

統一館の前から開城市のメインストリートを見る。写真向こう側が板門店の方向、右側すぐの所に南大門があります。人々が平日の昼間にもかかわらず大勢思い思いの方向に歩いています。
 ここの売店でポスターサイズの朝鮮全土地図を5枚も購入。定住型旅行だと思うと大きな物もバンバン買ってしまう。玄関前には出店も出ていて、各種土産物をはじめミネラルウォーターなど売っていいるが、これはいつも出ているものなのだろうか。

 バスの前で一服するべく通りに出てみると、開城のメインストリートがよく見える。なんだか不思議な街だ。建物のたたずまい・質感等30〜40年前と変わっていないのではと思われる。これが共和国の地方都市の表情なのだろうか。反対側を振り返ると、こちらは子男山という小高い丘になっており、市内が一望できるという。今回は行かせてもらえなかったが、統一館前の道から一直線の頂上にはここにもミニ金日成氏の銅像(とはいっても台座込みで15mはあろうかという代物)が我々を見下ろしていた。

唯一の一般的観光である高麗博物館の建物。 開城市の中心、南大門。
 食事も終わって次に向かうのは、かつて朝鮮半島最初の統一国家であった高麗の首都であった開城の別宮、後に儒教の教育機関が置かれた高麗成均館内の高麗博物館を見学。いわゆる南の言葉で言う「安保観光」が大部分を占める共和国ツアーにあって、数少ない史跡の見学である。待ち受けていたチマチョゴリ姿のお姉さんについて、各種展示物を見学して回る。まあ奈良・京都を旅している感覚なのだけれど、共和国で気を抜いて旧跡を見て回るというのも、出発前には今ひとつ想像できなかったシチュエーションである。これはこれで体験してみると面白い。展示物にあまり見るべきものがあったとは言い難いが・・・しかし、通り一遍のツアーでなく一帯の史跡をきちんと見学させてくれればかなり面白いと思う。この街が自由に歩き回れる日が来るまでに、しっかりと朝鮮の古代・中世史も勉強しておこう。
南大門から四方に伸びる街並を見る。この十数キロ先が韓国だとは信じられないほどクラシックですが、人々の服装などはこざっぱりとしています。もっとも高麗博物館までの道にはそれなりに「すごい」景観もありました。
左は上写真のメインストリートの奥を右折し高速に入るところ。斜面の奥に鉄道のトンネルらしき物が見えて急いで撮った一枚。右は高速に乗ったところで撮った開城郊外の民家。
 バスは再び来た道を戻り、先程の統一館近くの南大門へ。これはソウルにもある南大門と同じく、町の中心部にある城の城門で、1391〜1393年に建立されたが朝鮮戦争で消失し1954年に再建されたものという。階段を登って戸を開けようとするが、添乗員もガイドも多分開いてないだろうなと・・・ところが古い木戸がガラガラッと開いた! みんなで喜んで門の上に上がってみるが、正直歴史の勉強より四方に広がる街並みと人民の生きた姿の方が面白い。人々を満載で走るボンネットのトラック、遠巻きに外国人を見てはしゃぐ子供たち・・・あ〜この門をすぐに降りて道の向こうに駆け出したい! 普段旅行に人との触れ合いなどあまり求めない私が切実に思うのだから、この飢餓状態はいかばかりか。他の参加者はどう思っているのだろう。

 10分自由時間ということなので、望遠で街並みを撮ってみたいとレンズを置いてきたバスに戻るが、レンズを持って出てきたところで皆がゾロゾロ戻ってきてしまった。なんで〜!まだ10分経ってないじゃん!バスは再びインターより高速道に乗って、夕方のマスゲームに間に合わせるべくスピードを上げ平壌に急いだ。

 開城を出てすぐ、ガイドのK嬢がアリランを歌いますと言ってマイクを取った。その説明もたどたどしいのだが、歌は当然朝鮮語なので流暢である。これも余興の一つと思って聞いていたのだが、ぼーっとすぐ隣を走る旧道を見ていると、一瞬歌と風景がシンクロしたのだ。並木の未舗装路を歩く人々、牛車、トラクター・・・東南アジアではない、我々日本人の心象風景に親和性を持つ朝鮮の風景、歌・・・涙が出そうな瞬間だった。

 帰りは全員疲れ果てたようで、ぐっすり眠るうちに平壌市内へ。私は行きに撮り残した線路などを撮影すべく起きていた。とにかく揺れがひどくて、写真もどれだけまともなものが撮れたかわからない。メモも取れないし・・・しかし、平壌―開城間に限って言えば、予想よりは良かったというのが正直な感想だ。まあ統一の暁にはもう一度舗装をし直さなければいけないかとは思うが。

 再び平壌市内へ


高速道路に何カ所もある戦車止め。素っ気ない機能本位の物が多いですが、これは装飾っぽい感じのもの。
 さて、平壌まで14km(だったと思う)の標識がある、市内のビル群が見える所まで来たのだが、東西に走る道路との交差点で行く先を警官が阻んでいる。何かあったのかな?もうすぐ千里馬通りだというのに、ひょっとして、今「アレ」が始まったのか!? な〜んて、ちょっと色めき立つが、まさかね。バスは指示通り東西の道を東へ迂回する。右側には単線電化の線路が並行しているが、こんな線あったか・・・? 後に共和国路線図で確認したところでは「平壌石炭線」ではないかと思われるのだが。道は平壌市街を回り込むように走る。平壌のシンボル、あの高い柳京ホテルが位置を変えながらずっと見える。どこへ連れて行かれるのだろう。早く帰らないとマスゲームが・・・もともと余裕のない時間割でマスゲームの前にホテルに帰る時間も恐らくないだろうとの話だったが、板門店でも予想外に時間を食ったためベタ遅れである。早く左折してくれ・・・しかし、これはこれでうれしいハプニングでもある。おきまりのコースでない素の平壌が見られるかもしれない。
 10km位走ったろうか、ようやくバスは左折した。しかしここにも警官が立っていたため、一時はいよいよ市内封鎖かと思った。警官が塞いでいたのは反対車線(放射道路の平壌方向から我々が今来た方向)なので、最初の通行止めとは関係がないと思うが、結構ドキドキしたものだ。ここからしばらくは、観光ではない「裏」平壌をはからずも見ることができた。まず、とてつもなく道路が悪い! 椅子にしっかり座ってないと怪我をする位ひどいのだ。しかも15m位の道路の全幅を使って凸凹の少ない部分を選んで走るものだから、時々来る対向車とあわや正面衝突という場面もあった。歩行者や自転車も車をまったく意識していないので、これも一度本当におっさんを轢くかということがあり、バスは急停車!ほこりもひどく、とても写真に撮れるような余裕はない所だったが、市街地のいわゆる「ショーウインドウ」から一歩立ち入った人々の暮らしや町のたたずまいが見られて興味深かった。
普通江駅
 再び市街地に戻る。平壌産院の前を通ったので、バスは真南の方向から真東までを回り込んだことになる。恐らく大学通りを通ってきたのだろう。東大院通りで玉流橋を渡ると、有名なレストラン、玉流館が見えた。普通門を右折し、普通江沿いに北上。祖国解放戦争勝利記念館の所を左折して、普通江(Potongan station)駅―パルゴル(八谷)橋を渡って、高層アパートが立ち並ぶ風景で有名な光復通りへ。ここでバスはゆうに120km/hを出していた。道幅100mの道路をフルスピードで疾走するバス。何をそんなに急いでいるのだろうか・・・それに、マスゲームはまったく反対側の綾羅島(ルンラド)で行われるはず・・・

 バスは大きな劇場のような所の駐車場に停車した。ここは万景台学生少年宮殿。すべて子供達だけで行われる音楽ショーの観賞が予定に入っていたのであった。そんなのがツアーにあることすっかり忘れていた・・・時間がないので急いでと言われ館内へ。このためにバスは急いでいたのか〜。

学生少年宮殿前から見た高層アパートが建ち並ぶ光復通り
 館内はまたロビーが大きく荘厳な造りだこと! ホンマにこの国はなんだかな〜と感心かつあきれつつ大ホールへ。渋谷公会堂位の大きさのホールはすでにほぼ満員の観客で埋まっていた。とりあえず空いている上の方の席を探して座るが、いきなり小学校中学年位の子供の楽器演奏&舞踊が始まった。チマチョゴリを着ての民族舞踊あり、ドラムやギターを使っての洋楽(風)演奏ありと、出し物&メンバーはめまぐるしく変わるが、これがすべて子供なのだ。オヤ、よく見ると舞台手前では生オケがあるではないか! 後で聞いたところによると、この舞台は照明やこの生オケもすべて子供達がやっているという。すっ、すごい!いよいよ共和国パワーがその正体をあらわにしてきたという感じである。正直期待はしていなかったのだが、小1時間ほどのステージはまったく飽きることはなかった。
金日成氏の生家、万景台の家をバックに琴の合奏
出ました〜! やっぱ最後にこれを出さなきゃ気が済まないんですね。フィナーレは出演者全員で合唱。両脇の合唱団、舞台前の生オケにも注目。

 この学生少年宮殿は日本で言えば児童館のスケールの大きなもので、子供が放課後に音楽や絵画、運動などの各種活動を行うための部屋・設備を揃えているのだという。本当は演奏会の前にこれらの部屋を見学して子供達と触れ合うという予定があったのだが、時間が押してキャンセルとなってしまったのだった。いかにもショーウインドウというか、労働党選抜のエリート児童が模範演技をしているところを見るだけなのだろうけど、せっかくの機会なのだから子供と触れ合ってみたかったと、ちょっと残念。ホールから出てきたとき、吹き抜けのロビーに高さ10mはあろうかという、スペースシャトルがあったのには笑った。それは敵国の物なのでは?

平壌市内観光のヒット作、大同江ディナークルーズ。昼間の板門店はベタ曇りでしたが、夕方になると空も晴れ美しい川べりを見ながらの焼肉は最高でした。ホラ、ちょっとセーヌ川に見えるでしょ!?
 思いがけず楽しんだ後、マスゲームのために早めの夕食をとるために大同江へ。なぜ川に行くのかというと、ディナークルーズなんだそうである。平壌でディナークルーズ・・・なんともミスマッチなこの2つの単語、出発前行程表で読んでどんなものかと思っていたが、確かに一応船であった。

 金日成広場の前の川べり、チュチェ思想塔の真ん前にその船は停泊していた。「ピョンヤン」と名付けられたこの船、どこから持ってきたのかわからないが上部甲板で焼肉が楽しめる。コンロに火を付けて、ボチボチ焼いてみるかという頃、船は動き出した。意外にいいな〜これ。どこまで行くんだろう。下流だったら我々の泊まっている羊角島ホテル、上流だったらこれからマスゲームを見るメーデースタジアム、どっちもいいな・・・。

 5月上旬の平壌は夕方になると少し肌寒いが、チュチェ思想塔を横目に見ながら焼肉というのもなかなか非日常で楽しい。聞くところによると3年前位に始めたそうである。しかし、一度上流へ向けて動き出した船はすぐの所にある玉流橋の手前で反転し、チュチェ思想塔を目前に川を下った後、再び反転して元の場所に戻った。?????? どうやら、同じ所をぐるぐる回るだけのようである。それも2回かな?回ったら船着き場に付けたままとなってしまった。燃料もばかにならないということか・・・まあ、いいんですけどね〜。この船はいわゆる第一甲板と船体内にも部屋があるようなのだが、今回もほとんどダッシュで食べて下船という感じだったので船内探検をする時間がなく残念だった。

1989年の世界青年学生祭典に合わせて建設された5.1競技場―メーデースタジアム。平壌市街の北東に位置する大同江の中州、綾羅島にあります。パラシュートを模したデザインは1989年の国際発明・新技術展でゴールデン賞を受賞しました。手前右の建物は東平壌大劇場、同中央は金正日花(掛川市の加茂菖蒲園が作り出した赤いベゴニアの新種)を栽培している温室。
 さて、大急ぎのディナークルーズを終えて、市街の北東にある大同江の中州、綾羅島へ急ぐ。ツアー実質1日目にして、今回のメーンイベントであるマスゲーム、“アリラン”を見るためである。開演は2000、もう辺りはすっかり暗くなっているが、牡丹峰(モランボン)の下のトンネルをくぐって綾羅島に入るとたくさんの人が歩いている。ついに来たか・・・共和国史上最大の10万人動員マスゲームの始まりである。

 スタジアムの前でバスを降りるが、まずスタジアムの大きさに圧倒される。さすが共和国はスケールがでかい! しかし、気分としては1998年の長野オリンピック閉会式に似た感じがした。この高揚感は何度味わってもいいもんだ。我々の席は3等、チケットをもらって入場しようとするが、何か向こうの方からたくさんのパトランプが接近してきた。何かただならない雰囲気である。ひょっとして将軍様が! と人垣の前に駆け寄るが、何台もの先導車の後に日本でもなかなかお目にかかれないリムジンが走っていった。これは後で聞いたところによると平壌訪問中のベトナムのチャン・ドゥック・ルオン国家主席と共和国の金永南最高人民会議常任委員長だそうである。まさか金永南氏を間近に見ることができるとは思わなかった。まあ本人を直接見たわけではないが。

 スタジアム内に入ると、すでに人文字はリハというか、号令に合わせて見事に柄を変えるデモンストレーションの最中であった。アジアで最大といわれるメーデースタジアムの広大さに息をのむが、はじめて見た人文字の精緻さにも驚かされる。このデモは写真に撮っておらず今では後悔しているのだが、人文字を構成している各学校の名前なんだそうである。我々はツアーの料金に含まれている3等席なのだが、上下左右ともいい位置で運が良かったようだ。さて、20時を過ぎた、そろそろかな・・・

Go to Part4